『不吉な黒雪の聖女』に仕えるなら婚約解消だと迫られたので、私から別れて幸せになります
「妹のことは諦めろ」
婚約者の冷たい声が私の胸に突き刺さった。
私――ミレイユは幼い頃、両親を魔物に奪われた。
それ以来、妹と二人で身を寄せ合って生きてきた。
私の唯一の家族、それが妹。
なのに、その妹が侵食病を患った。
大地を穢す瘴気に蝕まれ、じわじわと死んでいく病。
助けるには聖女の力が必要で、それには決して少なくないお金がいる。
少なくとも、身寄りのない私には出せない額だ。
だから、私は婚約者のクリフを頼った。彼は商会の跡取りで、私よりもずっとお金を持っている。彼ならばもしかしてと、相談した直後に返ってきたのがさきほどの言葉。
分かってるわ。
お金がなければ、明日のご飯だって食べられない。
だから、彼が断ったことを責めるつもりはない。
「それに、来月にはキミとの結婚式もある。その費用だって決して安くないんだ」
「……ええ、分かっているわ」
――だけど、受け入れられるかは別問題よ。
いや、はっきり言うわね。
妹を諦めるなんて、絶対にできない。
私は食堂で働きながら、妹を救う方法を探し続けた。でも調べれば調べるほど、聖女の浄化がなければ助からないという事実が浮き彫りになるだけだった。
そうして手をこまねいている間にも、妹の症状は悪化の一途をたどっていく。
そんなある日。
仕事を終えて家に帰ると、マリーは珍しくベッドの上で身を起こしていた。
「マリー、起きて大丈夫なの?」
もしかしたら、今日は調子がいいのかしら?
「そうだ。今日は野鳥のお肉をもらってきたの。すぐに料理をするから、二人で一緒に食べましょ? 野鳥のお肉、好きだったでしょう?」
「……うん。でも、私は食べない」
え、食べないの? どうして?
「食欲がなかった?」
マリーはゆっくりと首を横に振った。
待って、なんか様子がおかしい。
「マリー、本当にどうしたの?」
「もう、十分だよ。私のために、お姉ちゃんの人生を犠牲にしないで」
「やだな。犠牲になんて、してないよ」
私は、私がしたいことをしてるだけ。
「嘘だ。私がお手伝いを出来なくなってから、その分もお姉ちゃんががんばってるでしょ? それに私が気付かないと思う? 野鳥のお肉だって、本当は一人分しかないんでしょ?」
「そんなこと、ないわよ」
お肉の入った鞄を後ろ手に隠す。
それが、答えになってしまった。
「……やっぱりね。お姉ちゃん、その調子だと、私より先に倒れちゃうよ」
「そんなこと、ないわ」
「あるでしょ? ねえ、お姉ちゃんが私の立場なら、私にそんなことを望むの?」
「それ、は……」
望まない。
マリーには幸せになって欲しい。自分のせいで、マリーの幸せを奪うなんてしたくない。だけど、その思いを口にしたら、マリーは私の手を取ってくれないだろう。
私は、どうすればいいの?
「ねぇ、お姉ちゃん。私の分まで幸せになって」
「それ、は……」
私がマリーの立場なら、きっと同じことを望む。
自分のせいでマリーが苦しむ姿なんて見たくない。
私のことなんて忘れて幸せになって欲しい。
だけど、だけど私は――
「貴女が元気じゃないと、私は、幸せになんてなれない」
それは私の心からの願い。
そして、マリーにとっては呪いの言葉。
「そっかぁ……じゃあ、どうしようも、ないね」
力なく呟くマリーは、泣き笑いのような顔をしていた。
マリーは体も心も限界だった。
日に日に症状は悪化して、寝ている時間がほとんどになる。息はいつも苦しそうで、弱音を吐くことも増えていく。本当は、楽にしてあげるべきなのかもしれない。
それでも、私は足掻き続けた。
そんなある日。私がいつものように食堂で働いていると、武装した集団が店にやってきた。彼らは瘴気由来の魔物を狩る冒険者たちである。
そんな彼らの会話が、給仕をする私の耳に届く。
「知ってるか、黒雪の聖女の話」
「あぁ……たしか、不吉の黒雪、だっけか?」
「そうそれ。そいつがいま、この街に来てるらしいぜ」
手に持っていたトレイが零れ落ち、ガシャンと食器の割れる音がした。
それにもかまわず、冒険者に詰め寄った。
「――いまの話、詳しく聞かせて!」
聖女様に会えばなんとかなるかも知れない。そんな希望を抱いた私は、冒険者から情報を得て、聖女様が滞在するという屋敷のまえにやってきた。
立派なお屋敷の前には、警備らしき騎士様が何人もいる。
その様子を眺めながら、私は冒険者たちから聞いた内容を思い返していた。
「妹さんが侵食病か……気持ちは分かるが、今回の聖女様には関わらない方がいいぞ」
「どうして!?」
「落ち着け。他の聖女様なら、一縷の望みに賭けるのも悪くない。たまに慈悲を掛けてくれたという話も聞くからな。だが、この街に来ているのは、黒雪の聖女なんだ」
聞いたことがない名前だ。
「有名な聖女様なの?」
「悪名の方だがな」
「聖女なのに、悪い人なの?」
首を傾げると、冒険者たちはいくつかの噂を話してくれた。
その人は、聖女なのに、瘴気に染まった真っ黒な雪を降らせるのだそうだ。本当に浄化しているのかも怪しい。それどころか、騎士団に入り浸って男あさりをしているという話だった。
「なにそれ、そんなのが聖女なの?」
「さぁな。だが、悪評が広まるだけの理由はあるはずだ。だから、やめておいた方がいい」
私も同意見だ。すごく胡散臭い。
でも、他にあてなんてない。
可能性が零じゃないのなら、私はその可能性に縋りたい。という訳で、私は冒険者の制止も聞かずに、聖女様が滞在する屋敷の前へと向かっていまに至る。
問題は、どうやって接触するか、よね。
「そこの娘、そこでなにをしている」
不意に背後から声を掛けられ、身体がびくりと跳ね上がる。私は無害を主張するために、ゆっくりと振り返った。そこに立っていたのは、自分とさほど年の変わらない騎士様だった。
や、やばい。まだ、どうやって話しかけるか決めてないのに!
