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シグ  作者: 仁崎 真昼
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05 海苔弁は美味しいけれど見た目が凄く微妙。

 グレイディールによる勧誘兼所信表明が終了すると、それまでクラスに留まっていた生徒達は息を吹き返したように散って行った。

 学食組は、そろそろ席が空く頃だろうとのんびりと教室を出て行き、購買組は、もうパンは売り切れているだろうと溜め息を吐く。弁当組は、それぞれがそれぞれの好きな場所へと向かい、そのうちの一人であるシーは、自分の席に座り込んだ。

 グレイディールは未だに、教卓の前で暇人に囲まれている。

(……昨日までとは一転して大人気だなあ、グレイディールは。お昼はまだ食べてないはずなのに、皆、お腹空かないのかな?)

 シーは鞄から自分の弁当を取り出し包みを解くと、弁当箱の蓋を開けて中身を覗き込んだ。

 弁当箱の半分ほどに白霞米が敷き詰められ、からりと揚げられた屑豚には青々とした凡菜が添えられている。血茄子の赤、裏鶏の卵の黄、竜瓜の緑と色彩は豊か。肉の匂いも食欲をそそる。

 高級品でこそないがきちんと調理された昼食を見て期待に胸を膨らませるシーは、いざ食べようとした手を合わせたときに誰かに見つめられていることに気付いた。

 シーが隣の席に目を遣ると、隣の席の少女がシーの手元をじーっと見つめている。

「どうかした?」

「……は! い、いや、何でもないよ。ごめんね、じろじろと弁当箱を覗き込んじゃって」

 少女は自分が他人の弁当を凝視していたことに気付くと、手を振りながら慌てて謝った。

 少女は華奢な体に制服を着込み、明るい薄茶の髪は緩く編んでいる。髪を結んでいる紐にはいくつかの小さな宝石が付いていて、華美ではないが小奇麗で上品だ。少女はそれ以外は特徴が少なく、大人しそうな印象を受けた。

 その少女の名は――。

「えっと。セリナ、だっけ」

「……もしかして、私の名前覚えてなかった?」

 少女の顔はすまなそうなものから苦笑いに変わる。それも仕方は無い。何故なら、二年に上がってクラスが変わり、既に二月は経っているのだがら。

「違う? じゃあ、セレン? いや、セレナ?」

「違わないよ、私の名前はセリナ。……私ってそんなに影薄いかな」

「影とかはあんまり関係は無いと思う。ほら、僕とセリナは今まであんまり接点がなかったから。でも、もう覚えたから大丈夫」

 シーは焦点の合わない目でにっこりと笑った。

 何が大丈夫なのかな? と疑問に思うが口には出さず、セリナは曖昧に笑って見せた。それは愛想笑いとも言い、苦笑いとも言う。

「それで? どうかしたの?」

 シーは箸箱から深緑色の箸を取り出すと、弁当をぱくぱくと食べながら、その合間に尋ねた。

「あ、ええ、あの……何て言うか。その弁当、とても美味しそうだよねって気になったの。自分で作ったのかなって」

 少し言いよどんだ後、まるで恥ずかしいことを告白でもするように告げるセリナ。話をしている間もちらちらと弁当を眺める目は、どこか羨ましそうに見える。

 その言葉を聞いて目を瞬かせたシーは、一度自分の手元に目を遣り、得意げに胸を張った。

「うん、美味しそうでしょ。けど、僕が作ったわけじゃないよ。僕が出来る料理って言ったら、目玉焼きとおにぎりくらいだからね」

「め、目玉焼きと、おにぎり……ね。それじゃ、誰が作ってくれたの? お母さん?」

「……ううん、姉ちゃんが。姉ちゃんが我が家の家事を取り仕切っていて、それ即ち最高権力者。兄ちゃんと姉ちゃんはもう成人してるから、親は家族の面倒を二人に任せて世界中を放浪してる」

