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ウミガメのスープ

声の大きな方

作者: 九条智樹


「声の大きな方、って知っていますか?」


 もう何度目だろうか。いよいよ扉を開けるより口を開く方が早かったのでは、なんて思いながら、俺は読みかけの文庫本から視線を上げた。

 入り口にはいつもの彼女。何かを期待したような目を向けられながら、俺はこれ見よがしにため息をつく。


「知っているよ。いま目の前にいる」


「怒りますよ?」


「事実を言っただけじゃないか……」


 むぅっとむくれる彼女に軽く頭を下げると、「まったく」なんて言いながら、彼女は俺の対面のパイプ椅子に腰かけた。


「この前の休日、お昼に家族と外食に行ったんです」


「……俺、まだその話聞くなんて言ってない」


「続けますね」


 今日もこれ以上の読書は無理か、と俺はしおりを挟んだ。いつになったら読み終えられるんだろうかと思いつつ、その本をそっと脇に置く。


「それで、帰り際、父がお会計をしている側で待っていたんです。そうしたら、後ろで店員の方がこう言ったんです。

『お待ち三組です。うち一組、声の大きい方がいらっしゃいます』

って」


「……へぇ。よほど声の大きな人がいたんだなぁ」


 わざわざ店員同士の連絡でも伝えるなんて、よほどうるさかったのか。


「でも、おかしくないですか?」


「何がさ」


「そんな情報を伝えることが、です」


「よっぽど腹に据えかねたんだろう」


「もしかしたら、そういうお客さんがいたのかもしれません。――ですが、()()()()()()()()()()()()()()?」


 ずいっと身を乗り出す彼女を制しながら、俺は言わんとしていることを察した。


「……つまりアレか。そんな悪口を他の客が聞こえる範囲で言うなんてことがあるか、ってことか?」


「はい。それは少しおかしいと思うんです」


「……一つ、当たり前のことを言うぞ」


「何でしょう?」


「世の中の店員、みんながみんな真っ当に行動するわけじゃないぞ」


 もしそうであるなら、いわゆるバイトテロなんて行為が取り沙汰されるわけもない。他の客がいようといまいと余計なことを言ってしまう、なんて人くらいどこにでもいるだろう。もちろん、あとで店長なりに叱責されるだろうが。絶対にそんな行為をする人間がいない、と断ずるのはあまりに偏っている。


「そうかもしれません。――でも、そうじゃないかもしれませんよね?」


 つまりは、そういうこと。

 今日のお題は、そんなありきたりで一番あり得そうな可能性を排除して、彼女が納得する「声の大きな方」が意味することを見つけることらしい。

 理解はした。した上で、俺はまたしても深く深くため息をこぼした。


「……俺を何でも答えてくれる便利なチャットボットとでも思ってないか?」


「そんなことないですよ」


 なんて言いながらも、彼女の目に宿る期待は消えていない。いよいよ俺は諦めて、脇に置いていた文庫本を鞄にしまった。


「それで『声の大きな方』の意味だったか。――簡単だな。悪口じゃなくて、必要な報告だったんだよ」


「どうしてですか?」


「声が大きければ他のお客さんの迷惑になるからとか」


「それは私も考えました。――けれど、そのことを店内に伝えて、どうしたいんでしょうか」


 そう言われて、俺は言葉につっかえた。


「ほかのお客さんの迷惑になると言っても、なにか特別な措置はとれませんよね? たとえば小さなお子さんがいるのであれば、子供用の椅子が使えるよう案内する席が変わるかもしれません。けれど声が大きい場合はどうしようもないかと」


 彼女の指摘は至極当然だ。そこで何か対応を変えないのなら、そもそも連絡する意味はない。

 そうであれば、やはり、言葉通りの意味ではないという結論に至るほかない。

 毎度のことながら面倒なことを持ち込んでくる、と心の底で小さく舌打ちしながら、俺は椅子に深く座り直した。


「そうじゃないなら、やっぱり何かを言い換えているんだな。ほら、太郎さんみたいな」


「なんですか、それ?」


「……まぁそれはいい」


 わざわざ口に出したいものでもない俺は本筋へと戻した。あの姿や動きは思い出すだけで怖気が走る。


「要するに『声が大きい』っていうのは、その店独自の隠語なんだと思う。大抵は連想しやすい何かだったりすると思うけど」


「それはなんでしょうか?」


「たとえばよく来るクレーマーだったとか」


 声が大きいというのは物理的な声量の大きさを指していないという見方だ。よく自己主張の強い人を指すこともあるから、この線はそれなりに真っ当だろう。

 けれど、彼女は少し考え込んで首を横に振った。


「それは少し変だと思います」


「どうして?」


「わざわざ情報共有が必要なほど迷惑な方がいらっしゃったのなら、素直に出入り禁止にするのでは?」


「それは程度の問題だろう。そこまでの強硬措置を執るほどではない相手だっているさ。クレーム対策でいつもより接客を丁寧にしておきたいとか、店員同士で情報を共有する意味だってある」


「だとしても、です。――だってその言葉、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 言われて、はっとした。

