表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
シグ  作者: 仁崎 真昼
6/29

06 いるよね、どこに行くときでも誰かを連れて行こうとする人。

 放課後。

「おい、いい加減怒るのを止めろ。怒るのを止めろというか、無視するのは止めろ。おい、こら、シー」

 午後の授業も終わり、部活のある人は部活、無い人は帰宅、その他用事がある人々は校内をうろついている。シーとグレイディールは、まだ教室にいた。

 シーはグレイディールには背を向けるようにして、自分の机の上に覆い被さっている。

 シーが午後最初の授業に遅刻してしまったこと、いや、面倒臭い奴セリナをシーに押し付けて逃げたことについて、グレイディールからの謝罪は未だ無い。災難だったな、とばかりに笑うだけで、全く自分の責任を感じている様子がないのだ。グレイディールを授業中に睨みつけていたら笑顔で手を振ってきたときから、シーの腹の虫は暴れっぱなしだ。

 シーの机をガタガタと揺らしながら、グレイディールは言う。

「なあ、いい加減むくれるのはよせ。そろそろ勧誘に行くぞ」

「……セリナを入れる気満々だったじゃん」

 しかし、シーは顔を上げず、そのままの体勢で、ぼそり、と呟いた。セリナはまだ入ると言ってはいないが、グレイディールは既にセリナをメンバーとして数えている節があるのだ。

「セリナはまだ入ってない。誘っただけで返事は聞いてないからな。念のためにもう一人は入れておかないと、入らないって言ったとき困るだろ」

「……そうかもねー」

 予想以上にまともな意見を聞き、不機嫌そうに眉をしかめるシー。それが更に気に食わなかったのか、シーはおざなりな返事をした後、再び黙り込んでグレイディールを無視し始めた。

 暫くの間机と椅子への地味な波状攻撃が行われるが、シーは机に張り付いたまま。

 会話が進まない。

「おい、また無視するのか、いい加減起きろ。起きろよコラ。ほら、てめ、この馬鹿! バーカバーカうん子野郎! アホどじ間抜けおたんこなすー! へいへいへいビビってんのかおらぁ! あん? あぁん!? あ、あっちで可愛くて胸が大きくて太っては無いけど適度にむっちりとした感じの美少女が窓から身をのり出しているせいで色々と見えちゃいけないものが見えるぞ!」

 シーが顔を上げた。そして、冷ややかにグレイディールと目を合わせると、また顔を伏せた。

 その態度を見て、はっ、と我に帰るグレイディール。途中からヒートアップしていたせいで、あまりにもらしくないことをしていたことに気付いたのだ。そして、シーのその無反応が余計に恥ずかしく、奇妙な敗北感で胸が一杯になる。

 グレイディールはごほん、と咳払いをすると、何事もなかったかのように真面目な顔をした。

「分かった分かった、俺が悪かった。黙って付いて来るだけでもいいから、勧誘に行くぞ」

 グレイディールは、シーが何に対して怒っているのか最初から理解していた。シーが謝罪の言葉を要求していることもだ。理解したうえでからかっていたのだから、タチが悪いと言うべきか、自業自得と言うべきか。

 ともかく、謝れば良いならば、そういった言葉を口にすれば良い。早いところ目的の場所へ行きたかったグレイディールは、からかうのを一時中断し、さっさとシーを宥めようとした。

 宥めようとしているときでも偉そうなのは、性格的な部分に問題があるのだろう。

「……しょうがないな」

 グレイディールがやっと折れたことに多少の満足感を得たシーは、少しだけ赦してやってもいい気分になる。何せ、先程までグレイディールが謝る姿など、想像することさえできなかったのだから。

 仕方ない、とでも言いたげな様子で顔を上げたシーに、グレイディールは呟いた。

「へっ、ちょろいな」

「何か言った?」

「いや、何も」

 聞きとがめるシーとごまかそうとするグレイディール。

 グレイディールは再度追求が来る前にシーを机からひっぺがすと、さっさと目的地へと歩き出した。シーも掴まれて乱れたケープを整えると、グレイディールの後を付いていった。