「ふ、ふーん。それは、放任主義? なのかな? い、いや、問題無いなら良いんだけど!」

 そこかしこにある問題点が気になったせいで所々つっかえてしまうが、すぐにそれを否定するように手を振る。疑問符が付いてしまったりする度に、わたわたとそれをごまかそうとする。まあ、ごまかせてはいないのだが。

 それ以上深く触れると更に何かを発掘してしまう気がして、セリナは話題変換を図る。

「それにしても本当に美味しそうだね。羨ましいなぁ」

 セリナはそう言って溜め息を吐いた。

 シーが不思議に思って隣の机を覗き込んでみると、確かにセリナの弁当箱はあまり見栄えが良いとはいえなかった。真っ白な米の上には真っ黒な悪海苔が敷き詰められ、おかずは全体的に肉が多い。野菜も心持程度には入っているが、何というか、全体的に――地味な色だ。

 シーの手には、見た目は美しく、匂いは香ばしく、栄養のバランスも良さそうな、小ぶりで愛らしい弁当。セリナの手には、色は地味で、量は多く、カロリーの高そうな、男気溢れる弁当。

 赤の他人が見れば、それは逆ではないのか、と思うのは確実だろう。

 セリナはシーの弁当から目が放せなくなっている様子。食い入るように見つめているセリナは飢えた獣のようで、その大人しそうな外見には全く合っていない。

 よだれまで垂れてきそうなセリナに見兼ねたシーは、恐る恐る一つの提案をしてみた。

「あー……、何か食べる?」

「い、いいんですか? じゃなくて! いや、別にほしいわけじゃ、ない、わけないんですけど……って、食いしん坊だとか思わないでくださいよ? そんなんじゃなくて、えぇ……」

「おーちついて、落ち着いて。どう、どう」

 シーが弁当箱を示してみただけで、唾を飛ばしかねない勢いで動揺するセリナ。あまりの慌てっぷりに声もかなり大きくなっているのだが、何故か他の生徒達は全く気にしない(三組の生徒は集中力があるのだ)。

 セリナが落ち着くまで待っても良いのだが、最初にグレイディールに時間を潰されたせいで休憩時間はいつもより短い。さっさと昼食を済ませるために、シーは自分から追加で質問をした。

「それじゃ、要らない?」

「違います」

「それじゃ、やっぱり食べたい?」

「そ、そういうわけじゃ」

「じゃ、要らない、と?」

「ぅ……」

 あー、うー、と言葉にならない声を上げ、セリナは必死に何かと闘う。それはおそらく、女の子が云々といった見栄と、単純に食べたいといった食欲が闘っているのだろう。

 しかし、その闘いの決着は簡単にはつきそうにないので、シーは最後の一押しとして弁当を差し出した。

「お一つどうぞ」

 ピシ、と音を立てて、セリナの何かが砕けてゆく音がする。セリナはプルプルと震えながら尚も抵抗するが、もう我慢が出来なかった。ゆっくりと箸をシーの弁当に向けて伸ばす。

 その様子をシーは、大げさだなあ、と思いながら見守った。

「……あ、ありがたく、い……ただきます!」

 結局セリナは、食欲と言う名の獣に負けたのだった。

 そのまま二人が無言で食べていると、不意にセリナが呟いた。

「シーは、アレに出るんだね。校内召喚獣大会」

 セリナにはシーが校内召喚獣大会に参加するような生徒には、どうしても見えなかった。グレイディールのような暴れたがりではなく、ゴドウィンのようなお祭り野郎でもなく、行事を普通に楽しむその他大勢の内の一人。見るだけでも楽しめる危険な行事にシーが参加することを、不思議に思っていた。

