醜い駐在さんと醜い私
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ここには、人が暮らしている
動物が暮らしている
木々は青々と生い茂り、しかし文明の発達により縦横無尽に人が行き来出来る世界
世界の隅々までを人は暴こうと足掻き、そして現実にその殆どが人に曝された世界
線路は続く
世界の果て無き球体の上を
空は近い
飛び回る命を持たない大きな鳥が人々を空へ誘うから
そう、ここは私たちが暮らす世界にとても似通っている
けれど、ほんの少しだけ、私たちの暮らす世界と違うは世界
――これは、そんな世界の小さな国の小さな物語――
私は醜い、人の子。
これが、アヒルの子だったら、将来美しくなることが保障されているけれど、私は『人』の子。しかも成人した身では変身は望めない。
「シーラ、こんなチャンスは二度とないよ。絶対に駐在さんのハートを射止めるんだ」
父と母が息巻いて、私に迫る。
「町の駐在さんの奥さんが亡くなって、やっと新しく赴任してくださる駐在さんが決まったんだ。お前にもチャンスはあるさ、きっと」
『絶対に、あんたが竜人の花嫁になるんだよ!』
両親の鬼気迫る勢いに、私はこっそりとため息を付いた。
――竜人――
私たち人間と、かけ離れた存在。
南アナリアの大きいけれど小さな国。この国は、昔から幾度と無く先進国の支配下に置かれ、苦渋を舐め続けてきた。
名目としては、発展途上国への援助。そんなことを言いながら、与えられる仕事はまるで使用人。悪く言えば奴隷のようなモノだった。
でも、この町はまだマシなほう。だって、私たちの住む町の近くに、竜人の集落があるから。
彼らは発展した文明を好まない。私たちより数段強い体と、賢い頭を持っているのに、ひっそりと森の奥深くで暮らしている。
(ううん、きっと人間ほど愚かじゃないからこそ、ひっそりと生きてるのよね)
他の町は、木々が伐採され、有毒ガス垂れ流しの工場が犇いて、代々その土地で暮らしてきた人たちが今までの生活を壊された。
生きて行く為に、彼らは安い賃金で雇われ、自分達の生活を奪った場所で働いているらしい。
だから、私たちの町はマシだった。
竜人さんは、私たちより遥かに強い存在だから、彼等の住む土地を侵そうとする野蛮な文明人が現れない。
そう思っていたのに、数百年前にそれが破られた。
機械文明の間違った発展。それにより増長した人間が、この町を配下に置こうとした。ここを拠点に竜人を攻めるつもりで。
町は静かに侵略された。竜人の御座すこの地が攻められることなどあるわけが無い。そう高を括っていたのが災いして、武器を持たないこの町は、戦火に包まれもせずに侵略された。
それが、いけなかった。竜人との交流が無きに等しかったせいで、竜人に気付いて貰えることなく、町は水面下で軍事施設へと変貌を遂げようとしていた。
それを憂いた娘が一人、死を覚悟して町を飛び出し、竜人の住処へと向かった。
助けを求めたのでは無く、逃げてくださいと言う為に。
森で倒れた娘を見つけたのは、まだ若い族長だった。
『あなた方がお強いのは存じております。だけど、逃げてください』
『何故、逃げろと言う』
『あなた方が戦うことを選べば、私の町は戦火に包まれる。そうなっては、幾らの命が散りましょう!私は、嫌!こんなことで死ぬ人を見るなんて、私は、嫌なのです!』
そんな娘の心根に、竜人は心を震わせた。
『娘よ、お前の言うことは良くわかった。しかし、どこへ逃げようと、意味は無い。どれだけの大地が人の手によって荒らされただろう。どこへ行こうと人は追ってくるのだ。ならばここでわからせなければならない。手を触れてはならぬものがあるのだと』
『おやめください!お願いです、おやめください!』
『心配するな、決して血は流させぬ』
族長は娘にそう約束し、そしてその約束を見事守った。
最新鋭の重火器を保持した侵略者を、無血降伏させたのだ。
その後、族長は逃げろと言った娘を娶った。そして、族長の地位を他の者に譲ると、町で娘と二人暮らすようになった。
竜人の居る町。竜人が娘と過ごした生涯、この町を襲う者は現れず、平和が続いた。
そしてその竜人の死後、一人の若者がこの町へ、竜人の亡骸を引き取りに来た。しかし、この若者はその時一人の娘と恋に落ちた。亡骸を竜人の集落へ届けると、若者は町へと降り、娘の傍で町を守った。そうして二代、この町は竜人の庇護下に置かれた。
その内、どんな条約が為されたのか、必ず一人の竜人がこの町を守ることになった。
条件は、竜人がこの町を守る代わりに、一人花嫁を差し出すこと。竜人が亡くなるか、竜人の花嫁が亡くなった場合、新たな竜人と代替わりすること。
竜人は町に馴染み、『駐在』さんの役職に付くようになった。
そんなわけで此度、駐在さんの奥さんが亡くなったので、代替わりとなった。
私は醜い、人の子。
どう醜いかといえば、町で一人、結婚適齢期を越えたのに、どんなに底辺の男とお見合いしても断られる程度に醜い。
目があえば相手を石にしてしまえそうな四白眼(*瞳が小さく、上下左右、白目が見えている状態)。お伽噺に出てきそうな尖った魔女っぽい鼻に、薄情そうな薄い唇。友達には羨ましがられるけれど、食べても上半身に肉が付きにくいせいで痩せこけた顔、腕、胸、腹。その癖、下半身にはたっぷりと肉が付いて、変に大きい腰、むにょむにょした太股。
巷で、『魔女の人形姫』と呼ばれていることも知っている。タイトルロールそのまま、魔女の人形姫が、悪い心を持って、人形の国を支配しようとして退治される、子供に人気の人形劇だ。
木作りの人形は、魔女っぽい怖い顔に、細い木で組まれた上体、滑稽に見えるよう膨らませ過ぎたスカート。此処まで私に似て無くてもいいじゃないと、泣きそうになる。
つまり、それくらい私は醜い。
私と共に二大ブスとあだ名されていた、エンジですら、お嫁に行けたのに、私だけが貰い手が無い。エンジは痘痕面で、腫れぼったい目に、ぺちゃな鼻、厚い唇の持ち主。背も低く、お肉も全体にもっちりと付いている。
でもあの子は大らかで、長く付き合うと、ブスと言われる顔は愛嬌のある顔、と言い換えていい、そんな子だった。だから、エンジ「ですら」なんて言っちゃいけないのかもしれない。あの子は、町の娘達に、パッとしない愚鈍な男と蔑まされている、本当はとても心根の優しいナージと、ちゃんと恋に落ちて嫁いで行ったんだから。
誰にも言わなかったけど、私の初恋の、優しいナージと。
心の底から祝福しながらも、やっぱり何でエンジだけ…と思ってしまった私は、心も『魔女の人形姫』なのかも知れない。
そんな私が、駐在さんのお嫁さん?
なれるわけが無いのに、このままいかず後家にしたくない両親の思いは、それはもう、心にドスーンと圧し掛かるほど良くわかる。
まぁ、いくら竜人さんが美しいと言っても、みんなお嫁になるのを嫌がるから、駐在さんに嫁ぎたいと言う子が現れなかったら、お嫁に立候補するくらいはしてもいいと思ってはいるのだけれど……
* * * * * * * * * * * *
「いやはや、ワシがもう五十若ければなぁ」
ロマンスグレーな駐在さんが、そんなことを言ってくれる。駐在さんは強く賢く優しいので、いつも私のことを気に掛けてくれていた。
「別に五十歳若返らなくても、お嫁にしてくれるなら嫁ぎますよ?」
今までは、奥さんが居たので言わなかったけど、こんなカッコイイご老人なら別に年の差なんていいかな?と思っている。そもそも、人間の老化速度に合わせて変化を施しているから、竜人年齢で言えば四十代と言った所なのだ、駐在さんは。だったら、生涯添い遂げられそうだし、いいかな?とも思う。
「え?マジで?」
「マジマジ。マジです」
「ほほぉ~…マジでとはのぉ……」
駐在さんが、伸ばしたヒゲを擦り擦り、何かを考えるように宙を仰ぐ。
「いや、しかしワシは妻一人を生涯愛しぬくと決めておったからな。スマン」
「ヒドイ!駐在さんが言い出したのにぃ!」
わざとらしく言えば、駐在さんは「ホッホッホ」と笑った。
この町でおしどり夫婦と名高かった駐在さん夫婦だから、こっちが真面目にいいかなと思っても、受け入れてもらえないことはわかっていた。
だからの、笑いながらのやり取りだった。
「いや、ほんにあいつと出会う前ならのぉ……」
「もう、惚気はいいですよ」
「いやいや、お前はほんに美しいぞ?」
「はいはい」
これはいつものやり取り。駐在さんだけは、いつも私を綺麗と言ってくれる。
「それじゃ、私行って来ますね」
出してもらっていたお茶を飲み干して、席を立つ。
「おうおう、幸せになるんじゃぞ~」
駐在さんの、のんびりとした声に頷いて、私は『新!駐在さんとお見合いしよう!』開場に向かった。
あはは……
思っていた通りに、誰も新しい駐在さんの花嫁になりたがらなかった。
最悪だ。今回の駐在さんは美形じゃない。
竜人さんは、私たちよりも強い。だから変身する力を持っている。
初代駐在さんが、人間に馴染む為にと人の姿をとって過ごしたことから、駐在さんは代々、人に変身した状態でこの町にやってくる。
その顔が、酷い。まるで爬虫類。変身したのソレ?って言いたくなるほどに酷く爬虫類。自在に姿を変えられるらしいのに、何故、あえて、ソレ?
