act3.Chase the guy-奴を追え-
路地は静まり返ってひっそりとしていた。コツコツと足音が聞こえる。二人は黒服にばれない様に軒先に隠れながら後をつけた。やがて、一軒の民家の前で、彼らは立ち止った。
比較的大きな家である。コンクリートで造られた壁は真新しく、街灯に照らされて蛾が一匹止まっていた。白いドアに付いたリングの金具をゴンゴン鳴らして中の人を呼んでいるようだ。
ドアの隙間から男性と思われる人物が顔をのぞかせた。ここからでは室内の明かりで逆光になり、その顔はうかがい知れない。男性は三人の黒服を目撃すると、身を固くし、ドアを閉めようとした。だが、巨漢の男がドアをつかみ、無理やりこじ開けた。
途端に二人のスーツが室内に飛び込み、男性を跳ね除けた。
エスとケイは息をのみ、事態を傍観していた。今、何が起こっているのだろうか。どうするべきなのか。
室内からは内装や調度品を壊すような破壊音と、バタバタと駆け回る人間の足音が響いてくる。夜の静寂を突き破るその音で、周囲の民家の人間が何事かと顔をのぞかせたりしている。
だが、そんなこともお構いなしに、巨漢の男が悠々と室内に踏み入れる。
その時、黒服たちが押し入った民家の二階のバルコニーに、小さな人影を見つけた。エスはその姿に見覚えがあった。
「あいつ、昼間のっ!」
白いワンピースに黒い長い髪の少女。名前も聞くことができなかったが、その顔は忘れていない。少女は黒服から逃れるように、バルコニーに飛び出し、柵を乗り越えようとする。
「二階だが、落ちたらまずい」
ケイの言葉に返事をする暇もなく、エスは飛び出した。目指すはバルコニーの真下である。
「こっちだ! 受け止めてやる!」
一瞬で事態を察したエスは、腕を広げて少女に叫ぶ。それを見た少女も目を丸くして彼の登場に驚いたが、意を決したかのように柵をまたいだ。
その少女の背後から腕が伸びた。一瞬のうちに少女の細い体が巻き取られ、部屋の中へ押し戻される。スーツの男が少女の体を抱えて連れ去った。
「クソッ、遅かったか」
舌打ちをしてエスはドアをくぐろうとする。だが、いきなり太い腕に突き飛ばされた。地面に尻をつけながら見上げると、巨漢の男が鬼の形相でエスを見下していた。
その背後を黒いスーツの男が走り抜ける。その腕の中には少女が捕まっていた。
一瞬、エスと目が合う。
だが、次の瞬間にはもうその姿は見えなかった。
巨漢の男もそのあとに続き、最後にもう一人の黒服が走り去った。
「大丈夫か、エス。まだ走れば間に合う」
ケイが駆け寄り、エスを助け起こした。
二人は黒服達の後を追って路地を駆けた。しかし、その先には巨漢の男が仁王立ちをして待ち構えていた。どうやら残りの二人が先に逃げ、足止めをするつもりらしい。
「エス、俺が奴の気を引く。その隙に先に行け!」
「へっ、かっこいいねぇ、主人公みたいだぜ」
ケイが先に飛び込み、巨漢の顔面に拳を叩き込む。その脇をエスが潜り抜けた。
ケイの拳は、巨漢の男の腕に防がれていた。横目で走り去るエスを確認しながらケイは男から距離を取った。
「追いかけなくていいのか?」
日本語で挑発すると、巨漢の男は可笑しそうに笑った。その笑い方は、相手を嘲笑するかのような不快なものだった。
「ジャップか、面白い夜だ。こんな島で東洋人にこれほど出会うとはな」
「日本語……喋れるのか」
「まあな。一時期日本に駐屯してた事があってな」
その身のこなしや、駐屯という言葉から、軍人崩れと予想をつける。見たところ裏稼業の人間だろう。だが、油断はできない。
「あの小男を追いかけるよりも、あんたと殴り合ったほうが楽しそうだ。……失望させないでくれよ」
全身筋肉に覆われ、顔にはナイフで切ったような細い目。しかしそのほかの顔のパーツは不釣り合いなほど大きかった。醜悪に顔をゆがめ、嘲笑を浴びせる。
「ちっ、なめられたもんだ」
対するケイも、正式な戦闘ではないが、それなりの修羅場はくぐってきている。
互いに戦闘態勢を構え、にらみ合う。
「おら、かかってこいよ」
巨漢の男が指で誘う。
その油断した体に、ケイのハイキックが炸裂する。確かに男の体に直撃した。
だが、巨漢の男はピクリともしない。ケイと目が合う。にやりと不敵に笑い、ケイの足をつかむと、子供をあやすかのように軽々しく放り投げた。宙を回転してケイは地面にたたきつけられる。