 シーは何と答えようか迷う。が、結局無難な答えを選んだ。

「ああ、アレはグレイディールに脅迫されたんだ。言うことを聞かないと、ってね」

 最後まではっきりとは言わず、肝心なところをぼかして伝えるシー。それを聞いて何を想像したのか、セリナは驚きの声を上げる。

「ええ!? それって――」

「嘘を吐くな。また面倒な奴が口を挟んできたらどうする」

 しかし、上手く騙せたと思った瞬間本人が登場してしまったので、シーの他愛ない冗談はあっさりと無駄になる。セリナもすぐに冗談なのだと気づいたようだった。

 つい先ほど、相手の評判を下げようとしていたことなど忘れてしまったように、シーは至って自然に話しかける。

「どうだった?」

「全然駄目だ。あの情報のソースを教えろだとか、勝てるということに根拠はあるのかだとか、下らない質問しかしてこない。暴れたいとかいう奴とかチームに入りたいって奴はゼロだった。つまらん」

「リュウホウは?」

「ヤメロ、その名前を出すな」

 あれだけグレイディールが餌をばらまいたというのに、それに釣られた生徒は皆無。参加したいと言ってくれる生徒はいたが、それも目的がグレイディール目当てだったので、あの演説もあまり意味はなかったようだ。結局、追加メンバーはなしとなった(その生徒はグレイディールによって断られた)。

 シーは一つだけ気になったことを聞いてみた。

「ねえ、何でそんなにリュウホウは駄目なの? お尻撫でてくるくらいなら良……くないけど、我慢はできるんじゃないかな」

 グレイディールなら我慢などしていないだろう。そういう相手はおそらく叩きのめしているはずだ。ならば、再び同じことをしてきたら同じように叩きのめし、その後で脅しでもかければよいのではないか。流石に本気で襲われることは無いだろう。

 そう、シーは思ったのだ。

 しかし、グレイディールの口から出てきた言葉は、シーの予想をはるかに超えるものだった。

「あいつのその手を払い除けたら、押し倒された」

「え……?」

「押し倒された。そのうえ召喚獣使ってきやがって、危うく眠らされるところだった」

「……何その危険人物。めっちゃ危ないじゃん」

 召喚獣によって他人に危害を加えることは、法律違反であり、校則違反であり、倫理的に完全にアウトである。もしそういった人物が周囲にいるのならば、まず避けられていることは間違いないだろう。普通に犯罪者扱いだ。

「死ぬかと思った。貞操は護り抜いた」

 グレイディールはシーから目を逸らしながら、蚊が鳴くような声で呟いた。

 本気の人間ほど恐ろしい人間はいない。そのときのリュウホウの目は驚くほど澄んでいて、その瞳には一片の迷いもためらいもなく、ただただ欲望とやる気が満ちていたらしい。つまり、何かやらかす人間の目つきだ。

 グレイディールはその本気が恐ろしかったと言う。

 シーの疑問は熱した鉄板に置いた氷のように、一瞬で融けて消えた。

 シーとセリナが戦慄のあまり言葉を失っていると、グレイディールは当然のようにシーの前の席に座り、シーの机に自分の弁当を置いた。そして、椅子を半回転させてシーの方へ向き直ると、向かい合ったまま弁当を食べ始めた。

