《七つの大罪》編 1
「神、とは何なのか?」
灯りが蝋燭一本以外の光を受け付けない部屋。そこに漆黒のマントに身を包み、銀髪をオールバックにまとめて、強面という表現が恐ろしいくらいに的確である独りの人間がいた。
「神々は《罪》を決定し、選出する。しかしそれも《罪》ではなかろうか? 確かに人間は《罪》を犯した。裁かれるべき者が裁くべき者に裁かれるのは当然の真理であろう」
彼は眼前にある円テーブルとそれを囲むようにおかれているメタリックな七つの椅子を一瞥する。
「なぜ、神々に裁かれなければなかったのか? 頼んでもない。神々がどう勘違いしたのか知らない。だが、それは人間に神と奉られて思い上がったただの自己満足に過ぎなかったのではないか? 神ならば神ならぬ者を裁く。誰がこんな掟を作り上げたのか? 生憎私は無宗教であり、専門ではない。しかしだ。私は納得出来ないのだ。人間には《罪》が存在するのに、神々には存在しない。《罪》は神に懺悔することで許しを与えてもらう? とんだハッタリをかましたものなのだよ神というのは。ならば今度は我々人間が神を裁くべきなのだ。神々の《罪》───《神罪》を我々人間が洗い流してやろうではないか! 私が数年の間に費やした研究を生かす時がきたのだ! 選ばれし七つの大罪を操らん七人の者から一人の勝者を輩出し、そのものに神裁きの力を享受しよう! この力さえあれば全ての願望が叶うだろう!」
彼は両腕を掲げ、闇に支配されている空間全域に轟かんとするように宣言した。
「《神の弔い》(コンドロンスオブゴッド)を行い、神を必ずや裁いてやる! ハハハッ……ハハハハハハッ!!」
◇■■■◇
「……ろ……きろ……っ」
何だろう。
何かが俺の頭を過ぎる。
「は……な……っ……」
聞き慣れたような声。
鮮明には聞き取れないが、誰かが俺を呼んでる気がする。
なら、返事をしないといけない。
「よっこら───しょ?」
上半身を起こしたまではいい。
しかし、俺の視界に光がなかった。
強いていうならば、微かに柔らかい感触が頭にあるくらいで───。
「な、なななななに朝からやってるのかしら……?」
如何にも疑問があります、と主張する声。
俺はただ単に起き上がっただけのはずだ。
「…………む」
なぜ、俺は起き上がらなければならなかったのか。
返事をすれば、良かったのだ。返事を。
なのに、起き上がらなければならなかったのはつまり。
「俺は寝てた……あべしっ!?」
「何がふぬけた声出してるのよっ! こっちはわざわざ毎朝起こしに来てるのよ。それなのに毎朝セクハラ? いい加減にしなさいよっ!」
「いってぇー……。なら起こさなきゃいいじゃねえかよ。しかもわざわざ人のベッドに乗ってさ」
「……っ! べっ、別にいいじゃないっ! そもそも早く起きないあんたが悪いのよっ!」
朝から血圧をあげている少女は性懲りもなく八つ当たりをしてから俺の部屋を駆け足で出て行った。
「はぁ……毎朝頭いてぇ」
俺は徳村駿太。
どこにでもいる普通の高校生である。
だけど、俺には秘密の力があって───と、いうこともなく、平和な世の中を毎日エンジョイしてる訳なのだ。
ちなみに、この逆ギレ女は幼なじみの平田千夏である。
頼んでる訳でもなしに、決まって毎朝起こしにくるバカな奴だ。
「ちょっと、今失礼な事考えたでしょ?」
「な、なんのことだ?」
無駄に勘が鋭いので、嘘は普通に見破ってしまう。
今も俺をまじまじと見つめて勘ぐってるようだ。
「そんなことより、早く支度しなさいよ。才色兼備でなおかつ、幼なじみの美少女があんたを待ってあげてるんだからねっ」
胸を張って如何にも正論を唱えたかのような態度をとったので、俺は呆れて持っていた箸を茶碗の上に置いた。
「うえー。自分で言うか普通」
「な、なによその目は……」