肺から空気が放出され、思わずむせ返る。
「おいおい……お遊びじゃねぇんだぞ?」
「ちっ、今のは準備運動だ」
ケイは足に力を入れて立ち上がった。再び拳を構える。
(奴の体は筋肉の鎧だ、生半可な攻撃は通じないか……)
それならば、とケイは素早く足を動かし、ステップを踏む。右へ左へ、フェイントを織り交ぜながら相手を翻弄する。巨漢の男は体が大きい分、細かい動きは取れない。一瞬の隙を突いてケイは相手の背後に回る。
狙いは後頭部、どんなに訓練を積んでも筋肉をつけることができない場所。そこに正拳突きを叩き込む。
一瞬、ケイは何が起きたのか理解することができなかった。
気が付いたときには脇腹に激痛が走り、体が真横に吹き飛んだ。ちらりと視界の端に、巨漢の顔が入った。
ケイの体はそのまま路地の端にあるゴミステーションに落下した。幸い、ゴミ袋がクッションになり、衝撃は和らいだが立ち上がることができなかった。
「狙いはよかった。だが、ツメが甘かったな」
回し蹴りだ。とケイは思い至った。奴は全く動くそぶりを見せなかった。しかし、片足を軸に体を回すだけで背後のケイを攻撃できる。つまり、ケイの行動はすべて読まれていたのだ。
「もう会うこともねぇだろうな。もうちょっと楽しめると思ったが、期待はずれだったな」
巨体が視界から遠のく。悔しさで奥歯をかみしめ、体に力を入れるが、立ち上がることができなかった。ゴミに囲まれ、ケイはその場でうなだれた。
エスは黒服の二人組を走って追いかけた。男のうち一人は少女を抱えているため、あまり速い速度で走れない。エスが徐々に距離を詰めると、二人組は止めてあった車に乗り込んだ。
エスの手がドアノブにかかった時、エンジン音を響かせ車が発進した。エスの手は振り切られてしまった。
「まだだ、こっちも車を出すぞ」
幸いにもキーはオープンカーに刺さったままだ。エスはドアを飛び越えて車に乗り、勢いよく車を発進させる。
夜の道路は全く車がいなかった。その中を黒いスポーツカーと、それを追いかけるオープンカーが疾走する。速度で言えばスポーツカーのほうが早い。だが、道は直線ではなく、ところどころで湾曲している。単純速度では負けているが、今はいい勝負だった。
ハンドルを必死に切りながら、エスは前を見据える。
黒塗りされたスポーツカーの後部座席、あそこにはおそらく拘束された少女が乗っているに違いない。詳しい事情は分からないが、エスは絶対に助け出すつもりだった。
道路が、L字に大きく曲がっていた。スポーツカーはやむなく速度を落とし、カーブを曲がる。エスはギリギリまで速度を保ったままカーブを曲がった。距離は大きく縮み、車同士が横に並んだ。
「おら、その子を放せ!」
エスが叫ぶが、スポーツカーは速度を上げた。再び距離を広げられる。
「くそっ」
焦ってエスもアクセルを踏み込むが、スポーツカーは急にハンドルを切った。道路の脇の細い路地に車体を滑り込ませる。ほんのわずかに反応が遅れたエスは慌ててハンドルを切る。
タイヤが擦り切れる嫌な音を上げてスリップした。
車体が大きく滑り、制御は利かなくなる。エスはハンドルにしがみついて何とか立て直そうとするが、車が真横からガードレールに直撃した。エアバックが顔面をたたき、無様にも車は動かなくなった。
「うごけっ、コノヤロッ、……ちくしょう!」
エスはアクセルを乱暴に蹴り回したが、車が動くことはなかった。
少女を乗せた車は、すでに見失ってしまった。
「あいつらは……ある組織の下請けのような者だ」
日本人の男性は滔々と話始める。
「私が海外で働いていたころ、私はとある会社の上層部として多くの機密情報を取り扱っていた。その中に、海外の多くの組織の抗争に、決定的となる情報があってね。偶然にもその存在が外部に知られてしまった。ここまでは仕方のないことなんだ、いつかはバレてしまうことだ。だから、一切の後腐れがない様に消去されることになった」
男は、部外者であるエスとケイに、詳細をぼかしつつ事のあらましを告げる。
「だが、消去される寸前でその情報をコピーし持ち出した人物がいた。それは私の部下だった男だ。彼はそれを武器に組織達とうまく立ち回ろうとした。しかしたった一人の男が大規模な闇を相手にすることなど到底不可能だったんだよ。彼はあっけなく暗殺された。ところが、彼が持ち出した機密情報のコピーはどこにも見つからなかったんだ」
一息つくと、再び口を開いた。