 黙々と箸を進めるシー、セリナ、グレイディールの三人。話しをするためにセリナはシーの方へ体を向けていたので、図らずとも三人で弁当を囲む形になってしまう。

 そのことに気恥ずかしさを感じたセリナが元の席に帰ろうとしたとき、グレイディールが話しかけた。

「で? お前は俺のチームに入るのか?」

「ぶぼっ!」

 思わず口の中のものを吐き出しそうになってしまったセリナ。しかし、両手で口元を押させ、前のめりになることで辛うじてそれだけは防ぐ。

 シーはその言葉を冷静に否定する。

「違うよ、何でそうなるのさ」

「あの演説を聞いて入りたくなったけど、直接俺には言い難くて、へた、じゃなくて、女子共でも話しやすそうなシーを狙った……とか?」

 大真面目な顔をしてはいるが、本気で言っているわけではないことはよく分かる。

「ち、違うよ。ただ、お弁当が少し気になったから……」

「そう、セリナが僕の弁当が食べたいって言うから、少しだけおかずを分けてあげただけ」

「シー! それは黙っといて!」

 グレイディールの視線は、シーの弁当とセリナの弁当を行き来する。そして、セリナの弁当のサイズと残っている中身を見ると、ふん、と鼻で笑った。

「な、何で笑うの?」

「自分の胸に手を当ててみろ。いや、自分の胃袋オア小腸オア大腸オアその他消化器官に手を当ててみろ」

「ぅっ……!」

 セリナの頭の中は真っ白になり、現在行っていた全動作が停止した。紅い箸から卵焼きは落ち、手から赤い箸は落ち、弁当は机の上に音を立てて落ちる。幸いにも中身がこぼれることはなかったが、そんなことを気にしている余裕は、完璧に弱点を衝かれているセリナにはなかった。

 グレイディールはその様子を見て、にやり、と楽しそうな笑みを浮かべた。

「まあいいか。それで、セリナはどんな召喚獣を持ってるんだ?」

「ちょっと! それは失礼だよ、グレイディール」

 相手の召喚獣について尋ねること。それは、一般的にマナー違反となっている。理由は不明だが、それが世間の認識。大戦期は一般人の召喚獣への意識を高めるため、自分の召喚獣を誇示することは推奨されていたが、対戦が終了してからは一転して自分の召喚獣を隠すことが美徳とされるようになったのだ。

 ただのクラスメイト相手に召喚獣について問うということは、初対面の相手に初恋について問うようなもの。それを簡単に行って見せたグレイディールのほうがおかしいのだ。

 シーとグレイディールは放心状態のセリナに聞こえないようにひそひそと会話をする。

「いくら棒若無人が君の信条だったとしても、召喚獣について問うのはマナー違反。流石にそれは不味いと思う」

「そんな信条を持った覚えは無い。それに、もうすぐ校内召喚獣大会があるんだ。別に話題としてはおかしいものではないだろ」

「セリナは僕たちのチームに入るってわけでもないんだよ? ただ話しをしていただけ」

「いいから黙ってみてろ。別に無理やり聞き出すつもりはない」

 グレイディールはシーを目線で牽制すると、脇腹を揉みながら唸っているセリナに声をかけた。

「おい、さっきのは冗談だ。別にお前が太っているとかそんなことを言っているわけではない」

 びくり、とセリナは体を震わせ、グレイディールの方へ目を向ける。シーとグレイディールが傍にいることを失念していたようで、先ほどまで行っていたことを思い返して、顔を真っ赤に染め上げた。

「ななななな、何の話かな!? 私はそんなこと気にしてないよ!」

「分かった分かった、別に俺は何も見てないから。シーだって何も見ていない。な?」

「本当? ねえ、本当に私変じゃない?」

「うん、大丈夫。ぜんぜん変じゃない」

 顔を真っ赤にしたまま見つめてくるセリナに、シーはうんうん、と頷いて見せた。

 それによってセリナは落ち着いたと判断したグレイディールは、今がチャンスとばかりに質問をする。

「それで、どうなんだ?」

「あー、召喚獣について? 私のは皆、精霊型だよ」

 シーはあまりにもあっさりと答えてしまったセリナを諌めようとするが、セリナが気にした様子は全く無く、グレイディールは邪魔するなと睨みつけてくる。仕方なく口に出しかけた言葉を呑みこんで、しばらく二人を静観することにした。

「ん? 皆、ということは、召喚獣を複数体持っているのか?」

「うん。何だか少し珍しいみたいだけど、私は三匹使役してるの」

 三、という数を聞いて、グレイディールとシーは目を瞠った。複数の召喚獣を使役するは、非常に珍しいことなのだ。

 召喚獣を召喚するためには裏世界の生物との契約が必要だ。複数を召喚するには、その数だけ契約を行わなければならない。しかし、この契約というものがくせ者で、行いたい時に行う、ということができないのだ。

