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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

キセイ

作者: 蟹の屍

 多々良イツキ、二十八歳。社会人四年目のサラリーマンである俺は、有休をとって故郷の村へ帰ることを決めた。去年はコロナウイルスの影響で帰省がはばかられたため、一年ぶりの帰省である。


 俺はいま、中古の軽自動車を運転し、故郷の村へと向かっていた。俺が今住んでいる東京都から村までは、高速道路を使っても六時間はかかる。さらに、皆考えることは同じなのか、帰省ラッシュのせいで渋滞が起き、俺はかれこれ八時間車内にいた。


 スピーカーから流れる流行りの音楽のCDは、もう十ループ目に差し掛かっている。そろそろ、このCDも飽きてきた。ボタンを押してラジオに切り替えると、座席に深く背をもたれさせ、俺は物思いにふけった。


 故郷の村は、典型的な過疎集落だ。学校は小中一貫校が一つだけ、娯楽施設もなく、かつては賑わっていたという商店街は、シャッター通りと化している。唯一目を引くものいえば、築五百年以上にもなる、大きな神社だ。


 その神社に祭られている神を祝う祭りは、毎年五日間にわたって盛大に行われる。


 一日目は、年男がみこしを担いで村中を練り歩き、二日目は年女による笛の演奏、三日目は成人する前の子供たちが歌を歌って、四日目は屋台を呼んで縁日を開き、花火を打ち上げる。


 そして五日目は、村にいる全ての村人が神社に集まって、神主の祝詞を聞く。そのさい、口の中に塩水を含んで、笑みを浮かべた状態を保つ。他の祭事は、他の神の祭りでも行われているだろうが、この祭事だけは特別なものだ。


 なんでも、神社に祭られている神は人の笑顔を見るのが好きなので、この祭事を行うらしい。俺は、祭られている神のことをよく知らない。お参りすればどんなご利益があるのか、どんな姿をしているのか、何も分からない。


 幼いころ、祖母に神がどんな奴なのか聞いたことがあった。祖母は昔、神社で巫女さんをしていたのだ。しかし祖母は、神様に対して失礼に当たるので、それは言えないと答えた。


 何度質問しても、祖母は決して詳細を語ることはなかった。俺は子供ながらに、薄気味悪さを感じたものである。


 そんな謎の神の祭りは、去年も今年も、コロナウイルスの影響で中止になってしまった。俺は祭りの四日目と五日目に参加するべく予定を合わせて休みを取ったのだが、昨日母から電話でその報告を聞いた。俺は賑わい事が好きなので、とても残念に思った。


 しかしたまには、何もしない静かな帰省もいいかもしれない。高校生になって一人暮らしを始めたころから、帰省するのは必ず祭りの時と決めていたので、実家に帰ってもゆっくり体を休めることはなかったのだ。


 


 そして四時間後、半日かかって故郷の村に到着した。空はもう真っ暗で、満天の星空が広がっている。東京は夜でも明るいので星の光がかすんでしまうが、この村は家が少なく小さな明かりが点々とついているだけなので、星の美しさが際立って見えた。


「ただいま」と一言、両親が待つ実家の引き戸を開ける。二人ともすでに玄関で俺を待っていて、「おかえり」と、温かく出迎えてくれた。


 夕食の卓には、出前でとった鮨が並べられ、缶ビールを片手に舌鼓を打った。つもる話は山ほどあり、俺は日付が変わるまで両親と談笑した。


 時刻は午前一時。俺は風呂に入って歯磨きをし、二階の自室へと向かった。二年間誰も使っていなかったというのに、ベッドの上には埃一つなく、清潔な状態が保たれている。きっと、母が掃除してくれていたのだろう。


 親の真心に胸が温かくなるのを感じながら、俺はベッドに体を預けた。長時間運転し、長々と喋っていた疲れで、すぐに眠気が襲ってきた。俺は目を閉じ、それに身を任せようとする。


 すると一階から、両親のけたたましい声が聞こえてきた。母は「あひゃひゃひゃひゃ」と、壊れたおもちゃのように、父は「ガハハハハ」と、豪快に笑っているようだ。何か、面白いテレビでもやっていたのだろうか。確か二人は、リビングにいたはずだ。


 二人が楽しそうにしているのは良いことだが、さすがにこの時間に大声を出すのは近所迷惑である。俺は注意しようと、布団をめくりあげた。その時、笑い声に悲痛な叫びが混じった。


「イワクツキサマが見ている」「イワクツキサマが見ている!!」「イワクツキサマがこっちを…………」


 俺は怖くなって、ギュッと目を閉じ、布団を頭からかぶった。さっきまでの眠気は吹き飛んでいたが、なんとか眠りにつこうとした。


 心臓がバクバクと脈打つ。俺の両親は、どうしてしまったんだ。それに、イワクツキサマって……?