確かに全肯定するつもりはないが、可愛いといえば可愛い……かもしれない。
切れ長な瞳に潤しい唇。
ほんのり苺のような甘い香りを漂わせ、黒髪を肩甲骨の位置までストレートに伸ばしている。
身長は大体百五十五センチくらいで、少々小柄な体型なのだが、孤立して大きめの胸囲が携わっているのだ。全く、健全な少年にとって、健康でかつ最低限度の文化的な生活を害する恐れがあるほど脅威的である。
「……今度は覗き見?」
反射的に千夏は自分の体を逸らした。
「ちげーよ。てか、生理的に無理みたいな顔しないで本当」
「近寄らないでよ」
「むしろ人扱いされてねぇ……」
千夏の考えてることは昔から分からない。俺は思わず嘆息した。
朝食を簡単に済ましさっさと支度をして、やたらと俺を毛嫌う千夏と共に学園へと足を運んだ。
「おはよー! 今日も熱いねぇ……?」
校門をくぐると、一人の少女が俺たちの後方からわざとといわんばかりに話かけてきた。
「なっ!? 熱いってなによっ!」
「あぁ。今日も暑いな。すぐにでも冷房に当たりてぇよ」
千夏の過剰反応をよそに、俺はあくまでも普通に返答した。
『………………』
「ん? 俺変な事言ったか?」
急に二人が黙り込んでタイミングよく溜め息をついたので、俺は首を傾げた。
「駿君は何も分かってないのかな?」
「分かってるさ。この暑さでくたばらない方がどうかしてるよな」
「……いや、それは分かってないみたいだね」
少女は、苦笑いを浮かべ、手を左右に振った。
彼女は、沢田悠里。俺達と同じ海南学園一のB所属のクラスメイトだ。
白桃色であり、セミロング程の髪を指でいじる仕草はまるで絵に描いたような可憐さを演出している。
透き通っている瞳や、艶やかな唇、そして、魅惑的なプロポーションは数々の男を魅了しているという噂をよく耳にする。
「ゆ、悠里はどうなのよっ」
千夏は恐る恐る何かに関わる悠里の実態を訊かんとしているようだが、悠里は表情一つも変えずに素っ気なく返答した。
「どうって、何が?」
「その、だから……な人、とか」
後半が良く聞こえなかったが、何かを尋ねているのだろう。急にもじもじし出していているのが何よりも証拠である。
俺は耳を傾けてリピートをお願いしてみた。
「悪い、良く聞こえならづけぇっ!?」
「聞こえなくていいのよあんたはっ!」
だが、リピートの代わりに返ってきたのは、容赦のない裏拳で、俺の顔面にクリーンヒットした。
有名な漬け物の名を叫ばずにはいられなかったものだ。
「奈良漬けって……駿君」
悠里は少し残念そうな表情で、溜飲を下した。
「悠里、早く言いなさいよっ! コイツがへばってる間に!」
「私は別にいないよ。恋愛感情を持てないんだよね。あはは」
そうほくそ笑んでから、俺をちらりと見下ろしていたのは俺も千夏も知る由はなかった。
午前の終わりを告げるチャイムが校内に鳴り響くのと同時に俺は飛んでいた意識を取り戻し、弁当の匂いが充満する教室で、背中を伸ばしていた。
「あんた、また寝てたの? よく寝るわね」
呆れたように千夏は言葉を投げかけ、頬据えをつき、
それから手際よく、板書を書き留めたノートを俺の机の上に置いた。
「ほら、数学のノート。どうせ書いてないんでしょ? 最後に書いた計算まで明日小テストするって」
「サンキュー。あの先生、書くスピード早すぎて板書なんか写せないんだよ俺には」
こればかりは、頼んでもないのにやってくれるので有り難い。
「最近授業中の居眠り増えたわね」
この女はいつも俺を観察しているのだろうか。
よそ見しながら授業を受けているのに、頭はいいから嫉妬してしまう。
「なんか最近眠いんだよな。同じ夢ばっかり見るし。どうなってんだか」
俺は大あくびをしながら再び手を上に挙げて背筋を伸ばす。
「へぇ。どんな夢なの?」