えぇい、当たって砕けろだ。
「じ、実は、聖女様に妹を助けて欲しいんです」
「妹さん? どうかしたのか?」
「その……侵食病で」
「そう、か……」
意外にも、同情するような素振りがみえた。
もっとお願いすれば、聞いてくれるかも。
「助けて、くれませんか?」
騎士様の手にすがり付く。
彼は思いのほか戸惑いを見せた。
「いや、その……すまないが、それは無理だ」
「どうしてですか!?」
「だから、それは……そ、そのまえに、手を放してくれないか?」
「放したら、逃げるつもりですよね?」
「いや、逃げない。と言うか、その……手が、胸に」
「え……っ。~~~っ。ご、ごめんなさい!」
慌てて飛び退いた。
違うの。たしかに妹のためになんだってするとは言ったけど、色仕掛けをするつもりはなかったの。ちょっと勢い余っただけ。ごめんなさいと、私は何度も頭を下げた。
「いや……まあ、わざとじゃないならいい。それで……キミは、ええっと」
「私はミレイユと言います」
「そうか。俺はマティアスという」
彼は名乗った後、私に向かって頭を下げた。
「話を戻すが……すまない。キミの妹さんを救うことは出来ない」
「どうして、ですか?」
分かっていたことではあるけれど、理由を聞かずにはいられない。
「その様子から察するに、キミはお布施をなしに、聖女様の慈悲に縋ろうとしているのだろう?」
「それ、は……」
図星だった。
「……まあ、それはいい。ただ、たとえキミがお布施を支払えたとしても、ここにいる聖女様から治療を受けるのは無理だ」
「え? そ、それは、どうしてですか?」
まさか、黒雪の聖女の噂は本当だった?
だから、どのみち浄化の力なんてないと、そういうこと?
「キミがなにを想像しているか知らないが、ノエル王女殿下の名誉のために言っておく。本来なら、瘴気溜まりは規模の小さい物でも数人掛かりでおこなうものなんだ」
「え? じゃあ……あの屋敷にはたくさんの聖女様がいらっしゃるんですか?」
「いや、あの屋敷にいらっしゃる聖女様は、ノエル王女殿下、ただお一人だ」
普通なら複数人で掛かる役目に一人で対応してる? どうしてかしら?
いや、理由は問題じゃないわね。
重要なのは、余力がない、という話よ。
「……どうしても無理、なんですか?」
「そうだな。キミの気持ちは分かるし、出来ればなんとかしてあげたいと思う。だが騎士として、君の妹さんのために、他の多くを犠牲にするような選択は出来ない」
どうか諦めてくれと、丁重に追い返された。
そこから、どうやって家に帰ったのかはよく覚えていない。気付けば家にいて、そしていつものようにマリーの看病をして眠った。
翌朝、私は不安な気持ちに苛まれながら目を覚ました。
そうしてマリーの部屋に顔を出して息を呑む。
ベッドで眠るマリーが、いつも以上に荒い呼吸で苦しんでいたからだ。
「マリー! どうしたの!?」
ベッドサイドに駈けよって、その額に浮かんだ玉のような汗をタオルで拭う。
幸いにしてまだ意識があった。
マリーはぼんやりと私を見て――必死に私に手を伸ばした。私はその手を慌てて掴む。
「マリー、しっかりなさい!」
「……お姉ちゃん。私、もうダメ、みたい……」
「馬鹿! なにを言ってるの! 諦めちゃダメって言ったでしょ!」
「ごめんね。でも、お姉ちゃんが諦めて」
ズキリと胸が痛んだ。
「……私が諦めるって、どういうこと?」
「分かってる、でしょ? 私の分まで、幸せになって欲しい」
貴方と一緒じゃないと、私は幸せになれないと言ったでしょ!
そう言いたかった。でも言えなかった。
マリーが縋るような目で私を見つめていたから。
「私は……私は」
マリーは倒れてからずっと、私の心配をしている。
ずっと一緒にいた姉妹だから分かる。
私が諦めると言えば、マリーは安心して死んでいく、ということを。
でも、それでも、私は――
「諦めない! まだ、可能性はあるんだから!」
私はマリーに布団を掛けて立ち上がった。
「おねえ、ちゃん? ま、待って、どこへ……っ」
悲痛な妹の声に後ろ髪を引かれながら、私は外へと飛び出した。
向かうのは、聖女様が滞在するお屋敷。昨日の私は甘かった。手段なんて選んでいられない。色仕掛けだってなんだって、有効なら使うべきだった。
そんな覚悟で訪れた屋敷の前。
だけど、そこに警備の騎士たちはいなかった。
近くの人に聞くと、朝一で森へ向かったと教えられる。
……森ってことは、瘴気溜まりの浄化に向かったのよね?
マティアスという騎士様は言ってたわ。
浄化が大変だから、たとえお布施があったとしても、治療する余裕はない、と。
じゃあ、浄化が終わった後なら?
そのとき、少しでも余力が残っていたら? そのタイミングで私が接触できたなら?
分かってる。こんなのは希望的観測だ。
でも、可能性が零なわけじゃない。
だから、私は森の中に足を踏み入れた。
森の中にはダークベアや、ブラウンウルフといった獣が存在するけれど、それらは人を警戒して、森の浅いところには滅多に現れない。
私が暮らす街の近くにある森は、比較的安全で、私もよく薬草採取に足を運んでいた。
でも、その森がすっかり禍々しくなっていた。
「瘴気溜まりが出来たから、よね?」
瘴気は獣を変容させ、凶暴化させることもある。瘴気溜まりが発生した付近には決して近付くな。そんな警告は子供でも知っていることだ。
でも、私はその意味をちゃんと理解していなかった。
森に入ってすぐ、私はブラウンウルフと遭遇した。
「……大丈夫、よね?」
普通のブラウンウルフなら、人を見ると警戒して離れていく。
今回もそうだろうと思った。だけど、ブラウンウルフは私を前に唸り声を上げた。どう見ても臨戦態勢。私に襲い掛かろうとしている。
これが……瘴気の影響?
ヤバい、逃げなくちゃ。
そう思った直後、どこからか飛んできた矢がブラウンウルフを貫いた。
……助かった、の?
そう思ったのも束の間、私は「ひっ!?」と息を呑み、尻餅をついた。草むらから弓を携えた子供――のような姿をした、醜悪な魔物が姿を現したから。
ゴブリン。
実際に目にするのは初めてだけど、その姿は誰もが知っている。
瘴気が濃い地に生息する魔物の一種だ。
そのゴブリンが、矢を受けて藻掻くブラウンウルフにトドメを刺した。
助かってなんていない。
より危険な状況に陥っただけじゃない!
どうしよう? まだここは森の入り口付近だ。
全力で街へ走れば、逃げ切れる可能性は高い。
だけど……街へ逃げ帰ってどうするの?