 歩きながらシーはグレイディールに問いかける。

「でさ、どこ行くの? 勧誘ってさっき言ったけど、当てなんてあるわけないよね。グレイディールだもの」

「おい、何さらっと失礼なこと言ってやがる。俺は別に友達がいないわけじゃないぞ」

「見栄なんて張らなくていいんだよー。人はみんな、死ぬときは、ひとり……」

「無理矢理名言っぽくまとめようとすんな。そんなネガティブな名言は要らねえ」

 廊下を歩きながらグレイディールは言う。

「行き先は、格闘技場だ。あそこの剣術部に、当てっつうか知り合いっつうか、切っても切れない腐れ縁の幼なじみがいるんだよ。とりあえず、そいつに当たってみるつもりだ」

 幼なじみという単語を聞いて、ほほう、と目を細めるシー。シーがよく聞く幼なじみというのは、基本的にパターンがあって、それがシーの想像通りだとすると。

「それは女の子だったり?」

「お前が何を期待しているのかは薄々分かった。が、残念だな。野郎だよ。性格もおつむも顔も良くない、一般的な男子生徒だ」

「ちっ」

 どうやらシーの予想は外れていたらしい。女の子ならば、グレイディールの弱みが握れるかもしれない、と期待していたのだが。

 格闘技場は校舎とは少し離れた位置に建っているので、そこに行きたいならば靴を屋外用に履き替えなければいけない。その隣の第一体育館までは屋根のついた通路も繋がっているのだが、格闘技場は第一体育館の裏にあるせいで、一度草地を通ることになるのだ。なので、グレイディールとシーは一度下駄箱へ向かった後、目的地へと向かう。

 下駄箱から取り出した靴を履き替えながら、シーは更に質問をする。

「けどさ、その人って真面目に部活やってるんだよね? ならさ、こんな行事に出ている暇なんて無いんじゃないの?」

「大丈夫だ。あいつは弱いわけじゃないし試合にも出れるはずだが、練習が死ぬほど嫌いだからな。堂々と練習をサボることができるって言えば、まず断ることはない。あいつはそういうタイプの馬鹿だ」

 自信満々に言ってのけるグレイディールは、自分の言葉を微塵も疑ってはいない。それは、長い付き合いによる経験則だろう。ある意味信用しているということだ。そんな信用、全く欲しくはないが。

 シーが薄暗い玄関を出ると、乾季に入りかけている強い日差しが、シーの目を容赦なく焼いた。

(あっつ……。雨季も終わっちゃったからなぁ)

 手でひさしを作りながらこれから更に激しく活動するであろう日を眺め、シーは少しだけ顔をしかめる。シーは、日光があまり好きではなかった。

 玄関から格闘技場までは、グラウンドを横切っていった方が早い。しかし、今は放課後で、部活の時間の真っ最中。グラウンドでも陸走部や各種球技の部が、汗を流しながら走り回っている。二人はグラウンドを回り込むようにして、格闘技場へと歩いた。

「いつ見ても、ごくろうさんとしか言えないや。あんなに辛そうなこと、良くできるよね」

 人の頭部くらいのボールを追って走る男子生徒を見て、シーは感嘆したような声をあげる。しかし、その目の焦点は、男子生徒で結ばれてはない。

「やれば楽しいもんだぞ? まあ、実際にやってみなければ分からないがな」

 振り返ることも、グラウンドに目を遣ることもしないまま、グレイディールは答える。シーはそれに対して、おや、と不思議そうな顔をするが、それに質問をするようなことはなかった。

 二人は少しの間、無言で歩く。グレイディールが先頭なので、グレイディールのペースに合わせる。

 二人っきりでいるとたまにこういう状態になるのだが、二人とも無理に話を探すようなことはしない。そうする理由はなく、その必要もない。それは、暗黙の了解のようなものだった。