鞄から弁当を取り出し、いざ食べんとする千夏は適当に詳細を要求して来た。
「興味なさそうだなおい」
「ないわよ」
じとっとした目つきでを睨みながらも、白米をしっかり口へ運ぶ仕草は明らかに変であるというのはあえて口にしないでおこう。
「なんなんだよ……。それじゃ、俺学食行ってくるわ。先行って待ってる奴いるし」
「はいはい。いったいった」
しっしと追い払われるかの如く、俺は教室を後にした。
◇■■■◇
「……不思議ね」
私は彼の夢話しを聞いた時は正直驚いていた。
悟れられないよう平静を保つのは本当に大変だった。
「よりによってあいつと同じ現象なんてね。さすがに内容は違うだろうけど」
霞んだ視界に、何人かの人影があったことまでは覚えているが、毎回その先の展開に関する記憶が曖昧になっている。
それにしても、私は無意識に彼を見つめていることが多くなってしまった。
何で私はあいつをこんなに───。
「あれ? 駿君は一緒じゃないのかな?」
「違うわよ! 私は決してあいつなんかっ!」
その時、私は我に帰るのが数秒遅れてしまった。
クラス内の生徒全員が私を見ている。
初めはなにも理解出来なかった。しかし、口を半開きにしている人やら、ひそひそ笑ってる人達を一瞥してようやく私の脳が現状を理解し、次に反応すべき行動の指示を私に与えた。
「…………っ!」
顔が熱い。
おそらく赤面しているのだろう。
「ちょっと、来なさい……っ」
「へ? 私まだお昼……」
この場に耐えきれなくなった私は悠里を半ば強引に連れ出して、猛スピードで屋上へと向かった。
屋上に繋がる扉を開け放して屋上へと足を踏み入れたのと同時に強い日差しが私を捉えた。
肌に降り注ぐ光線に思わず灼熱を覚えたが構わず柵にもたれかかる。
「いたた……。もう、急に引っ張らないでよー」
悠里が手を優しく撫でている。そんなに痛かったのだろうか。
「ごめんね。流石に一人じゃ余計に恥ずかしくて」
「あれじゃーね……。でも何でいきなり叫んだりしたの?」
「実は、ね」
それから悠里に夢の話をした。
彼と同じ感覚で内容は違うだろうが夢を見たことを。
なんとなく嬉しいような気持ちであることを。
私の話を聞き終えると彼女は「なるほど」と一言呟いてから勘考し始めた。
「ねぇ、別にそこまで考えなくてもいいのよ? たまたまのたまたまに偶然が積み重なって出来上がったものかもしれないし」
そもそも夢の話だ。軽くあしらって欲しくて話したのだが、悠里があまりにも真剣な表情で熟考している。
「ううん。偶然にしては出来過ぎてるよ。二人がお互い違うとはいえど、同じ夢に遭うなんて考えられない。それに───」
「…………」
私はただ絶句していた。
単なる夢の話に関して、淡々と状況を整理している彼女は頼もしくも見えるが、その的確な判断に恐怖さえ思いもした。
「どーしたの?」
「いや、悠里は凄いなって」
私は改めて悠里と友達であって良かったと感じている。
私が困り果てたらなりふり構わず私を直ぐフォローしてくれる所がすこぶる嬉しい。
「凄い……凄い、か。ねぇ、なっちゃんは私がもしこの世にいなかったらどうしてたかな」
「え……?」
不意に瞬間的だが寒気を感じ取った。
猛暑の中で一時的に凍るように寒いと私の体が感じたのだ。有り得ないことに。
微風はあるものの感覚器官はそれを冷たいという感覚として信号を送っていないのに。
悠里は笑顔を崩さない。
まるで私の口から発せられる言葉を期待してるかのように。
しかし悠里は
「あはは。急にこんな事訊かれたって即刻答えられないもんね。意味不明だもんね。不明瞭だもんね。不快だもんね。不可解だもんね。不軌だもんね。不作為だもんね。不気味だもんね。不協だもんね。不必要だもんね。不埒だもんね。不調和だもんね。不思議だもんね。不穏だもんね」