心の中で、そう思わずには居られなかった。
集まった娘は最年少十五歳から、最年長三十歳な私までの十三人。さっきまで一緒にいた、この度引退が決まった駐在さんがロマンスグレーなカッコイイ竜人さんだからか、年若い十六歳の子が「私が結婚するわ!」と豪語していたのに、彼が現れた瞬間にサササッと他の子の後ろに隠れた。乙女は正直だ。
私は元々傍観気味に後ろにいたのだけれど、なんと言えばいいのか、ちょっと可哀相だなと思いつつ、同志よ、頑張れ!と言う気持ちになっていた。
あの、遠目にされる感じ、会話の噛み合わなさ、腫れ物扱いっぷりが、なんとも言えず私の状況に似ているのだ。
「我の……、妻となっても良いと言う者はおらぬのか……?」
駐在さんの花嫁は強制ではない。初代と二代目が恋愛結婚だからか、花嫁側が強制されることはないのだ。ロマンスグレー駐在さんの話に寄れば、代々このお見合いの場で、確実に「私が!」と勇んで手を上げる子が一人だけはいるらしいのだが、今回の駐在さんは可哀相過ぎる。だったら、さっさと私が手を上げればいいだろうと思うだろうが、こちらに断る権利があるように、あちらにも断る権利がある。罷り間違わない限り、断られるのは確実だから、それが怖くて手を上げられないのだ。いつまで経っても、拒否されるのには慣れない。それに、もうちょっと打ちひしがれた駐在さんを見ていたいような気がする。だって、あんなに強い竜人さんが、こんなに弱々しく項垂れる様なんて、そうそう見れるものじゃないから。
「何故だ……こんなにも、完璧な姿を取っていると言うのに……」
思わず、噴出しそうになった。打ちひしがれた姿が、可哀相で可愛い。
「何が悪いか、言ってはくれぬか?我は一族の中でも力は強く、呪術も得意だ。妻となる者を生涯大切にする。見てくれは問わぬ。折り合わぬことがあれば直す」
なんで、ここまで必死なんだろう?と思うぐらい、眉を力なく下げ、懇願するかのように、娘達を見渡す。娘達は、その視線にかち合わないように、目を逸らした。
「我は……」
ぼそりと呟く声に、悲壮感が漂う。ダメだ、ちょっと可愛いとか思ってたけど、これ以上は可哀相通り越している。この悲しみは良くわかっている。良くわかっているのに、同じ悲しみを味あわせてしまうなんて、やっぱり私は性格が悪いらしい。
私は、勇気を奮い立たせて、爬虫類丸出しの駐在さんの元へ歩み出た。
「……わたくしでは、どうでしょう?」
小さく右手を挙げる。
申し出た瞬間、後ろから「いき遅れの魔女の人形姫だったらお似合いだわ」と、明らかな中傷の声が聞こえたが、無視をした。
駐在さんが、目を丸くして私を見る。
「う……」
その言葉を発したまま、止まる。
「……う?…吐き気を催すほど、醜いですか?」
「ちがっ!違う!お前、本当に我でいいのか!?我でいいのか!?」
二度も同じ事を言わなくてもいいだろうに、食い入るかのような、必死な瞳で見つめられ、私は少し引きながらもコクコクと頷いた。
「まことか!」
「…は、はい」
今度は、肩をがっしりと掴まれる。近くで見ると益々爬虫類だ。
「ならば、決まりだ!我はこの町を守護する!お前が嫁だ!」
「きゃあ!」
高く抱きかかえられ、思わず頭にしがみ付く。さすが竜人…背が高い分、体重もまぁまぁある私をいとも容易く抱き上げ、その上クルクル回りだした。
「ちょっと…酔う!酔っちゃう!!」
世界がぐるんぐるんと回転して、頭がグラグラした。
「す、すまぬ!」
慌てて私を降ろした駐在さんが、私の頬を両手で包む。
「お付き合いの期間は、必要か?お前が良いと言うのなら、直ぐにでも婚礼を挙げたいのだが!!」
勢いに気圧される。そんなに、お嫁さんが欲しかったのだろうか?人間が竜人を嫌がるように、竜人も人間を嫌がっているって聞いたんだけど……
「え、えぇ…私なんかを妻にして下さると仰るのですもの……」
通例として、お相手を決めた後、お付き合いの期間が設けられる。殆どそのまま結婚してしまうのだけれど、一回だけ婚約破棄の事例があるらしく、その時は再お見合いが大変だったとか。
「ならば、直ぐに我が里へ行こう!さぁ!」
目まぐるしい程の展開に、頭が付いていかない。
腕を引かれ、焦っていると、のんびりとした声が、開場の入り口から聞こえた。
「これこれ、若造。まだ名も伝え合っておらんだろうに」
「駐在さん!」
ロマンスグレーの駐在さんが苦笑を顔に滲ませていた。
* * * * * * * * * * * *
旦那さまになる新たな駐在さんは、名前を「ディルーク」と言うらしい。
ロマンスグレーな駐在さんに窘められつつ、それでも興奮したまま、私の家へ挨拶に行った。
両親は、新たな駐在さんの爬虫類顔を見てギョッとしつつも、私の結婚が決まったことを大いに喜んでくれ、出掛ける準備を整えてくれた。
結婚が決まると、花嫁は一度竜人の住処へと行く。そこで竜人に報告と挨拶、ついで竜人の婚儀を済ませ、その後、町へと移住するのが通例だった。
しかし、怒涛の展開ってこういう事を言うのだろうか?お付き合いの期間を置かなくていいと言ってしまった手前、行きたくないとは言えないのだけど、もう少し落ち着いてからとか……
「さぁ、付いたぞ、我が妻シーラ!」
私は既に、竜人の里の入り口に居た。
「お?ディルークが帰って来たぞ!」
「早過ぎる!」
「アッハッハ!やはり嫁は望めなかったか!」
竜人は大きい。背がひょろりと高い。そのせいで後ろに居た私が見えていないらしい。私も女性にしては背の高いほうだったのだけれど、竜人さんとは比べ物にならない。
しかし、この言われようは……
ディルークさんは竜人の里でもモテない人だったっぽい?
「何を言うか!我は嫁を貰い受けたぞ!」
「なんだと!?お前が!?」
ぞろぞろと、竜人が私たちの傍に集まり、ジロジロと見られる。私は、フードを目深に被るように言われていたので、こっそりと仰ぎ見たのだけど、爬虫類の群れだー!
いや、爬虫類っぽい顔の人の群れ、だった。
変身していない竜人を見るのは初めてだったけど、ほぼ人と変わらないらしい。
顔は爬虫類じみているけど、肌が鱗に覆われているわけでもないし、手足も普通。あ、爪が黒々として長い。あと、耳が無い。あ!尻尾がある!
「見せろ!お前なんぞの嫁になるなんて、どんな娘だ!?」
「ならぬ!お前等なぞに見せたら大変なことになる!」
な、何が起こるって言うの!?
