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第5話「降伏勧告と“宣戦”布告」

起:黒封筒、届く

その朝、ダンジョン内は静かだった。

 警戒トラップは正常。魔力循環は安定。

 新しく孵化したスライムが、のろのろと見回りルートをなぞっている。

 リリエが記録を更新し、ミナが防衛壁の強度を確認し、佐々木は冷たいスープを啜っていた。

 誰もが“いつも通り”を続けていた、その瞬間だった。

 ――カチン。

 乾いた金属音が、ダンジョンの中心、制御核の間から響いた。

 「転送通知……? 予定外の、です」

 リリエが眉をわずかに動かす。

 制御盤のモニターには《外部魔力圧・識別済》の警告文字。

 佐々木とミナが顔を見合わせ、急ぎ駆けつけると――

 そこには、黒い封筒がひとつ、音もなく浮かんでいた。

 宛名は、達筆すぎて読みにくいが、確かにこう記されていた。

 > 「クラウゼ地下三階営業所 殿」

 「……営業所って、正式名称だったの?」

 「いや、ただの冗談のはずだったんだけどな……」

 佐々木は引きつった笑いを浮かべながら、封筒をそっと手に取った。

 それは重みがあるようで、まるで自分の手首に鉄球でも括りつけられたような感覚がした。


 開封には、リリエの確認を要した。

 「文書転送魔術は、大手ダンジョンが使用する特殊通信です。内容に魔力トラップの混入はなし」

 「じゃ、読むしかないか……」

 佐々木は深呼吸を一つして、封を切った。

 中から現れたのは、一枚の漆黒の紙。

 文字は銀のインクで整然と並び、読み手に威圧感を与えるように計算されていた。


拝啓

貴殿の運営される《クラウゼ地下三階ダンジョン》に関し、以下の通告を致します。

本連盟による統合作戦の一環として、貴ダンジョンの「譲渡」を求めます。

・制御核の封印解除及び管理権限の移譲を、六日以内に提出願います。

・協力的対応をされた場合、現ダンジョンマスターの記憶・人格情報は《保存吸収》対象といたします。

・拒否される場合は、《併合作戦》を発動し、貴ダンジョンの統合処理を行います。

 ――大手第六列 《深層調停士》 イージェル・バレル


 沈黙。

 部屋の空気が、ほんの数秒だけ止まった。

 「……つまり、“六日以内に明け渡せ。さもなくば潰す”ってことね」

 ミナが口を開く。いつもの軽さは、少しだけ影を潜めていた。

 「丁寧な言葉にくるまれた、ただの脅しです」とリリエ。

 佐々木は、黙ったまま文面を何度も読み返していた。

 その手の震えは、彼自身も気づいていない。

 「保存吸収って……つまり、“俺”は残るけど、“俺じゃなくなる”ってことか?」

 「そうです。記憶はデータ化され、知識リソースとして統合に使われます」

 「……殺されるわけじゃないけど、存在が終わる、ってことか」

 「正確な表現です」


 部屋に、重い沈黙が戻る。

 佐々木は、自分の中に広がる感情が、恐怖なのか、怒りなのか、それとも――まだ言葉にならない別の何かか、よくわからなかった。

 ただひとつ、確かなのは。

 “黙って飲み込めるほど、軽くはない”ということだった。


 「どうする? 逃げる? 従う? それとも、戦う?」

 ミナが問う。まっすぐな声だった。

 それは、かつて世界を救った勇者の声ではない。

 一つの小さな場所を、共に守る“仲間”の声だった。

 「……まだ、決めてない。でも」

 佐々木は言った。

 「逃げても、“俺”はもう、戻れないんだろうなって気がする」

 彼の手の中には、黒い紙。

 それが象徴しているのは、世界の大きさと、自分の小ささだった。

 だがその小ささに、ほんのわずか、抗う気持ちが芽を出していた。