機械のように。
奇怪のように。
私の脳は理解不能、否理解したくない状況に陥っていた。
目の前にいるのは悠里ではない。
私は錯覚を見せられている、そう認識する事にした。
「ドーシタノ?」
「───っ!?」
気がついたら私の体は後退していたようだ。
咄嗟の脳が下した判断が形になったのだろう。
私と悠里の視線が交錯する。
悠里はいまだに笑顔を保持しているが、それが私の恐怖の骨張だ。
彼女は、こんなに恐ろしい人物だったのだろうか。
「───なんてね!」
「……え?」
悠里は可笑しく、告げた。
笑い方がさっきと違って砕けているからか、肩の緊張が一気にほぐれていく。
「もーう、そんな怖い顔しないでよなっちゃん。私の演技、迫真的過ぎた?」
「演、技……?」
「ほら、忘れたの? 私、演劇部に入ってるんだよ。唐突に入り込めなければ本番でもできないじゃん。だからたまにこうして……なっちゃん?」
まだ私の脳は切り替えが出来ていない。
神懸かり過ぎだと思った。
紙一重、とはこういうのを指すのであろう。
いくらなんでも入り込み過ぎではないのか。
だんだん思考が回復してきた私は、悠里にこう告げた。
「からかったの?」
恐怖という枷を外され、怒りが露わになりそうなのを必死に理性で食い止める。
「そんな怒らないでよ。試しただけなんだから」
「試した? 試したって……」
問いつめようとしたところで予鈴が校内で鳴り響き始めた。
次は遅れると面倒なので、すぐに準備したいが、悠里の発言の意味が何を指しているのか確認したい。
「さ、戻ろ! 英語遅れたらごめんですまないんだから」
だが、何事も無かったかのように彼女は階段へと走っていってしまった。
「………………」
友達。
さっきはそう表現したが、果たしてこれが友達なのかは、私には分かる事が出来無かった。
◇■■■◇
「うっ……。あいつら、俺が沢山食べるからっていい気になりやがって」
予鈴がなる五分前に俺は重くなった体をどうにか動かして教室へと辿り着いていた。
「ん? 千夏……それに、悠里もいないのか」
隣の席には先程よくわからない言動に頭を悩ませさせた千夏はおらず、前の席の白桃色の髪を持つ悠里も不在である。
「まぁ直ぐに帰ってくんだろ。あいつらより次の英語の心配をした方がいいかもな」
辞書のカバーを外して本書を机上に置いて、前回和訳した文をもう一度眺めている時だった。
「…………?」
耳に違和感を感じ、耳を澄ませてみる。
すると突然、俺の耳に高周波数の音が途切れ途切れ聞こえてきた。
「なんだ?」
「なにこの音?」
キーの高い音をクラスの者が捉えてざわめき始めた。
どうやら、発信源はスピーカ───正確には放送室───であるようだ。
マイクの調子が不調かつ、音量の設定が大きすぎたのだろうか。
昼休みは放送部が放送をしているため、まだ作業中の部員が誤った操作をした可能性もある。
最初はそんな軽い飲み込みしかしていなかった。
しかし、それは次に聞こえた声であっさりと否定されてしまった。
「ども。海南学園の皆さん。いやぁ、恐縮では御座いますが、私は侵入者と申します」
侵入者。
それは、この学園における異端者だ。
つまり、今放送室にいて音響を調整していたのは、侵入者である。
「……い、いやーっ!」
刹那の静寂の後、クラスの女子が悲鳴をあげた。
それに便乗するかのように、次々とパニックに陥る生徒が続出している。
「私たち、殺されるのかな?」
「おい、やばくねーかこれ」
「イタズラじゃないの?」
「正門の警備員が倒れてるらしい……」
慌てふためいている人や、構わず自分の世界に入っている人など、反応は様々だ。
「まぁまぁ、皆さん落ち着いて。私はただで危害を加えるつもりはありませんから」
