第3話「勇者、来訪」
起:転送陣、起動
静まり返ったダンジョンの中で、突然、警報が鳴り響いた。
地下一階の通路に、赤い魔力灯が連鎖的に点灯する。
《警告。未登録魔力反応を検知。地表ゲート起動――転送座標接続開始》
佐々木は、工具を手にして魔力配線の点検をしていたが、その音にびくりと身を強ばらせた。
「またか!? 今度は何だよ!」
作業着のまま走って指令室に戻ると、すでにリリエが制御盤の前で迅速に指を動かしていた。
淡い光のホログラムに、地上からの魔力転送陣が浮かび上がっている。
「マスター、地表側からの転送魔法陣が起動しました。許可のない魔力波形です」
「許可のないって……敵襲か?」
「可能性あり。現在の座標は、旧帝国時代のダンジョンアクセスゲート……本来、使用不能のはずです」
佐々木は歯噛みした。
このダンジョンは、独立型の小規模構造。地表との接続ルートは潰してあるはずだった。
あえて地下だけで生活可能に構成されていたのに、なぜ、今、誰かが“地表ゲート”から来られるのか?
「このダンジョンの存在、バレたのか?」
「いえ、魔力偏差から推測するに、“偶然発見”の可能性が高いです。ですが、侵入者の魔力量が異常です」
ホログラムが瞬き、ひとつの輪郭が浮かび上がった。
人型。単独。魔力値――Sクラスに匹敵。
「うわ……まじで来たな、やばいやつ……」
佐々木は額の汗をぬぐった。
まだ防衛設備は不十分。ようやく罠とモンスターの配置が軌道に乗り始めたところなのに。
「敵対意志は?」
「不明。ただし、魔力構成に攻撃性を含む“剣精式”の痕跡あり。戦闘職の可能性、極めて高いです」
「……ってことは、武闘派のお客様ってことか……!」
佐々木は制御盤の隅から、緊急遮断レバーに手をかけようとした。
が――リリエが、静かに制止した。
「この転送魔法は、“逆流型”。こちらからの遮断指令は届きません。残り10秒で接続完了します」
「えっ、じゃあ、もう止まんない!?」
「はい。出迎える準備を」
「気軽に言うなよおいぃ!」
そして――。
光が空間を裂いた。
通路の奥、ダンジョンの旧祭壇跡に、白銀の紋様が浮かび上がる。
転送陣。かつて神官たちが神託を受けるために使っていたという儀式用の構造。
そこに、彼女は降り立った。
黄金の髪。緋色の外套。膝丈の戦闘ブーツに、古式の儀礼剣を背負って。
まるで、英雄譚から抜け出したような“絵になる女騎士”。
だが、第一声はこうだった。
「ふん……なんてボロいダンジョン。ここのマスター、出てきなさいな。今日で貴方の運も尽きたわよ」
……絵になるけど、めちゃくちゃ感じ悪い。
佐々木は、思わず頭を抱えた。
「……こいつ、厄介なやつ来たぞ」
承:元勇者・ミナ登場
転送陣の残光が消える。
静まり返った空気のなかに、ひときわ鮮やかな存在が立っていた。
――黄金の髪を風のない空間に靡かせ、赤いマントを翻す女剣士。
しなやかな細身の身体に、儀礼と実戦を兼ねた戦闘装束。
背には細身の剣を携え、その目には一切の迷いも恐れもない。
だが、その第一声が問題だった。
「フン。こんな掃き溜めみたいな小規模ダンジョンが、どうしてまだ残ってるのかしら? 滑稽ね」
佐々木は、思わず心の中で突っ込んだ。
(第一印象は美人。だが、口を開いた瞬間、印象が三割減だ)
「ようこそ我が小さきダンジョンへ、お姫様。ご用件は?」
軽口を叩きつつ、リリエの背後からひょっこり顔を出す。
相手の力量は魔力値からしてS級。まともにやり合って勝てるわけがない。
なら、できるだけ“調子を狂わせる”のが定石だ。
女剣士――ミナは、顎を軽く上げて答える。
「簡単な話よ。このダンジョン、今日から私のもの。あんたは消えて」
「物騒な挨拶だな!? しかも理由も説明もなしで!?」
「理由? 弱小ダンジョンが放置されてるのが腹立つのよ。さっさと統合されていればよかったのに」
そして、ゆっくりと歩き出す。
その一歩ごとに、魔力が空気を震わせ、床の石に火花が走る。
(ヤバい。こいつ、本当に元・英雄だ……)
佐々木は喉を鳴らした。
ミナの視線がリリエに向く。
「……その子、案内人ね? あんたも、今のうちにマスターから離れたほうがいいわよ?」
リリエは微動だにしなかった。表情も変えず、ただ静かに言葉を返す。
「私は現ダンジョンマスター、佐々木の補助機構です。離反する理由はありません」
「忠義深いのねぇ……ま、いいわ。二人まとめて“排除”してあげる」
その瞬間――ミナの右手が、背から剣を引き抜いた。
ひゅ、と音がしただけで、佐々木の頬に風圧が触れた。
構えも気合もなしに、ただ抜いただけで“切れる”殺気。
だが――
カチリ。
ミナが踏み込んだ足元に、魔力陣が展開された。
「っ……!」
即座に跳び退こうとするが、その時にはもう遅い。
バシュンッ!