 俺はぶんぶんと頭を横に振った。だめだ、深く考えてはいけない気がする。これは夢だ。きっとそうに違いない。何度か呼吸を繰り返す。両親の奇声はぴたりとやんだ。ほら、やっぱり夢なんだ。


 もう夏だというのに、体が寒くて仕方がなかった。結局俺は、夜の三時になるまで眠れなかった。




 朝になり、着替えをして俺は一階へ下りた。朝といっても、もう十一時である。昨日のあれは何だったのかと、冷や汗が流れるのを感じながらリビングに入った。


「おはよう、遅かったわね」


 リビングと繋がっている台所から、そうめんの盛られた皿を持って母が現れた。何もおかしなところは見当たらない。ただ一つ目立っているのは、目の下にできた大きなクマだ。背中が粟立つのを感じる。


 畳に座り、机に置かれた麦茶を飲んでいる父は、「夜遅くまで喋ってしまったから、疲れていたんだろう。今日は早く寝た方がいいな」と、苦笑した。やはり父にも、大きなクマがある。


 血の気が引いた唇を動かして、俺は二人に尋ねた。


「ねえ二人とも、昨日の一時ごろにリビングで大笑いしてなかった?」


「えっ、大笑い? そんな時間にそんな事、するわけないだろう。俺は珠子と一緒に、寝室へ行って寝てたぞ」


「えぇ、典夫さんのいう通りよ。イツキ、夢でもみたんじゃない?」


「は、ははは。そうだよね」


 二人は何も覚えていないようだ。いや、母が言うように、本当に夢だったのかもしれない。そうであってほしい。俺は胸の中に不安を住まわせながら、朝食兼昼食のそうめんを食べた。


 膨れた腹がこなれてくると、父が使っている水筒を借り、麦茶を入れて散歩に出かけた。一年弱の間に、村がどう変わったのか確かめたかったのだ。


 まずは、小中学生の時に使っていた通学路を歩いた。昔は友達と石けりをして帰ったものだ。途中には公園があって、そこで遊び惚けて帰るのが遅くなり、両親に叱られたことが何度もある。


 しばらく歩いて公園が見えてくると、立ち寄って黄色いベンチに座った。休日だというのに、遊んでいる子供が一人もいない。少子化が進んでいるせいもあるが、このご時世、あまり外へ出る気はしないのだろう。


 遊具は錆びていて、風にあおられたブランコがキイキイと音を立てる。思い出の場所が廃れていく寂しさを感じ、水筒のお茶を一口飲むと、俺は公園を出た。


 母校までたどり着くと、通学路からグラウンドを覗いてみた。野球部に所属する中学生が、練習を行っているようだ。


 俺がいたころは部員が十五人いたが、今は七人しかいない。あれでは試合に出られないだろう。部員は完全にやる気がなく、コーチを務める教師の怒声が轟いていた。


 さて、次は商店街に行こう。何軒の店がつぶれているだろうか。悲しい気持ちになるのは分かっているが、好奇心が背中を押してくる。来た道を引き返し、信号を渡って大通りの左側に移動した。


 商店街という名のシャッター通りに入ると、一軒の店の前に、噂好きで有名なおばちゃん三人が集まって、こそこそと話しているのが目に入った。その店は火事にあったのか、壁が黒く焼かれて今にも朽ちそうである。


 確かあそこは、天ぷらが美味しい蕎麦屋だったはずだ。高校生になる前は、休日に何度か食べにいったことがある。キュッと胸が締め付けられた。何があったのか知りたいので、おばちゃん達の話に耳を傾けることにした。