「組織達は躍起になって情報を探し回った。下手すれば歴史に書き加えられる事件が起きる可能性をも秘めた情報だ。我々の会社は組織達よりも先に見つけて闇に葬り去らねばならなかった。そして、ようやくその手がかりを見つけたのだ」
そして男は一枚の紙を取り出す。
「暗殺された男が書き残した直筆のメモだ。彼独自の言語で暗号が書かれている。いわば宝の地図だよ。しかし、我々は解読ができなかった。ただ組織達の手に渡るのは避けたい。会社を代表して私がこのメモを持ち、唯一の家族である娘を連れて知名度もない安全なこの島へ避難することになった。……結局奴らに嗅ぎつけられてしまったがね」
「ふうん、つまり、娘の身柄と引き換えにそのメモをよこせということか?」
エスが納得してうなずいたが、ケイは首をひねった。
「ならなんでさっさとメモを奪っていかなかったんだ?」
「奴らは我々が手に入れた手がかりが、メモだということを知らない。下手したら機密情報そのものを手に入れたと誤認されている場合もある」
男は沈痛そうに顔をゆがめた。
「すべて私の責任だ……あの子は……もう」
「落ち着けって、おっさん。そのメモとやらを渡せばあの子は帰ってくるんだろ?」
「そんな保証はない……用が済めば、奴らは簡単に人を消すよ。そういう連中だ。だが……私はそれでもあの子のために取引に応じるしかないんだ」
男は震える指で顔を覆った。
世界と娘を天秤にかけた取引。しかも、未来は真っ黒に閉ざされている。絶望的状況だった。
「安心しろ。俺が盗み出してきてやるよ」
「……?」
「俺にかかればどんなものでも盗み出せる。世界一のトレジャーハンターだからな」
エスのどんな状況でも言えるこの言葉に、ケイは頭を抱えた。
「おまえなぁ、奴らがどこに行ったのかすらわからないんだぞ?」
「でも取引するからには直接会うだろ?」
「取引は明日の昼だ。直後に飛行機で奴らはこの島を去る。一度この手を離れたら取り返すのは不可能だよ」
「じゃあさ。今夜中にあの子を取り返そうぜ。奴らが油断してる隙にさ」
「だから居場所もわからないだろ」
そこで、一同は沈黙した。
あの後、男性の家に集合して事情を聴いていた。戦いに敗れ、敵を逃したケイとエスは最初は打ち沈んでいたものの、復讐すると誓うと、すぐにいつも通りに切り替わった。
「奴らはそれなりの人数が居る。ホテルに身を寄せるには無理がある、おそらく隠れ家のようなものを持っているのだろう」
少女の父親はつぶやいた。
「隠れ家ね……でも、奴らがこの島に来てから、そう時間は経っていないだろう。急ごしらえならどこかでボロが出てるんじゃないか?」
ケイは冷静に判断するが、いかんせん情報が少ない。
「しかし、ここに住んでから私たちはなかなか長いが、怪しい連中が集まっているという情報は聞かなかった。やはり、どこかにちゃんとした隠れ家があるように思えるのだが」
男とケイがじっくりと考えを巡らせる中、エスはただ一人、古い地図を眺めていた。
あのエロ本の宝の地図である。
「お前も遊んでないでちゃんと考えろよ」
ケイがきつい口調で咎めると、エスはうわごとのようにつぶやいた。
「覚えてるか? ジジイの隠れ家があるって話。もしかしたらさ、奴らが偶然そこを見つけてそこに居座っているとしたらさ……」
「ああ、なるほど。あり得るな。ジジイのことだから装備や施設を整えている可能性もある。あらかじめある場所に住みこんだら、怪しい情報やボロも出ないか」
「それで、その場所はどこなんだ」
男性が一縷の期待に縋るような顔で尋ねると、二人は沈黙した。
その肝心な場所がわからないのである。
「……ここで詰みか」
ケイが苦々しくつぶやいた。しかし、エスは違った。
「この地図に書いてある暗号、覚えてるか? 海のど真ん中の座標」
「あ? ああ。そういえばそんなのもあったな。でも、海のど真ん中に小屋が浮いてるわけじゃないだろ……?」
「……逆だったんだ」
「逆?」
オウム返しにケイが訪ねると、エスが地図を逆さまにひっくり返した。
『H6190W』が『M0619H』に。
ケイは慌てて地図を手繰り寄せ、場所を探す。そこは、この島のある一角、住宅街から少し離れた、まばらに家が並ぶ一角。そして、ただ一軒だけHの形をした建物がある。
「……いくぞ。これからもう一仕事だ」
エスとケイは頷き合い、外へ飛び出した。




