幕間3:夜空の独白
瀬能夜空にとって、男性とは恋愛対象ではない。
あくまでも、キスという行為の対象である。
いつしか、彼女は気に入った男性にキスをするようになっていた。
自らの快楽を求める行動をやめることなどできない。
周囲からの女子は「ビッチ」や「キス魔」と心無い言葉を浴びせられることもある。
だが、夜空はまったくそういうものを気にしない。
「私、男の子とキスをするのが大好きだもん」
そうやって、自分に正直に生きていた。
それが夜空と言う女の子である。
キスをはじめてしたのは小学生の頃だった。
最初はよくある悪ふざけの罰ゲームがきっかけだった。
男女がはやしたて、当時の夜空が気になる男子とキスをせがまれた。
「き、キスなんて嫌だよ」
「罰ゲームなんだからしろよ。瀬能、逃げるなぁ」
当初、嫌がっていた夜空に強制する雰囲気。
「もうっ……どうせゲームだからいいけど」
彼女自身も、キス程度は仕方ないと諦める。
そのまま、キスをすることになったのだが、それは彼女にとって大きな衝撃を与えた。
初めてのキス。
触れ合う唇の感触が脳裏から離れない。
「……キスって気持ちいいものなんだ」
唇と唇が触れ合う瞬間。
心を通い合わせる事ができるような気がして。
彼女はすっかりとキスと言う行為の虜になった。
ただ、一時の快楽のために。
彼女は自らの唇を男性に捧げつづけた。
傍から見れば誰でもキスする貞操観念の低い女子に見られがちだ。
だが、夜空のキスには魔法のような魅惑がある。
キスをされた男性は夜空に恋心を抱くのだ。
しかし、夜空自身は恋愛にはさほど興味もなく。
「ごめんね。好きとか考えたこともないから。私はキスをしたいときにするだけだよ」
彼らを自分の都合のいいように利用するだけで想いを翻弄する。
翻弄されながらも、男子は美少女からキスされることを拒むものはいない。
瀬能夜空は魅了の魔法を使える魔法使いみたいに、異性を虜にしていった。
だが、それらに反発するのは女子たちだ。
「何なの、あの子。まるで悪女じゃん」
「男を狂わせる魔性の女よね。最低」
自らの行動の結果、女子からの悪評は際立っている。
中には彼氏を奪われた、好きな男にキスされたなど僻みや妬みも多くあった。
まるで妖艶な魔女のように、その唇には魔力がある。
彼女はしたいように、異性をキスして夢中にさせる。
その度に彼女に虜にされた哀れな男は増え、彼女を恨み敵視する女子も増え続けていた。
彼女も時に挑発的な物言いをすることもある。
「自分に魅力がない人間が勝手に妬んでるだけでしょ」
「なっ、アンタみたいな女に私達の何が分かるのよ」
「何も分からないよ。モテない女の僻みなんて興味もないし?」
夜空は自分自身が魅力あふれる女の子であることを自覚している。
彼女は悪女と呼ばれ続けても、あらゆる男子を魅了し続ける。
これからも、そういう生き方をしていくのだと思い込んでいた。
その悪い噂を聞きつけた従姉の澪に捕まるまでは――。
「入学おめでとう。さっそくだけど、夜空には恋愛指導部に入ってもらうから」
久々に会った従姉は夜空の悪癖を危惧していた。
キス魔である彼女だが、実際には男性と関係を持ったことはない。
恋愛経験がほとんどないためであるが、澪はまだ引きかえせると判断した。
「みーちゃん?恋愛指導部って何なの?」
「私達の学園にはそういう組織があるのよ。他人の恋愛の後押しをする組織なの」
「まるで、おせっかいをするおばちゃんみたいだ」
夜空は恋愛指導部に興味もなく、肩をすくめる。
「私、恋愛には興味がないんだよ」
新入生として、高校生活を満喫するつもりなのに、余計なものに関わりたくはない。
当然、断ろうとしていたのだけど、澪はしつこく食い下がる。
「これは決定事項よ。生徒会長しての任命権を行使するわ」
「ひどっ。他人の恋愛なんてどうでもいいよ、みーちゃん」
「……自分の恋愛はどうなの?」
「え?」
「夜空は心の底から誰かを好きになったことはある?気持ちの通っていないキスなんてしても、一時の快楽しか得られない。本当のキスは心も体も満たされるものなのよ」