「昨日はすごかったわねえ。一時ぐらいに、ここからバァッと火が上がって、お客さんみんな、いっせいに避難してたわね」


「そうそう。それから消防車が来るまで、色んなお店の水道から水を汲んでバケツリレー。参加したけど大変だったわ」


「しかも店主の三郎さん、気が動転して『イワクツキサマが見ている!』って大声で悲鳴を上げたかと思えば、大笑いしだして」


「あれは怖かったわねえ」


「そういえば去年もこんな事が……」


 眉間に皺が寄った。また、『イワクツキサマ』だ。もう家に帰ろう。気分が悪くなってきた。俺は商店街に背を向けて、小走りした。


 帰る途中、ウ~、ウ~、ウ~、カンカンカンと音を立てて、真っ赤な消防車が道路を通り過ぎていった。カンカンカンというサイレンは、火事の時に鳴らすものだと聞いたことがある。


 頭が真っ白になって、貧血を起こした俺の体はぐらりと地面に倒れた。視界がグルグルして気持ち悪い。深呼吸を繰り返して眩暈を治めると、俺は体を起こして通路わきに座り、ズボンのポケットからスマホを取り出した。


 時刻を見ると、午後一時だった。


 激しい悪寒と吐き気がこみあげてくる。グッと息を止めてそれを我慢すると、水筒のお茶を浴びるように飲み、家まで駆けだした。


 


 帰宅した俺は自室にこもった。ベッドへうつ伏せになり、ぐるぐると思考を巡らせる。この村では何か、とてつもなく嫌な異変が起こっている。イワクツキサマとは、一体誰なんだ。何のために、こんなことをしているんだ。


 まさか、神社で祭られている神がイワクツキサマなのだろうか。祭りをやらなかった事を怒り、祟りを起こしているのだろうか。手足の震えが止まらない。


 恐怖に怯えたまま時間が過ぎ去った。母の、「ご飯よー!」という呼び声に応じて、階段を下りていく。机に並んでいたのは、夏野菜の天ぷらだった。


 父が茄子の天ぷらを頬張りながら、午後一時頃に、商店街で火事があったことを話した。燃えたのは居酒屋だったという。店主も従業員も皆、大笑いしながら「イワクツキサマが見ている」と叫んでいたそうだ。


 俺は食事が、ほとんど喉を通らなかった。




 故郷に帰省して三日目。今日の午後一時に、俺は東京へ戻ると決めていた。午前中は何をしていたかあまり覚えていない。景色に色がなくなって、ただボーっと、テレビを見ていたような気がする。


 帰る前に一か所、俺は絶対に寄っていきたい場所があった。この村唯一の特色である、『引喜憑化(ひきつけ)神社』だ。母にお祭りが中止になったという連絡をもらった後から、それでもせめてお参りしたいと思っていた。


 そして今は、村で起こっている怪現象の真相を暴くために、行こうという決心をしていた。もし神社で祭られているのがイワクツキサマであるならば、祖母が詳細を教えてくれなかったのも頷ける。こんな危険なことをする神は、絶対にろくでもない。


 車を運転し、神社の駐車場に入ると、心臓が凍てつくような感覚に襲われた。全身の毛が逆立って、早くこの村を出た方が良いと警告してくる。それでも俺は知りたかった。好奇心は猫をも殺すとは、まさに俺の事だろう。


 境内に足を踏み入れると、口角が自然と吊り上がった。なぜだか、笑いたい気持ちになってくる。駄目だ、我慢しろ。ここで笑ったら相手の思うつぼだ。唇をかみ、爪を立てながら手を握る。


 神主さんか、巫女さんを探そう。そして、悲喜憑化神社で祭られているのが何者なのか、詳しく聞いてみよう。俺は神社内の探索を始めた。


 まずはお守りやらおみくじやらを売っている、小さな売店を覗いてみた。中には誰もいない。次に拝殿へ近づいて様子を窺ったが、人の気配はしなかった。次はどこを探そうか。辺りをきょろきょろ見渡す。


 その時、どこからともなく笑い声が聞こえてきた。声がする方に向かうと、そこにはお墓があり、二人の若い巫女さんが奇声を上げていた。しかし、「イワクツキサマが見ている」とは言っておらず、訳の分からない歌を歌っていた。