帰ったって、マリーを救うあてはない。唯一の可能性を失うだけだ。
ゴブリンが私を見た。考えている時間はない。
私は覚悟を決め、そして――森の奥へと全力で駈けだした。
「はぁ――はっ。どうして、追いかけて、くるのよっ!」
ゴブリンがキィキィ叫びながら追いかけてくる。
ブラウンウルフを捕まえたんだから、私なんて放っておけばいいのに!
幸い、足の速さに大差はなかった。すぐに追いつかれることはなさそうだ。
でも、いつまでも逃げるわけにはいかない。
どこへ向かう? どうしたらいい?
そもそも、聖女様はどこにいるの?
必死に考えていたとき、不意にある可能性に気付いた。
侵食病に罹るまえ、マリーは頻繁に森に通っていた。
それが私が教えた、近くにある開けた場所、薬草の採取スポット。
もしも、マリーが侵食病に罹ったのが、濃度の高い瘴気に触れたからだとしたら。聖女様が浄化をしにきた瘴気溜まりは、薬草がある広場の近くにあるかもしれない。
それが正しければ、聖女様はそこにいるかもしれない。
タラレバを重ねた希望的観測。
確率で言えば、一パーセントにも満たないかもしれない。
それでも他にあてなんてなくて、私はその場所を必死に思い出しながら走った。
息が苦しい。でも足を止めたら妹が死ぬ。
その未来を拒絶する。そのためだけに走り続けた。
「たしか、この茂みの向こう――」
記憶をたしかに開けた場所に向かう。
全力で茂みを突破すれば、そこに予想通りの大きな空間が広がった。私はそこで足をもつれさせ、枯れた地面の上に投げ出される。
痛みに泣きそうになりながら、なんとか上半身を起こした。
そこで私が見たのは――
「……雪?」
黒く滲んだ、灰色の雪が降っている。
それがゆらゆらと地面に落ち、積もることなく消えていく。
……どうして、雪が?
いやそれよりも、瘴気溜まりは? 聖女様は!?
必死に辺りを見回す。けれど、禍々しい空間も、それらしい人影も見えない。
それどころか、薬草もなく、ただ荒れた地になっていた。
「……場所、間違った?」
最悪だ。全力で走ってきたからだ。
どうしようと思ったそのときは、背後からガサガサと茂みを掻き分ける音が聞こえた。地面の上を這うように振り返れば、そこには醜悪な表情を浮かべるゴブリンの姿があった。
「逃げ、ないと……」
なんとか立ち上がろうとする。
でも、一度止まった足はガクガクと震えて動かない。
ゴブリンが私に向かって弓を引く。
……不甲斐ないお姉ちゃんで、ごめんね。
「マティアス!」
「――はっ!」
突然響いた少女の声と、それに応じる男の声。ゴブリンがびくりとそちらを見るのと同時、一瞬で距離を詰めた騎士がゴブリンを斬り伏せた。
「マティアス、女性は無事?」
「はい。恐らく間に合ったかと……おや、キミは」
私を救った騎士はマティアスさんだった。
「どうしたの?」
彼の背後から、ドレスを着た女性――というにはずいぶんと小さい。十二、三歳くらいの、それこそ妹と同じくらいの、女の子が顔を覗かせた。
……この子が、聖女様?
聖女様のイメージと違う。
でも、不吉な存在にはもっと見えない。
むしろ、ちょっと勝ち気そうな普通の女の子だ。
「もしかして、知り合い?」
「いえ、知り合いというか、知っているというか……」
マティアスさんはたしかに私を見た。
自分から話すかと言いたげに。
「あのっ! 貴女は聖女様ですか?」
「私? ええ、そうよ。いまはまだ駆け出しだけど、立派な聖女になる予定なの」
「駆け出しの聖女様は、瘴気溜まりを一人で浄化したりしませんよ」
「それはぜひともお兄様に言って欲しいところね」
マティアスさんがぼそっと呟き、聖女様が悪態を吐いた。
私をそっちのけで話し始めそうな雰囲気。
マズい、このままだと私が話す機会がなくなっちゃう。
「妹が侵食病なんです! どうか、聖女様の御慈悲で救ってください!」
切なる想いを一言に込めて、聖女様のまえでひれ伏した。
どうか、どうかお願いします。
妹を救ってくれるならなんだってします。私はどうなってもかまいません。
そんな願いを胸に、ただ頭を下げ続ける。
でも、反応がない。
足音一つ聞こえない。どうして? もしかしていなくなった?
そんなはずは……と顔を上げる。
すると、楽しげに私を見下ろす聖女様と目が合った。
「貴女、すごいわね。もしかして、私にそれを言うためだけに、森の中に足を踏み入れたの?」
ど、どうしてそれを?
まさか、マティアスさんが教えたの?
