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《七つの大罪》編 2

「……何やってんのよ皆」

自分の靴の音が反響する空虚な廊下を不思議に思いながら歩いて自分の教室の中へ入った瞬間にそう漏らした。  

全員が全員俯いていたのだが、私の発言を耳にしてか一斉に射るような鋭い視線が私に向けられたのだ。

怒りなのか哀れみなのか。それとも恐怖なのか定かではないが、それぞれ多種多様の感情を私にぶつけているのが解る。

「ねぇ、一体何があったの?」

自分の席の隣に頭を抱え込んで静かに怯えている女子に単刀直入に訊いてみると、私の声を聞いて刹那体を震わしたが、直ぐに顔を上げて途切れながらも僅かに声を出した。

「……今放送室に、侵入者がいて、それで……っ」

「ありがと。悪いわね無理やり訊くようにしちゃって」

トラウマがあるのだろうか、女子の震えは他よりも切迫している。

私は彼女に微笑みを向け少しでも安心させようとし、同時に体中に悪寒が走った。

普通に考えたら全員大袈裟だと思わない事はないが、何にせよ鉄壁を易々と越えられては、呆気なく放送室をジャックされてしまったのは今まで一度もなかったので、余計に今後どうなるか恐ろしいのだ。

「……ってことは、まさかっ!?」

数分前にすれ違った男子の目は穏やかで静謐ながら怒りを映し出していた。

人一倍正義感が強い───悪く言えば自己犠牲の彼の事だ。

誰よりも先駆けて焦燥感に煽られる中、教室を飛び出して行ったのだろう。

だが、決定的なミスを彼は犯していた。


「嘘……ついたの?」


あれだけあの時約束をしたはずだ。

もう嘘はつかないと。


私は自然に教室から出てしまっていた。

私に隠して危険な場所へと足を踏み込んでいる彼が何より許せない。

でも、少し誇りに思っていた。

「私も……行くね、しゅーちゃん」

自分の両足にかつてない程の震えが集結しているのを心臓の鼓動を感じ取ると共に理解する。

一歩一歩足を踏みしめて、彼の後を追いかけるように私は廊下を疾駆し始めた。



◇■■■◇



「ようこそ、選ばれし諸君よ!」



そこは暗闇、しかしほんのり暖かくて、鳥肌が立つ程嫌な雰囲気を漂わせている。

俺の正面にはメタリックを基調とした円形のテーブル、その上の中央に煌々と火を灯し僅かに揺らぐ蝋燭が一本、テーブルを囲んで同じメタリックの椅子七つ備えられているのが蝋燭の灯火で見てとれる。