石床が爆ぜ、絡みつくような捕縛の鎖が足元を縛りあげた。
次の瞬間、天井から落下してきた鉄製ネットが全身を包む。
ズザッ、と音を立てて転倒するミナ。
「な……っ!? 罠だと!? 私が見抜けなかった、だと!?」
「……ようこそ、わがダンジョンへ。名物・《地味な捕縛トラップ》です」
佐々木が、へらっと笑った。
その背後で、リリエが補足する。
「このトラップは、貴女の魔力波に合わせて再構成されていました。起動圧力、成功率87%」
「貴女の踏み込みの癖、右足からというのも加味しました」
佐々木が指を一本立てる。
「どうしてそれを……」
「俺、観察するのだけは得意なんでね。“強い人”の癖も、だいたい凡人からは見えるのよ」
ミナは、しばらく沈黙した。
やがて、ネットにくるまれたまま、ぼそっと呟いた。
「……あんたら、思ってたよりずっと面倒くさいわね」
「お褒めに預かり光栄だよ、元・勇者さん」
「……ちがう。もう、勇者じゃない」
その一言に、空気がわずかに変わった。
そして彼女は目を閉じ、静かに言った。
「名前は……ミナ・レギーナ。かつて第七階級勇者の一人。今は、ただの流れ者」
その声には、剣より鋭く、そしてどこか寂しげな響きがあった。
転:情報交換と選択の提案
捕縛から一時間後。
ミナはダンジョン制御室にある、簡素な石造りの椅子に座らされていた。
とはいえ、拘束は解かれている。逃げようと思えば逃げられる。しかし、彼女は動かなかった。
「……で、尋問でもするの?」
手持ち無沙汰に髪をかき上げながら、ミナが投げやりに言う。
佐々木は、リリエの横で湯気の立つ金属マグカップを差し出した。
「尋問じゃなくて、情報交換だよ。ほら、うちの味噌っぽい謎スープ」
「……味噌っぽいって言うな。味噌汁でいいでしょ、もう」
ミナは鼻を鳴らしながらも、湯を啜った。ふ、と肩の力が抜ける。
「……で? 何が知りたいわけ?」
佐々木は座り直し、慎重に言葉を選んだ。
「さっき自分で“元勇者”って言ってたよな。正直、その魔力と戦闘スキルを見て納得した。でも――どうして、そんなあんたが“ここ”なんかに来たんだ?」
ミナは沈黙した。
そのまま十秒、二十秒、言葉を探すように目を伏せ――やがて、ぽつりと口を開く。
「……裏切ったのよ。あたしのいたダンジョン国家、《イージェル・バレル》。そこは戦闘と統合こそが正義って場所だった」
リリエが小さく頷く。「大規模ダンジョン連合の中核。現在、三十七の小規模ダンジョンを吸収・統合済みです」
「私はそこの“戦力”として育てられた。魔力を与えられ、武器を持たされ、命令を聞くだけの人形だった。……でもね。あるとき気づいちゃったのよ」
ミナは佐々木を見た。その瞳は、どこか居場所を探すように揺れていた。
「“守りたくなる人間がいない世界”って、すっごく空っぽだって」
「……」
「小規模のダンジョンを潰す仕事をさせられてさ。戦いが終わって、瓦礫の中に立って……あたし、泣いてる子供を見てるのに、何もできなかった。っていうか、何もしなかったの。できなかった」
唇を噛む。
スプーンの柄が、彼女の手の中で少し震えた。
「だから、命令無視して子供を逃がして、逃げた。当然、追放された。行き場をなくして、さまよって……気づいたらここに転移してた」
佐々木は、何も言わずに聞いていた。
やがて、静かに口を開く。
「……ようこそ。吹けば飛びそうな我がダンジョンへ」
「……はあ?」