承:揺れる判断

「で……どうすんの?」

 ミナが椅子を斜めに傾けながら、スープを啜る佐々木をじっと見た。

 彼の目の前には、いまだ広げられたままの“黒封筒”の中身。

 あの冷たい文面は、何度読み返しても意味が変わることはなかった。

 「……六日。たった六日か」

 佐々木の声には、焦りと苛立ちが混ざっていた。

 「そもそも俺、望んでマスターになったわけじゃないんだよな。

 リリエに“あなたがダンジョンマスターです”って言われて、気づいたら死ねない体になってて――」

 「うん、知ってる」

 ミナは頷く。

 それでも、彼の言葉の続きをじっと待っていた。

 「元の世界に戻れるなら、正直戻りたい。でもそれもできねぇし……こっちで生きてくって言っても、なんで“死ぬか譲るか”の選択肢なんだよ」

 リリエが静かに口を挟む。

 「本来、転生者がダンジョンマスターとなるケースは極めて稀です。しかも、“小規模ダンジョン”は淘汰の対象。

 統合政策下では、独立維持は“愚か者”の選択肢と見なされがちです」

 「……はあ」

 佐々木は目を伏せた。


 彼は思う。

 ここで死んでも、誰も覚えていない。

 ここで従っても、もう“自分”ではいられない。

 「降伏すれば、少なくとも俺の“知識”は残る。痛みも、たぶん感じずに終わる。

 ――それって、“マシな選択”なんじゃないのか?」

 「じゃあ、従えば?」

 ミナの声は冷静だった。

 「私も、あんたが“逃げたい”なら止めないよ。けど、それってさ――あんた、自分で納得できるの?」

 佐々木は、言葉に詰まった。

 ミナは、椅子から身を起こし、真っすぐに彼を見る。

 「この数日で、私が何度“殺さない戦い”を練習したと思ってる? 今までは“倒す”しか知らなかった。

 でも、あんたが“逃げるためじゃなく、生き延びるために罠を作る”って言って……それを“一緒にやる”って言ったのは私だよ」

 「ミナ……」

 「ここで“やっぱ降伏しまーす”ってなったら、正直ムカつくよ。

 でも、それ以上に……あんた自身が壊れそうに見えるから、嫌なの」


 静寂が落ちる。

 佐々木は、スプーンをテーブルに置いた。

 震えた指先が、少しだけ止まっていた。


 リリエがそっと、黒封筒の文面を指さす。

 「なお、イージェル氏の文面において、“記憶・人格の保存”という措置は“表現上の便宜”であり、実質的には“分解・再編”を伴う不可逆処理です。

 佐々木様は、吸収後も“記録”として存在するに過ぎず、“佐々木”ではありません」

 「……だったら」

 佐々木は、ようやく小さく息を吐いて言った。

 「やっぱ俺、“降伏”は、納得できそうにないわ」


 その声には、ようやく“迷い”の外へ出た響きがあった。

転:佐々木の選択

その夜。

 誰もが仮眠を取る中で、佐々木はひとり、地下一階の通路を歩いていた。

 薄暗い石壁には、魔力灯がぼんやりと光り、床の魔力線が淡く脈動している。

 ダンジョンの“命”が、ゆっくりと回っている音がする。


 「……俺に何ができるんだろうな」

 ひとりごとのように呟いても、返事はない。

 足元をぴょこぴょこと、見慣れたスライムが滑っていく。

 ゼル003。昨日生まれたばかりの、ちっちゃな巡回個体。

 「よぉ、お前、夜勤か?」

 佐々木がしゃがみこむと、ゼル003はぷるぷると体を震わせて、角のほうへ滑っていった。


 地下一階の倉庫前、昨日ミナと一緒に補強した扉の前で立ち止まる。

 そこには罠がある。煙幕、捕縛、転送ループ。どれも殺傷力はないが、突破しにくい構成にしてある。

 “めんどくさい防衛”――

 それが、今の自分たちにできる精一杯だった。


 「……降伏して、吸収されて、俺が“俺じゃなくなる”くらいならさ」