これらは放送室に元々備えられていないアイテムだ。

放送室の広さは大きくもなく小さくもない。極一般的な教室一つ分程度である。

しかし、学園の外を眺望できる数々の窓は漆黒のカーテンに遮られていて、光すら差し込まない。この空間を照らしているのは一本の蝋燭のみなのだ。

「あんたが……侵入者、なのか?」

放送室に入るなり、まるで俺達を待ち受けていたような口調で部屋の奥にいるらしき人物からの不気味な声を聞き取った。

だからすかさずに俺はそう訊いてみたのだ。

「侵入者……確かにそうとれる」

愉快そうな口調で返ってきた言葉に含まれている意味の理解に苦しむ他ならない。

俺の憶測を察したのか、続けて侵入者は俺を更に理解不能に陥らせるようにこう話した。

「悩める若人とはこのことだな。実にふさわしいよ。君なら確実に迷ってくれる……いや、既にか」

「何いってんだコイツ……?」

「何、今に分かるさ。君の生存に左右するくらいね」

「生存? 殺し合いでもするのかよ」

俺は手に汗を握りながら明かりのスイッチに抜き足忍び足で近寄る。

「殺し合い……面白い。なら、その殺し合いの場を私が設けよう! 存分に殺りあってくれたまえ、七つの罪を与えられし運命の七人よ!」

刹那。

「よし、あった! ……え?」

意味が分からない言葉を並べ、寛大に嘲笑する者に物申さんと試みて、いざ電気を付けたらそこには誰もいなかった。

あるのは気色悪い色調で顔を描かれた一体のマネキンとそのマネキンの胸部に取り付けられていたカメラと低音で笑い続けるテープレコーダーのみであったのだ。

「───お前が探してた侵入者はとっくに消えたぞ。おじさんの目の前でな」

「……佐々木先生」

詳細は不明だが、おそらく先生が吹き飛ばされて来たのも関係しているのだろう。

ただ、どうしても納得のいかない部分がある。

「なんで……なんで、俺はテープレコーダーと会話していたんだ?」

不可解な謎。いくら予想してたとしても到底不可能に近い。

「俺でも分からないよ。ただ、おじさんの死期が早まるかもな。ハハッ!」

「っ!? それってどう───」



「こういう意味だ」



先生の声ではない。ましてやドアの前に待機していた生徒達でもない。

ならば誰なのか。

俺の空耳なのか。

考えればいくらでも選択肢はあった。

しかし、選択肢を選択するどころか、選択肢すら思考する能力さえも選択出来ぬまま、俺の意識は背中に感じた痛覚と共に深い闇の中へおちていった。


「………………っ」

暗闇が視界を覆っている最中、灼けきられそうな熱───字の如く、灼熱とでも過言では無いほどの光線が俺の体中を射っているのが顔面と至る所から滴る汗と共に理解した。

俺はゆっくり重い瞼を開けて視界の霞が晴れかけたのを確認し、完全に視界を広げていく。

天井、窓、ドア、テレビ、机、タンス……。

全て物々俺の脳内に記憶されている、いや、日頃見慣れている俺の部屋に配置されている家具であった。

「どうなってんだよこれ……。確かに今さっきまで学園の放送室内にいて、それで……っあ!」

背中に激痛が流れる。鋭利ではなく、物を投げつけられた訳でもない。

まるで、電流が流れていたような。

「……スタンガン?」

背中を優しく撫で、テレビや映画で見た電流を迸る物を想像する。

つまり、俺は何者かに気絶させられて自分の部屋に運ばれたという推測が妥当だ。

だが何のために、どうやって運んだのか未だ定かではない。

俺はベッドから降りてひとまず周りの状況を伺った。

しかし、荒らされた様子はなく、俺を運んだのは口実で、盗み目的で入った訳では無さそうだ。

やはり、テープレコーダーから聞こえた声が言っていた《罪》とやらが関係しているのだろうか。

「……考えても埒があかない、か」

俺は嘆息の後、廊下に繋がるドアノブに手を掛けて静かに押した、その時。



「お前が《虚飾》か?」



背後から発声した若い男の声を俺の耳が捉えた。

同時に俺は反射的に振り向いてドアに背中を当て、正面を視界に入れた。

顔は見えない。群青色のマントを覆い被さっていて、現時点で確認できるのは辛うじて見れた吊りあがっている唇のみである。

「アンタ……誰だよ?」

俺は目の前の人物に訊ねたが、答えは返ってこず、代わりにと謂わんばかりにマントを翻して俺に背を向けた。

「そういやお前は勝手に家に上がっていたな。それを不法侵入っていうんだぞ。ここで俺が通報したらお前はお縄になって、裁かれて───」

待っていたかのように。

或いは、予測していたかのように。

「お前が、神々を裁いてくれるのか?」

声が躍っている。

高らかなる声量の中からは恐怖は感じられない。

だとしたら、この者は心から歓喜に満ちているのだろうか。

その答えはあっさり、呆気なく、