私の不安をよそに、ディルークが私の手を引いて、里の奥まった家へと入る。もちろんその後ろを興味深げに竜人さんの群れが出来ていた。
「父よ!我は妻を得た!婚儀を頼む!」
「ぶぅっ!!」
のんびりお茶をしていたらしい。
「な、なんだと!?」
厳つい爬虫類顔の竜人さんが、思わずお茶を噴出し、椅子から勢いよく立ち上がった。
「まさか、お前が!?」
なんだか、物凄く不安になる。そんなに欠陥の多い人なんだろうか、私の夫になる人は……
「顔を…顔をよく見せてみよ……」
フラフラと近づいてきたディルークのお父さんが、そっと私のフードを降ろし、愕然とした顔になった。
「う……」
また「う」?そりゃ、自分がブスだってことはわかってるけど……
「お前、本当にこの娘が…お前の妻になると!?」
私の顔と、ディルークの顔を交互に見比べる。
「そうだ!信じられぬだろう!?我も、信じられぬ思いだった!」
本当に信じて貰えてなかった。町と竜人の住処までは、徒歩で二時間ほど掛かる。その間ずっと「我でいいのか?」と言われ続けていたから。
「こんな……こんなにも美しい娘、竜人の里にもおらぬぞ!!」
その言葉に、今度は私が驚く番だった。
「ともかく、早く婚礼の儀を済ませたい。先に、シーラを見せてしまっては、どうなることか」
ディルークと、お父さんで族長さんだと言う、ラディシャさんが顔を突き合わせて話をしている。
「うむ、お前に代わり駐在をと言うものが多く現れそうだ。確実に決闘になる」
思わず、心の中で「おいおい」と思ってしまう。
私は、あの後出てきた、ディルークの母親アーシャさんに、髪を結われていた。
「本当に、人間の中にこんなにも美しい子がいるなんてねぇ」
アーシャさんが思いっきり私の髪をひっつめる。
「顔ばかりじゃないわ…この浮き出た背骨と頚椎の美しいこと……」
正直、竜人の感性が理解出来ない。私がブスな所以である、瞳を、鼻を、唇に、尖った顎を一頻り褒めると、今度は浮き出た鎖骨の形がいいとか、大きなししおきが魅惑的だとか……
「この背骨を見た男どもの涎を垂らして呆ける顔が浮かぶわ」
おかしそうに笑って、髪を高くに括られた。
「母よ!そんなにシーラの魅力を高めてくれるな!」
ディルークが慌ててアーシャさんの元に詰め寄り、私を見て「うっ」と呻った。
また「う」だ。
「美しい……」
なんだか、背中がぞわりとする。家族ぐるみで謀られているのか?と疑いたくなるほど、美しいという言葉を連発されて、慣れていないからか、体が拒否反応を示している。
「なにを言うのです。これほどまでに美しい子が私の娘になるのですよ?見せびらかしたくなると言うもの。さぁ、髪はこれでいいわ。シーラ、これに着替えてきて頂戴」
渡された服は、竜人の花嫁衣裳。事態についていけなくて、為すがまま、されるがまま、私は着替えを済ませた。
『…………』
出てきた私を、三人が呆けた顔で見つめる。
花嫁衣裳は、真っ白な薄い、体のラインをこれでもかと言わんばかりに強調したドレス。そのせいでコンプレックスの大きなお尻は目立つし、スリットがかなり大胆に入っているため、ぶっとい太股も露になっている。背中はぱっくりと空いて、鶏がらのように骨が浮き出でいるのもまるわかり。髪は上に結わえさせられているから隠しようも無い。ジャラジャラと胸元、腰、腕を飾る装飾品が驚くほどに重い。
そんな私を見て、固まったままの三人。
「いいい、急ぎ婚礼を挙げてしまおう」
「それがいいわねぇ。若い子たちに見つかったら、血を見ることになりそうだわ」
「うつっ…うつくっ……うつっ……」
やっと喋ったかと思えば、焦るラディシャ、おっとりと怖ろしいことを言うアーシャ、壊れた蓄音機のように「うつうつ」を繰り返す夫になる人ディルーク。
本当に、私騙されているんじゃないわよね?
* * * * * * * * * * * *
端的に言えば、騙されていなかった。
こそこそと婚礼の間に向かおうとしたのだけれど、一日で花嫁を連れてきたディルークの噂は里に広がり、家をぐるりと囲まれていた。
竜人は、もっと神秘的な存在だと思っていたので、この賑やかさに少し驚いた。
フードを取れとはやし立てられ、ディルークが頑としてそれを断るものだから、一人の竜人が風の力を使った。
私を囲むように風が立ち、フードが一瞬で空に攫われる。
「あっ……」
私が声を発した瞬間、それまで喧々囂々としていたのに、一斉に声が止んだ。そして聞こえる「うっ」の声多数。
「見、見るな!」
ディルークが静寂を打ち破ると同時に、大きな声が飛び交う。
「美しい!!」
「女神だ!」
「何で、ディルークなんだ!?」
「俺が駐在になる!」
「ディルークてめぇ、ずりぃぞ!!」
等々。最後の喧嘩腰の声を皮切りに、ディルークへの罵声が物凄いことになった。
「決めなおしを要求する!」
どこからか上がったそんな声に、周りの男の人たちが賛同し、何故か『花嫁争奪、武道大会』が開催されることになった。
「なんで…こんなことに……」
私の隣で、ディルークが項垂れる。その言葉を言いたいのは私のほうだったりもするのだけど……
トーナメント形式かと思ったら、ディルークに勝った者が優勝という、ディルークが圧倒的に不利な形式らしい。
「あの…大丈夫ですか……?」
里の、未婚の竜人男性殆どが参加するとかで、ディルークはなんと二十人を越える相手と戦わなければならないらしい。
「心配するな、我が妻はシーラ、お前ただ一人。ほかの者へなどやりはしない」
爬虫類顔でも、そんなことを言われれば胸がキュンとする。恋愛経験ゼロのなせる業だとわかっていも、私はディルークを気に入り始めていた。
「その…、頑張ってください、ね?」
そっと手を握ると、ディルークが熱い瞳で私を見つめ、しっかりと頷いた。
武道大会が始まる。
拳銃の横行するこの現代で、剣を使った戦いを間近に見ることになるとは思って居なかった。
しかし、どうやら弱い子順に戦っているらしく、ディルークは順当に勝ち進んでいた。
「力だけは、この里一なのにねー」
私の傍にいた、竜人の女性がそう話しかけてくる。
「そうなのですか?」
「そうよ~」
と、応えたこの人、私に似てる。竜人さんたちを見て爬虫類顔だー!と最初は驚いていたけれど、よくよく考える…までも無く、私は爬虫類顔だった。だからこそ、美しいと言ってもらえたらしい。
「力の強いものが族長になる決まりでね、本当はあいつが次期族長だったのよ?」
「え?」
「それが、顔が顔だから嫁の貰い手が付かないままあの年まで行っちゃって、嫁の無い男じゃ族長になれない仕来りだし、あいつ自体族長とか出来るような柄じゃないからかなぁ?人間だったら嫁になってくれる人がいるんじゃないかって夢見るようになっちゃって、駐在になる!って宣言してさ、まぁ他のやつらも異議なしで決定しちゃってね。そんな訳であいつは駐在交代を心待ちにしてたのよ」
「はぁ……」
(つまり、ディルークは不細工で、嫁が貰えないから人間を娶ろうとしたってことよね?それって、不細工で、嫁の貰い手が無かったから、竜人に嫁げないかと考えた私と、凄く似た状況じゃない……)
なんとなく、波長があうような気がしたのは、本当に同志だったかららしい。
「年と言うのは……?」
「あぁ、あいつあんた達の年齢で言えば六十行ってるわよ」
「え、えぇ!?」
私が大声を出すのと同時に、歓声が上がった。どうやらディルークが十三人目の挑戦者を倒したらしい。
「まぁ、あたし達で言う所の三十くらいだから問題無い無い」
「そ、そうですか……」
ディルークがこちらに向かって手を振るので、それに応える。
「あいつったら、わかりやすいわよねぇ」
「何がですか?」
「だって、いつまでも変身したままでさ」
「あぁ……」
確かに、竜人の里に戻ってきたと言うのに、ディルークは変身を解いていない。
「あいつ、マジぶっさいくよ?だから、あんたに本当の姿見せたくないんでしょうね」
笑えるー!なんて良いながら、本当にカラカラ笑う。
なんか、ちょっと悲しい。私も自分の町に帰ればそういう風に笑われていた立場だから。
「それが、こんなに美しい子をお嫁に貰うなんて……天変地異の前触れじゃないかしら?」
「何も、そこまで言わなくても……それに私、人間の中ではダント……えっと、あまり綺麗なほうじゃないんですよ」
ここで断トツのブスなんて言ったら、竜人との友好関係がダダッと崩壊しそうだったので、なんとか柔らかい言い方に変える。
「へぇ、人間って見る目がないのねぇ……」
竜人女性が、私をジロジロと見る。
「私、この里じゃ一番の美人って言われたし、私自身その通りだって思ってたんだけど、あんた見た瞬間に完敗したーって思ったわよ?」
「そ…そうなのですか……?」
「うん、この取り合いも頷ける美人だわ、あんた」
(あぁ、もう私、褒め殺されてしまいそう……)
俯いた私を、恥ずかしがっていると思ったのか、竜人女性がポンと肩を叩いて、そっと離れて行った。
その後、里一番と言う言葉に違わず、ディルークは順調に勝ち星をあげ、ついにあと一人と言う所まで来た。
「かなりお疲れのようですが……」
汗が出ることはないようだけど、疲れが顔に滲んでいる。この里で一、二を争う相手を打ち負かしたのだから、それも納得だけど、こんな状態で次期族長が決まっていると言う人に勝てるのだろうか?
