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【第7話】《チームの亀裂》護るための分裂

起:それぞれの“現実”

重い扉が閉まる音が、微かに反響して、ようやく静寂が戻る。

クラウゼ地下三階、応接室。

あの銀髪の使者——シエラ・トレイヴが去ってから、誰も口を開かなかった。

テーブルの上には、すでに空になった黒封筒が横たわっている。

中から響いたあの声は、まるで夢だったかのように消えていたが、残された言葉の棘は、まだ三人の心を刺していた。

沈黙を破ったのは、佐々木だった。

その声はどこか、言い訳のように震えていた。

「……話し合いで、何か条件を……うまくやれば、丸く収められるんじゃないかな」

椅子に座ったまま、テーブルに視線を落とす。

一見、冷静な思考のようでいて、そこには焦りがにじんでいた。

だがその言葉が終わるや否や、ミナの声が食いかかるように飛んだ。

「——は? 何それ?」

立ち上がった彼女は、まっすぐに佐々木を睨みつける。

その瞳には怒りだけでなく、何か必死なものが宿っていた。

「あたしは、降伏するためにここにいるんじゃない!」

「“選べる”って、さっきの女は言ってたけど……それ、あんたの命と引き換えの選択肢でしょ!?」

佐々木の目が揺れる。

ミナの言葉に反論できない。

その理由が、自分でもよくわかっているからだ。

「……でも、まだわからないだろ。全滅するよりは、うまく交渉できれば……」

そう言いかけたそのとき——

「不可能です」

リリエの声が、静かに割り込んだ。

冷たさはない。ただ、無機質な事実だけがそこにあった。

「明言しておくべきでしょう。マスターがダンジョンマスターでなくなった場合、魂の基点が崩壊し、遅くとも四十八時間以内に肉体も精神も消滅します」

「っ……」

佐々木は言葉を失った。

「つまり、降伏は“死”です」

「交渉の余地があるように見えて、実質的には“死刑か戦争か”の二択です」

その言葉は、まっすぐに、容赦なく突き刺さった。

誰かを傷つけるためではなく、ただ“事実を伝える”ための刃。

佐々木は、目を伏せた。

初めて——はっきりと、自分の“死”という現実に向き合わされた。

ミナがひとつ、鼻を鳴らすようにして言った。

「……だったら、なんでさっきみたいなこと言うんだよ」

「そんなに死にたくないなら、ちゃんと“戦うしかない”って言ってくれよ」

その声には苛立ちと、少しの悲しみが混ざっていた。

「優柔不断な奴がトップじゃ……ほんと、終わるって……」

口を滑らせたことに気づいたミナは、それ以上は何も言わず、黙った。

けれど、その言葉は、すでに応接室の空気を変えていた。

三人の間に、目には見えない薄い壁が立ち上がる。

“護りたい”という気持ちは、同じはずなのに。

その方法が違えば、言葉は刃となり、胸を裂いていく。

——そして、まだ誰も気づいていない。

この空間の外側で、静かに、しかし確かに、クラウゼの“異変”が始まりつつあることに。


承:チームの最初のズレ


誰も何も言わなかった。

誰も、何を言えばいいのかわからなかった。

ミナの言葉が落とした重たい鉛のような空気が、応接室に沈殿していた。

言葉を継げば傷つける、黙れば遠ざかる。そんな沈黙。

テーブルの上には空の黒封筒だけが残されている。

それを挟んで座る三人の目は、もう交わっていなかった。

リリエは、一歩引いた位置から二人の表情を観察していた。

変わらぬ無表情の奥で、彼女の演算回路が静かに警告を発していた。

《チーム内信頼指数、減衰傾向》

《協働判断フレームワーク、崩壊リスク上昇中》

《発話による修復試行——保留》

(……“マスターの保護”を最優先とするなら、現状の亀裂は看過できない)

「……悪い」

沈黙の中で、ミナが小さく呟いた。

誰に言ったのか、何に対してかもわからない。

そのまま彼女は立ち上がり、椅子を乱暴ではないがやや勢いよく引いた。

「ちょっと……一人になりたい。頭冷やす」

それだけ言い残して、足早に部屋を出ていった。

扉が閉まる音が、今度はやけに小さく聞こえた。

リリエは扉の方を一瞥し、視線を佐々木に戻す。

彼はまだ同じ姿勢のまま、沈黙を続けていた。

やがて、ぽつりと漏らす。

「……向いてないのかな、俺。こういうの」

そう言って、背もたれに体を預けた。

その目には、迷いと疲労が混ざっていた。

正面から現実を突きつけられた人間の顔だった。

リリエはわずかに首を傾げると、事実だけを述べた。

「生存本能がある限り、あなたは“最適”です」

佐々木は、かすかに笑った。

「……それ、慰めのつもり?」

「いいえ。評価指標に基づく、判断の結果です」

返答はあまりに真っ直ぐで、あまりに冷たい。

けれど、それが彼女の“優しさ”であることを、佐々木はもう少しで理解できそうだった。

「……そっか。そう言うしか、ないんだよな」

リリエは何も答えなかった。

だが、その無言がどこか、遠回しな肯定にも感じられた。

微かに歪んだ、三人の関係。

だがそれでも、彼らはまだ、ひとつのダンジョンの中にいた。

壁の向こう、地下の空気がわずかにざわつき始めていた。

小さな異常が、静かに、静かに、内部で芽吹いていることを——まだ誰も知らなかった。


転:ダンジョン内部の異変

ミナは一人、地下二階の巡回ルートを歩いていた。

怒りを落ち着けるために部屋を出たはずだったが、足はいつの間にかダンジョンの心臓部へと向かっていた。

(こんなときにひとりになりたいとか、馬鹿かあたしは……)