「フフッ……楽しくなってきたな。これで八つのコマが欠けず集まった。後は《裁神人》さえ選び出せば《神の弔い》もいよいよ間近になる訳だ」

「さっきから何訳の分からない事をごちゃごちゃと……っ」

俺の体中に大量にアドレナリンが放出されていることだろう。

自分で興奮して頭に血がのぼっているのがよくわかる。

もう少し冷静になっていればよかったのだ。

俺は怒りに任せて拳を振り上げ───。

「フム、威勢は認めよう。しかしだ」

「……っ!?」

不意に俺の視界の天地が逆転した。

倒されたのだろう。マント男は俺の目がみる限り、動作を行っていないように見えた。

「君は私に指一本触れる事さえ叶わない。なぜなら、君は君自身を隠し通しているからだ」

「知ったような口振りしやがって!」

俺は床に寝そべったまま、遠心力を使って回し蹴りを放った。

「何度やっても結果は変わらない。ただでさえ武術に関してド級の素人。やるだけ無駄だ」

「……っ!!当ててやる!」

第二撃、三撃…………全てを悉くかわされ、終いには俺の両手首を掴み、簡単に俺をベッドの上に投げて乗せてしまった。

扱いが赤ん坊そのものだ。

俺は握り拳を作って一度ベッドを叩きつけた。

「…………何で掠りもしないんだ……っ」

明らかにヒットしたと思われた渾身の一撃も初めから避けていたかのように体を横にずらして回避していた。

成す術がない。

そんな俺を見たマントは一息おいてから現実を語り始めた。

「簡単な事だ。君が弱い、それだけだ」

「………………」

弱い。確かに俺は弱い。

弱さに思い起こされたのか、脳内に情景が浮上する。

あの時も俺が弱かったから───。

「弱い……ならどーすりゃいいんだよ!」

俺は背中を見せた隙に、近くにあった辞書を投げつけた。

が、意図もたやすく手だけを後ろに回して辞書を取られてしまう。

「私に死角はない。だが、君には死角が有りすぎる。如何に死角を無くすかが生死の分かれ目になるだろう。……おっと、そろそろ時間だ」

「時間……? アンタは一体何者なんだ! 学園に侵入した侵入者なのか!?」

俺が真相を迫りべく、ベッドから一歩踏み出そうとした時、突然威勢の声量で、次のことを言い放った。


「私は一人ではない。そして、私はその内の一人───バーデである。今度会うときは私をがっかりさせるな、《虚飾》よ!」 


「なっ……!? 待てっ!」

バーデと名乗る体が周囲の色と交わるように、なおかつ適応して同調しながら体が消え始めていく。

「なんだよそれ……粒子……?」

バーデの体は蒼白い光を発しながら、全身共鳴するように点滅し出した。

「《虚飾》よ。君に神に抗う術を託そう。今は弱い……。しかし、君には素質がある。己の弱さと対峙し、克服することで神と並ぶ、いや、それ以上の力を得ることが出来よう。よって、私の試練を君に享受し、君の意志が強ければ《虚飾》の力は君のものとなる。しかし、もしも負けるようであれば、その時は覚悟を決めることだ。……では、さらばだ!」

バーデから放出された粒子はやがて、一つの塊となり肉体だけは俺の眼前で綺麗さっぱり消えてしまった。

残された塊となった粒子はしばらくの間静かに浮遊した後、前振りがないまま突然閃光を放って俺の体に勢いよく衝突し、溶け込むかのようにじわじわと体内へ侵入していくと、数秒で塊全体が内部に入りきってしまった。

「……っ!」

痛みはない。が、次の瞬間俺の体に変化が起き、奇妙な感覚に襲われる。

「体が……っ!?」

頭から足まで隅々に渡って一部一部が粒子化して煌めきを伴いながらやがて何も残らず消え去っていく。

これは前者のバーデと同じ流れであるならば、後数秒で俺の体は空中でバラバラになってしまうだろう。

それは急速に、そして静かに、しかし激しく俺の体全体に広がり、蒼光を輝かせながら消滅していくのだ。

「………………」

驚いたものの、なぜか恐怖はない。

覚悟というのは命を絶やされてしまうものなのだろう。

普通なら憤りと絶望感しか湧かないが、本当に何も怖くなかった。

いや、ただ何も考えたくないだけなのかもしれない。

自分がどうなってしまうのかを。

そして、成す術がないまま俺は時が経つのをただ待ち続けた。

「俺は……」

徐々に、俺の存在が浄化していく。

次第に感覚という感覚が失われていく感覚をどこか遠くを見据えるように、他人ごとのように感じ捉えていた。

手足に力が入らず、視界も徐々に粒子化している。思考は未だ健在だが、声を出す動作さえも自由が利かなくなっている。

ふと目を閉じると過去の様々な記憶がフィードバックし、幼い頃の自分が千夏と共にしばしば遊んだことや、夕方一人で近隣の公園に裸足のまま行ってブランコに乗って遊んでいた所、鬼の形相で母親がやってきてこっぴどく怒られたことなどを目の前で行われたことのように思い出せた。