「大丈夫だ、お前は何も心配せず、私のことを見ていてくれ」
あぁ、やっぱりキュンてする。突然降って沸いたモテ期に困惑するけれど、他の人を選ぼうなどと思えない。きっと、自分と似た人だからなんだとわかってる。自己愛が強いのは良くないことなんだろうけど……この人がいい。そう思えた。
「はい、信じてますね」
私の声に応え、ディルークが剣を携えて最後の戦いへと向かった。
「どうやら、息も絶え絶えと言った所ではないか」
余裕を顔に浮かべ、次期族長さんが剣をディルークの顔に差し向ける。
「否定はしまい。さすがにこの数をほぼ休み無しだからな」
「ならば変化を解いてはどうだ?魔力の使用量は少ないといえ、それすら惜しいほどに消耗しているだろう」
緊迫した雰囲気の中、ジリジリと二人は間合いを取る。
「……生憎、この程度で使い切るほど我が魔力は低くない」
「強がりを……あの女神に己の醜い姿を見られたくないだけだろう、意地を張りおって」
「あぁ、その通りだ。しかしそれの何が悪い」
「ふん、竜人にあるまじき弱い心よ!お前の醜悪な姿、女神の眼前に曝してやろう!」
その声を皮切りに、二人が動いた。
ぶつかり合う刃の音、目で追うのもやっとの、攻防がそこにあった。
私は、両手を握り締めハラハラと行く末を見守る。
打ち合いを続けていた二人が、刃を拮抗させる。鍔迫り合いになり、ディルークがやや圧される。
「疲れが見えているな。お前ほどの男が、この俺に競り負けそうになるなど!」
ディルークの強さを認めての発言に、ディルークは浅く笑う。
「疲れなど……シーラを思えばっ!!」
その声と共に、炎が上がる。
「うおっ!」
炎の魔法を使ったのだろう、次期族長が慌てて引いた所、その首元にディルークの刃が当てられた。
「降伏するか?」
静かな声が響く。
「……詠唱も無しに術を行使するとは…さすがだな……。お前が族長にならぬとは、つくづく悔やまれるよ」
そう言って、握り締めていた剣を離した。
「負けだ」
次期族長の宣言に、観客が沸いた。
こうして、『花嫁争奪、武道大会』は閉幕したのでした……
* * * * * * * * * * * *
いき遅れと罵られる生活から一転、まさかの「私のために争わないで!」状態だったけれど、結局もとのまま、私はディルークと婚儀を挙げた。
竜人と人間では体のつくりが違うため、子供をもうける事が出来ない。そのため、私は人の身で、竜人の子を孕めるよう、術をかけられた。
正確には、異なる遺伝子情報をうまく分別し、どちらかになるように固定する術なんだとか。つまり、私たちの子供は竜人と人間のハーフになることは無く、竜人なら竜人、人間なら人間になるらしい。
竜人の里で婚儀を挙げる理由は、この術をかける為らしいことを、式が終わってから言われ、私はなんだか恥ずかしくなった。
今日、結婚が決まって、今日私を巡って竜人たちが争って、今日お前は竜人の子供を孕めるようになったと言われた。展開が早いの!早すぎると思うの!もうちょっとゆっくり出来ないの!?そう思う心と、でもディルークは人として好きかも、彼とならいいかな?とたった一日で思ってしまう自分の心に挟まれて、身動きが取れない。取れないでいるからこそ、周りにサクサク事を進められてしまったのかもしれない。
そんな訳で私は今、ディルークに担がれて町へと戻っている。
あれだけ激しい戦いがあったのに、恙無く式を終えたディルークが、意気揚々と「次は町で結婚式だ!」なんて言うから……
一日ぐらい泊まっていけと言う義父になったラディシャさんと、剣を交えそうな勢いに、アーシャさんがため息をついて、二人に拳骨をかましていた。
それでもディルークが折れないので、ラディシャさんも諦めたらしく、里を辞することになった。もう帰るのかと、里の竜人さんたちが慌てて、それでも祝いの品をどっさり下さった。でも、車もないし、まずは二人だけで戻って、お祝いの品は後日運び入れることになった。
「あの、私歩けます……」
この年で、人(と言っても竜人だけど)の肩の上に座ることになるとは思いも寄らなかった。
「我がしたくてしていることだ、お前は気にしなくていい」
とても嬉しそうだから、断ることが出来ない。
「お前は、本当に美しいな」
頭にしがみ付きつつ、こっそりとため息を付くと、突然またそんな事を言われる。
「確かに、竜人さんたちからすると美しいのかもしれませんが……」
言いよどむ。あそこまで持て囃されたから、さすがに美人じゃない、と否定は出来ないけれど、外見の美しさなんていずれは消えてしまう。
きっと、ブスでもエンジのような心の持ち主だったら、私だって嫁にと望んでくれる人が居たはず。だけど、私はあの人形劇のお姫さまほどでは無いにしても、褒められた性格じゃない。
長年培われた、穿った考えとか、人と対面するのが怖くてオドオドしてしまうところとか……この人はそんな私を知らないから、外見の美しさだけで……
(私、何が言いたいんだろう……)
「……お前は美しい。姿形ばかりではなく、心根が美しい」
まさに、その逆を考えていたと言うのに、ディルークは優しい声でそんなことを言ってくれる。
「お前の魔力はまるで夜を照らす星のように淡く優しく輝いている」
「魔力?」
「そうだ。人間は魔力を見ることが出来ないそうだな?」
「えぇ、魔力って見えるものなのですか?」
「見える。お前の魔力は揺るがない。魔力とはオーラのようなもの。考え如何によって、形を変える。我はな……婚儀を済ませてからこんなことを言うのは卑怯だとわかっているが……、弱いのだ」
「弱い?あんなにお強かったのに?」
ほんの少しの静寂。もう夜も更けて、梟の侘しい鳴き声だけが響いた。
「……如何に力が強く、知に長けていようとも、我は心が弱い。我は……お前と違いとても醜い容姿なのだ。族長の息子であり、力も強かったお陰で、我を蔑む者はいなかった。故に我は一時期、増長していたのだな……我が望めば全て手に入ると、そう思っていた」
私と同じ境遇の人、そう思っていたけど、やはり色々違うらしい。
「しかし、適齢期を向かえ、好いた女に結婚を申し込んだが素気無く断られた。同じ女に、同じ事を三度繰り返し、ついに言われたのだ。如何に強くあろうとも、お前ほどに醜い男は御免だと」
驚いた。竜人はもっと思慮深いかと思っていたから。
「そんな事を、言う方がいらっしゃるなんて……」
「いや、全ての竜人がそう辛辣なのではない。あの女は特別だな。あいつの魔力は燃え盛る炎のようだ。従来大らかな我ら竜人にあって、あれほどまでに苛烈な性格をしたものはあるまい」
苦笑を漏らし、ディルークは続ける。
「美醜など変化すればいくらでも変えられよう。しかし、我らはそれを良しとしない。己を受け入れてこそなのだと。それもあって、我はあまり己の容姿に頓着したことが無かったのだ。受けれいているつもりだったからな。けれど、あの女にそう言われ、心の弱い我は、内に引きこもるようになった。皆、我の容姿をあざ笑っていたのではないか?あの顔で、のぼせ上がるなんて滑稽な。そう、言われているのではないかと……」
あぁ、心が苦しい。私にも、好きだった人がいたから。友達に言われて、告白まがいのことをして……裏でどころが表で思いっきり笑われていたから……
「だから、お前の前で本当の姿をさらすことが出来ぬ。ほんに弱い。我の魔力は其れを体現するかのように、不安定に揺らめいている」
私には見えないから、何も言えなくて……
「しかも我は中々夢見がちでな!」
急に、おどけた様な声を上げる。
「人ならば、我を気に入ってくれるのではないかと、変化の術を磨きに磨いたのだ!しかし、万全を期してお見合いに望んだと言うのに、娘たちのオーラは嫌悪に歪んでいた。全く、知に長けた竜人と言うのに、何が原因なのかさっぱりわからなかったぞ?」
たった半日前のことを思い出す。確かに、最初はウキウキしていた様子だった。それが不思議そうな顔になって、仕舞いには必死な様子に……
あれ?私、本当に酷くない?その様子を半笑いで見てたわよね??