「……危害はどうにかして加えるってか」
俺はスピーカー相手に独り言を投げかける。
「私がここに来た理由はですね、選出なんですよ、選出」
「選出? ……何が目的なんだ」
俺は半分怒りに晒され、半分恐怖感に煽られていた。
「恐らく大半の皆さんが意味も分からず私の話を聞いているのでしょう。しかし、それは承知の上でありますよ。だから今からゲームをしましょう」
生徒達に再度緊張が走る。
数人は殺される、と顔が青ざめた者や、今にも発狂しそうになる者がいたが、俺はなんとか堪えて侵入者のゲームとやらの説明を黙って聞くことにした。
「ルールは至って簡単。私に怖じ気着かずに放送室に辿り着ければOK。何て容易なゲームなのだろう。但し、警察に連絡をとったり、校舎から逃げ出す陽なことがあれば……」
あえて、間を取るように黙り込む侵入者。
侵入者の目論見は知る由もない。
「ドーンッ! ですからね?」
「まさか、爆発物……!」
どこに仕掛けられているのか見当つかない。無闇に探し出すのは危険だ。それ以前に、見つけた所で処理は出来ない。必然的に、誰かが放送室にいくことが必要だ。ゲームの条件さえ気をつければ、死傷者を出す真似はしないはずである。
「…………させねぇよ。てめぇの自由勝手な行動はさせねぇ……っ」
俺の恐怖心はどこかに屠られ、いつの間にか憤りで埋め尽くされていた。
「おっと、忘れていましたが、制限時間は今から三十分で七人の有志が集う事がクリア条件ですから悪しからず。では、幸運を祈ります」
侵入者の言葉が切れた途端に、スピーカーとの接続は断ち切られたようだ。
「……考えろ。放送室に行く云々の前に、何故侵入出来た?」
俺だけがこうして頭を捻っている訳ではない。
周りを見回しても数人で考えている者達や一人で唸りながら考えている者もいる。
この状況で考えている俺達は普通ではないと思いもしたくらいである。
「とりあえず、先生達に……」
そこまで口に出してある疑問が浮かび上がった。
何故教師達の姿が見えないのか。
「まさかっ!?」
俺は一目散に職員室へとかけ始めた。
◇■■■◇
沢田悠里。
彼女はどうして私にあんな事をしたのか。
彼女とはあいつも含めて三人幼い頃から仲良く遊んでいた。
喧嘩など茶飯事であったが、直ぐに解決してしまう程友好的過ぎたのだ。
「あんな悠里初めて見た。本当に悠里なのさえ疑ってしまったわ」
教室へとの帰路をぶつぶつ言いながら私は歩いていた。
「あれ? ヘンね……」
いつもと違う雰囲気が漂っている。
ふと、周囲全体を見回してみた。
不思議なことに、生徒や教師等が行き交う廊下には誰一人いないのだ。
いくら予鈴がなったとは言えど、次の授業の場所へ向かう生徒や、各々の教室へ足を運ぶ先生は大抵いる。
それが皆無状態。閑静過ぎて人がいるのかさえ懐疑してしまう。
こっそりいろんなクラスの中を覗いてみたら、生徒達は確かにいた。しかし、どうも皆が深刻な顔をしている。
「何かあったのかしら?」
首を横に捻って生徒達を物色するが遠目からでは何を話しているか何も分からない。
ひとまず、教室に戻ってあいつにでも事情を聞き出そうと思い、教室のある階へと階段を降りて、曲がり角をノンストップで曲がった瞬間、私は勢い良く何かに衝突して転倒してしまった。
「いたた……って、あんた……何やってんのよ」
「いってぇ……ってなんだ、千夏か。何してたんだよ」
衝突した相手と同じタイミングで話しかけてしまい思わず沈黙という世界が一時的に現れてしまっていた。
「大丈夫か? ほら、立てよ」
先に沈黙を破った相手が私に手を差し伸べてくれている。
「……ありがと」
私はぶっきらぼうに返事を返して手を握り、立ち上がった。
彼───駿太とまさかアニメ的な展開で出会い頭に激突するなんて夢にも思っていない。