いわゆる世間的に云う《走馬燈》なのだろう。

懐かしさと遠く離れていく過去の自分に寂寥感を覚え、過去の記憶に蓋をして、僅かにまだ動く瞼をそっと開けた。

足や腕の感覚がないということは下半身と両手は完全に消去され、いよいよ上半身の消失に突入しているのだろう。 

どのくらい経ったのか計り知れないのがある意味恐怖だったが、すぐに忘れ現状を出来る範囲で分析することにした。

バーデの残した覚悟という言葉が再び脳裏を過ぎり、また《死》であろうかと一瞬思いもしたがすぐに違うと判ってしまう。

自分の粒子化をのうのうと把握できる筈がないからだ。

わざわざ自分の死に逝く様を野球中継のように実況出来る死に方はいくら何でも斬新過ぎる。

だから、死んだなんて───。



嘘に決まっている───。



その時、俺は嘘を信じた。

あれ以来、嘘という嘘を全て排除して生きてきたはずであったのに。

しかし、無意識ではあるが千夏に嘘をついてしまった。

いくら千夏に危険が及ぶとしても、事実は伝えておくべきだったのだ。

だが、少しでも危ない目に合わせたくなかった。

嘘は心の迷いにも繋がりうる。

そのことは十分承知していたつもりだった。

実際承知していたら今こんなに過去のことに迷う必要性がなかったはずだが。


「約束破ってごめん」


ただそれだけを彼女に伝えたかった。

だが、裏腹に俺の体は刻一刻と無常に崩壊していくのみ。

瞼を閉じてみると、真っ白な世界の中にいる俺の目の前に立ってこちらの様子を伺ってる少年が居ることを認識した。


「嘘がそんなに嫌いなの?」


───あぁ、大嫌いだ。


「僕なんか毎日ついてるよ! 毎日がエイプリルフール!」


───嘘は現実から逃げるための道具だ。つくだけ自分が分からなくなるぞ。


「君は本当に現実逃避するだけの道具だと思ってるの?」


───…………。


「ナツを危険なことに巻き込ませないようにいった嘘も?」


───それは……っ。


「ほら、嘘も使い方次第でプラスに働くこともあるんだよ! だから……《虚飾》を誇りに思ってよ! そうすれば───」


一瞬の間後。


「君は強くなれるんだよ」


俺と顔立ちがそっくりな少年は満面の笑みを綻ばせて確かにそう言った。

嘘を受け入れる。

それが自分を強くする方法であると彼は言いたいのだろう。


───君は……嘘を……《虚飾》を、正義……いや、大事な人を護るために奮うことが出来るのか? もしかしたら、嘘が大事な人の命を奪うことに成るかもしれないんだぞ。それでも君は嘘をつけるのか?


「つけるよ。嘘に嘘つく───要は、嘘を現実化してしまえばいいんだよ! 大事な人を傷つける嘘じゃなくて、守り抜くための嘘をね!」


───…………っ!? 守り抜く、嘘……? そんなのでたらめだ! 嘘は結局人を傷つけて憎まれ、そして報復という悪循環するための言葉に過ぎないないんだよ! それが、人を助けるだ、護るだ? 笑わせんじゃねぇよっ!


「君は……今嘘をついてる。勝手に最善の道を選んで嘘から逃げてるだけだよ。本当は、昔のように戻りたいんだよね僕は」


───止めろっ! これ以上考えさせるな! もうさんざんなんだよ……。


俺の抵抗という壁はじきに壊れてしまう。

壊れたらじわじわと嘘というウイルスが入ってきて即刻俺を殺してしまうに違いない。

だけれども、心の中では、ある程度嘘を受け入れてしまっているのかもしれない。

だが、全てを受け入れたら。


「全部じゃないよ。今は少しでいい……だから、頑張ろう!」


この子は強い。

俺みたいな弱虫とは大違いで、強靭なハートをかねそろえている。

嘘さえにも嘘で覆い被してしまうんだから。

いや、違う。彼も嘘に偏見がある。

しかし、偏見という壁を乗り越え、嘘という概念さえも踏破してしまった。

ならば、俺にだって。

自分をこれから苦しめることになるなんて易々想像出来るが、それを越えた先にあるものが俺に幼い頃のような無邪気さを取り戻してくれるなら、賭けてみてもいいのかもしれない。