「人にまで拒絶されれば、我は人生を一人生きなければならなくなる。必死な思いだった。そんな時に、お前が手を上げてくれたのだ……」
うっとりとした声に、私は申し訳ない心境になった。
「最初は、姿が見えなかった。星の光のような魔力に包まれ、その優しいオーラに陶然とした。その光の中に、お前の姿が浮かび上がり……我は、死ぬるかと思ったぞ?」
愉快そうに肩を揺らして笑うものだから、私は焦って、強くディルークの頭に掴まった。
「おぉ、すまぬ……。お前ほどに美しい心の持ち主が、その心の美しさを体現したような見た目まで持っているのだから、あの時の我の動揺は致し方あるまい」
言葉を続けながら、私をしっかりと支える。
「いや、しかし、我はほんに可笑しな興奮状態であったな……。いや、今もまだ冷めてはおらぬが……普段はここまで口数多い訳ではないのだ!」
必死に言い募るのが、可愛らしい。くすりと笑えた。
「そうなのですね?」
「そうだ!我はもう少し…思慮深いはず…なのだが……今の状況で言っても説得力は無いな。すまぬ、性急に事を進めすぎているのはわかっておるのだが……」
「いいえ、あなたがこんなに急いでくれたから、私は今の状況を受け入れられるのだと思います」
時間を掛けられたら、私はこの幸運に臆して逃げてしまったかもしれない。
「今度は…私の話を聞いてくださいますか?」
私のお願いに、ディルークは嬉しそうに笑った。
「是非、聞かせてくれ」
* * * * * * * * * * * *
あれから一週間。町の結婚式は、盛大に執り行われた。
結婚式までの間、ディルークはロマンスグレーな駐在さんの家にお泊り。その駐在さんの家が、今度から私の暮らす家になるので、三人で沢山買い物をした。
ディルークには、私が実はちょっと面白がってたことも話した。それでも私のオーラは優しいとかなんとか……。とても恥ずかしいのだけれど、ディルークは所謂…私にぞっこんという状態らしい。かくいう私も、落ち着きを取り戻したディルークに、とても惹かれていて、どうやら周りから見るととても幸せそうらしい。
まぁ、影で『似たもの夫婦』とか言われているらしいけど、そんなことはもう気にならない。だって、私を好きだって言ってくれる私の好きな人が、私のことを美しいと言ってくれるんだから。
私は醜い人の子だけど、彼からしたら美しいのだから!
結婚式翌日。
「のぉ?自分を卑下する必要などなかったじゃろ?」
ディルークが駐在になるに当たっての諸々の手続きをしている間、私はロマンスグレーの駐在さん、もとい、ロマーナさんと小さな庭でのんびりお茶をしていた。
「びっくりしましたよ?私って、竜人さんから見たら美人なんですねぇ……」
「じゃから、ワシがもう五十若ければなぁ……」
「そんなこと言って。竜人だとまだ四十代じゃないですか。ワザとお爺ちゃんじみた喋り方してるんでしょ?」
「お?ばれたか?」
私が指摘した途端に、口調が変わる。
「そりゃバレますよ。マジで?とか良く使うし」
「あ~、どうしてもなぁ……アレの口癖だったもんだからなぁ」
ロマーナさんが亡くなった奥さんを懐かしむように空を仰ぐ。
私は、どうしても気になっていたことを勇気を出して聞くことにした。
「ねぇ、駐在さん……寂しく、ないですか?」
私の問いかけに、ロマーナさんはにっこりと笑った。
「寂しくないと言えば、嘘になるなぁ。しかし、ワシには町にも里にも子と孫、ひ孫までいるからな。アレの面影を強く残した子たちがいるから、寂しさも紛れるさ」
竜人の寿命は、私たち人間の二倍。私は、確実にディルークを置いて逝ってしまう。
「だから、あの若造も大丈夫さ」
たとえ竜人としては四十代でも、生きた時間はその倍。老成した笑みで、私の頭を優しく撫でてくれた。
「ロマーナ、我が妻の頭を撫でるのはやめて貰いたい」
「おおう、若造が帰ってきおった」
「十しか違わぬと言うに……、いい加減名で呼んでは貰えぬのか?」
なんて良いながら、帰ってきた私の旦那さまが、椅子を引いて私の隣に座る。そして、私の頬に優しくキスをした。
「お主が、怖れず自分を曝せるようになったらのぉ~」
またお爺ちゃん口調に戻ったロマーナさんは、「じゃあの」との言葉を残して早々に二階へ上がってしまった。
曰く、のぼせた空気が耐えられないとか。そんなに…のぼせているとは思わないんだけれど……
「明日は、ロマーナが里へ戻る日だな」
「そうね」
敬語はやめるように言われ、なんとかこの口調で接することが出来るようになった。
私は、立ち上がるとディルークの為のお茶を用意する。
「そうしたら……」
爬虫類顔を赤らめて俯くディルークの言いたいことがわかって、私も自分の爬虫類な顔が赤く染まる。互いに黙っていると、ディルークが勢いよく立ち上がった。
「さ、さて、我はやらねばならぬことがあるから、少し外に出る」
「え、え?今戻ってきたばっかりなのに?」
入れたお茶を、あの沈黙のせいでディルークに渡せてもいない。
「すまぬ、折角入れてくれたと言うのに」
「あ、いいの」
私が応えると、ディルークはもう一度小さな声で「すまぬな」と言って、私の頬を撫でた。
「それでは、行ってくる」
「……はい」
頬に添えられている手に、私の手を重ねて返事を返すと、ディルークの顔が近づいてきて、軽く唇にキスをされた。
「……行ってらっしゃいませ」
赤く染まったであろう頬を両手で押さえながら、くすりと笑う旦那さまを見送った。
ロマーナさんの見送りはもしかすると、私たちの結婚式より盛大だった。
人間として生まれた娘マリナさんは四十代後半で、お孫さんがいる。つまり、ロマーナさんから見ればひ孫。そんな、人として生まれたマリナさんの一族が、竜人の里に居た息子さん、こちらはまだまだ若々しい二十代の青年なんだけど、マリナさんのお兄さんなんだとか。その、お兄さんであるマイナさんに泣きながら抱きついたり、ひ孫の誰それが消えたとか、家族だけでもおお賑わいなのに、沢山の町の人が見送りに来ていたので大混乱だった。
「そろそろ、行こう」
マイナさんの声に、マリナさんが涙を拭きながら離れる。
「ワシの見送りのはずだろうに、なんか納得いかん」
そんな風にぶーたれるロマーナさん。
「そんなに別れが惜しいならお前は残ったらどうじゃ?ワシ一人で里へは行けるしの」
「父よ、そんな風に不貞腐れるものではない。ほんに、町に感化されておるな」
「お前はこっちで育ったくせに随分と里に馴染んでおるようではないか」
「こちらにいるより長い年月をあちらで過ごしたのだ。そうなっても仕方あるまい」
そんな会話をしている二人を微笑ましく見ていると、マイナさんと目が合った。少し遠めだったので頭を下げて挨拶すると、わざわざこちらに来てくれた。
「やはりお美しい……、あの試合で負けたのがほんに悔やまれる」
手を取られ、私はあたふたしてしまう。マイナさんもあの武道大会に出てたなんて全然気付いていなかった。
それに、だって、マイナさんは町に下りて来ているから変身しているわけで!結構なかっこよさな訳で!周りの子たちの視線が痛いっ……
「マイナ、未練がましいぞ。我が妻に触れるでない」
ディルークがマイナさんに握られた手を取り返す。
「ディルークこそ、嫉妬は醜いぞ。それでは奥方さま、またいずれお会いしましょうぞ」
「……はい」
私がそう返すと、マイナさんはにこやかに微笑んで、マリナさんの元へ戻る。
十分に別れを惜しんだのか、ロマーナさんは「じゃあの~」といつも、別れ際に見せてくれていた笑顔のまま、マイナさんと共に、町を去っていった。
「なんだか、ちょっとだけ寂しい……」
「ふっ、里と交流が無いわけではない。そう寂しがるな」
ディルークに優しく手を握られ、私は「そうね」と微笑を返した。
* * * * * * * * * * * *
「あ、あの……、よろしくお願いします……」
私はベッドの上で畏まる。ディルークも緊張した面持ちだった。
今日は、そう……そうなの!あれなの!