「っと、じゃ俺職員室に用事があるからさ、先教室に戻っててくれよ」
「あ……っ」
彼が私に背を向けてどんどん離れていく。
刹那。
私は焦燥感に駆られた。
このまま彼を放っておいていいのか、と。
そう思った時には既に彼の手を掴んでいた。
「え……千夏?」
彼が肝を抜かれたような表情を私に向けている。
反射的に行った自分の行動には自分ですら驚いてしまった。
今私の心臓の鼓動は高鳴り続けているのだ。
胸が苦しいから、手を放して苦しみを抑えたい。
けど、私の意思に反して私の右手は彼の手を握りしめて一向に離そうとしないのである。
一体自分に何が起きているのか分かっているが解りたくなかった。
認めてしまう事が私のプライドを尊大に傷付けてしまうからだ。
傲慢といわれてもいい。だからこそ私は自分の傲慢さと向き合わなければならない。
でも今は。今だけは。
「行かないでよぉ……しゅーちゃん……っ!」
涙が出そうになった。
彼が遠くに行ってしまいそうで。
「…………その呼び方、まだ覚えててくれたんだな。ナツ」
彼は満面の笑みを綻ばしていた。
昔のような無邪気な笑顔。
その表情を見て、彼はずっとあの時の事を覚えていたんだと確信した。
しかし、表情を途端に強張らせていしまい、笑顔は消えてしまう。
「けど、行かなきゃいけないんだよ。俺が行かなきゃいけない気がして、な」
「そ、そんな事ないよっ! しゅーちゃんが何もしなくてもきっと他の……」
「ダメなんだよそれじゃ」
抑えきれない感情が次々と流れ込んで来る。
表にでそうになる。そうした方が苦しまなくて済むのだから。
でも私は必死に全てを縛り付けるように奥深くに封印する。
「……帰って来てくれるの? 嘘つかない?」
私は子供のように懇願した。
涙腺が刺激され、瞳が微かに潤いを帯び始めたのを感じる。
普段とは真逆の自分。
自分ですら自分と認識できない相違、であるのかもしれない。
しかしこれも自分であることを象徴しているに過ぎない。
彼は一瞬目を逸らし、顔を赤らめながら返答した。
「あぁ。別に死ぬ訳じゃない。ただ確認をしたいだけだから。じゃ、今度こそまた後でな!」
何の確認か分からないが、彼にとって重要なことなのだろう。
彼はもう一度私の手を握り返して足早に去っていった。
「……不思議、ね」
正直今の今までの自分が恥ずかしいが、後悔はしていない。
私は彼の走り去っていった後をちらりと視てから踵を返した。
◇■■■◇
「……不思議だな」
職員室へと駆けている俺は先刻の彼女の容貌を思い出してそう口にした。
まるで幼い頃の彼女を見ていたようだったのだ。
いつからだろうか。
彼女が自らで壁を造り上げてしまったのは。
「……あの時、だろうな」
俺の頭に過去の記憶がフィードバックする。
幼い彼女が俺にしがみつきながら枯れてしまうのではと安閑としていられない程泣きじゃくっている光景だ。
そんな彼女に掛けられる言葉を暗中模索していたが、見つからずひたすら「大丈夫だよ」としか囁けなかった自分が今となってみれば非常に情けない。
「───っ。……今は今の事を考えろよ俺」
自分自身に言い聞かせて、目の前を見据える。
下駄箱前を通過し、角を曲がった所に一際大きな空間があるのが目に入った。
「はぁはぁ……っ。職員室まで、ダッシュなんて、する、もんじゃっ、ないな……っ」
俺は息を切らしながら失笑して、ガラス張りのドアを押し開けた。
「……どうなってんだよ」
眼前に広がる室内は開放的でしかし人一人の姿すら無い。
印刷機は文面のかかれたプリントを何枚も刷っていて、巨大モニターには本日の予定が表示されている。
視線を横に向けると、机の上には淹れたてのお茶から湯気が立ちのぼっていたり、パソコンの画面のカーソルが虚しく点滅している。