 格闘技場の入口は第一体育館との間にある。そこは細い路地のようになっていて、少しだけ黴の臭いがした。

「俺は中に入って交渉してくるが、シーはどうする?」

 格闘技場の扉に手をかけた状態で、グレイディールが問う。

「あー……遠慮しとくよ。僕は外で待ってるから、ごゆっくりどうぞ」

「そうか。すぐに用事は済むだろうから、ここで待っとけ」

 グレイディールは命令口調でそう言うと、威勢の良い怒鳴り声が響く格闘技場へ、扉を開けて入っていった。

 重そうな金属製の扉が音を立てて閉まり、シーは小さな声でぼやく。

「僕がついてくる意味ってあったのかな……」

 しかし、どこからか答えが降ってくるわけはなく、本来問いかけるべき相手のグレイディールもいない。そのぼやきに対する返答が、イエアーッ! という怒鳴り声だったことにより、シーは少しだけ空しい気分になった。

 シーは一つ溜め息を吐くと、格闘技場の外壁にもたれ掛かり、そのままグレイディールを待つことにする。

(格闘技なんておっそろしいこと、毎日毎日よくやるよねー。殴ったり蹴ったり投げ飛ばしたり、挙げ句の果てには剣やら槍やら、あー怖い。ま、本人たちが幸せなら、それで良いんだけどね)

 シーが格闘技場の中にいる生徒に対して、尊敬と労いを籠めて(心の中で)拍手を送った。ただしその中には、自分ならそんなことは絶対にできない、という呆れも混入していた。

 この学校には相手と『戦う』部活は、拳法部、柔術部(別名、女子護身術部)、剣術部、総合武術部の四つがある。それらの部活はどれも命の危険のあるようなものではないが、基本的に全て、戦うための技術を学ぶ。相手を倒すための、技術をだ。

 シーが興味のないそれらを行うことは、絶対に無いだろう。

 再び、溜め息を一つ。

「どうしたんだ、溜め息なんか吐いて」

「うひゃっ!」

 シーは軽く顔を伏せて物思いに耽っていたため、近付いてくる人影に気付かなかった。そのため、突然横から声をかけられたかたちになり、シーは奇妙な声を上げてしまう。気持ちばかり距離をとるようにして声の主のほうを向くと、そこには知っている顔があった。

 相手の名前を頭の中で検索した結果、どうやら憶えているようだった。

「君は……ハッサンだっけ?」

「いかにも! ハッハッハ、悪い悪い、驚かせてしまったか! いや、スマンな。珍しく格闘技場(ここ)以外の連中の人影が見えたもんで、新入部員かと思って抜き足差し足近寄ってしまったのだ」

 ここ、と言いながら、ハッサンは格闘技場の外壁を軽く叩いて見せた。

 ハッサンは身長が百九十エムを超える大男だ。その巨大な体躯には筋肉が隆々として、肌は適度に焼けている。グレイディールなど比較にならないほどに鋭い目つきをしているのだが、常に愉快そうに笑っているので、そこまで悪い噂は立っていない。ただし、真顔になったハッサンは、すぐに逃げ出したくなるほど恐ろしいらしい。十七歳とは思えない老成した顔と、大型犬のような温厚そうな雰囲気により、きちんと制服を着ていても、初対面の人からは教師に間違えられることもしばしばだ。

 シーと同じ、二年三組の生徒である。

 驚いたときに奇妙な声を出してしまったことがばつが悪かったのか、呆れ気味の声で話すシー。

「ハッサンって、総合武術部に入ってるんだっけ。どうしたの? 新入部員を期待したってことは、人数が足りなかったりする?」

「ぬう……? ひょっとしてお前、オレと知り合いか?」

「え゛?」

 相手に覚えられていないことに、シーは自分の想像よりも遥かに大きなダメージを受ける。例え名前は覚えられてなくても、顔ぐらいは覚えられているだろうと高をくくっていたのだ。

 グレイディールにに知られたならば、人のことをいえないだろうと言われるだろう。自分は中々に残酷なことをしたのだと、身をもって知らされた。

「ほ、ほら、同じクラスの……」

「んん? んんん? ……おお! よく見ればシーではないか! スマンな! オレは多少物覚えが悪い故に、思い出すのにも時間がかかるのだ! ハッハッハー!」

「ああ、うん……分かった」

 シーの頭をわさわさと撫でながら、豪快に高笑いするハッサン。微塵も謝っているようには見えないのは、シーが当事者だからか、それともハッサンが悪いのか。

 ハッサンのこれがわざとではないことは、付き合いのあるとはいえないシーも知っている。ハッサンが細かいことを気にしない性格をしていることは、噂に疎いシーにも届いてくるほどだからだ。ハッサンは記憶力が悪いのではなく、覚えようとしない。難しいことを考えられないのではなく、考えようとしない。身も蓋も無い言い方をすれば、馬鹿なのだ。