「あ、あぁ……」
そっと、ディルークが私のうなじに手を差し込む。引き寄せられ、唇が合わさると、それだけでは終わらずに温かみを帯びた舌が、私の唇をなぞった。恐る恐る口を開くと、ゆっくりディルークの舌が進入してくる。しばらくは、互いに拙い動きを見せていたけれど、私が息苦しさに喘いだ瞬間、ディルークが強く私を抱きしめ、まるで蹂躙するかのように激しいキスに変わる。
触れるだけのキスなら、町に返ってきて何度かしたけれど、こんなのは初めてでほんの少しの恐怖を感じてしまう。けれど、それよりも嬉しくて、私はしっかりと彼の背に手を回した。
どのくらいそのままだったのか、息も絶え絶えになった所でやっと開放される。
「シーラ……」
熱い声に、体の奥底から這い上がってくるものを感じて……
――目を閉じよ 何も見るな 柔らかき闇がお前を優しく包むだろう――
――幾千の眠りを守る淑やかな夜だけを見よ――
聞こえたのは、呪文。
詠唱が終わると、目を開いてるはずなのに私の目からゆっくりと光が失われる。
「な、なに?」
「……すまぬ…、褥を重ねている間、我はこの姿を保っていられぬ。我は怖いのだ、お前に、我の姿を恐れられるのが怖い……だから、すべてが終わるまでの間……」
苦しそうな吐息を耳元で感じる。
あぁ、夫婦になっても、私たちはまだ完璧に分かり合えていない。彼の苦しみを取り除いてあげることが出来ない。ここで私が嫌がったら、彼は傷付くだろう。たとえ、彼の全てを受け入れるから大丈夫だと、そう言っても、この苦しみはそんなに簡単に取ることは出来ないのだと思う……
目を開けても暗闇しかないのは怖ろしかったけれど、私はディルークの腕に縋り、頷いた。
「わかったわ……」
私は柔らかい闇に抱かれ、その日、ディルークと結ばれた。
* * * * * * * * * * * *
新しい駐在さんは、中々町の人々に怖れられている。
まぁ、あの見た目じゃしょうがないんだけど。
「お帰りなさい」
帰って来た私の旦那さまは、意気消沈といった態。
「なぁに?どうしたの?」
「いや、挨拶を返して貰えなくてな……何がいかんのか……」
本気で悩んでいるらしい。
「見た目。の一言に尽きると思うわよ?」
すでに何度か言っているのだ。彼の変身は確かに完璧。爬虫類っぽい顔ではあるけれど、ちゃんと人間の顔。でも、その顔は人間からすると怖いんだって。
でも、彼はそれが信じられないらしいのだ。なんせ、美的感覚が違いすぎる。
本当は、変身の術は自在に己の顔まで変えるようなことは出来ないらしい。自分の遺伝子情報を元に、それを人間のものに置き換えると「なる」顔。つまり、美形な竜人さんは美形な人間になるらしいんだけど、ディルークは呪術の腕も高くて、自在に変化させられる。
そこに、自分の美意識を反映させずに、人間の美的感覚を取り入れてくれれば……と思うのだけど、どうしようも無いみたい。
「ぬぅ…この顔のどこが悪いのか……」
私から言わせると、私とそっくり。竜人丸出し。そこが悪い。なんだけど……
私はこっそりため息をついて、本屋さんで買ってきた雑誌を差し出す。それは、男性ファッション誌で、これならカッコイイモデルさんが沢山乗っているから参考になるだろうと、恥ずかしいのを我慢して買ったものだった。
「これ見て、勉強なさい」
「むぅ……」
憮然たる面持ちで肩を落としながら弱々しく雑誌を受け取る。私は隣に座って、ペラペラとページをめくるディルークに誰がカッコいいか、どうしてカッコいいのかを説明した。
「納得がいかぬ……」
今度は不服そうに、腕を組む。そんな姿も可愛い。
「これが人の世の『いけめん』なのか?」
「そうよ」
テレビがあれば良かったのだけど、ちょっとお高くて手が出なかった。そのうち買いたいと思っている。
実家にはあったから、見途中のドラマだけは実家で見させてもらっていたりする。
「むぅ……」
また、ディルークが呻る。
女性が、男性を可愛いと思うのは、愛しいと言う気持ちの表れと誰かが言っていた。
だから、私がこの爬虫類丸出しの、他人からすると怖ろしいと言われる顔をした旦那さまを可愛いと思うのは、間違っていないのよね?
「シーラ、これでどうだ!」
旦那さまが顔を変化させる。それは、今人気の俳優そのままで…確かに私、好きだって言ったけど……
「あなた、その顔で町を歩いたら、俳優さんが来たのだと勘違いされるわよ?」
「そ、そうだな……」
「シーラ、これはどうだ!」
今度は顔の上半分と、下半分が違う役者さん。
「あなた、それだとバランスが物凄ぉ~く悪いわ」
やっぱり、人間の顔の美しさが理解出来ないらしい。
「そ、そうなのか……?」
「シーラ、これは!」
「シーラ、今度こそ!」
「シー……」
「ねぇ、ディル?顔の美醜なんてどうでもいいじゃない。私はあなたがどんな顔をしていても、あなたの事が好きよ?それじゃダメ?それとも、町の若い子たちにモテたいのかしら?」
いい加減、旦那さまのあの爬虫類顔を忘れそうになっていた。夕食作りの合間に話しかけられるから、食事がまだ出来上がっていない。
「モテたい訳ではない!シーラが…我を好いてくれるなら、それでいいのだ……」
「だったら、もういいんじゃないかしら?」
「しかし、お前はこんなにも美しいのに、その隣に立つ私がこれでは……」
もう、何度も説明したのだ。
私は人間の世界では不細工なのだと。醜い顔の持ち主なのだと。
「私たち、似たもの夫婦って呼ばれているわよ?」
「それは、そうなのだが……。私は、お前を美しいと思っている。それは、我らが竜人の価値観でだ。だから、我はお前に、お前の価値観でカッコイイと思われたい……」
あぁ、私の旦那さまは可愛い。こんなにも自分を愛してくれる人と結婚できたなんて、私は本当に幸運な女だと思える。
「いつもの顔で、十分にカッコイイと思っているわ」
「しかし…あれは変化した顔で……」
さらに変化を重ねた顔でカッコイイと言ってもらおうとしておいて、爬虫類顔を褒めると渋る。
全く、めちゃく……
その時、やっと理解した。彼は、やっぱりありのままの姿を晒したいのだ。
「ねぇ、ディルーク?」
私は、調理の手を止め、彼の傍に歩み寄った。
「私、あなたの心が好きだわ。だから、こんな言い方をしてはいけないのかもしれないけど、あなたの見た目なんて、どうでもいい。どんなに、不細工だろうと、絶対に、あなたを嫌いになったりしないわ」
そっと手を握ると、ディルークは眉尻を下げて、弱々しく笑った。
* * * * * * * * * * * *
あれから、ディルークはカッコイイ顔を求めるのは止めた。
けれど、私の前で本当の姿を見せてはくれない。
それが少し悲しいけれど、私たちはまだ夫婦になり切れていないのだから、しょうがないのかもしれない。
小さな寂しさを抱えたまま、彼が駐在さんになって、二ヶ月が過ぎようとしていた。
「野いちご狩りなんて、子供の頃以来だわ」
彼が休みの今日、私たちは野イチゴ狩りの名目でデートをしていた。
休日には、人目を盗んで高原や、彼ら竜人しか知らないと言う穴場スポットへ繰り出す。
お付き合い期間ゼロ日だから、結婚してからお付き合いをしているようなものだ。
「ここは、我ら竜人の中でも知る人ぞ知る穴場でな。町に群生する野イチゴとは種類が違って、ほれ……」
一粒捥いだイチゴを、私の唇に寄せる。ほんのちょっぴり恥ずかしがりながら、私はそのままイチゴを食べた。
「甘い……」
「だろう?お前は甘いフルーツを好むからな。ここの野イチゴならば気に入ると思ったのだ」
「とても美味しいわ。ありがとう、ディル」
「い、いや……」
互いに、照れが出る。いつかは、こんなやり取りを当たり前に出来るようになるのかしら?その時は、あなたの素顔の傍に……、いられるのかしら?