 契約は夢の中で行う儀式で、その仕組みは解明されていない。一説によると、魂と魂が呼び合うことにより行われる、と言われているが、確かめる術が無いので仮説のままだ。契約は既に人の本能として成り立っていて、二歳から四歳の間の()()()に、知ると知らざるとに関わらず、どんな人も一度は行うことになる。だが、すべての人が必ず行える反面、二度以上行える人は希少で、意識的に行えることでもないので、何度行えるかは現時点では完全に運次第なのだった。

 二匹と契約できる子供は千人に一人。三匹と契約できる子供は十万人に一人。それ以上は全世界に十数人しかいないとされている。シーとグレイディールが驚くのも無理がなかった。

 珍しいものを発見した子供のように、グレイディールは目を輝かせながらセリナに言った。

「なあ、本当に三匹も使役できるのか? どんな奴を使えるんだ?」

「……えっと、そこまで珍しくはないんだけど……気になる?」

「ああ、別にセリナを疑っているわけではないが、これは気になる」

 グレイディールは大袈裟に首を縦に振り、シーはセリナからさっと目を逸らした。

 グレイディールもセリナが答えないようなら無理強いをするつもりはなかったが、セリナは気にしていないようだ。ならば、これは乗りかかった船。止めよう、と視線を投げ掛けてくるシーを無視して、セリナをじーっと見つめた。

 二人の隠しきれない好奇心を感じ取ったセリナは、一つの提案をしてみた。

「それじゃ、実際に見てみますか?」

「そ――」

「いいのか!? なら、是非やってみてくれ」

 その提案にグレイディールは一も二もなく飛び乗った。シーはまたもや文句を言おうとしたのだが、グレイディールに頭を押さえつけられたせいでそれができなかった。

 次の時間は別教室での授業だ。そのせいか教室にいる生徒の数は大分減っている。子湯室を見回してそれを確認したセリナは、ここで召喚を行うことを決めた。

「じゃ、やります。精霊型なら校内の召喚も大丈夫なので」

 しめた、とばかりに拳を握るグレイディールは、そこで大事なことに気づいた。

「あー、でも、依り代は持ってきているのか?」

 現在、セリナが依り代を所持しているのかということだ。

 契約は、夢の中で互いに名を交わすことで魂を繋げ、それによって成功とする儀式とされている。そして、成功した際には相手の生物の体の一部を右手に握り込んで目覚める。その生物の体の一部を依り代と呼んでいるのだ。依り代が無ければ、召喚を行うことができない。

 しかし、そんなグレイディールの懸念も、ただの杞憂におわったようだ。セリナはまだ頭を押さえつけられているシーをちらりと見た後、グレイディールに向き直った。

「私、依り代は常に身に付けておくことにしてるの。だから、ほら」

 そう言うとセリナは、髪を結んでいる紐から小さな宝石だけを取り、二人に示して見せた。

 宝石はどれも小指の爪の半分ほどの大きさがあり、売ればそれだけでそれなりの金にはなりそうだ。宝石はすべて、向こう側が見えるほど澄んだ透明感を持っていて、色は、水色水色群青色。どれも無くさないようにと、紐を通す穴が開いた台座が付いている。

 セリナはその宝石を机の上にそっと置くと、制服のスカートのポケットをがさごそと漁り出す。しかし、何度もポケットに手を突っ込み、挙句の果てにケープを脱いでひっくり返し始める様子を見る限り、どうやら探し物が見つからないようだ。

「あの、何か刃物は無いかな。その、針は怖いから、できれば小刀か何か」

 セリナは困ったように眉尻を下げると、シーとグレイディールに助けを求めた。

「いやいや、ちょっと待とう。その気持ちも必要な理由も分かるけど、持ってる人がいたらその人が怖いんだけど」

「あるぞ」

「何であるんだよ! それ、校則違反だから!」

 グレイディールは当然のように制服の内ポケットから短刀を出して見せる。シーは目を見開いて机に両手を叩きつけるが、グレイディールには効果が無いようだ。正面にいるグレイディールではなく横にいるセリナが、びくり、と体を震わせた。

