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第6話 《黒き封筒と穏やかなる敵》

起「静かなる訪問者(昼下がりの応接静かなる訪問者(昼下がりの応接)

ダンジョン内の空気は、ひんやりと湿っていた。

地下三階の主制御室——通信用魔術門が設置されているこの空間は、いつものように静まり返っていた。

しかし、その日だけは、違った。

「……マスター。通信用魔術門に、未知の接続要求が来ています」

ダンジョン案内人リリエが、淡々とした声でそう告げた。

佐々木は資料をめくる手を止め、椅子に深く腰掛けたまま顔を上げた。

「“未知の”って、完全に未知か? それとも、どこかでログに残ってた奴?」

「記録照合済み。初接触です。ただし——」

リリエは一瞬、間を置いた。

「名乗りは明確です。“マクスウェル陣営より、親書と使者をお届けに参りました”と」

その言葉に、佐々木の背中がぴしりと伸びた。

隣で立っていたミナも、目を細める。

「マクスウェル……って、例の大手だよな」

「うん。ダンジョン統合戦で、七拠点を一気に吸収したって噂のとこ」

空気が変わった。

リリエの指先が静かに宙をなぞると、魔術門の前に光の円が浮かび上がる。

それは通信映像魔術の投影——向こう側の人物が現れた。

そこに現れたのは、一人の銀髪の女性だった。

灰色に近い銀色の髪は整然とまとめられ、瞳は淡い琥珀色。

微笑をたたえたその顔は、どこか整いすぎていて、まるで精巧な人形のようだった。

表情も、仕草も、声のトーンも、隙がなかった。

「初めまして。わたくし、マクスウェル陣営・外政局より派遣されました、シエラ・トレイヴと申します」

丁寧で柔らかな声。それでいて、何も感情が乗っていないことが直感でわかる。

「クラウゼ地下三階殿に、正式な親書とともに、ささやかなご挨拶に参りました。

転送にてお伺いしたく、門の許可を頂ければと——」

映像越しのシエラは、礼儀正しく一礼した。

だが、佐々木の中には違和感が残る。

その言葉はあくまで“交渉の形”だが、その姿勢はどこか“決定事項を告げる者”に近かった。

リリエが振り返り、静かに尋ねる。

「マスター。外部交渉として、応対しますか? 情報漏洩のリスクを考慮すれば、拒否も可能です」

佐々木は、一拍、息を呑んだ。

交渉……いや、“交渉らしきもの”。

何を言いに来るのか、想像はつく。だが、それを断る理由もなかった。

「……話を聞こう。転送門、開いていい」

短く答えた佐々木に、リリエはわずかに目を細めて頷いた。

「了解。セキュリティ制限下で、転送門を一時開放します」

彼女の指先が空中を切ると、青い光がひときわ強く輝いた。

そして——

クラウゼ地下三階に、マクスウェル陣営の“使者”が、足を踏み入れる。

それは、戦いの始まりの一歩だった。

けれども、当人たちはまだ、その一歩の重さを知らない。


承:穏やかな話し合い(実地対面)


光が揺れた。

クラウゼ地下三階の転送陣に収束する魔力の光環。その中心が淡く染まり、来訪者の輪郭を描き出す。

歪んだ空間が収束しきるその刹那——

「……来ましたね」

リリエが一歩前に出た。指先が魔術の軌道をなぞる。

わずかに空間がねじれ、反発音のような“きぃっ”という高周波が響いた。

《転送結界に干渉あり。魔力構造、自己補強型。》

リリエの視界にだけ浮かぶサブウィンドウが警告を示す。

(なるほど……転送に偽装した情報取得系魔術を含ませてきた、か)