優しい気持ちと、将来へのちょっとした憂いを胸に感じた矢先、大地が揺れた。その直後、大きな爆発音が辺りに響き、またも大地を揺るがす。
「な、なに!?」
驚く私を、ディルークが抱き寄せる。
「わからぬ……ゆくぞ、シーラ!」
そのまま抱きかかえられ、ディルークは音のした場所へと走り出した。
町の外れ、元教会だった寂れた建物が、木っ端微塵になっていた。
「なにがあった!」
野次馬が集る中、ディルークの声に、一人の男が応えた。
「わからない!突然建物が……」
「襲撃では無いようだが……」
ディルークがゆっくりと、大破した教会へと足を進める。
「ディル!」
不安から声を掛けると、大丈夫と言わんばかりに、ディルークが頷いた。
町人が遠巻きに見守る中、検分を終えてディルークが戻ってきた。
「どうやら、昔残されていた不発弾が爆発したようだ……」
「不発弾!?そんなもんが残ってたってのか!?」
「あぁ……、地下に空洞があった。あそこで作られたものだったのであろう……。地震で台座からずれ落ち、起爆したようだ」
町人たちに不安が広がる。
「くそっ…とんでもねぇ置き土産残していきやがって……」
あの頃の恐怖は、教科書に載る古い歴史と化していて、本当の恐ろしさをわかっていなかった。
「人に被害が無くよかったと言えよう。この場は、もう安全と言っていい。しかし、他の場所に残されている可能性もある、当時の軍の地図か何か、残ってはいないだろうか?」
集まった野次馬だけでは、わかるはずも無く、ディルークは町役場へと向かった。
それから、役人さんとディルークは町の古い資料をさらったのだけれど、撤退した軍が、情報を残しているはずも無く、確かなことは判明しなかった。
「キヨミ山の火山活動が活発化している……、もしもこの町の他の場所に不発弾が残っていれば……」
役所まで同行したのはいいけれど、役に立てるわけも無く、私は憂わしげなディルークの腕に、そっと手をあてることしか出来なかった。
「また地震がこないとも限らぬ。役人方、住民の避難を頼めるか?我は不発弾が残っていまいか、探知の術をかける」
「は、はい」
急いで部屋を後にしようとした役人さんに、ディルークが慌てて声をかける。
「いや、待て!ホウソウはかけるでないぞ?ぱにっくを起こすと厄介だ」
「え……では、どうすれば……?」
「うむ……口伝えでは、返って恐怖を煽るやもしれんしな……」
どうすべきか悩む様子に、私なりの考えを述べる。
「さっきの爆発は、町中に轟いたはずです。既に、みんな怖がっていると思うわ。避難するって言っていた人もいたもの。小さな町だし、きちんと一人一人に説明する時間ぐらいはあると思うの」
「……うむ、そうだな。役人方、町に残っている者に説明と、避難を」
「しかし、また地震が来て…もしも町中に不発弾が残っていたりしたら……」
「主らが恐怖に負けてどうする!案ずるな、避難が終わるまで、地震は我が押さえて見せよう」
そんなことが出来るのだろうか?驚いてディルークを見ると、返って不思議そうな顔をされた。
「どうした、シーラ?」
「え?ううん、なんでもないわ」
その短いやり取りの間に、役人さんたちが担当する地区を決めて散って行こうとする。そこに、またもディルークが声をかけた。
「くれぐれも、不発弾があるとは言うなよ?まだあるかどうかはわかっておらぬのだ。そうだな…探知の術をかけるのに人の気配が邪魔になるとでも言ってくれ」
「はい!」
ディルークの指示に返事をして、今度こそ役人さんたちは役場を出て行った。
「シーラ、お前も避難す…」
「一緒に行きます」
ディルークが言い切る前に、そう宣言した。
「シーラ」
少し強い声で、咎められる。
「聞きません、一緒に行きます。探知の術をかけるだけなのでしょう?地震を押さえるとも言ったわ。それなら、危険はないはずでしょう?」
「それはそうだが…万が一と言うこともある」
「あっちゃダメです」
「シーラ」
「嫌です」
無言でディルークを見つめる。
と、数秒して、彼がため息を落とした。
「わかった。何があっても必ず守るゆえ、そばを離れずついてくるのだぞ?」
「えぇ」
私は、満足げに頷いた。
――探せ 探れ 不安を駆り立てるものの正体を――
――大地を蝕む悪を滅さんが為に――
何が起こっているのか、傍目にはわからなかった。けれど、確実に術は行使されているらしい。町の中心にある噴水の前、目を閉じ集中するディルークの長い髪が風も無いのに吹き上がり、淡く体が発光している。
教会とは反対の、畑が広がる場所に、住民全員の避難が完了したと報告を受け、ディルークは探知の術をかけた。
私は邪魔をしないように、一歩下がって彼を見つめる。
暫くして、彼の肩がピクリと動いた。
発光が収まるとディルークが「不味いな……」と呟くのが聞こえた。
「どうしたの?」
「うむ……少し急ぐゆえ……」
そう言って、ディルークは私を抱き上げ走り出す。
「きゃぁ!」
「すまぬ、少し我慢してくれ」
私は、頷いて、しっかりディルークの首に手を回した。
「協会は、元々街道の近くに建っていたのだ。故にあの頃は栄えていたが、侵略者を退けた後、侵攻を防ぐために町の玄関口を変えたのだ」
走りながら、ディルークがそう言う。
「それが、何?」
街の歴史、その授業で習った内容だった。たしか、玄関口を変えただけじゃなくて、町自体を数年がかりで森の中へと移動させたはずだった。だからこそ、大きな旧街道に面した地域は住む人も居なくて寂れているのだ。新街道は狭いから不便だと言われているけれど、安全の為だからみんなぶーたれながらも使い続けている。
「侵攻軍が基地を置いたのも、街道に面した地域だろうと思ったが、どうやら遥か昔、この町は全てを侵略されつくしていたようだ」
「どういう…こと……?」
「…………」
「ねぇ、ディル?」
「……不発弾はあった。それも、住民の避難した場所にだ」
苦渋に満ちた声に、私の心臓が凍った。
* * * * * * * * * * * *
「おぉ、駐在さん!どうだった!」
私たちがみんなの下へ到着すると、作戦が功を相したのか、町人はのんきそうにしていた。
「あぁ、うむ。まぁ正直に言えば、一つ見つけた」
そこは正直にならなくてもいいんじゃないかしら!そう思っても後の祭りで、町人たちが途端に恐怖を顔に浮かべる。
「なに、案ずることは無い。我の力があれば撤去は容易い」
「お、おぉ、そうか……」
「でだな、避難して直ぐに申し訳ないのだが、皆は町に戻ってもらえるか?」
「へっ?不発弾があったんだろう?」
「町に戻って万が一があっちゃああぶねぇだろうに」
「いやな、先ほどの不発弾と同じく、町外れにあったのだ。故に町に戻る分に危険は無い」
下手なことを言わないだろうかと、ハラハラしたけれど、ディルークの言葉に納得してくれて、町の住民たちがパラパラと町中へ帰っていく。
「さて、やるか……」
辺りに人が居なくなったのを確認して、ディルークが呟く。
私はさっきと同じく、一歩引いて彼の背を見つめた。
「シーラ」
振り向くことなく、ディルークに声を掛けられる。
「嫌よ」
言いたいことはわかっているので、即座に断った。
「何も言うてはおらんが……」
「い・や」
ディルークの肩が小さく揺れたのに気付いた。大方、こっそりため息をついたのだろう。
「……先は、容易いと言うたが、本当はそう簡単なことではないのだ」
私は何も言わない。
「地震があっても、この地に伝わらぬように遮断せねばならぬし、地下深くに埋まっている故、地を揺すらぬように大地を穿つ必要もある。同時に万一に備え、この空間を遮断する。同時にこれを行うは難しいのだ」
「無事に取り出せたら?」
「その後は簡単だ。不発弾の周りの空間を防壁で包み起爆させる」
「……そう。失敗する可能性があるの?」
「我は、竜人の中でも群を抜いて優れた呪術師であった。失敗はありえん。……はずだ」
最後の「はずだ」が不安を誘うけど、ここはディルークの成功を信じようと思う。
「それなら私がいても問題無いはずだわ」
「…………」
またため息。我侭なのはわかってる。だけど、たとえこの町を守るための存在としているのだとしても、彼を残して町で安穏としているのは嫌だった。
「お願い」
「…………」
「あなた、お願い」
「…………わかった」
ディルークが振り返る。そっと、胸に抱きこまれた。
「このほうが、集中できる」
私は、ディルークの心臓の音だけを聞くために、そっと目を閉じた。
今までの呪文の詠唱とは全く違っていた。