 学校に刃物を持ってくるのは校則違反である。

「細かいことは気にするな。ばれなければ問題ないだろう。……ほい」

 グレイディールは短刀を鞘に収めたままセリナに投げ渡した。

 それを慌てながら受け取ったセリナは、すらり、と鞘から短刀を抜く。そして、光を当てるようにして刀身を検分し、刃の汚れや傷をチェックする。それを何度か繰り返すと、うん、と頷いた。

「綺麗な刃だね、これなら大丈夫かな。じゃ、やろうか」

 いつの間にか観客になっているシーとグレイディールを放っといて、セリナは召喚を始めた。

 セリナは左手の小指の腹に短刀の刃を押し当て、撫でるようにして少しだけ引く。その時、やはり痛いのか少しだけ顔をしかめるが、刃物を手早くハンカチで拭うと机の上に置いた。そして、うっすらと滲むように染み出る血液を、三つの宝石に擦りつけるようにして付着させると、その宝石を強く握りこんだ。

 セリナが言葉を紡ぎ始めると共に、仄かに宝石が輝き始める。

「我の血と、汝の肉と、互いの名による盟約に従い、此の時、此の場に姿を現せ」

 握り込んだ宝石から青い光が漏れる。

 微かに風が吹き込むような音がする。

 セリナは精神を集中させるように少しだけ目を閉じると、静かな声と共に、手の平を上にして拳を開いた。

「――スイセン、ヤドリギ、タンポポ!」

 ――ポン、と音を立てて閃光が走り、召喚獣が姿を現した。

「おおお! 凄いね、セレナ」

「っ……!」

 召喚獣は三匹とも十五センチメートルくらいの大きさの人型をしていて、一匹だけ尻尾を持っているが全て額に宝石を嵌めている。肌の色は、尻尾を持っている召喚獣が群青色で、他の二匹は水色。体は薄っすらと透けて見える。羽が無いこと以外は、まさに精霊といった姿だ。

 三匹の召喚獣を体に纏わりつかせた状態で、セリナはそれぞれの召喚獣の説明を始める。

「この子が、雨精のスイセン。雨の精霊だけど雨を降らすようなことはできなくて、ちょっとした水球を作るようなことしかできないかなー」

 尻尾を持った召喚獣が、セリナの差し出した手の周りをくるくると回ってみせる。そして、セリナが指先をくるりと回すと、その指の先にいくつかの小さな水の玉が生成された。

「で、この子が、穿(うがち)の精霊のヤドリギ。何というか、穴を空けることが好きな子でね、得意技は何かを串刺しにすること。……この子は危ないので、パフォーマンスはなし」

 机の上を飛び回っていた大きいほうの水色の召喚獣が、セリナの頬に張り付いた。そして、張り切って水の針のようなものを作り出したが、セリナに止められてがっくりとうなだれた。

「最後に、この子が、(きよめ)の精霊のタンポポ。(はらい)の精霊よりは治癒能力があるけど(いやし)の精霊よりはなくて、本来なら毒を浄化できるらしいけど、実力が無くて未だできないという中途半端な子です。けど、怪我の治療がなら得意だよー」

 セリナの頭の上で浮遊していたもう一匹の水色の召喚獣が、セリナの指先のほうへと飛んで行った。そして、薄い水のベールのようなものを作り出すと、それでセリナが傷つけた指を包み込む。すると、数秒も経たないうちに、短刀で付けた傷は治ってしまった。

 呆けた顔をして三匹の召喚獣を眺めるシーとグレイディール。その間もひゅんひゅんと音を立てながら、三匹の召喚獣は飛び回る。

「いやあ、可愛らしい召喚獣だね。ほんと、どっかの誰かとは大違いだよ……」

「……予想以上だ」

 何を思い出したのか若干床へと目を逸らしながら、一部始終を眺めていたシーが賞賛する。グレイディールも眉間に皺を寄せてはいるが、感心しているのは一目瞭然。二人してセリナの召喚獣に見蕩れていた。