状況をみる限り、数分前まで教員達がそれぞれの業務をこなしていたようだ。
「誰かいませんかーっ! いたら返事をしてください!」
微かな期待を込めて呼び掛けをしてみるが、どこからも反応がない。
「何で誰もいねぇんだよ……。これじゃまるで俺達が隔離されたみたいに……」
隔離。
隔たり離れる。
何らかの術により異世界へ飛ばされたのだろうか。
「いや、違う。非現実的な事がある訳がない。もっと他の方法が存在するはずなんだ!」
拳に力が入る。
焦りと怒りと恐怖と。
多種多様な感情が腹の底から煮えたぎってくるのが分かる。
「何か見落としてるはずだ。もっと大事な……」
『嘘つかない?』
ふと、千夏の声が頭を過ぎる。
俺を信頼していてくれる、そんな裏腹を込めた言葉。
「分かってるよ。でも、見つからないんだよ方法が。虚実な方法さえ、な」
侵入方法を探すのを諦めかけたその時。
虚実、という単語が俺の思考に抜けていた発想を齎した。
「もし、だ。もし侵入をしていなかったらどうなる?」
唯一考えられる方面の中で思いもしなかったとっておきの方法。
常軌を逸脱している方法かもしれない。
「賭けてみっかな」
俺は本日二度目の全速で校舎内を駆け出した。
目的地は勿論放送室。
階段を二段飛ばしで上り、二階の突き当たりへと進路を疾走していく。
すると、放送室の扉の前に数人───綿密には五人───が佇んでいるのが目に入った。
「もしかして、侵入方法が分かった奴らか?」
俺が近づくにつれ、扉の前の五人は足音を感知し、俺に視線を向けた。
皆は恐怖に恐れず駆けつけたのだろう。
「───あれっ? もしかしてもしかすると君は駿君ではないかな」
俺は扉の前で一人の女子に話しかけられた。
白桃色の髪と妖艶なるボディに甘い声量。
それはまさしく。
「えっ、悠里!? 何でここに……」
悠里が右目を閉じてウィンクをして「来ちゃったっ!」と楽しそうに告げた。
「来ちゃった……じゃねぇよ! こんな危ない所に───」
「駿君も同じだよね? 言われる筋合いはないなー」
「そうだけど、少なくとも女の子が無理してくる事はない……だから、戻ってくれ」
人が集まるのはいい。
たが、俺は侵入者が言ってる「その後」の危険性を揶揄して悠里に戻ってもらうよう提案したのだ。
「女の子かぁ。なら私以外の女の子はどうなる訳かな?」
不服そうな悠里が指した方向を見ると、集まっていた悠里以外の生徒、つまり四人の内の二人が女子生徒であった。
「……この場にいる女の子全員にいったんだよ」
咄嗟の苦し紛れの回避発言。
言ってから自分を棚に上げている事に気づき、溜め息をついた。
「悪い、調子乗ってた。方法が分かってたから皆来たんだよな」
俺はちらりと悠里に目配せした所、彼女は口元を軽く吊り上げて満足しているような表情を顕わにしている。
「分かればよろしいっ」
「胸張ってるのも今の内だぞ悠里。これから何が起きるか分からないんだからな」
「駿君にいえた事かな?」
「……悠里には勝てないな」
俺は微苦笑して、周囲に視線を配った。
一人───檸檬色の髪をツーサイドアップにまとめて、薄めの碧眼を持つ女子は俺と目が合うと指を自分の唇に当て、熱っぽい視線を送ってきた。
一人───銀髪をショートボブにし、両耳の前にスカイブルーの小さなリボンを髪にそって付けている女子は表情を変えぬまま依然と俺を観ている。その瞳には何が映し出されているのか。
一人───茶髪を下敷きで擦ったように逆立て、男とは思えない程に顔をツルツルにしている男子は放送室と真向かいの壁にもたれかかってこちらを面倒くさいように一瞥した。
一人───寝癖をアホ毛のように自由奔放させ、典型的な日本人の黒い頭髪を欠伸をしながら健気に触っている男子は一度俺に笑みを向けた後、自分のポケットからキャンディを取り出して口の中に放り投げた。