「ここは戦力も規模も足りないけど、居場所くらいは作れる……気がする。だから、気が向いたら――このダンジョンで暮らしてみないか?」
その提案に、ミナは目を丸くした。
「はぁ!? ……ちょ、待ってよ、なに? スカウト? それとも情け?」
「違うよ。生存戦略」
佐々木は苦笑まじりに言う。
「こっちは必死なんだよ。あんたみたいな実力者がいてくれるだけで、死ぬ確率が下がる。だからいてくれ、ってだけ」
ミナは唖然としていたが、次第に目を細めていく。
「……それ、本気?」
「本気だよ。代わりに、こっちからも何も強制しない。好きにいて、好きに動いてくれたらいい。……“誰かの命令で戦う”必要は、ここにはない」
しばらくの沈黙のあと、ミナは深く息をついた。
「……バカみたい」
「よく言われる」
「……でも、まあ……そういうバカ、嫌いじゃないかも」
彼女は立ち上がった。
「もうちょっとだけ、様子見てあげる。居場所になるかどうか、あたしが判断してあげるから」
佐々木は思わず、心からの笑みを浮かべた。
「歓迎するよ、ミナ。ここは“やられたら終わり”な小ダンジョンだけど、居心地くらいはいいと思うぜ?」
結:三人の仮の居場所
夜が来た。
もっとも、このダンジョンの“夜”とは、魔力灯を落とし、活動を止めた時間を指すだけだ。
天井も壁も石。風も空もない地下三階。なのに、妙に静かで落ち着く――そんな夜だった。
佐々木は、いつもの粗末な食堂スペースにいた。
石と木で作ったテーブルの上には、リリエが用意した非常食のシチュー。塩気も香りもあまりないが、温かさだけは本物だ。
そこへミナがやってきた。服装はラフになり、剣も持っていない。
「……あんた、いつもこんなまずそうなの食ってるの?」
「おう。これでも最初期は栄養チューブだけだったから、進歩したもんだよ」
ミナはため息をつき、椅子を引いた。
「ま、食えるなら文句は言わないけどね」
スプーンでひと口すすり、顔をしかめる。
「……うん。まずいわ」
「だろ?」
そんな他愛ない会話を、リリエが静かに聞いている。
彼女は機械的な表情のままだが、どこか“この状況を受け入れている”ようにも見える。
「戦闘モジュールと補修作業、明日には再開できます」と、リリエ。
「ありがと。おかげで生き延びられてる」
「私は命令通りに稼働しているだけです」
佐々木は、少し微笑んだ。
「でも、命令通りに動くだけの案内人が、“食堂に来て一緒に座ってる”って、なかなかないと思うけどな」
リリエが一瞬だけ瞬きをした。
そして、ごくわずかに、首をかしげる。
「……確かに、非効率的です」
ミナはシチューを食べ終え、空の皿を前にしてぽつりと呟いた。
「こんなとこ、普通なら即潰される。防衛力ゼロ、戦力ギリギリ。……でも、変ね」
「何が?」
「……ちょっとだけ、“安心する”感じがするのよ。ここ。妙に落ち着くっていうか」
佐々木は照れくさそうに頭をかいた。
「そりゃ、うちのダンジョンのコンセプトが“なんとなく居心地のいい場所”だからな」
ミナは少しだけ笑った。
「ダンジョンのくせに、変な目標ね」
「でも、生きるってさ、案外そういうもんじゃね?」
テーブルの上に、湯気が静かに漂っていた。
小さな灯りに照らされた仮の拠点。寄せ集めの仲間。すぐに崩れるかもしれない日常。
それでも、今この瞬間だけは、確かに“誰かと共にある”という感触があった。
――居場所、という言葉の意味を、少しだけ知った夜だった。