嘘を、虚実を、偽り飾りつけてしまおう。


そう腹をくくった時、俺の散らばって失われたはずの破片が急速に再構築を始めて徳村駿太という人間を創り直した。

「体が元に……」

手を開いたり閉じたり、屈伸運動したりジャンプしたり。 

段々戻りつつある感覚を再確認し、俺は自分の手に導かれるまま空間に入った亀裂をシールを剥がすかのような勢いで引っ張り裂いた。

瞬間、色を喪失していた純白の世界に色がつき始めて。

「…………ここは?」

いつの間にかに瞳を閉じていたのだろう。

上半身を起こして周囲を見渡し、俺がどこにいるのか見当をたてようとした時だった。


「しゅーちゃん……?」


名前を呼ばれ、振り返るとそこには俺に心配をしていたような眼差しを向けている一人の少女が佇んでいた。今ばかりはとても遭遇したくない人に見つかってしまったものだ。

「……ナツ」

俺は一言彼女の名前を呼んでからすぐに顔を伏せた。

次に何をしたらいいのか勘考していると、彼女の足は重く、しかし軽快な足取りで俺の正面にまわってきた。

俺はすかさず、

「えーと……ここどこだ?」

「…………」

「いっ、いやその、記憶喪失とかではなくてな、ほらちゃんとお前のことだってこの通り覚えてることだし、俺が思ってる場所としっかりあってるのかなって改めて真偽を問いたいなと」

俺は後頭部をかきながら苦笑まじりに告げた。

しかし、彼女からの返答は帰って来ず、表情を強張らせたまま───。


ぱちんっ。


乾いた打撃音の後、俺の左頬に痛みが生じていることに気づいたのは彼女が大粒の涙を流しているのを見た直後であった。 

「ナ……ツ?」

俺は左手で左頬をさすりながら、彼女に視線をあてる。

彼女が泣いている理由が思いつかない訳がない。どう考えても、俺が約束を破ってしまったからだ。 

千夏の平手打ちは一瞬は痛みはしたが、無かったかのようにすぐひいていった。

しかし、左頬から物理的な痛みではなく、傷みという精神的なものが俺の身体全体にゆっくりと浸食されていくのを痛々しく感じる。

裏切ってしまったという解釈からの罪悪感。 

そんな自分に対する嫌悪感。

これで千夏は俺のことを嫌ってしまうのではという絶望感。

たんなる平手打ちが悪魔と成り変わって、心の隙間に入り込んで自分を傷めつけている。

俺はそのくらい千夏の右手からの平手打ちが全てを物語っているような気がした。

しかし。

もう一度、駄目だと思っていても。

今までの築き上げた絆を俺の間抜けな行動で裂かれてしまったとしても。

俺は一からやり直して再構築する。

「……ナツ」

俺の問いかけに彼女は聞こえているのか否か定かではないが、俺と交代するかのように伏せていた顔を僅かに震わせた。

拒絶からのだろうか。

だとしたら、余計に謝罪しなくてはならない。

俺は重く閉ざそうとする口を無理やりこじ開け、千夏にごめんと一言告げようとした。

だが、意を介する出来事が俺の前で起きたのだ。

黒髪を宙に揺らしたかと思うと、か細い腕を俺の体にまわして正面から頭を俺の胸に預けた千夏が顔を上げずに必死に俺に絡みついてすすり泣きをした。

「……バカ……っ。バカぁ…………っ。もうしゅーちゃんが居なくなっちゃう……って思ったんだからぁ……」

「……………っ」

違う。

違ったのだ。

彼女は約束を破ったことよりも───。

「もしかしたら約束を破って侵入者に会いにいくんじゃないかって思ってみたら……っ、案の定乗り込んでて、今来たら死んだように眠ってたんだよ……っ。目が覚めなかったらって想像したら、そんな私に内緒で勝手な行動とった駿太にイライラしてたの……」

「千夏、本当にゴメン。謝ってすむとはこれっぽっちも思ってない……けど、謝らせてくれ」

膝を曲げ、腰を落として上半身を床にピタリとくっつけて、額を深く下げ───とまでやるつもりであったがそこまではやらなくてもと遠慮され、素直に軽く頭を下げて謝罪した。

これくらい許してくれるとは、千夏も少しは大人になったようだ。

謝罪の後、千夏は涙を拭って静かに語った。

「でもね、ある意味駿太が誇らしかったのよ」

「というと……?」

「私に嘘をついでまで侵入者を追い詰めたことが凄いと思ったの。だけど、その嘘も悪い嘘じゃないのよね。私に危害を加えないように嘘をついたんでしょ? よく約束を破る真似出来たわねっ」