よくわからない言葉。もしかすると、竜人だけの言語なのかもしれない。
目を閉じていたから、どうなっているのかわからなかったけれど、体が内のほうからざわめくのを感じる。ディルークの魔法の力に感化されているような、気持ちになった。
風が立ち、ゴウゴウと耳元で吹き荒れる。
徐々に強まっていく風が、不意にやんだ。
「……ディルーク?終わったの?」
「……いや、まだなのだが……」
どうしたのだろう。私は目を開いて彼の顔を見上げる。と、どうやら後ろを気にしているらしく、私は広げた彼の腕の下から、のぞき見る。
「やだ、みんな帰ったはずなのに……」
「野次馬という奴であろう。こういうところは、人も竜人もかわらぬ」
「近づいてくる様子も無いし、続けるわけにはいかない?」
「それは…構わんのだが……」
「だが?」
「……いや、続けるぞ」
「う、うん……」
何に躊躇したのかわからないまま、私は曖昧に頷く。
「我に、お前の体温を分けてくれ。そのほうが集中出来る」
甘い声で言われて、私は両腕を広げて彼に抱きついた。
「うむ、温かいな……」
ディルークも、私を抱きしめる。一呼吸置くと、拘束が解かれた。
「では、続ける……」
「うん……」
また、強い風が当たりに吹き荒れた。
多分、竜人の言葉と思われる呪術は、空間を遮断しつつ不発弾を掘り出すために必要だったのだと思う。
「これでいい…後は爆破させるだけだ」
そう呟いて、彼が詠唱を始めた。
――狂気を内包し 全てを拒絶せよ 其の中で果てよ――
――優しき母の身のうちに 悪意の全ては消え去るべし――
音も、無かった。
きゅっと抱きついたまま、いつ終わるかと待っていたのだけど、ディルークに優しく髪を梳かれてやっと終わったのだと気付いた。
顔を上げようとした途端、ディルークが私の頭をガシッと掴んだ。
「え?」
今まで、こんな風に扱われたことが無いので思わず声が漏れる。
「あああ!すまぬ!いやしかし、今は少し、弊害があってだな!」
妙に慌てている。顔を上げることは出来ないけれど、目は開いている。
「ディル?」
声を掛けても返事は無い。
どうしたものか、悩んでしまう。実は、見えているのだ。ビタンビタンとごまかすように、左右に振りつつ地面を叩く、大きな尻尾が。
ここで、無理に姿を見たら、彼は傷付くだろうか?そう思うと、動くことが出来ない。
でも、ディルーク自体動揺しているのか、正直掴まれた頭が痛い。握力が強すぎる。
「ディル?変身が解けちゃったのね?」
「あ、あぁ……」
「そう、それで、それを私に見られたくないのね?」
「そうだ……」
「……わかった。目を瞑って見ないようにするから、手を頭から離してくれないかしら?とても痛いの」
そう言った瞬間、手を離すどころか体ごと離れられ、体を預けるようにしていた私は前方に倒れそうになる。
咄嗟の事態に、目を開けてしまう。
飛び退いたのだとしても、ディルークは目の前に居るはずなのだから、私が傾いだら受け止めてくれるに決まっているのに……
「あっ!」
どさりと音を立て、ディルークの胸で受け止められる。
(どうしよう…一瞬だったけど、見ちゃったわ……)
「あ…あの……」
「…………」
ディルークの体が震えている。多分、見られたことに気付いているのだと思う。
「ごめ…ごめんなさい……」
「……いや、我が悪いのだ。頭は、痛くないか?」
胸に顔を埋めたまま、私は返事をする。
「我は…醜いだろう……?」
悲しげな呟きに、私は思わず顔を上げた。
「そんなことなっ……」
うっかり目も開けてしまっていた。
瞳がかち合う。私の言葉が途中で止まってしまったのを、さっきの言葉の肯定と取ったディルークが睫毛を伏せて、自嘲するかのように笑った。
「わかっているのだ……我は、醜い……」
「ちがっ!ちがうのよ!あなたと一緒!私を初めて見たときのあなたと一緒だわ!」
「我と……?」
「あまりにも美しくて…言葉に詰まってしまったのよ!」
そう、あまりに美しくて、言葉が出てこなくなってしまったのだ。
ディルークは、とても美しかった。
神様の造形物。そう表現しても、きっと誰も文句を言わないだろう。
切れ長の目、瞳は竜人の三白眼、四白眼と違って人らしさを持っていて美しい。すっと通った鼻筋、まろやかなふくらみの唇、白く肌理の細かい肌は、正直嫉妬する。
「あなた、驚くほどカッコいいわ!!」
私の言葉に、ディルークは盛大に眉を顰めた。
* * * * * * * * * * * *
ディルークは、私の言葉を信じてはくれなかった。
でも、撤去が終わったことを悟った町の人たちが私たちを囲んで、町人みんなにカッコイイ、イケメンだと騒がれて、ようやく納得した。
あんなにかっこ良さについてレクチャーしたのに、彼は、素顔の自分が人間の美的感覚にぴったり合致することを理解してくれていなかったのだ。
私を抱きしめたままのディルークは、しきりに「カッコイイか?お前の好みか?」と聞いてきた。正直、綺麗過ぎて気圧されるのだけれど、私はカッコイイと頷いた。
それからと言うもの、ディルークはありのままの姿を取っている。さすがに、旅人がそのままのディルークを見ると驚くだろうからと、黒く長い爪はしまい、尻尾も隠している。耳は逆に生やしてるし、まぁ、半分変化している状態だろうか?でも、竜人の特徴である、長い首とか、浮き出た背骨なんかはそのまま。
だけど、そんな部分は服を着ていれば隠れてしまうのよね。
そう、だから彼女たちは、ディルークの竜人的な特徴をわかっていないのよ!
この町にやっと慣れてきた駐在さんは、中々町の人々に好かれている。
まぁ、元々優しいし、顔も良いとなれば当たり前だけど。
「お帰りなさい」
帰って来た私の旦那さまは、意気消沈といった態。
「なぁに?どうしたの?」
「いや、やはり、町にいる時は素顔を晒さぬ方がいいのではないかと思ってな……」
本気で悩んでいるらしい。
「見た目の威力って凄まじいわね?」
「怒って……いないか?」
「いーえ」
もちろん、怒ってはいない。大切な旦那さまが町のみんなに好かれているのは素直に嬉しい。
でも、小さな嫉妬をしてしまうのは仕方が無いと思う。
「それで、これ、どうするの?」
彼の腕には、うら若いお嬢さん方から無理やり渡されたであろう、お菓子の山。
「ご近所の皆さんに貰って頂くしか……」
最近、竜人らしい言葉遣いが徐々に取れてきている。
「あら、可愛い娘さんたちの真心を無下にするつもり?」
私の物言いに、はっと顔を上げる。
「やはり、怒っていないかっ?」
「いーえ、怒ってはいないわ」
「『は』!?『は』と言うことは、違う気持ちはあるのだろう!?」
「うふふ。さて、どんな気持ちがあるのかしら」
「我には、シーラだけだ!シーラ以外を愛すなどありえんからな!?」
慌てる可愛い旦那さま。
「私だって、あなただけだわ。あなただけを、愛してる」
「……シーラっ!!我が妻!!」
腕に抱えていたお菓子の山が、ドサドサと床に転がる音。
私は、強く抱きしめられ、ぼそりと呟くのだ。
「ねぇ、ディル……?愛しているからこそ、小さな嫉妬くらいは、許して頂戴ね」
と……
これは、
ほんの少しだけ、私たちの暮らす世界とは違う世界の
竜人からすれば醜いとされる、人からすれば美しい駐在さんと、
人からすれば醜いとされる、竜人からすれば美しい娘の
小さな国の小さな愛の物語
おしまい。
私たちは、その後、ディルーク似の人間からすれば神々しいまでにかっこいい人間の息子と、私似の竜人からすれば神々しいまでに美しい竜人の娘を産むことになる。
そして、またその子たちのおかげでかなりの騒動になるのだが、それはまた別のお話。
拙いお話でしたが、ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました!
このお話は、なんか具合悪くてベッドでゴロゴロしてたらポンッと頭に浮かんだので書いて見ることにしたものです。
これは、短編サイズだ!と思ったので、短編で頑張ろうと思ったのですが、予想以上に長かった。いや、四万字行かなかったから、短編の銘打ちでいいんだろうけど。
そういや、誤字探し、文章直しで読み返すたびに、ディルの初登場で笑ってしまう私は、ひどい奴だと思います。
そして、「駐在」である必要性が感じられなかったり、「魔女の人形姫」って言うあだ名が全然生かされてなかったり、散らかし放題だと思います。
それでは、またこの短編集でお会いできるよう、短編書けたらいいな…俺……