表情を崩さず、彼女はその一部だけを“無効化”するよう処理した。

あくまで“友好訪問”という建前は守る——だが、牙を隠したまま舐め合うようなやり取りだ。

まもなく転送光が収束し、銀髪の使者、シエラ・トレイヴが姿を現す。

「改めまして、こんにちは。クラウゼ地下三階の皆様」

彼女は丁寧に裾をつまんで一礼した。

「私はマクスウェル陣営、外政局より参りました。

 このたびは、微力ながら我が陣営のご提案をお伝えに参上いたしました」

その声は澄んでいて、滑らかだった。

けれど、聞く者の胸に残るのは“温かさ”ではなく、“整いすぎた違和感”だった。

三人は応接用の簡素な石造りのテーブルに着いた。

対面する形で、佐々木、リリエ、そしてミナ。シエラはただ笑顔をたたえ、軽く頷く。

「まず、ご安心ください。今回の訪問はあくまで“交渉のご提案”であり、

 武力的な示威行為ではありません」

ミナが明らかに不快そうに眉をひそめたが、黙っていた。

「我々マクスウェル陣営は、現在四十三の中小ダンジョンを統合・管理しております。

 ダンジョン統合戦の指針に則り、適正な方法での統合を進めております」

シエラの言葉は滑らかで、まるで台本を読み上げているかのようだった。

「統合された個々のダンジョンは、失われたわけではありません。

 その機構は存続し、運営の効率化とモンスター資源の再編成により、より合理的な運営が実現されております」

「……合理的、ね」

ミナが小さく呟いた声は、誰にも拾われなかった。

「クラウゼ地下三階のような独立小規模ダンジョンの存在は、

 私たちとしても注視すべき重要な事例と捉えております」

「“重要な事例”? つまり目障りってことか?」

ミナがついに言葉を発する。だがシエラは笑顔を崩さず、否定の意を込めて首を振った。

「いいえ、決して。ですが、孤立は無為な犠牲を生む可能性があります。

 ですので、早期の“統合参加”……または“友好的吸収合意”をご検討いただければと」

言葉は柔らかい。

しかし、そこにあるのは完全な支配の構造だった。

佐々木が、静かに尋ねた。

「……吸収された場合、僕たちはどうなるんですか」

シエラは一瞬、視線を佐々木に定める。目の奥には、かすかに冷たい光があった。

「はい。ダンジョンそのものの基幹機構は、マクスウェル本部にて再編成されます。

 クラウゼの資源、構造、モンスター等の全ては本部が統合管理します。

 ですが、ご安心を。マスター様には“名誉階層長”として別階層をご案内することが可能です」

それはつまり、形だけの名誉職に就かせ、実権は奪うという意味だった。

リリエが小さくまばたきをした。

ミナは立ち上がりかけるが、佐々木が片手で制止する。

テーブルの上に流れる空気が、徐々に緊張感を帯びていく。

だが、シエラの笑顔は一切揺らがない。

まるで、“これこそが最も自然な流れ”であるかのように。



転:誰の言葉も本音でない


「……そんなのは、降伏だろ!」

ミナの声が、応接空間に鋭く響いた。

重苦しい空気がその瞬間、割れたように思えた。

立ち上がりかけた彼女は、テーブルに両手をつき、睨みつけるようにシエラを見る。

「吸収? 統合? 名誉階層長? 全部、言い換えてるだけじゃないか!

 中身は、“お前らはもう管理される側です”ってことだろ?」

だが、シエラは眉ひとつ動かさない。

笑みを絶やさぬまま、まるで静かな湖面のように落ち着いて、首を横に振る。

「ミナ様。表現の違いは、受け取り方次第です。

 私たちは“共に生き残る”道を提案しております。

 それを“降伏”と呼ぶかどうかは、あなた方の価値判断に委ねます」

その一言すら、完璧に調律された音のようだった。

揺るぎがない。だが、それがかえって異様だった。

ミナの拳が震えている。だが彼女は、噛み締めるように言葉を飲み込んだ。

その隣で、リリエが無言のまま目を伏せ、視線だけで佐々木に向かって告げる。

《マスター。彼女はこの場での武力行使を想定していません。転送時に仕込まれた干渉魔術は解除済み。今の彼女は“道具”です。》

《道具……?》

《交渉用の“人型術式端末”。もしくは極めて近い設計。感情の変化は、あくまで模倣です。》

その念話を受けながらも、佐々木は顔に出さず、ただ黙っていた。

言葉を探していたのではない。言えないことが多すぎた。

(降伏したら、俺は死ぬ。ダンジョンマスターの座を失えば、転生者は維持できない。それは、リリエが言っていた通り……)

でもそれを、ここで口に出していいのか?

「自分の命が惜しいから抗う」と宣言するのは、果たして“選択”なのか?

何も言えない自分に、苛立ちが募る。

そんな中、シエラがふわりと立ち上がった。

「本日は、お時間を頂きありがとうございました」

彼女は腰を軽く折り、完璧な所作で礼を取る。

「最後に、こちらをお預けします。ご一読いただければ幸いです」

そう言って、懐から取り出したのは一通の封筒だった。

深い漆黒。封蝋には、マクスウェル陣営の紋章。

だがそこに刻まれていた文様は、ただの行政用連絡ではなかった。

リリエの目が一瞬、鋭く細くなる。

(封呪型——記憶記録、音声再生、場合によっては空間魔術の発動媒体)

無言でその黒封筒をテーブルに置き、シエラは一歩下がった。

その顔には、最後まで笑顔が貼りついたままだった。

「それでは、また。選択を、“悔いなく”なさってくださいね」

一礼し、転送魔術の輪が開く。

空間がふわりと波打ち、彼女の姿は光に包まれて、消えた。

誰も何も言わない。

残されたのは、ひとつの黒封筒と——重苦しい、沈黙だけだった。

結:黒封筒の中の一文

転送光が収束し、空間のゆがみが消える。

扉が閉まる音が、思いのほか大きく響いた。

シエラの姿が完全に消えた瞬間、室内に漂っていた圧迫感が、潮が引くように静かに和らいでいった。

だが、心地よさではない。

それはまるで、嵐の予感を残して通り過ぎた重苦しい風の名残だった。

誰も口を開かない。

佐々木はテーブルの上に置かれた黒封筒を見つめていた。

手を伸ばそうとして、止める。深く息を吸い、もう一度。

それでもまだ、指先が震えていた。

「……開けるよ」

誰に向けたでもなくそう言うと、慎重に封を破いた。

次の瞬間——

空間が、わずかに光った。

封筒の内側に仕込まれていた魔術が起動し、まるで誰かの“記憶”が空気に焼きついたかのように、声が響いた。

それは、聞き覚えのある声音だった。

あの銀髪の使者、シエラ・トレイヴの、あの静かな、どこか壊れたように完璧な声。

「あなた方には、選択肢があるだけ幸運です。」

声にエコーがかかる。空気の中に、霧のように言葉が滲む。

「世界には、選ぶ前に終わる場所も、

 選ばされるだけの者も多いのです。」

佐々木は、封筒を握る手に力が入っていた。

その言葉は、自分の状況を——いや、それだけでなく、ミナのような者たち、

リリエのような存在をも指しているように聞こえた。

「あなたが“何を選ぶか”ではなく、

 “選んだ結果、誰が残るか”を——お忘れなく。」

そして、沈黙。

声はふわりと消え、封筒からは何の反応もなくなった。

魔術は一度きり。それで終わりだった。

応接室の中は、凍りついたように静まり返っていた。

誰も動かず、誰も言葉を発しない。

その沈黙を破ったのは、リリエだった。

いつもの無表情な声色で、静かに、けれど確かに言った。

「……攻撃準備に入りますか?」

佐々木は答えなかった。

けれど、その沈黙はもう、怯えではなく——決意の前触れだった。

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