「ははは……」

先刻の泣き顔はどこに行ったのやらと思われる程、彼女はつんと、頬を紅く染めてそっぽを向いている。

ひとまず、彼女からお許しを頂いて一段落がついたので、俺が今どこにいるのか───周囲の機材やらを見れば放送室と分かったのだが───教えてもらい、この部屋で気絶していたことが疑いもなく事実であることは確定した。

しかし、気がかりな点が存在する。

俺と一緒にいた他の生徒の所在だ。

俺が気絶する前に近くに佐々木先生がいたのは確実である。

問題は、俺がどのくらい眠っていたかが非常に重要となってくるのだ。

仮に俺が気を失ってから他の生徒たちも同じ手口で気絶させられ、どこかに運ばれたという推測が正論とすると、すぐに駆けつけた千夏がそれらを見逃す筈がない。

ちらっと近くの時計に目をやると、俺が職員室で確認した時刻からまだ三十分近くしか経っていない。

つまり、俺の気絶時間は短く、それから千夏が駆けつけた時間はざっと十分くらいである。

この十分間に佐々木先生も含めて、六人もの人間を移動させることが可能であるのか。

しかも、六人連続でうまく気絶なんて。



『私は一人でない』



「一人、ではないか」

あの男───バーデはそう呟いていた。

ならば、同様な方法は可能であるのかもしれない。

複数人がいても完璧に六人の背後をとれるとは言い切れないが、方向性は正しい筈だ。

つまり、俺が気絶したのと同時に他の六人も気絶させられたと推定できる。

ここまでの仮説が正しいとして、ならばどこに運ばれたのか、それが二点目にあたる。

二点目を推考するにあたって、三点目の教師の存在と四点目の一般生徒たちの滞在が必要不可欠だ。

職員室を訪ねた時のもの静けさはとても現実的なものではなかった。

個々人が相次いで姿を消したというより、まるでその場にいた教師を消し去る、または転移させるなどという反現実的な現象が発生したと捉えても過剰ではない。

最も、俺が仮想的な体験をこの身でしたから言えることなのだが。

勿論、これらの考えを理論的に説明できないうえ、あくまでも推論に過ぎないというのが根っこである。

生徒たちに至っては、《教室から出たら殺される》と自発的に思わせるようにマインドコントロールでもしているのだろう。絶対ではないが。

「ダメだ……っ。考えれば考える程謎が深まるだけだ。こんな探偵みたいな役俺には合わねぇな全く」

自嘲的な苦笑を交え、千夏に案でも訊こうと思ったのも束の間、「そんなこと訊かれても……」と、微笑を返してくるであろう方向に振り向いたそこからは、静寂と、直感的に脳が判断を下した《危険》の漢字二文字のみしか返って来なかった。

「……ナツっ!?」

半ば反射的に足が地を蹴り飛ばしたことを意識の中で解釈したのはほとんど本能的に行動を起こした後、無我夢中で目的地に辿り着いたまさにそのときだったのだ。

目の前しか見えなくなるというのは非常に恐ろしいということを感じざるにはいられない。

加速、という言葉を所詮、物理的な運動下に生じる現象や、ゲーム内における特殊的な付随効果としか、鵜呑みにしていなかったのだが、まさかこうも身をもってして感じるなど思いにもよらなかったのだ。

それは勿論人間である故に種々の物質───正確には数々の細胞やら───で構成されているのだから可能ではあるが、それは明らかに人間にとって度が超えていたものだったと、勝手に理解した。

当然物理法則範囲ならまだしも、無視できる筈がない訳なのだが、自分自身が誰よりも速く動いているという認識が離れず、子供が必死に大人の足に絡みつくように頭を支配している。

「千夏! いたら返事をしてくれっ!」

レスポンスは木霊した俺の叫びのみで、他には何も応答がない。

現在俺は本能を頼りにある場所に駆け込んだ。

数千人分の椅子が備えつけられ、数多の照明により四方八方からライトを照らすことが可能、そして、青を基調としたマゼンタのカーペットを引きつめ、おまけには席一つ一つにミニ照明がセットの小さな収納可の簡易机が取り付けられている。