視線を向けると、彼はゆっくりと首を横に振った。
「なぜ分かったのと言いたげね? でも分かるでしょ? こんな状況で、私に願うことが、街まで連れて帰って欲しい、とかじゃないんだもの」
すごい。まだ十二歳くらいなのに、私よりずっと頭がいい。
なんとなく分かる。この人に嘘を吐いちゃダメだ。
「おっしゃるとおりです。お屋敷は警備がすごくて、会わせてもらえませんでした。でも、森の中でなら、貴女に会えるかもって、思ったんです」
「魔物に殺されるかもとか、思わなかったの?」
「思いました。でも、なにもしなかったら妹は確実に死にます」
だけど、私ががんばれば、なんとかなるかもしれない。
その可能性があったから、命を懸けて森に足を踏み入れた。
正直、自分でも無謀だと思う。
だから笑いたければ笑えばいい。でも、出来れば同情して、そして妹を救って。
そんな願いを込めて聖女様を見上げれば、彼女は笑った。
でも、私が思っていたような嘲笑とかではなかった。
「――気に入ったわ」
「……聖女様?」
「私は私の家族を信じてない。兄が助けてくれるなんて希望、とっくに捨てた。でも……貴女はそうじゃないのね。妹のために、こんな無謀なことをするなんて」
聖女様は笑う。
なにかを期待するように、私に向かって手を伸ばした。
「私の侍女になりなさい。そうすれば、貴女の妹を救って上げる」
「妹を救っていただけるなら喜んで」
迷うことなんてなにもない。
そう答えれば、聖女様はクスクスと笑った。
「いまのを聞いた? マティアス。彼女、なにも聞き返さずに即答したわよ。世の中には、こんな姉もいるのね。私もこんな姉が欲しかったわ」
聖女様は楽しそうだ。
だけど、マティアスさんは渋い顔をしていた。
「ノエル王女殿下、本気で侵食病を浄化なさるつもりですか?」
「あら、なにか問題があるかしら? 対価はちゃんと受け取っているわ」
「対価? むしろ支援じゃありませんか。侍女だなんて大抜擢ですよ。そもそも、聖力は足りるのですか? 瘴気溜まりを浄化したばかりでしょう?」
「あの程度なら問題ないわ。私は立派な聖女になると誓ったんだから」
あの程度って……と、マティアスさんは絶句している。
たぶん、聖女様はすごいことをしようとしているんだろう。
なんでもいい。妹を助けてくれるのなら。
「さあ、話は纏まったわ。貴女、妹の元に案内なさい」
聖女様は勝ち気な笑みを浮かべた。
こうして、自宅に聖女様とその護衛を連れ帰った。
途中から聖女様の馬車に乗ったので、ものすごく目立っている。何事かと野次馬が集まり、家の前ではちょっとした騒ぎになっていた。
「聖女様がこの家の娘を雇うことになり、その対価として、妹に慈悲を与えることになった」
マティアスさんが野次馬に説明をした。対価は支払われているのだと言っておかなければ、我も我もと詰めかけてくるから、だそうだ。
「私も詰めかけた一人なので、少し申し訳ない感じがします」
「貴女ほど無茶をする人はそういないと思うぞ」
マティアスさんが肩をすくめた。
「妹のためでしたから」
「……そうか。それが事実なのだとしたら……一つだけ教えておく。ノエル王女殿下のご家族は、貴女と対極の人間だ。ノエル王女殿下にお仕えするのなら、覚えておいてくれ」
大切にされてない、ってことよね。
だから、すごいって、あんなに嬉しそうに笑ったの?
だとしたら、しっかり覚えておこう。
「恩人に嫌な思いをさせたりはしません」
こうして、私は聖女様とマティアスさんを連れて家の中に入った。
外は他の騎士たちが警備をしてくれている。
「それじゃさっそくだけど、妹さんに会わせてくれる?」
「はい。こっちです――マリーっ!?」
マリーはベッドではなく、床の上に倒れていた。反射的に掛けより、その身体を抱き起こす。だけど意識がない。呼吸は荒く、いまにも途切れてしまいそうだ。
「マリー、返事をして! マリー!?」
慌てる私の向かい側、マリーの様子をうかがうように、聖女様が片膝を突いた。
「……大丈夫、脈はあるわ。身体は冷えているけど、まだ間に合う。すぐに浄化をするから、その子をベッドの上に運びなさい。――速くっ!」
「は、はい!」
急き立てられながら、慌ててマリーをベッドの上に寝かす。
ほどなく、私は奇跡の瞬間に立ち会った。
まだ十二歳くらいの女の子、聖女様が女神に祈ると、部屋の中に真っ白な雪が浮かんだ。見ているだけで心が洗われるような純白の雪。
それがふわふわと揺れながら、マリーの身体の上に落ちていく。
次の瞬間、マリーに触れた雪が禍々しい黒に染まる。
「……あれは?」
「ご安心を。妹さんを蝕む瘴気が吸い出されているだけですから」
あぁ……そういう理屈、なんだ。言われてみれば、純白の雪がマリーの身体から瘴気を吸っているようにも見える。それに、マリーの呼吸も少しずつ穏やかになっている。
「マリーは、助かるんですよね?」
「大丈夫よ」
私の疑問に答えたのは聖女様だった。
彼女は手を止めて、クルリと私の方を見た。
「貴女の妹、瘴気に触れたことがあるんじゃない?」
聞いたことはない。でも心当たりはある。
「さっきの広場に瘴気溜まりがあったんですか?」
「ええ、そうよ」
「では、恐らくそれが原因です。妹は、あの広場によく足を運んでいましたから」
「そう、ならそれが原因ね」
「それは……どういう?」
なにか問題があるのかな?
まさか、完治しない、とか?
「あぁごめんなさい。言葉が足りなかったわね。症状から見て、貴女の妹が侵食病を患ったのは、瘴気溜まりに触れたからよ」
「……つまり?」
「その瘴気を浄化したいま、普通に生活している限り再発の危険はないわ」
彼女の言葉が、私の不安すべてを吹き飛ばした。
口元を覆い、込み上げる涙を必死に堪える。
「ありがとうございます。このご恩は一生掛かっても返します」
「侍女として働いてもらうから十分よ。でも、詳しい話は後で。少し休ませてもらうわね」
聖女様は私の返事も待たず、マリーが眠るベッドに潜り込んだ。
え? 聖女様――というか王女様なのに、マリーのベッドで一緒に寝るの? いや、私は良いんだけど、逆に恐れ多いというか、なんというか……
大丈夫なのですかと、マティアスさんに視線を向ける。
「すまないが、少し休ませてくれ。おそらく、ノエル王女殿下は限界なのだ」
限界って……もしかして、平気な振りをしていたってこと?
視線を戻すと、聖女様は既に寝息を立てていた。
ホントに限界だったんだ。なのに、無理をしてマリーを救ってくれた?
なにそれ、ホントに聖女様じゃない。
私、どうやって恩を返せばいいんだろう。
妹が無事だと安堵したことで、かなぐり捨てていた色々なことが思い浮かぶ。
勢いで侍女になると返事をしちゃった。
それ自体に後悔はない。
けど、もうすぐ結婚式なんだよね。でも侍女になったら、しばらくクリフと会えなくなるだろう。まずはその点について、クリフと話し合わないと。
と、そんなことを考えていると、そのクリフが尋ねてきた。
家の前を警備していた騎士からそれを伝えられた私は、婚約者であることを明かし、リビングでクリフを迎えた。
「ミレイユ、これはなんの騒ぎだ!」
「クリフ、ちょうどよかった。実は、聖女様が力を貸してくださったの」
「聖女様? まさか、黒雪の聖女のことか?」
クリフが不快そうな声をだした。
「そんな顔をしてどうしたの? 聖女様はとてもいい人よ」
「いい人? ふざけるな。黒雪の聖女に力を借りるなど問題外だ。すぐに帰ってもらえ」
「なにを言ってるのよ。そんなこと、出来るはずないじゃない。それに、もうとっくに」
マリーを救ってもらった。
それを告げるより速く、クリフは私の肩を掴んだ。
「いいか、よく聞け。黒雪の聖女とかかわっていると知られたら国から目を付けられる」
「国? どういうこと?」
「王太子様が忌み嫌っているという話だ」
忌み嫌ってる?