ぶつけようのない苛立ちを抱えながらも、ミナの視線は常に天井と壁の魔素流動パターンを確認している。

わずかな変化も見逃さぬよう、かつての“勇者”としての本能が常に周囲に神経を張り巡らせていた。

そして、その“違和感”は——唐突に、訪れた。

「……おかしい」

足元の魔素の流れが、一瞬、不自然に巻き戻った。

通常ならなめらかに流れるべき“領域支配構造”の魔力が、一部、局所的に断裂していたのだ。

次の瞬間——

「ギィアアアアッ!」

通路の奥から、獣のような叫び声が響いた。

だが、それはこのダンジョンで管理されているモンスターが発するには、あまりに粗暴すぎる。

ミナは駆けた。

通路を抜け、開けた訓練区画に飛び込む。

その視線がとらえたのは、暴走した中型魔獣ストーンハウンドが、同族を噛み千切ろうとする姿だった。

「うわ、まじで暴走してるじゃん……!」

この種のモンスターは、本来ならダンジョンの指令構造に忠実に動く。

だが目の前の個体は明らかに“指示”を無視し、敵味方の識別すら失っている。

ミナは即座に前衛姿勢をとり、魔力を込めた蹴りを放つ。

風を裂いてストーンハウンドの横腹を撃ち抜き、数メートル吹き飛ばす。

「この……落ち着けっての……!」

だが——止まらない。

異常活性した個体は反撃の動きを見せ、周囲のモンスターまでも連鎖的に興奮状態へと陥っていく。

(まずい、これじゃ制御不能になる!)

「クラウゼ本体、通信開通!ミナ、応答を!」

リリエの声が頭に響く。ミナは即座に叫んだ。

「地下二階で異常発生!モンスターが制御を外れて暴れてる、応援求む!」

その声に重なるように、再び響く吠え声と衝突音。

ダンジョンの奥深くで、何かがひび割れ始めていた。

結:ぎこちない再集合


地下二階の中央訓練区画。

瓦礫と化した石床に、魔素の煙が立ちこめていた。

ストーンハウンドの暴走個体は、ようやく地に伏した。

その周囲に転がるのは、無傷で済んだもの、動きを止めたもの、そして一部傷を負った制御個体たち。

その中心に、ミナが膝をついていた。

「——おつかれさま」

背後からかけられた声に振り向くと、佐々木がいた。

肩で息をしながらも、手には軽く焦げた転送用結界札が握られている。

「遅れて悪かった」

「……来ないかと思った」

小さく、けれどどこか拗ねたように呟いたミナに、佐々木は苦笑する。

「俺も、迷ったよ。でも放っとけるわけないだろ。仲間だし」

その言葉に続くように、リリエが後方から静かに歩いてくる。

杖を一振りすると、暴走の影響を受けた魔素の濁りが徐々に清浄化されていく。

ミナはふっと息をつき、崩れるように腰を下ろした。

静かな間。

やがて彼女はぽつりと、誰にともなく口を開いた。

「……あたし、ヒーローやってた頃より、今の方がよっぽど怖いかも」

佐々木とリリエが彼女を見た。

「敵が魔王とか化け物だったら、どこかで“どうせ勝つんでしょ”って思ってた。

でも今は違う。誰が敵で、何を選べば正解かもわかんない。……それが怖い」

彼女の手が、軽く震えていた。

「でも、逃げたらほんとに終わりって気もするんだ。だから……」

言葉が途切れた。

佐々木は何も返せなかった。

何かを言えば嘘になるし、何も言わなければ冷たい気がした。

それでも彼は、できるだけ素直に言った。

「……わかる」

たったひと言。

けれど、それだけで、ミナは少しだけ目を細めた。

そのとき——

「おふたりとも、こちらを」

リリエの声に導かれ、彼女が示す魔術スクリーンに目を向ける。

封鎖されていたはずの北区画・第14支路。

本来なら完全閉鎖されていたその通路に、かすかな“侵入痕”が記録されていた。

魔力痕跡、靴跡、そしてほんの一瞬の結界断裂。

「……誰かが、“外から”一時的に結界を破って入ってきた形跡です」

佐々木は眉をひそめた。

ただのモンスター暴走ではない。

何かが、意図的にこのダンジョンへと干渉してきている。

「……黒封筒の、仕込みか?」

誰ともなく呟いたその言葉に、誰も返事はしなかった。

ただひとつ、クラウゼの中に、また新たな緊張が根を張り始めていた。


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