 感心した様子の二人を見て満足したらしいセリナは、鞄の中から黒い水筒を取り出す。そして、空気中を漂っていた水の玉をその水筒のコップに注ぐと、ありがと、と呟いて、召喚獣を還した。

「おおう……綺麗だね」

 さらさらと崩れるように召喚獣の体が消えて行く。崩れてゆく体は光の粒になり、そのまま空気中に溶けて行く。そして、体が全て消え去った後には、また元の宝石だけが残された。

 宝石を拾い集めるセリナを見つめるシーの視線は、止めようとしていたことなど覚えていないように輝いている。その視線を受けるセリナの方も、何だか少しこそばゆそうだ。

「ああ、いいなあ。僕のは何の役にも立たないうえに、周りの人は気味の悪い奴ばっかだったから、危うく守護獣不信になるところだったんだよ」

「自慢の子達なんだよー。可愛いし言うことをよく聞いてくれるし。まあ、人間の言葉はしゃべれないんだけどね」

 精霊には格というものがあって、それが高いものは人間の言葉をしゃべることができる、らしい。精霊は年月を経ると強くなり、そうすることで格が上がる、らしい。ただし、人と長く暮らすうちに人間の言葉をしゃべることができるようになることもある、らしい。

 弾んだ声で会話をする二人を、鋭い目つきで見据えるグレイディール。少しの間何事かを悩んでいたが、何かを閃いたように手の平を叩くと、こう言った。

「なあ、お前、俺のチームに入らない?」

「ちょ、何言ってんの! 有望な人見つけた瞬間スカウト? 俺一人でやる的なこと言ってたじゃん!」

 すかさずシーのつっこみが飛ぶが、やはりグレイディールは気にしない。シーを無視してセリナとの交渉を始める。

「勿論、俺の指示には従ってもらうが、危険なことをやれとは言わないし、無茶な要求をするつもりは無い。どうだ?」

「……あまりやる気はしません。というより、何故そんな急に?」

「怪我を治せる奴ってのは希少だからな。大会は勝ち続ければ連戦もあるから、そういう奴が一人でもいれば損は無い」

 どうだ、とグレイディールは勧誘を行う。後ろには口を塞がれて息ができていないシーが控えている。

 セリナはグレイディールとシーを交互に見ると、少し迷った後、やはり止めておくことにした。

「……やっぱり、遠慮します」

 はっきりと断って見せたセリナの賢明な判断に、シーは心の中で拍手をする。その毅然とした態度は、少しだけ羨ましかった。

 決定を変更する意思は無さそうなセリナを見てやれやれと溜め息を吐くと、グレイディールはセリナに近付いた。そして、近付くようにセリナを手招きすると、口に手を当てて何かを囁いた。

 途端、セリナの顔が真っ赤に染まる。その度合いは先ほどの比ではない。

「な、ななな、なななななななななななななななな!!」

 まともに言葉が発せなくなっているセリナは、悲鳴らしき言葉を耳にがんがんと響かせる。その音量のあまり、クラスに残っていた生徒が一斉に注目するが、セリナは全く気付かない。

「なななななな、何で何で何で何で何で!?」

「お、お、お、落ち着いて、一体何を言われたのか分からないけど落ち着いて」

 シーが必死に宥めようとするが、全く効果は無い。グレイディールは何食わぬ顔で弁当箱を片付けている。

「なん、なん、なん、なん、なん――」

「落ち着いて。何が言いたいかは分かるから落ち着いて。ちょっとグレイディール! これなんとかして!」

 これの原因を作った男に助けを求めるが、グレイディールは既に弁当を片付け終わり、逃げ出す準備を始めている。自分もそうすればよかった、とシーも後悔するが、それはもう遅い。誰かが彼女を宥めないといけないのだ。

 グレイディールは悪いことを企んでいそうな笑みを作ると、シーの方を見ていった。

「んじゃ、これからよろしく」

 シーとセリナは、結局授業に遅刻した。

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