もしかして、兄と不仲という話と関係している?
「だとしても関係ないわ。私は聖女様の侍女になると約束したもの」
「なんだと? 黒雪の聖女の侍女などとんでもない。いまからでも取り消してもらえ。これはキミのためを思って言ってるんだ。悪いことは言わない。妹のことは諦めろ」
「なにを……」
あぁそうか。
まだ、マリーの治療前だと思ってるんだ。
つまりクリフは、妹を見殺しにするのが、私のためだと言ってるんだ。
「クリフ、勝手に決めてごめんなさい。でも私は、約束を取り消したりしないわ」
「約束を取り消さなければ、婚約を破棄すると言ってもか?」
本気で言ってるの?
「私たち、もうすぐ式を挙げるのよ?」
「だからだ。いますぐ取り消すんだ」
一歩も引くつもりはなさそうだ。
それならしたないわ。
「……分かった」
「そうか、よく決断した」
「ええ。貴方との婚約を解消をするわ」
「――ミレイユ!?」
クリフが信じられないと目を見張った。
変ね? その覚悟で、提案したんじゃなかったのかしら?
「クリフ、貴方には悪いと思ってるわ。でも、貴方に守りたいものがあるように、私にも守りたい妹がいるの。だから、貴方の提案は受け入れられない。婚約を、解消してちょうだい」
「……後悔、するぞ」
「そうかもね。クリフ、いままでありがとう」
私が精一杯の笑みを浮かべると、クリフは「勝手にしろ」と捨て台詞を吐いてリビングを出て行った。ほどなく、玄関の閉まる音を聞き、私はその場にへたり込んだ。
「はあ……やっちゃった」
まさかの、式を挙げる直前になっての婚約解消だ。相手の家は、幼くして両親を失った私にはもったいないくらい裕福な家だった。
いわゆる玉の輿。それを捨てた。馬鹿なことをしてる自覚はある。
「よかったのか?」
マティアスさんの声が聞こえた。顔を上げると、クリフが出て行くときに開けたままだった扉の向こうに、マティアスさんの姿があった。
「盗み聞きですか?」
「すまないな。職務上のことだ」
「冗談です。それで、よかったのか、というのは?」
「そのままの意味だ」
婚約解消のことを聞かれていた、という訳ね。
「妹を救うためには必要なことでした。だから、後悔はありません。彼よりいい相手は、もう見つからないかもしれませんが……」
「いや、そんなことはないんじゃないか?」
「……え?」
マティアスさんをまじまじと見る。
彼は私の視線に気付いたのか、ぱっと視線を外してしまった。
「なんだか甘酸っぱい空気ね」
「ノ、ノエル王女殿下? いつからそこに?」
マティアスさんが慌てる。
彼の後ろから聖女様がちょこんと顔を覗かせていた。
「話し声が聞こえてきたのよ。平民の家というのは壁が薄いのね」
「――っ。すみません」
とっさに頭を下げる。
「気にしてないわ。それに、貴方が決断したことも、ちゃんと聞いていた。いまなら交渉の余地もあるけど、本当に後悔しないのね?」
「しません。ただ、もし許されるなら、妹も連れて行ってもかまいませんか?」
「分かった。それじゃ、王都に一軒家を用意してあげる」
え、一軒家を用意してくれるの?
「その……かまわないのですか?」
「ええ。支給される品位維持費は少ないのだけどね。聖女としてはそれなりの報酬をもらっているの。だから、貴女と妹がのんびり暮らせるくらいの最低限のお給金は支払ってあげるわ」
――こうして、私とマリーは王都に移住した。
余談だけど、聖女様あらため、ノエル王女殿下の言葉は嘘ばっかりだった。
二人で暮らすには広すぎる豪邸。
年収が平民の生涯年収を超えるような給金。
死ぬほど忙しい毎日。
ぜぇんぶ、事前に聞いていたことと違う。
これだけは、何度ツッコミを入れたか分からない。
でも、後悔するようなことは一つもなかった。
ノエル王女殿下は、とても優しくて素敵な主だったから。
不穏な噂なんて嘘ばっかりだ。
騎士団に入り浸って、男あさりをしているという噂は真っ赤な嘘。騎士団と協力して、あちこちの瘴気溜まりを浄化するために飛び回っているだけ。
だいたい、十二歳の女の子が男あさりっていうのがもうおかしい。噂だけを聞いた人ならともかく、実物を見たら、噂の内容がおかしいと気付くはずだ。
不吉な黒雪だってそうだ。
たしかに、野外で大規模な浄化をおこなうと、禍々しい黒い雪が降る。
それを見たら不吉だと思うのは分かる。
でも、最終的には白くなる。
なのに、どうして不吉な黒雪の聖女、なんて呼ばれているのか理解できない。
なのに、よその侍女に言われたことがある。
「横暴で、周囲に当たり散らす悪女が主で可哀想ね」――と。
どこの誰と間違えているのかと疑うレベル。誰かが意図的にその噂を流しているのでもなければあり得ない。それに気付いた私は、ノエル王女殿下はそんな人じゃないと否定した。
でも、その侍女はまるで信じなかった。
「そんなふうに言わないと叱られるのね。分かるわ。彼女が籠絡した男の相手までさせられているのでしょ? そんなの、恥ずかしくて言えないものね」
とりあえず、その侍女はビンタしておいた。
相手は貴族の娘で、私はしがない平民の娘。
執事からすっごい怒られた。
けど、ノエル王女殿下が庇ってくれた。
事情も知らないのに、私を信じると言ってくれた。
素敵な主様。
私は一生のノエル王女殿下について行くことを決意した。
でも、噂については、面と向かって反論しないことにした。
だって、私のせいでノエル王女殿下が頭を下げることになるから。
せめて、私たちだけでも理解して上げたい。
その一心で、彼女にお仕えしながら、様々なスキルを磨いている。
マリーも、自分を助けてくれたことを知っているからか、あるいは毎日のように私がノエル王女殿下の素敵なところを話しているからか、すっかりノエル王女殿下に心酔している。
「成人したら、私もノエル様の側で働くから、お姉ちゃん、口利きしてね!」
それが最近の口癖で、そのためのお勉強を続けている。
マリーは以前よりもずっと元気に、そして明るくなった。
ノエル王女殿下に仕えるうちに、私は色々なことを知った。
ノエル王女殿下は婚外子で、正式な王女とは認められていない。
実の父からは放置され、兄からは邪険にされる。そして生みの母は幼くして亡くなり、継母には夫が愛人に作らせた子として疎まれている。
それを初めて知ったときは思わず涙した。
でも、ノエル王女殿下は笑ってた。