 佐々木は壁にもたれ、天井を見上げる。

 冷たい石の天井。どこにも出口はない。でも。

 「ここにいるスライムは、生きてんだよな。ちゃんと、回ってる。

 リリエは、俺の選択を“尊重する”って言ったし……ミナは、もう一緒に戦う覚悟を決めてる」

 そう思い返すだけで、胸の中に少しだけ火が灯る。


 「……なんだよこれ、まるで部活のチーム作りじゃん」

 思わず笑った。

 高校時代、やりたかったけど結局やらなかったサッカー部。

 同じジャージを着て、同じ目標を追うのが怖かった。裏切られるのも、期待されるのも、怖くて。

 でも今は。

 誰かが“信じてくれている”という事実が、やけに重かった。


 気づけば、目の前のゼル003がぐるぐると旋回し、佐々木の足元で止まっていた。

 「なんだ、休憩か? いいよ、俺もサボるし」

 スライムは答えない。ただ、そこにいる。


 「なあ、俺さ……もう一度だけ、本気でやってみるよ」

 その言葉は、誰に向けたわけでもない。

 けれど、その場にいたスライムが、小さくぷるんと震えたのを、佐々木は見た。


 「“クラウゼ営業所”、当面閉店はなし。営業、継続するぞ」

 静かに、しかし確かに。

 この男は、自分の居場所を“守る”ことを選んだ。

結:宣戦布告

翌朝、地下一階の作戦室。

 昨日と同じように並ぶ三人。

 けれど、今の佐々木の目には、もう“迷い”はなかった。

 「――決めた。降伏はしない。戦う」

 その言葉に、ミナは肩をすくめ、口元をゆるめる。

 「やっと決めたか。長かったな」

 リリエは表情を変えず、うっすらとだけ頷く。

 「了解しました。では、即時に統合作戦対抗フェーズへ移行します」

 佐々木は立ち上がり、制御核に向かって歩き出す。

 黒封筒の文面がまだ端末に浮かんでいる。

 その下に、返答文を直接書き込む欄が表示されていた。


 「文面、どうする?」とミナが尋ねる。

 「考えたけど、もうこれでいいと思ってる」

 佐々木は指を走らせ、短く言葉を綴った。


当方は、自衛の構えを取る。いずれまた。


 それだけだった。

 命乞いも、怒りも、反論も、弁解もない。

 ただ、“自分の意志でここに立つ”という、最低限の言葉。


 「……意外と渋いな、あんた」

 「ビビってるの隠すのに必死なだけさ」

 佐々木は苦笑しながら言い、送信を確定した。

 文字が光の粒になり、封筒に戻って虚空へと消えていく。


 その瞬間――制御核の奥が、淡い青色に染まった。

 リリエが端末を確認し、即座に報告する。

 「自衛モード、発令完了。以降、本ダンジョンは“独立小規模指定抗戦体”として分類されます。

 敵ダンジョンからの“併合作戦”発動が、公式に許可されました」

 「つまり――いつ来てもおかしくない、ってことね」

 ミナが剣を肩に担ぎ、軽く伸びをする。


 「じゃ、作戦立てましょうか」

 「うん。まずはルート封鎖、スライム配置、罠の魔力充填から」

 「一階北側に新しい“めんどくさいルート”作れます。三重ループ、推奨」


 言葉が交わされるたびに、音を立てて何かが動き出す。

 恐怖は消えていない。焦りも、迷いも、まだ心の隅には残っている。

 けれど――その上で、選んだ。

 ここにいる。

 この小さなダンジョンで、生き延びる。

 この仲間と、一緒に。


 「クラウゼ営業所、営業継続。目標は――“今日も閉店せずに乗り切る”」

 佐々木がそう言うと、ミナとリリエもそれぞれに頷いた。

 その言葉が、チームの合図になっていた。


 そして、静かだったダンジョンは――静かに、“牙”を研ぎはじめた。


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