 巫女さんたちに見つからないよう大きな木の陰に隠れて耳を澄まし、よくよく歌を聞いてみる。


「ひきつけ起こしゃ大変だ、うつせようつせ、鏡にうつせ」


「笑顔をうつせ、鏡にうつせ。ひきつけ発疹病熱腹痛、なんでもうつせ、鏡にうつせ」


 歌詞を頭に書き出していき、思い出した。この歌は、祭りの三日目に未成年の子供たちが歌うものだ。これ以上聞いていると頭がおかしくなりそうなので、静かに木の陰から移動する。この調子では、神主さんもだめかもしれない。


 拝殿へ戻り、俺は呼吸を整えた。本殿に入れば、神主さんから話を聞かなくても、何か資料が置いてあるだろう。ただし本殿は拝殿の裏にあり、一般人は立ち入り禁止なので不法侵入になってしまう。


 それでも、俺は知らなければならない。イワクツキサマが何なのか分かれば、この怪現象を止めることができるかもしれないからだ。故郷が完全におかしくなってしまう前に、手を打ちたい。


 賽銭箱の後ろに立てられた大きな木の柵を跨いで、拝殿の中に入った。建物の中へと足を踏み込み、廊下を渡る。木の爽やかな香りと、お香の甘い匂いが鼻孔をくすぐった。


 本殿に着くと、そこには大きな鏡が置かれていて、その前で神主さんが倒れていた。口から泡を吐いている。近づいて首筋に手を当てたが、脈は動いていなかった。鳥肌が手足を覆う。しかし、ここまで来て逃げるわけにはいかない。


 神主さんの手には、一冊の本が握られていた。それを拝借して読んでみると、悲喜憑化神社で祭られている神、『イワクツキサマ』について書かれていた。


 イワクツキサマは、昔この村で流行したひきつけを起こす疫病を治めるために、生贄となった三歳から五歳までの子供の事で、病気を肩代わりする力を持つとされているらしい。子供を生贄にするなんて、なんて惨いことを、と俺は思った。


 五日間にわたって行われる祭りは、イワクツキサマを慰めるためのものだそうだ。幼いうちに理不尽に殺され、病気を肩代わりさせられたのに、自分達のための祭りが開かれないとなれば、祟りも起こしたくなるだろう。同情する気持ちが湧いてきた。


 しかしそれと同時に、大きな笑いが腹の底から突き抜けた。顔がけいれんして、口角が吊り上がる。


「あひゃひゃひゃひゃ!! はははははははっ!! フヒッ、ひひひひひひひひ!!」


 嫌だ、何で! 今は笑いたい気分じゃない。無理やり喉から声が絞られて、骨がきしんでいる。痛い、痛い! 頭がミキサーにかけられたみたいに、ぐじゅぐじゅする。意識が保てなくなりそうだ。


 瞼の裏に、笑顔を浮かべる無数の子供たちが浮かび上がる。「皆でお祭りをしよう」「これで君も僕たちの仲間だ」と、楽し気に喋りだした。あぁ、イワクツキサマが見ている。


 来るな、こっちに来ないでくれ! 俺は朦朧とする意識の中、足を引きずって鏡から離れた。それでも、イワクツキサマは追いかけてくる。俺の方を見ている。笑い声と悲鳴が、口からあふれて止まらない。


「はははははははっ、ウヒィ、イヒヒ、グヒ、イワクツキサマが見ている! イワクツキサマがこっちに来る! ひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!!」


 あは、あははは!! 今日は楽しいお祭りだ。みんなを神社に呼ぼう。神社で踊りを踊って、笛を吹いて、花火を打ち上げるんだ。町を覆いつくすほどのでっかい花火を!!


 あひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!! ガガッ、おがっ、グエエエェ、がはっ、がははは、ぐふっ、ははははははははっははっはははははっははははははははは!


 イワクツキサマが見ている! イワクツキサマが見ている!  イワクツキサマが見ている! イワクツキサマは見ている! イワクツキサマは見ている! イワクツキサマは見ている! イワクツキサマは皆を見ている! イワクツキサマは皆を見ている! イワクツキサマは皆を見ている!





 イワクツキサマはお前らの事も見ている

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