『生まれは関係ない。いつか素敵な人と結婚して、そうして娘が出来たら母の形見のネックレスをプレゼントする。私がそうしてもらったように』
夢見る乙女のような顔をする。
彼女は誰よりも強く見えた。
「ノエル王女殿下は、どうしてそんなにお強いんですか?」
「ある人に、励ましてもらったの」
私と出会う一年ほど前に、どこの誰かも分からない、だけど格好いいお兄さんに励まされ、立派な聖女になって居場所を作ると決意したらしい。
ちなみにその話の間、ノエル王女殿下は格好いいお兄さんと17回も強調していた。
私のご主人様は、以外と惚れっぽいのかもしれない。
それから、あっという間に七年が過ぎた。
ノエル王女殿下は一九歳、妹のマリーも十九歳。マリーは、二十歳になると使用人の試験を受けると息巻いていた。そんなある日。
緊急の会議に出席していたノエル王女殿下は、部屋に戻るなりベッドに倒れ込んだ。
「ノエル王女殿下、ずいぶんとお疲れのようですが、会議の場でなにかあったのですか?」
「ええ、あったわ。……私、レイヴェル皇国の皇帝に嫁ぐみたい」
頭が真っ白になった。
レイヴェルというのは敵国も同然の国だ。
どういうことかと問い詰めると、ノエル王女殿下は実は――と事情を打ち明けてくれた。
一言でまとめるなら、ノエル王女殿下の兄、王太子がやらかしたらしい。政治的なミスとかそういうレベルの話ではなく、単純に馬鹿なことをしでかした。
そして、その詫びについて話し合った結果、ノエル王女殿下が嫁ぐことになった、と。
だから嫁ぎ先での印象は最悪で、まともな生活が送れるかも分からないそうだ。
「――なんですか、それは! 完全にとばっちりじゃないですか!」
「ミレイユの言うとおりね。まったく、逃げ出したい気分よ」
「では逃げましょう。私はどこまでだってお供しますよ」
私には覚悟がある。
妹だってそうだ。
事情を話せば、喜んでついてくるだろう。
でも、ノエル王女殿下は冗談だと笑った。
ここで逃げたら兄が追ってくるとか、色々と言っていたけど……要するに、国際問題になるのが嫌だったみたいだ。こんなときでも、ノエル王女殿下は国のことを考えている。
私も軽口で返したけれど、正直なにを話したかはよく覚えていない。
私がそうしたように、ノエル王女殿下も婚約を破棄できればいいのに。
そう思ったけれど、輿入れまでは粛々と進んだ。
ノエル王女殿下も色々と手を回したけれど、運命を変えることは出来なかった。
そして、私はマリーと話し合った。
「マリー、私は……」
「分かってる。ノエル王女殿下と一緒に行くって言うんだよね。いいよ、行ってきて」
「……いいの?」
あまりにあっさりしすぎて、状況が分かってないんじゃないかと不安になる。
でも、マリーはすべて理解していた。
「その代わり、私も成人したら後を追いかけるから。落ち着いたら手紙をちょうだい。それで、そのときは二人で一緒に、ノエル王女殿下に恩返しをしよう?」
「……マリー、だけど」
嫁ぎ先は敵国だ。
だから、手紙は出せないかも知れない。
「お姉ちゃん、これは約束だよ。私はお姉ちゃんが先に行くのを認める。だから、お姉ちゃんも必ず、私が後から迎えるように手紙を出して」
「……うん、分かった。必ず、手紙を書くわ」
こうして、私とマリーの方針は決まった。
だけど――
旅立ちの日。
ノエル王女殿下を慕うわずかな者たちが見送りに現れた。私はその列に加わらず、ノエル王女殿下が乗り込む馬車のまえで主が現れるのをじっと待った。
「……部屋にいないから、見送りに来てくれないのかと思ったわ」
「ええ、見送りはいたしませんよ」
ノエル王女殿下は怪訝な顔になった。
そして次の瞬間、まさかという顔になる。
「私はノエル王女殿下の侍女です」
これからも貴女の侍女だと主張する。
なのに――
「貴方のことは司祭様にお願いしてあるわ。仕事に困ることはないはずよ」
冷たく突き放される。
でも、私がそれが優しさであることを知ってる。
「あの日、貴女が無茶な直談判をした私の言葉に耳を貸してくれなければ、瘴気に侵された妹は死んでいました。だから、私はどこまでもお供いたします」
たとえそれが死地だったとしても。
「……貴女がいなくなったら妹はどうするの?」
「いままでに貯めたお金を全部を渡してきました」
「貴女の妹はまだ幼いでしょ? 家族が必要なはずよ」
貴女と同い年。未成年なのは貴女も同じです。
なんて、貴女は自覚してないんでしょうね。
「だとしても、妹は貴女について行けと背中を押してくれました」
「バカね。どうせ『貴女の命の恩人だから』、とか言ったのでしょう? そんなことを言えば、行かないで欲しい。なんて、言えるはずないじゃない。だから、ダメよ」
「ノエル王女殿下、ですが……」
マリーも後を追いかける覚悟を決めている。
そう打ち明ける寸前。
「私は私の家族を信じていない。期待だってしていない。だって愛されたことがないから。でも、貴女たちは違う。妹のために、戦場にいる私のもとまで直談判をしにきた」
突然、出会ったときのことを話し始めた。
どうしてその話を急にするの? その答えはすぐに分かった。
「――だから私は、貴女たちに仲良く、幸せになって欲しい」
その一言に胸が一杯になった。いまなら、ノエル王女殿下がどれだけの想いで、妹のためにがんばる私を、『すごい』と言ってくれたのかがよく分かる。
「ズルいです、ノエル王女殿下。そんなふうに言われたら断れないじゃないですか」
「断らなくていいわ」
ノエル王女殿下にアクセサリーを押しつけられた。それを見て目を見張る。ノエル王女殿下が大切にしていた母の形見のネックレスだったから。
「……お母様の形見ではありませんか?」
「そうよ。娘が出来たらプレゼントしようと思ってたの。でも私には無理だから、貴女に託すわ。いつか、貴女に娘が出来たら、プレゼントしてあげて」
「……受け取れません。これは、ご自分の娘にあげてください」
受け取るなんて出来ない。
ノエル王女殿下が、どうして私にネックレスを渡そうとしているか分かってしまったから。
ノエル王女殿下は敵国で死ぬつもりだ。
だから、自分の夢を、私に託そうとしている。
「お願い。私の分まで幸せになって」
「――っ」
あの日の妹と同じセリフ。だからこそ、それがノエル王女殿下の本心だと分かった。
心が折れそうになる。でも折れるわけにはいかない。
どうしよう? どうしたらいい?
