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【第8話】《来たる夜襲》

【第8話・起】

静かすぎる夜

クラウゼ地下三階は、ひどく静かだった。

魔素の流れも、モンスターたちの足音も、まるで眠りについたように穏やかで、気配のない夜が広がっていた。

だが、それが逆に、異常だった。

「監視魔術網、全層再強化。地下一階から三階まで、流動反応正常。……今のところは」

中央管制区の小さな卓上魔法陣の前で、リリエは淡々と呟いた。

指先から発せられた魔素が光の線を描き、空中にクラウゼ全体の構造図が立ち上がる。

彼女の視線はその各ポイントをなぞり、わずかな“乱れ”を探知する。

(まだ……来ていない。でも、何かが触れ始めている)

その瞬間——微かな“波紋”が、空間に走った。

ピコン

通信用魔術門が、淡い音を鳴らして知らせる。

リリエの瞳が僅かに収束する。即座に解析に入った。

「……結界外部より、低周波干渉。多点同時振動。擬似的揺さぶり攻撃」

解析を終えたリリエは、無表情のまま一言だけを告げた。

「来ます。敵の“試験部隊”と推定されます」

その頃——

佐々木は自室の作業机に、階層ごとの地図とモンスター配置表を広げていた。

既に何度も見直した内容だったが、落ち着かず、何か見落としてはいないかと目を凝らす。

隣では支援用の魔道具類と簡易式の転送符がきれいに並べられていた。

「深夜が一番やられやすいのは、現実でもこっちでも同じか……」

小さく呟いたそのとき、部屋の端末からリリエの声が響いた。

《佐々木様、侵入の可能性あり。直ちに戦闘準備を》

「了解。すぐ向かう」

同時刻——

地下一階のモンスター前衛区画では、ミナが戦闘用個体に最後の確認を行っていた。

「いいか、勝てるかどうかじゃない。負けたら全部終わりなんだよ!」

彼女の言葉に、モンスターたちは吠えるでもなく、淡く魔素を振るわせることで応じる。

意志あるものと、命令で動くもの、その間にある曖昧な忠誠。

ミナはそれを嫌というほど知っていたし、今だけは信じようとしていた。

すると、彼女の背後で警告音が鳴る。

「……来たか」

次の瞬間、階層全体にわずかな震動が走った。

それは明確な“侵入の兆候”だった。

クラウゼ——その小さな砦に、ついに最初の“正面戦”が始まろうとしていた。

【第8話・承】

襲撃開始と初撃

クラウゼ地下一階、北側通路群にある防衛結界が、唐突に“たわんだ”。

それは目に見えるほどではないが、魔力の敏感な者にははっきりとわかる歪みだった。

直後、数本の通路にほぼ同時に、黒ずんだ魔素の塊が侵入する。

「侵入反応、五方向。判別不能種が三体、高速接近」

リリエの声が冷静に響く。指先が空中に描く術式回路に魔素が注がれ、複数の罠が起動する。

「対応モード、連動防御型。制御開始」

その瞬間、侵入口の周囲に張られていた結界が起動。

蒼白い光が床から立ち上がり、侵入者の脚を拘束する。

「グアッ!?」

「——動けんだと!?」

拘束式が完了するよりも早く、圧縮音響爆弾が炸裂。

通路の壁に設置された装置から放たれた重低音が空間ごと震わせ、侵入者たちの鼓膜と内耳を直接揺さぶった。

さらにその直後、視界を奪う幻覚霧が吹き出す。

空間が歪み、敵の連携が狂っていく。

だが——

「冷静に。第五隊は後退、第二隊、抜けろ!」

敵側の隊長格が冷静に指示を飛ばし、一部の部隊は罠の効果を“最小限”に抑えながら進行を継続した。

結界のスキマを突き、幻覚の波長に即座に慣れる反応——まるで“この罠を知っていた”かのような動きだった。

リリエの眉が僅かに動く。

「……罠に対する適応が速すぎます。反応速度は“訓練されたもの”」

「つまり、ただのモンスターじゃないってことか」

佐々木が隣で呟いた。

その声にリリエは小さくうなずくと、さらに術式回路を拡張し、新たな罠の連動命令を出す。

その頃——

地下通路南側、裏側ルートでは、ミナが小規模の遊撃部隊を率いて移動していた。

「行くよ。あんたら、吠えるのは後。今は静かに、息を殺して」

彼女の合図に、モンスターたちは静かに従う。

影のように通路を這い、先行する敵部隊の背後を取るように配置を進めていく。

「罠の中での戦いは、あたしたちが一番得意。——あとはタイミングだけだ」

敵の進行速度は速く、各部隊が中央ホール付近へと迫りつつある。

だが、その背後にミナの小隊が潜み、牙を研ぎ澄ませていた。

夜の静寂は、いよいよ崩れ始めていた。

【第8話・転】

地下一階の崩落と知性体

――轟音が、ダンジョンに響き渡った。

「っ、なに今の!?」

ミナの背後で、部下の小型モンスター《スレイトフォックス》が一体、瓦礫に巻き込まれるように転がった。

振り返った先には、地下一階西端の壁面――本来なら魔素で強化された“安定区画”の一部が、まるごと崩落していた。

「魔素封印装置、破損……?まさか」

ミナは無意識に背筋を凍らせる。

そこは、かつて彼女自身が罠設置と巡回を行っていた区域だった。

あそこが崩れるはずがない。崩れさせるとすれば――“内部情報を知る者”か、それに匹敵する予測能力を持つ敵のみ。