「で、どうして新入部員」

「こんなところで何しているのだ? ここにあるのは格闘技場への入り口だけであるし、この先にはオレの秘密の特訓場しか無いぞ?」

「ここにはね、ちょっと用」

「おおしまった! 秘密のと呼んでいるのだから、秘密にしておかねばならないのに! スマンが、さっきの言葉は忘れてくれ」

「……うん、それはい」

「ところで、我が総武に入る気は無いか? 部員は五名いるのだが、正式な部員はオレしかいなくてな。どうだ? 今なら副部長の役職が手に入るぞ? まあ、オレのしごきはきっと、地獄のようにきついがな! ハーッハッハッハー!」

(何これ!? ぜんぜん会話ができないよ!?)

 シーは心の中で悲鳴を上げ、思わず頭を抱え込みそうになる。

 一応会話をしているのかもしれないが、シーの意思が相手に伝わっているようには全く思えない。ハッサンが話題を次々と変えるので、気になったことがあっても訊くことができない。クラスでちらりと耳にした、ハッサンとしゃべると疲れる、という言葉の意味を、今、ようやく理解した。

「そういえば! シーはグレイディールと共に、校内召喚獣大会に出ると言っていたな! シーはそういった類のことを好んでいないと思っていたからな、いやはや、なんとも意外だぞ」

「それが」

「しかし、あれはあまり良いものとはいえないな! やはり男として生まれたからには、自分の拳で闘わねばな。まあ、剣などの武器ならば許せるが、召喚獣を自分の代わりに戦わせるのは男らしくない」

「それ」

「いや、オレも頻繁に使ってはいるのだがな、それはあくまで鍛錬のため。召喚獣はきっと人の手助けをするためにいるのだ」

「そ」

「おお、そうだ! どうせならば我が部活を見学して行ってはどうだ? 活動と言っても派手なものは無いが、継続こそ強さへの秘訣だ。まずは体ができていなければ何も始まらん。まずは走り込みだな! 体育館周りを五十周ほど行ってみようか!」

 そうい言ってハッサンがシーの腕を引いたとき、シーの何かが切れる音がした。

「うっせぇぇぇぇ――――!!」

 シーの叫びがハッサンの耳を打った。それは普段のシーとはかけ離れている、乱暴な言葉遣いだった。

 切れたのはおそらく、堪忍袋の尾だったのだろう。シーは決して短気な性格はしてないが、それでも限度と言うものがある。どうでもいいことをべらべらと一方的にしゃべり、自己完結をするような奴の相手は苦手なのだ。

 シーは目をカッと見開き、ハッサンの方へと詰め寄る。

「いいかい? まず、僕がここに来たのは、グレイディールが剣術部の人に用事があって、それについてきただけ。次に、秘密の場所については秘密にしとくから大丈夫。そして、僕は総武には入る気は無いです。最後に、会話はもう少しゆっくりしよう! 最後、一番大事だからね! オッケー!?」

 最後を強調しながらシーは言い切る。息を継ぐ間も無く矢継ぎ早に言葉を発したシーの、荒い息遣いが二人の間に響いた。

 ハッサンは目を丸くしてシーを見つめていて、珍しいことにその顔からは笑みが消えている。シーがその表情に、ああこれは怖い、と軽く恐怖を覚えたところで、ハッサンはにんまりと笑った。

「ハッハッハ、これは面白い! いつもわざと表情を消しているかのように無表情なシーが、ここまで鬱憤を顕にするとな! 中々に珍しいものを見れたではないか! ハーッハッハ!」

「……そうきたか」

 心底愉快そうに高笑いをするハッサンを見て、シーは思わず脱力してしまった。

 先ほども述べたとおり、ハッサンは強面だ。笑みをその顔に装備していないハッサンは、相手に与える威圧感がスパルタで有名な体育教師より上だ。そんなハッサンが、笑みを消して凝視してきたならば、身構えてしまうのも仕方が無いだろう。しかし、何が来るのかと身構えるシーに対して、ハッサンは高らかに笑うだけ。一人警戒をしていた自分が馬鹿らしくなったシーだった。