頷くのは絶対にダメ。ここで頷いたら、ノエル王女殿下はそれで満足しちゃう気がする。でも諦めさえしなければ、ノエル王女殿下ならきっと敵国でも上手くやっていけると信じてる。
だから――
「私の分までだなんて、そんな悲しいことは言わないでください!」
「言わなければ、受け取ってくれる?」
「それは……」
たぶん、どれだけ説得しても、ノエル王女殿下は私の同行を認めてくれないだろう。誰かのためと決めたなら、どんな選択だって出来る。それが私の仕えるノエル王女殿下だから。
だとしたら、もうこれしか残っていない。
「ノエル王女殿下が幸せになることを諦めないと、約束してくださるなら」
諦めないで欲しい。
それが私の唯一の願いだと訴える。
ノエル王女殿下は少し困ったような、だけど精一杯の笑みを浮かべてくれた。
「約束する。最後まで諦めない。そうしていつか幸せになったと思えたら、貴女に手紙を出すわ」
「……はい。そのときは、妹と一緒に、このネックレスを持って会いに行きます」
私は泣きそうになるのを堪えながら、走り去る馬車を見送った。
「まーりーいー、お姉ちゃん置いて行かれちゃったぁっ!」
家に帰るなり、私はマリーにぎゅーってしがみついた。
「お姉ちゃん!? ノエル王女殿下についていったんじゃないの?」
「だって、あの人ズルいのよ! 姉妹で仲良く、幸せになれ、それが私の願いだから。とか言うのよ!? そんなこと言われたら、断れないじゃない!」
ノエル王女殿下はいつもズルい。
「なにが私の分まで幸せになって、よ! それが自分のわがままみたいに言うな! こっちは、ノエル王女殿下の頼みなら、死地にだって飛び込む覚悟は出来てるのよ!」
私にとってノエル王女殿下は恩人で、仕えるべき主で、妹のような存在だ。どうせわがままを言うなら、ついてきてと言って欲しかった。
「……よしよし、辛かったね。でも……これで終わりじゃないよね?」
私は涙を拭う。
「もちろん、終わりじゃないわ。幸せになったら手紙を書くと言ってくれた。それを受け取ったら、二人でレイヴェル皇国へ行くと約束したわ」
「ナイスだよ、お姉ちゃん!」
たぶん、ノエル王女殿下は信じていない。私とマリーが後を後を追いかけることどころか、自分が幸せになれるとすら思ってない。
ハイスペックなわりに、自己肯定感の低い人だから。
でも私は信じてる。
ノエル王女殿下が逆境を跳ね返して、幸せになったと手紙を送ってくることを。
こうして、私とマリーはレイヴェル皇国への移住計画を立てた。手紙が来たとき、すぐに南の大陸に渡れるように準備を進める。
そうして過ぎた一ヶ月のあいだに、この国の情勢は大きく変わった。
各地で瘴気の浄化が間に合わなくなりはじめたのだ。
ノエル王女殿下に鍛えられた聖女たちががんばってはいるが、それも限界はある。ノエル王女殿下の抜けた穴はあまりにも大きすぎた。
だが、マティアスさんから聞いた話だと、王太子はそれを認めようとしないらしい。
そもそも、ノエル王女殿下の働きはなかったことにされている。だから抜けた穴など存在しない。最近瘴気溜まりの浄化が滞っているのは、聖女たちの怠慢だと言い放ったらしい。
当然、聖女たちから不満の声が噴出した。
聖女の重要性を知る、騎士や貴族たちからも苦言がなされている。王太子に味方する者たちは、一人、また一人と距離を置き始めたらしい。
「ノエル王女殿下をないがしろにするからよ、ざまぁみろ」
ぽつりと呟くと、少しだけ気分が晴れた。
だけど、王太子は考えをあらためるどころか、ノエル王女殿下を庇う者たちがわざと浄化を遅らせている、などと主張して、魔女狩りを始めたらしい。
私とマリーも身の危険を感じ、しばらく身を隠すことにした。
そんなある日。
マティアスさんが家を訪ねてきた。
いつもなら国の情勢を教えてくれた後、お茶をして帰って行く。
だけど今日は、少しだけ違った。
「ミレイユに会いたいと言っている人がいる」
「……私に?」
「キミの元婚約者だ」
「え? ……あぁ、もしかして、クリフのことですか?」
「そうだ。キミの連絡先が分からなくて探していると言っていたぞ。ひとまず返事は保留にしてあるが、キミはどうしたい?」
かつての婚約者。
はっきり言って未練はない。どころか、最近は存在すら忘れていた。でも、一度は婚約した相手だ。なんの用事くらいは確認しておいた方がいいだろう。
「分かりました。別に未練とかはありませんが、話くらいは聞いてみようと思います」
「そうか。まぁ、その、なんだ。よりを戻すのもありだと思うぞ?」
「未練はないって、言ってるじゃないですか」
「いや、冗談だ。そんなに睨むことないだろう?」
貴方がそんなことを言うからよ!
なんて、負けた気になるから言わないけど。
とにかく、私はクリフと会うことにした。
念のために場所は移し、予備の隠れ家で待ち合わせる。
しばらくすると、マティアスに案内されたクリフが家を訪ねてきた。
リビングで迎えると、彼は懐かしそうに目を細めた。
「久しぶりだな」
「ええ。その……クリフよね?」
当時の面影はあるけれど、すっかりやつれてしまっている。
「まぁその、色々とあってな」
「そう? まぁ座って話しましょうか」
彼の過去に興味がない私は、本題に入ろうとテーブルを指差した。
「それで、私に話というのは?」
「ああ。風の噂で侍女を辞めたと聞いたんだ」
――止めてない。
反論が喉元まで込み上げる。けど、ここで否定すると、レイヴェル皇国へ移住しようとしていることがバレてしまう。私はそれを隠すために微笑んだ。
「だとしたら、なんだっていうの?」
「おまえは、後悔しているか?」
……は? なにそれ?
「私が後悔していたらなんだっていうの? 自分の言葉が正しかったとでも言うつもり?」
「……そうだ」
ふざけないで!