澪の言葉に夜空は思わぬ期待をしてしまう。
恋愛とキスの相乗効果、そのキスはどれほどの快楽を彼女にもたらすのか。
「私の知るキス以上のキスがあるってこと?」
「そうね。今の貴方のキスはただのお子様のキスだわ。だから、恋愛を知るべきよ。心の底から誰かを好きになって欲しいの。キスは本当に好きな人としかしちゃいけないものだわ。だから、夜空は恋愛指導部に入りなさい」
従姉として夜空を心配しての発言だった。
どこかで歪んでしまった感覚を今こそまともに戻すために。
「そこまで言うのなら、みーちゃんはホントのキスをしたことがあるんだよね?」
「え?あ、それは……」
「まさか、私にそれだけ言って経験ないとか?そんなわけないよねぇ?」
彼女の意地悪な追及に澪は表情を曇らせながら、
「経験くらいはあるわ。ただ、私の好きな人いくら私が彼を好きでも、本心を見せてくれない。私を愛してくれないから。ひどい人だもの」
「あのー、みーちゃん?」
「ふふっ。何が女友達よ、どうみても彼女じゃない。いつも、私以外の相手と見せつけるみたいに付き合って。いちゃつきラブなハーレムまで作って見せて。私をああやって弄んでるのよ。ひどくない?私の気持ちを知りながら、私には向き合ってくれないの。そりゃ、いろいろとあったけども。だからって、私の気持ちを弄ぶのはどうかと思わない?ああいうのを女の敵って言うんでしょうけど、彼を好きで諦めきれない私はどうすればいいわけ?片想いを続けてろって言うのかしら?ねぇ?」
「ご、ごめんなさい。みーちゃん」
うっかりと従姉の“心の闇”と言う名の地雷を踏んでしまった。
ひたすら小声でぶつぶつと呟く従姉の姿は見たことがない程怖かった。
「そりゃ、あの事件での私に対する罪悪感からか知らないけど、私の方はもう許してるのに。過去の事でぐちぐちと悩んでるのか、本気で私に手を出す事もなくて。いつも私以外の相手としか関係を持たないの。私はそんなに魅力がないのかって落ち込んでるわ」
「み、みーちゃん?も、もうこの話をやめませんか?」
「いい、夜空。世の中にはね……」
まったく小言が終わらない。
―うぇーん、この愚痴、いつまで続くんだろう?
すっかりと取り残された気分の夜空であった。
澪の心の地雷を踏んだことを後悔する。
「いい加減に私との関係もはっきりとさせて欲しいわ。こちらとしては付き合ってるように思っていても、彼はその気じゃなかったとか最悪な肩すかしも良い所よ。私が嫌いなら突き放せばいいのに、つかず離れず何て生殺しみたいなものじゃない」
ひとしきり愚痴った後、ひどく落ち込んだ様子をみせながら、
「こほんっ。こんな私のようになる前に、夜空にはちゃんと人を好きになってほしいの。いつも他の女の子の事しか考えてないような人は好きになってはいけないわ。好きになる分、辛いだけだけなのよ」
「あのね、私より、そんな相手を好きになってるみーちゃんがよっぽど心配なの」
逆に厄介な相手に心を奪われている従姉のことが心配になる夜空だった。
恋って難しいものである。
そんなわけで入部した恋愛指導部での夜空の仕事は主に資料整理だった。
恋愛指導部の主な相談は京司が行い、そのサポートをしているのは真心だ。
新人である彼女は資料を整理するなどの雑用が主である。
しかし、様々な恋愛相談を聞いてると勉強になることはある。
恋愛指導部はいわゆる告白に悩む相手だけの相談しかしないわけではない。
現在、進行形で付き合ってる相手との不仲の相談などのケースもある。
「それでね、どうやら私の彼氏が浮気してみるたいなの。最近、放課後は私と会う時間も減らしてるみたいで、会ってくれないし。夜に電話しても全然でてくれなくて、影でこそこそと何かしてるみたい。他に好きな子ができたのかもしれないわ」
相談とは基本的に愚痴の類が多いものである。
愚痴や相談、悩みは言葉に出すと自分の中で整理できる。
京司は思い悩む人間にこそ、想いを発散することが大切だという考えだ。
「なるほど。ですが先輩。逆を考えてみたらどうでしょう?」
「逆って?」