「リリエ、聞こえる!? 西端、崩れた!封印装置がやられてる!」

《……確認しました。想定を超えています。すぐに再封印を試みますが、当面は戦闘継続を優先してください》

リリエの返答の直後、崩落した瓦礫の向こうから、ゆっくりと歩み寄る人影のような影が現れた。

ミナは反射的に構えた。

が、その“敵”は武器を構えず、ただ静かにこちらを見つめていた。

長身で細身。黒い皮膜に覆われた身体。

だが、その顔には“仮面”すらなく、まるで彫像のような無表情が浮かんでいる。

「……クラウゼの構造は、非効率だな」

「……!?」

喋った。

ミナの思考が、一瞬だけ止まった。

この敵は“知性”を持っている。

言葉を話し、こちらを“対象”としてではなく“存在”として認識している。

「魔素循環が浅い。防衛構造も局所依存。こんな不安定な砦で、何を守るつもりだ?」

その声は穏やかだった。

だが、その穏やかさの奥に、“見下し”と“確信”があった。

まるで、既に勝敗は決しているとでも言いたげな、冷たい視線。

「……黙れよ」

ミナは呟くように言った。

「ここはあたしの場所なんだ。文句があるなら……潰してから言いな!」

魔素が脚に集中し、一気に踏み込む。

爆発的な魔力の蹴りが、目の前の“敵”を叩き潰さんと放たれた。

だが、その一撃は、わずかにいなされる。

「反応速度0.7秒。悪くない」

「ふざけんなっ……!」

ミナは続けて拳を放つ。

火花が散り、魔素が壁を焼く。周囲の温度が一気に上昇する中、彼女は気づいていた。

(こいつ……戦いながら、こっちを分析してる……!)

相手は“モンスター”ではない。

知性、感情、そして計画性を持った“兵”だった。

だからこそミナは、震えそうになる心を無理やり押さえ込む。

(こわい。……でも、逃げたらもっとこわい)

目の前の存在に、彼女は本能的な恐怖を覚えながらも、なお前を睨み返した。

「次は……潰す!」

その言葉に、敵は僅かに口元を歪めた。

——微笑に近いものだった。

「ならば、もう少し楽しませてくれ。勇者の残骸」

そして次の瞬間、仮面のような男は魔素を歪ませるとともに、闇へと溶けるように姿を消した。

ミナの拳は空を切った。

「……消えた……? 転移、か」

空間にわずかに残る魔素の痕跡。

それは、“外部転送”の痕。つまり、奴はここで死ぬ気など最初からなかった。

ミナは歯を食いしばり、苦く吐き捨てた。

「……なんなの、あいつ……!」

だが、その答えはまだ、誰にもわからなかった。

【第8話・結】

反撃の狼煙

「制御権限、第七層に移行。——《罠ネットワーク》、強制連動モードへ移行します」

リリエの無機質な声が、中央制御室の空間を満たす。

指先が虚空に魔素を走らせると、クラウゼ全体に散らばった罠群が――目を覚ました。

通常は手動起動やセンサー反応によって作動する各罠が、今や中央AIによる予測型連動制御へと移行していた。

一体がトラップを抜ければ、その動線を先読みして次の罠が連動起動。

別ルートに移動すれば、幻覚霧が“そこだけを”濃くし、逃げ場を消す。

捕縛罠にかかった敵の近くでは、圧縮音響が爆発し、混乱を拡散。

一連の動作はもはや“罠”ではなかった――それは、ひとつの意志ある迷宮だった。

「こんな……罠じゃない……これじゃ“狩り”だ……!」

マクスウェル側の兵士が絶叫し、仲間の影へと姿を溶かすが、そこにも粘着拘束符が展開していた。

抗おうとするほどに深く、絡みつくように、クラウゼは侵入者を締め上げていく。

一方、崩落現場では——

「こっちの崩落、逆手に取れる。……リリエ、座標X32-Y11-Z2の地盤強度データ、出せるか」

《可能です。崩落地点を“逆落としの転送穴”に再構築できます》

佐々木は頷き、即座にモンスター工兵たちに指示を飛ばす。

「そこに誘導して、落とせ。あとは地形が処理してくれる」

爆発と地響きの連鎖。その中で、次々と敵の姿が地中へと飲み込まれていく。

ミナも自らの部隊を再編し、残存敵への奇襲を繰り返していた。

もはや戦局は逆転。侵入してきたはずの試験部隊は、罠と地形と迎撃により袋小路の獲物と化していた。

やがて――

「敵部隊、撤退を開始」

リリエの言葉と同時に、複数の魔力反応が後方へと逃走を開始する。

魔素の痕跡が、離脱用の転移魔法で掻き消えるのを、リリエは静かに見送った。

しかし、その中に——“例の知性体”の姿は、どこにも確認できなかった。

「あいつ……戻ったのか。最初から、勝ち負けじゃなくて“観察”だったのね」

ミナが低く呟いた。

最後の爆風が収まり、夜の静けさがわずかに戻りかけたとき。

クラウゼの制御室で、リリエが再び声を上げた。

「今回の襲撃は、“試験”にすぎません」

その言葉に、佐々木とミナの目が鋭くなる。

「次に来るのは、本体です。……クラウゼが本当に“選ばれるか”、試される時が迫っています」

制御室に沈黙が落ちた。

だがその沈黙は、敗北の静けさではなかった。

牙を研ぎ、策を重ね、次なる“本番”に備えるための沈黙だった。

夜は、まだ明けない。


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