喉元まで込み上げた言葉は、だけど寸前で呑み込んだ。
「……どうして、そんな顔をしているの?」
「俺が、後悔しているからだ」
「後悔?」
「そうだ。おまえと婚約を破棄して、それからしばらくは上手くいっていた。だが、あらたに迎えた嫁には逃げられ、王太子も賄賂を受け取るだけ受け取ってあのざまだ」
「王太子殿下に賄賂を贈っていたの?」
「正確には、その側近の一人、だがな」
あぁ……王太子殿下はいま、側近にも横暴な態度をとっているって話だったわね。
「自分が後悔しているから、私もそうじゃないかってこと?」
「まぁな」
「そう。それならおあいにく様ね。私は後悔なんてしていないわ」
「……どうしてだ? 解雇され、王女だって敵国に送られただろ」
「そうね。でも、ノエル王女殿下は敵国でだって幸せになると信じているわ」
「幸せに? なれるはずないだろ。王太子が色々やらかしたことを知らないのか?」
「知ってるわ」
「なら分かるだろ。その妹として、とっくに殺されてる。そうじゃなくても囚人扱いだろうよ」
「それ以上、ノエル王女殿下を侮辱したら許さないわよ」
睨み付けると、クリフはそっと目を伏せた。
言い返してこないんだ。
「……あなた、少し変わったのね」
「そうだな。だが、そうか……後悔してないのか」
彼はどこか落胆した様子で立ち上がった。
「……帰るの?」
「ああ。おまえが後悔してるなら、二人でやりなおさないかというつもりだったんだが、な」
「……そう。悪いけど、私はもう、よりを戻したいとは思っていないわ」
「だろうな。……その、なんだ。あのときは……悪かった」
クリフに謝られる日が来るなんて思わなかった。
……本当に、変わったのね。
「ねぇ、クリフ。私はあのとき、もうダメだって思った。でも、ご覧のとおり終わってない。あなたも、もう一度がんばってみたらどうかしら?」
「……あぁ、そうだな。ありがとう」
クリフはクルリと踵を返し、そのまま玄関から出て行った。
それを見届けた私は一息吐いて、隣の部屋で待機していてもらったマティアスさんを呼ぶ。
「お疲れ様。終わったようだな」
「ええ。そうですね。終わりました」
もう彼と会うこともないだろう。
「……ねぇマティアスさん、お茶に付き合ってくれますか?」
「ああ。俺でよければいくらでも」
いま、私の側に、マティアスさんがいてくれることに感謝した。
こうして、私はマリーが待つ別の隠れ家へ戻った。
そうして、ノエル王女殿下からの手紙を待ち続ける日々。
ノエル王女殿下なら大丈夫だと信じてる。でも、それは私の勝手な思い込みかも知れない。実際に、彼女がどれだけ大変な思いをしているかなんて、私には半分も分からないから。
だけど、それでも、ノエル王女殿下ならきっと。
そんなふうに祈る日々。
ある日、マティアスが手紙を持ってきた。
「これは、間違いありません!」
手紙には、ノエル王女殿下が私信で使う封蝋が施されている。
「ノエル王女殿下からのお手紙よ!」
マリーをリビングに呼び、マティアスと三人で手紙を囲う。
「お姉ちゃん、早く手紙を開けてよ!」
「ええ、分かってるわ」
ノエル王女殿下は、幸せになったら手紙を書くと言っていた。
だから、手紙には幸せを告げるメッセージが書かれているはずだ。
でも、そうじゃないかもしれない。
たとえば、遺言が書いてあるかもしれない。
いや、そんなはずない。きっと大丈夫。
私の仕えたノエル王女殿下はすごいんだから!
逆境なんて跳ね返して、きっとみんなに認められているはずよ。
そして、私と妹は、二人でレイヴェル皇国へ行く。
だから大丈夫と、勇気を出して手紙を開けると、そこにはこんな言葉が書かれていた。
『私、救世主だったみたい』
「……いや、どういうこと?」
顔を見合わせて、私たちはそのまま手紙を読み進める。そこには、それなりに安全な環境を手に入れたから、望むのなら移住する? みたいな内容が書かれていた。
そして、いまが幸せなら、そのままアシュタル国で暮らせばいいと、配慮までされている。
「いやいやいや、配慮をする場所がおかしいでしょ! なにがあったんですか! というか、なにをしたんですか!? もうちょっと他に書くことがあるでしょう!?」
こんなの、気になって仕方ない。
「マリー、すぐにレイヴェルへ向かうわよ!」
「うん、そうだね。早く行って、なにがあったか教えてもらわないと」
言うが早いか、マリーは荷造りをするために自分の部屋へと駈けていった。
それを見送り、マティアスさんへと向き直る。
たぶん、機会はこれが最後だろう。
「……その、少し相談があるんですが」
「そうか、聞こう」
彼がまっすぐに私を見た。
「えっと、その……マティアスさんには最初からお世話になりっぱなしでしたね。それに、ノエル王女殿下にお仕えしてからも、色々と面倒を見てもらって」
「好きでやっていたことだ。気にする必要はない」
「そう、なんだ……その、ありがとう、ございます」
それを口にするだけで、なぜか口の中がカラカラになった。
あぁもう、なにを緊張してるのよ。
これで最後なんだから、ちゃんと言わないと。そう思うのに口が上手く動かない。
「それで、その……レイヴェルまではそれなりに危険な道のりで、えっと……そう! 護衛を雇おうと思っているんです。それで、出来れば気心のしれた貴方に、と……」
日和った私は嘘を吐いた。
それに対して、マティアスさんはふっと息を吐いた。
「残念だが、護衛として他国へ行くことは出来ない」
「そう、ですよね……」
彼はこの国の騎士。
それは分かっていたことだ。
私は拳をギュッと握り、無理に笑う。
「無茶を言ってごめんなさい。いまのは、その……忘れてください!」
「いや、それも出来ない」
マティアスさんが私の手を握った。
「……へ?」
「最近は身辺整理をしていてな。さきほど、退職届も出してきた。だから、よければ俺もレイヴェルに連れていってくれないか? 護衛としてではなく、一人の男として」
「え? それって……」
「俺と結婚してくれ。必ず、二人をノエル王女殿下の元へ送り届けると誓うから」
彼は片膝を突くと、私に指輪を差し出してきた。
夢のような光景。それに私は――
数日後。
私とマリーはひっそりと、レイヴェル皇国へ向かって旅立った。そして、その隣には頼もしい護衛――ではなく、私の旦那様が寄り添っていた。
お読みいただきありがとうございます。
楽しんでいただけましたら、ブックマークや評価を残していただけると嬉しいです。
ノエル王女殿下になにがあったか興味がある方は別作品もご覧ください。下にリンクを貼ってあります。