つまり、学園の大講堂だ。

ここなら多くの人が入ることが出来るし、席幅は多少短くなるが、二階三階もあるので、隠れるには最適───だと、個人的に考えている。

最も、ここに来た理由は本能でとしか説明つかないが。

当てもなく、正面に構えるステージに足を運び、ステージ中央から全席を見渡した。

照明は何らかの理由でつけたままなのか、ステージも客席も均一な光量で照らされており、多少ばかりは暗いが、全体を視界にいれることが出来る。

どうやら二階三階に身を潜めている様子は窺えなく、外れかと溜飲を下げると同時に奇妙な音が各方角にとりつけられたスピーカーから漏れた。

「…………? スピーカーの不調まだ直ってないのか」

大講堂は定期的に点検が入り、垂れ幕から精密機械まで隅々にわたって入念なチェックを施されている。

利用しやすさは勿論、事故の防止にも繋がるため、特に後者を考えて定期的に行われているので、ほとんど不備はない。

だがしかし、先日のメンテナンス時に確認を見落としたのか、スピーカーの状態は検査されずじまいだったのことだ。

それが原因なのか、最新のメンテナンス以来スピーカーからの音が途切れたり、ノイズが発生したりとここの所不調続きであるのだ。

すぐに、業者への再確認の旨を伝えて近日中に点検を行うとの連絡があったのらしいが、スピーカーからぶつぶつと音がこぼれているのを聞くと、未だにメンテナンスが行われていないようだ。

猿も木から落ちるのだろうと思いながら、千夏を捜すべく、外にでようと試みた。

ステージから降りる。丁度その瞬間。


大講堂内の全照明が前触れもなく突然消え、正面が真っ暗になってしまった。


「誰だっ!?」


気温の調整を司っていた空調機は人の溜め息にも似た虚しい音と一緒に停止したので緊張と暑さによる汗が頬を伝って床に落ちていく。

神経の髄まで意識という意識を周辺に傾け、しかし冷静になって正面に視点を戻して一つのリスペクトを凝視した。

暗闇で状況判断出来ている自分に賞賛を送りたい所であるが、今は煩悩を切り捨てて再度前方に視線を送る。

「そういえば照明の操作も空調の調節も制御室で簡単に可能だったな……」

小声で呟くと同じタイミングで自分の愚かさが胸中に込み上げて来た。

なぜ最初に気づかなかったのだろうと。

制御室に一般生徒は入れないという固定観念が働いていたため自動的に思考からも視界からもシャットアウトしていたと思われる。

座席下の階段を示す非常灯を頼りに、制御室へとおそるおそる接近していく。

別に千夏を拉致した者が監視カメラやマジックミラー越しに俺を見物していたのなら、どれだけ物音を発てずともしっかりマークしている筈だ。

俺のモラル的にここは警戒していきたいという理由もあって、抜き足差し足忍び足の三原則に基づいている。

階段を登ってすぐ目の前が長方形である直方体の面に対して横に垂直である右側面に周り、白い扉のドアノブを握って一気に引き開けた。

「千夏っ! 無事か!?」

当然制御室にて照明を落としているので中も真っ暗だ。

錆びた金属のにおいが鼻を突き抜け、更に暑さを増した───のではなく、心地よい温度が保たれている。

どうしてそうする必要があるのか。

修辞疑問の答えは解っている。

俺が知りたいのはなぜ千夏がさらわれなければならないのか、ということだ。

もし、バーデの仲間であったとしても、筋が通っていない。


千夏は闖入者と接触していないからだ。


「くそっ…………千夏は関係ねぇだろうがっ!」

入り口付近に落ちていた一枚の紙を握り締め、俺は制御室を飛び出した。



◇■■■◇



遡ること数時間前、私は駿太が放送室にいると判断を下し、放送室へと向かっていた。

「どうせ私に心配かけないようにって配慮してくれたのでしょうけど、逆に私はあんたが心配なのよ」

誰もいない廊下を疾走しながら私はそう呟いてみる。

さっきも同じような状況になっていたなと思いつつも、もう一度教室を通り過ぎる際に見入るべく中を一瞥してみると、時間が止まっているのではないかと疑ってしまうくらいに生徒たちは無駄な動きはせずにじっと席についていた。

「まるで凍っているみたいね……。あるいは、モルモットのよう……」

先刻はまだ恐怖を受けて感情が表れていた。でも、現在は全員が全員虚ろな表情を浮かべて目の色を失っていた。

本当に操られているのだと思うと、寒気を感じざるをえない。

「しかし、逆に自由奔放できる私たちの方が怖いわね。余程こちらの方が人形みたいじゃないの」

無機質な表情を浮かべる生徒たちに声をかけるか迷ったが、今はとにかく元を断つのが生徒たちを救える手段だと自身に思い込ませて先を急ぐことにした。

「えーと、放送室は…………と」

なんせ、放送室に行くなんてことは海南学園に入学して以来初めてなのだ。

広大な校舎は良いが、もう少し設計を考えるべきだったのではと嘆息しても、距離は縮まらないので今はひたすら走るしかない。

体力だけは中学時代にバスケ部に所属していた───自慢ではないがレギュラー(ちなみに、ポジションはポイントガード)だった───だけあって自信がある。高校では同じ運動部でも違う球技に転向したが。