「どうして彼は電話に出てくれないのか。例えば、内緒でアルバイトをしてるのかもしれない。その理由は?そういえば、先輩の誕生日は来月でしたよね?」
「え、えぇ。そうだけど……?」
京司は優しく微笑みながら、相手を安心させるように、
「これはあくまでも仮説ですが、大切な恋人の誕生日。男として少しくらい見栄を張ってでも素敵なプレゼントを用意したいと考えているのかもしれません」
「え?それって……?私のためにアルバイトをしてるってこと?」
「男がいい恰好をする時には、その努力や苦労を隠したがるものです。先輩への気持ちが薄れてなどいないと思いますよ。だって、本当にそうならば、毎日、先輩と登校したりすることもないでしょう。貴方への気持ちが途切れていない証拠です」
彼は優しい声色で不安になる女子生徒をなだめる。
「今は相手を信じて待ってみませんか?相手を信じるという事は、時に辛い事もあるかもしれません。ですが、信じて待った先に素敵なサプライズがあるかもしれません」
「……分かった。そういう事なら、もう少しだけ信じてみるわ。私もアイツが好きだし」
「えぇ。それがいいと思いますよ」
相手は京司の言葉に納得したようで、部屋を出ていく。
恋愛相談を終えあと、様子を見ていた夜空は問う。
「京司先輩。ホントに彼女のためにプレゼントを用意してると思うの?」
「可能性としてはありえるね。ただ、そうじゃないこともある。俺は前者であって欲しいと願ってるよ。こればかりは本人に聞かないと分からないな」
「……夜空さん。こういってるけど、大抵、京司の考えは当たってるわ」
紅茶のカップを片付けながら真心が言った。
「先見の明。京司はいつも未来が見えてるみたいで怖いわ」
「まさか。俺に予知能力はないよ」
「でも、先輩はいつも恋愛相談をされると、すぐに対処法を考え付くよね?」
京司は常に先を見通す能力に秀でているのは間違いのない事実だ。
相談内容を聞いただけで、これから先の対応を考え付く能力。
ある程度のシナリオを描き、その通りに実行すれば紆余曲折はあるものの、事態を解決に導く。
夜空にとって、その先読みの力は尊敬に値する。
「ただの経験則とそうであってほしいという勝手な願い。恋愛において絶対はないさ」
「それであれだけ先読みできてたら上等じゃない?」
「ところが人間相手だと思ってたようにいかないこともある。あんまり過大評価はしてほしくないね。俺はただ、彼らをいい方向へ導くだけだよ」
「……先輩みたいな能力があったら、恋愛も楽勝そうだなぁ」
ポツリとそう呟くと彼は「あはは」と複雑そうな表情を浮かべる。
「あれ?違うの?」
「――恋愛論を得意気に語る奴には、恋人がいない。byマーフィーの法則」
自嘲するように彼は恋愛格言を囁いた。
「世の中、そう簡単にはうまくいかないってことだよ」
「……そのわりには不特定多数の女性とはうまくいってるようで?」
「そうなの?先輩にはハーレム属性が?」
「この前も何人かの女の子といちゃつきながら遊んでる所を見かけたわ」
嫌みを告げる真心に京司は、
「彼女達はお友達だから。楽しく遊んでるだけならいいんだよ。その先が難しい」
「アンタでも恋愛が難しいと思うわけ?」
「そりゃ、思うよ。当然じゃないか」
彼はそれ以上の会話を続けたくないようで、
「ちょっと外の空気を吸いに行ってくるから」
逃げるように部屋の外へと出て行ってしまう。
残された真心は「逃げたわ」と不満そうだ。
「ねぇ、真心先輩。京司先輩は付き合ってる人はいないの?」
「今はいないみたいよ。昔は家にまでよく恋人を連れ込んでたけども。アイツ、最近、ちょっと変わったのよねぇ。何かあったのかも?」
「ふーん。京司先輩でも恋愛には苦労しているんだ」
恋愛のプロでも自分の恋はうまくいかないと言う。
ならば、恋愛初心者の自分は本当に恋なんてできるのだろうか。
夜空はそんなことを思いながら、
「私が恋なんてできるのかな。私の最高のキスはいつできるんだろ?」
などと、ひとりごとを呟いたのだった。
夜空にとっては恋愛は、キスのためのものでしかない。
いつか彼女が恋愛の本質に気づけた時、何かが変わるのかもしれない――。