 シーは照れ隠しに頭を掻くと、壁沿いに積み上げてある煉瓦に腰掛けた。

「しかし、我が総武には入らないか……。楽しいのだがなぁ」

 ハッサンもシーの横に腰掛けると、しみじみと呟いた。

 シーは何を言われても、絶対にハッサンの部活には入らない。シーは運動が得意ではなかったし、痛いことは嫌いであったし、また、人を殴るなんてことはできないからだ。臆病で、小心者なのである。

 しかし、ハッサンがあまりにも残念そうにしているのを見て、少しだけ興味が湧いた。そこで、グレイディールが来るまでの暇つぶしとして、それの良さについて聞いてみることにした。

「ねえねえ、そんなに良いものなの? 僕には闘うことの面白さなんて、一生理解できないと思うんだけどな」

 シーの問い掛けを聞いた途端、ハッサンの動きがピタリと止まる。それは、聞いてはいけないことを聞いてしまったのかとシーが誤解するほどで、当たりの空気がほんの少しだけ重くなった気がした。

 ハッサンは正面にある体育館の壁を、睨みつけるかのように凝視すると、静かに口を開いた。

「オレは、馬鹿だからな」

 その口調に茶化すような雰囲気は全く無く、シーは黙ったまま続きを待つ。

「難しいことを考えるのは苦手だ。いや、他人にとっては簡単なことさえ、オレにとっては一生分からないくらい難しい。だからな、オレはこれを選んだんだ」

 ハッサンは自分の右手を思い切り握りこむ。腕全体に力が入り、筋肉がぎゅっと収縮する。

「研究だの政治だのは、それが高度になるほど沢山のことを憶え、考えていかなければならない。だけどこれは違う。これは、極めようとすればするほど、より何も考えないようにしなければならなくなる。頭を空にし、体に技を刻む。体を鍛え上げ、心を磨き立て、経験を積み重ねる。そうして創り上げた戦う為の『自分』を、剥き出しの状態でぶつけ合うことが、戦いだ。そしてそれは、どんな奴にだってできることなんだ」

 力強い言葉だ。信じていればそれが本物になるとでも言うように、想いが込められている言葉。

「本当に美しいものは、全ての人を魅了する。そして、戦いの中にだって美しさは存在する。オレはそれを求めているんだと思う」

 ハッサンはずっと正面に遣っていた目をシーに戻すと、力強くそう言った。

 ハッサンがこれほどまでに静かに何かを話していることに、シーは酷く驚いてしまう。先ほどまでの一方的な会話のようなものではなく、自分の考えを相手に伝えようとしていることが、はっきりと伝わってくるからだ。今のハッサンからは、軽さのようなものが、一切感じ取れない。

 綺麗な瞳だ、とシーは思った。これが、何かに本気で打ち込む人の瞳なのだ、と。

「で」

「で?」

「それなんて漫画?」

「『鋼の車輪と子守唄』。オレの人生のバイブルだ」

 無言で至近距離で見つめ合う。

 次の瞬間には、二人して笑い出していた。

「な、なにそれ! 真面目な顔して、何言ってんのー!」

「スマンな! 『車輪』の中のあるシーンとあまりにも似ていたから、ついなりきってしまったな!」

「あはははは、やっぱりね! なーんかどっかで聞いたことあるなって思ったんだ! ぷぷ、いや、凄い格好良かったよ!」

「ぬお? シーは『車輪』の愛読者か? ならば同士ではないか! ハッハッハ、素晴らしい!」

「姉ちゃんが大好きでね、僕も面白いからって勧められて読んだことがあったんだよ! ぶ、ぷふ、だ、駄目だ、つい笑いが」

 くくく、楽しそうに笑うシーと、愉快そうに笑うハッサン。二人して同じ方向を向いて大笑いしている様子は、傍から見れば実に奇妙な光景だったかもしれない。

 二人の笑い声が、狭い通路に反響する。

 通りかかった人に変な目で見られた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