教室を出てから数十分、やっと放送室がある第二校舎の二階へ到着した。

私の教室が第一校舎の四階にあるのだから、実に生徒たちに優しくない造りである。

「…………あった!」

案内図を確認すると、現在地から直進して突き当たりを右に曲がると放送室であるようだ。

一旦気を引き締めてから慎重に足を差し出した、丁度その時。


 

「《傲慢》って聞いてたからどこぞのお嬢さんかと思ってたわ。けど違うようね」



「……誰よ?」

冷たい。 

それが最初に感じた彼女の第一印象であった。

「へぇ……普通なら悲鳴の一つでも挙げるとこなのに意外と冷静なのねあなた」

彼女は突き当たり───つまり、放送室付近から出て来た。

ならば漆黒のベールに身を包んだ女性は侵入者または共犯者なのだろう。

女性は高めで澄んだ、しかし確かな声色で、

「私はルーリン。《傲慢》……いや、平田千夏。あなたを見極める者───とでも名乗っておくわ」

「見極める? なんで素性も知らない上に勝手に学園へ侵入した犯罪者が何を言ってるわけ? 大体そもそもね───」

不思議な程恐怖より怒涛が優先されて次から次へと言葉を並べようと思った矢先、口元にうっすら笑みを綻ぼし、愉快そうに口を開けたルーリンは少しばかり目を細めて。



「《私営バスジャック事件》。ここまで言えばもうわか───」


 

私は彼女が全てを口に出す前、宙に浮いた。

しかしそれはほんの刹那。

敏捷力とスピードによる瞬間的加速によって私の背中を押されるがままに自分の右手を彼女───ルーリンの腹部に突き出した途端、周囲に風が放射状に広がるのを視た。

「どうして知ってるの……かしらっ!」

思い出したくもない忌々しい過去をなぜ見知らぬ女性が知っているのか。

あの事件は一部の人間しか知らないはずである。

「やるじゃない。でもまだまだね」

「……っ!?」

自分でも驚愕した速さで人を殴ったことは生まれて初めてだ。

ボクシングでもやっているわけでもないが、確かに今のは決まったと思うくらい完璧、否完璧過ぎた。

なのに。

ルーリンは意図も容易く、視線を真横に向けながら突きを止めていたのだ。

「目覚める前にこれほどの敏捷力と速さがあれば十分やっていけるわ。さすがマスターが指定した通りね」

彼女は私の手をさっと払いのけ、私と同じくらい長い赤髪をたなびかせて消えた。

「いや、違うわね」

消えた、なんていう不可解な現象ではない。

あまりにも速く動いているので眼球が追うことを止めたのだ。

「ふーん……私の速さについていけないのは百も承知で後は全部反射神経と感のみでついていっている訳ね」

その通りだ。

ルーリンの速さは目測で判断のしようがない。

「さぁ、どうするの? 迂闊に動いたら腕が飛ぶわよ」

三百六十度全方位からの忠告はかかってこいとの挑発としか言いようがない。

ならば私は。

「動くわけないでしょ。そもそも私を殺しに来てたら会った瞬間にこのスピードで頭吹っ飛んでいそうって思ったの」

戦わないという選択を手にした。

今の言葉は完全に相手の怒りを高ぶらせるものに違いない。

「ごめんね駿太。私はもう駄目だわ……」

半ば諦めて殺されるのを待っていると、ルーリンは何かを悟ったかのように動きを止めて、私に拍手を送った。

「congratulations! やはりあなたには才能があるみたいね。ここで無闇に突っ込んでたら間違いなく血と肉を盛り付けてしまうとこだったわ」

さらりと爆弾発言をしてくれたものだ。

要は、ルーリンは私を試したということなのだろうか。

「ふ、ふーん。案外私のパーツは美味だったりしてるかもねっ!」

何故この場面でプライドを張ってしまったのか自分でも理解できない。






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