 大抵の飲食店の会計は出入り口近くで、入店待ちの客も当然、その付近にいる。それなのに「クレーマーが来ましたよ」なんて大きな声で喧伝するだろうか。


「声が大きい、というのはかなり直接的な表現です。もしクレーマーの方の耳に入れば、それだって十分にトラブルの種になると思います」


 その指摘に俺は反論できなかった。できないということは、俺の持ち出したその案は捨てざるを得ない。


「……整理するか」


 簡単には答えに辿り着けなさそうだと感じた俺は、改めてそう切り出した。


「場所は飲食店、その出入り口付近。

 日時は休日の昼間。

 店員は『声の大きい方がいらっしゃいます』と他の店員と情報共有した。

 そして、その声は会計の傍にいた他の客にも十分聞こえるものだった」


「はい、状況としてはそれくらいです」


「だとすると『店員同士で情報共有が必要な相手が来た』というのは前提だな。それと『相手を悪く言う』事柄ではない」


 そうですね、と彼女もまた同意する。

 ふむ、と少し考え込む。


「……たとえば、酔っ払いが来ていたとかならどうだ? 既にかなり酔っている客が来ていたなら、注意が必要だろうし、そういう情報を伝達する意味はある」


 二次会というわけではないだろうが、何らかの締めや甘味を求めて別の店に入ることはあるだろう。その注意なら悪口ではないから、他の客に聞こえないように配慮されなくてもおかしくはない。


「……なくはない、ですね」


「納得はしていなさそうだな」


「正直に言えば、そうですね。……その帰り際、私はそんな酒臭さなんかを感じた記憶がないんです」


 言われて、それもそうか、と俺は頷く。

 もし注意喚起が必要なくらい泥酔している客が来ていたなら、それは彼女の記憶に残るはずだ。――そして何より、時間は休日の昼間だ。これから店に入るというタイミングで既に出来上がっている、というのは少し状況として考えがたい。

 結局は振り出しであった。


「私も少し考えてみたんですが、いいですか?」


「あぁ」


 俺が促すと、少しだけ彼女は前のめりになって話し始めた。


「たとえば『大きい』というのをストレートに伝えるのを避けるために、『声』という被修飾語をつけたのではないか、と思うんです」


「たとえば?」


「思いついたのは『体が大きい』とかですね。飛行機や新幹線でも、力士の方なんかが二名分の席を取ったりするのは聞く話です。たとえば三名となっていたけれど、体格を見るに席は六名分確保しておきたい。そうであるなら、伝達する意味があるんじゃないでしょうか」


 なるほど、ありそうな線だ、と俺は思う。

 彼女の持ちこんだ謎で、彼女が納得して出した答えだ。それに頷けば今日のミッションは終わりだ。

 分かっていて、それでも俺はため息混じりに小さく首を横に振った。


「それは、少し成り立たないよ」


「なぜでしょうか?」


「一つ。伝達する情報に人数がなかった。座席の確保を促すためなら、それは欠かしちゃいけない情報だ」


「あ……」


 確かにそうだ、と彼女も思ったのだろう。小さな声が漏れていた。


「それになにより、酔っ払いの時と同じだよ。――もしそれくらい恰幅のいい人がいたなら、帰り際に気づいたはずなんだ」


 ただ少し太っているくらいなら、情報を共有する必要はない。案内する座席に影響があるくらいに横幅があるのなら、それは少なくとも日本では人目を引くはず。ましてや謎の隠語に気を取られていた彼女が、そんな対象がいればすぐに結びつけて答えを出せていたはずだ。

 逆説的ではあるが、そんな覚えがないのなら、彼女の説は成り立たない。


「……つまり、その言い換えた相手は『どこにでもいて記憶にも残らないような特徴』でなければいけないっていうことですね」


「あぁ」


 たとえば盲導犬を連れているだとか、浸透はしていても滅多に見る機会がないような事柄も、記憶のフックになってしまうからNGになる。


 さて。


 ありきたりな人であり、かつ『声が大きい』ということが悪口にはならない範囲の特徴を有し、その上で情報を共有する必要がある。

 そんな相手が果たしているだろうか、と少しばかり深く考える。

 声や大きいというワードに引きずられすぎて、おかしなところに寄り道をしている気がした。


 だから、考えるべきは別のこと。

 そう。たとえばどんな人が来たなら、案内する座席に留意が必要か、とか。

 そしてその相手が『声が大きい』という隠語で伝わるような特徴を有しているか、というのを後付けで考えてみる。

 そうすれば、きっと答えは――……


「あぁ、なるほど」


 ふぅと息を吐いた。

 今日のオチは、たぶんこれで納得してもらえるだろう。


「なにか思いついたんですね?」


「まぁな。やっぱり『声が大きい』っていうのが何かの言い換えなのは間違いないと思う」


「はい、それはそうだと思います」


「それも隠語とは言え、それなりに連想できる範囲じゃないと、店の中で浸透しないんじゃないか。だから、たとえばどんな人は声が大きくなるかを考えてみた。そうすると、耳が遠い人、っていうのが、俺は真っ先に思いついた」


「お年寄り、ということですか?」


「あぁ。――それなら、これまでの条件に全部合致するだろう?


 お年寄りなら足が悪いことが考えられる。案内する席は出入り口に近い方がいい。もし店奥に段差があるなら、そこは避けなきゃいけないだろう。


 直接的にお年を召している、なんて言うと気に障る可能性もある。女性ならなおさら気にするだろう。だから『声が大きい』っていう隠語で共有するのも筋が通る。


 そしてなにより、この社会でお年寄りなんかたくさんいる。足が悪そうと判断するなら、例えば杖をついていたのかもしれないけれど、それだって今日の帰り道で探せって言われても数人は見つけられる自信があるよ」


 俺の示した答えを噛みしめるように、彼女は何度も頷いていた。それから、少しだけ明るい笑みを俺に向けた。


「そうですね。それなら、とても得心がいきます」


 すっきりした、というような顔をする彼女に、俺は小さくため息をつく。


「これで満足か?」


「はい」


「店員の悪口ではなく気遣いのための配慮だった。そういう風な綺麗な話だったなら、気持ちがいいもんな」


「……別に私はそんな潔癖ではないですよ」


「どうだか」


 俺は言いながら、立ち上がって鞄を肩にかける。

 今日の話はここまで。

 彼女の声が大きくなる前に、さっさと退散するとしよう。


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