それぞれ個性的であるのは間違いないが、全員が何を考えているか分からない。ただ、集まったようなだけではなない気がする。
「なぁ悠里。侵入者が言ってた制限時間って後どのくらいなんだ?」
「えーと……後十分かな。このままだと私達は負けになっちゃうかもね」
「十分か。今集まっているのが六人……つまり後一人が駆けつけてくれなきゃ勝算はないって事か」
時間は待ってくれない。
過ぎ去る前に少なくとも二人の有志が集わぬ限り俺達に勝機はないのだ。
「おい。とりあえず僕達だけでも閉じこもってる臆病者に侵入方法とやらを説明しちゃった方が手っ取り早いんじゃないか? 僕はさっさと終わらしてご飯を食べたいんだよね」
しびれを切らしたのか一人───寝癖少年が小柄な体の腹部を二回揺さぶった。
「いつまで待たせんだよオイ。ダリィ事は性に合わねェんだよ」
一人───壁にもたれ掛かっていた男子が低い───イラつきを含める───声を口に出した。
「あら、そんな野蛮にならしては他の方々の気分を損ねるのではなくて?」
一人───檸檬色の髪を持つどこかお嬢様のような雰囲気を醸し出している女子は綺麗に手入れされた髪を横に流して艶やかな声を発した。
「……慌ただしいの嫌い」
一人───物静かな銀髪の女子は身動きせずに霞のない控え目の声量でそう呟いた。
「にしても、ちょっとおかしくないかい?」
小柄な少年は俺に体を向けるなり、首を捻った。
「ちょっとって……何だよ?」
すかさず俺は小柄な少年に近寄って疑問を投げかけてみる。
「なぜ七人も集めなきゃいけないんだろうね。そもそもゲームなんてばかばかしい題目なのかな。それとも、もしくは、そうせざるを得なかった、とかね」
俺だけに聞こえる小声で小柄な少年は根本的な真相を辿るように述べた。
俺の仮説からや、彼の言うとおり、侵入者には全体的に首を傾げる点が多々存在する。
「……ますます意図が分からん」
俺が頭を悩ました、ちょうどその時。
放送室から猛烈な閃光と人間が一人飛び出して───いや、飛ばされてきた。
「な、なんだっ!?」
俺は咄嗟に壁に激突した人の元へ走り寄った。
「───いてぇな……。おじさん、ぽっくり逝く所だったよハハ」
壁伝いに立ち上がりながら彼は微苦笑と同時にハスキーボイスを絞り出した。
「なっ!? あなたは───」
海南学園教師陣。
この学園の教師たちは他の教育施設の者たちと比べてはるかに個性が強調されている。
その中でトップクラスに逸脱している教師が数人存在していて、更にまたトップの教師───かれこれ三十年間以上、生徒たちにありとあらゆる恐怖を抱かせた教師がいたのだ。
一部の生徒に《絶対神》と称されていた者。
その名は。
「佐々木先生!」
佐々木新一。
海南学園設立当初から勤めている。
担当教科は英語だ。
「君たち、やっとここに来たのか? あんまりに遅いんで先に中入って来ちゃったよ」
「…………っ!?」
佐々木先生の言葉に俺は二重の意味で驚愕した。
あれだけ探したのに一人も見つからなかった教師ということ。
そして、俺たちより先に入っていたこと。
「……ってか、佐々木先生みたいに早く入った人達がいたら、僕たちもういたって意味ないよね?」
純粋に、寝癖少年は言い放った。
確かに既に先生がいるということで、他に来訪者がいてもおかしくない。
しかし俺の予想を大いに裏切るように佐々木先生は告げた。
「言っとくけどおじさんが一番最初だからね。しっかり覚えておくんだよ」
「……なら僕たちは行く必要あるみたいだね。先生が単身で大丈夫だったんだから残り一人少なくても関係ないはず」
「いや、とばされて……。まぁ、よし。行くぞみんな!」
俺は開きっぱなしのドアをくぐり抜け、放送室内へと足を踏み入れた。