9 ほのかな想い
ある日、サイト―が王妃の生誕祭に献上するワガシの試作品を黒いトレイのような物に乗せているのをリディアーヌが見つけてそっと近寄ってきた。
「まぁ、素敵なトレイですね。」
「ああ、これは、漆塗のトレイですよ。中身は木製で、その上に漆という特殊な植物の液を塗っては削って、を繰り返して光沢のある真っ黒のトレイに仕上げるんですが、実は、だいたいの工程を話すと、ガブが魔術で作ってくれたんです。」
興味深げにじっと見つめていたリディアーヌは、そっとそのトレイに触れて驚いた。
「本当だわ。陶器ではないのね。こんなにきれいな光沢があるのに木製だなんて、不思議だわ。それに、今度のワガシ、なんだかとっても清々しい香りがしますわ。」
「おお、気づかれましたか?そうなんですよ。これもガブに助けてもらいました。本来は、とても時間や手間がかかるものなんですよ。」
サイト―は嬉しそうに小さな器を差し出した。そして、武骨な指先では滑稽なほどの慎重なしぐさでふたを開けると、鮮やかな黄緑色の粉がふたを開けた風圧でふわっと舞い上がった。
「今日の夕食後に召し上がっていただきますね。」
柄にもなく茶目っ気を出してウィンクするサイト―に、ふふふっと嬉しそうに笑うリディアーヌだった。そのまま窓の外に目を移すと、外はすっかり日差しが強くなり、思わず目を細める。
「こんなにも季節の移ろいははっきりしていたのですね。色鮮やかな緑の葉も、風に揺れる木漏れ日も、知らないことでいっぱいです。」
「まだまだたくさんの素晴らしい景色が待っていますよ。これからは、ガブに頼んであちらこちらに出かけていかれるといい。」
「あら、サイト―様は連れて行ってくださらないの?」
リディアーヌが小首をかしげて尋ねると、サイト―は微かに驚いた表情を見せたが、すぐにいつもの朴念仁に戻って笑って見せた。
「ご要望とあらば、お供いたします。」
そこに、ガブリエルが戻って来た。
「お兄様、おかえりなさい。」
「ああ、リディ、只今。って、どうしておまえが厨房にいるんだ。シュウの邪魔をするんじゃないよ。」
「邪魔じゃないですよ。この真塗のトレイを褒めていただいていたのです。それと、視力を取り戻されて、外の景色をご覧になりたいそうですよ。」
「ああ、そうだな。次の休日にでも、考えておこう。」
リディアーヌがぱっと表情を明るくした。外に出られることがそんなに嬉しいのかと、サイト―は自分の事の様に嬉しくなっていた。しかし、ガブリエルはそっとサイト―の上着の裾を引っ張った。
「ん?」
「後で、ちょっと相談がある。」
「あら、なにか困りごとですの?私は席を外しますわ。」
察しの良いリディアーヌはそっと厨房を出た。それを申し訳なさそうに見送ったガブリエルは、早速サイト―に聞いてみた。
「こんなことをシュウに聞くのはどうかと思うのだが、最近のご令嬢のドレスのはやりを知らないかい?」
「なんでまた、そんなことを?」
「いや、実は。陛下にリディアーヌの視力回復の報告をしたら、連れて来いと言われたのだ。しかし、王宮に行くにはドレスが必要だろ?もう何度もドレスの趣味が悪いだのダサいだの、令嬢たちが言い合っているのを見ている。久しぶりの王宮なのに、リディに嫌な思いをさせたくないんだ。」
王宮魔術師団の師団長とは思えないほど、弱り切っていた。いや、恐れ慄いていた。ドレスなど、縁のないサイト―だが、そう言えば、マルセルが妹のドレス代が高いとか、有名なデザイナーを選ぶからだとか嘆いていたのを思い出した。
「ドレスって言えば、あれだろ?デザイナーが考えてくれるんじゃないか?」
「いやしかし、そのデザイナーをどう選べばいいか分からないんだ。」
「う~ん。じゃあ、ガブにとって理想的な令嬢にアドバイスをもらうってのはどうだい?そういえば、明日、豆の仕入れにオランド伯爵家に行くんだ。オランド家のご令嬢はとてもおだやかだし、頭も切れる。ガブも一緒に行って、アドバイスをもらうといい。」
「え、オランド伯爵令嬢か?」
サイト―は思わず噴き出した。普段の凛々しい魔術師団長からは想像もできないほどうろたえているのだ。
「大丈夫だ。きっといいアドバイスをくれるよ。もう何回か買い付けに行っているが、とても冷静で頭のいい人だ。俺の事を変な目でみることもないし、ガブの事も外見や地位だけで判断しない。妹に自信をもって王宮に行かせてやりたいんだろ?がんばれよ、兄貴!」
「お、おう。」
その夜は、サイト―の作った新たなワガシの色鮮やかなグリーンで、食卓は大いに沸いた。リディアーヌは、あえて目を閉じてじっくりと味わう。そして、さっさと食べ終わっていたガブリエルに、もっと味わうべき芸術品だと宣った。
翌日、早速馬車で出かけた二人は、オランド伯爵家に到着した。
「やぁ、サイト―殿。ちょうど新しい豆が入ってきたんだ。見に来てくれよ。」
「ああ、ありがとう。今日は、嬢ちゃんはいないのかい?」
「あはは。またチェスでもするのかい?」
「まあ、それもあるが、ちょっと別口でね。」
サイト―が、所在なげに突っ立っているガブリエルに目をやると、仕入れ担当のクロードは「ほう」とつぶやくと、いつの間にかサイト―のチェス仲間になったジゼル・オランドを呼びだした。令嬢がやってくるまでに買い付けを済ませたサイト―は、意気揚々と応接室に戻ってきた。
「随分と手慣れて来たな。」
「ああ、ここの人たちはみんな本当にいい人達なんだよ。おっと、ご令嬢がお見えだな。」
微かなノックが聞こえ、ジゼルがやってきた。
「サイト―様。今日こそ負けませんわよ!」
入室するなり勇ましく発言したジゼルは、目の前にガブリエルがいることに驚いた。
「あら、失礼いたしましたわ。オランド伯爵家長女ジゼル・オランドです。」
そういうと、美しいカーテシーでガブリエルを迎えた。
「王宮魔術師団の師団長をしているガブリエル・アランプールだ。」
「ええ、存じておりますわ。まさか師団長様がいらっしゃるなんて、感激ですわ。それで、今日はどのようなご用ですの?」
ソファを進め、自分も向い側に座ると、穏やかに要件を訪ねた。その知的な仕草に、改めて見惚れてしまう。
「公爵様?」
不意に声を掛けられて我に返ったガブリエルは、慌てて言い募った。
「じ、実は、事故で長年視力を失っていた妹が、奇跡的に視力を回復させたもので、陛下にご挨拶に伺うことになったのだ。ずっと領地にいたので、デビュタントもしていない。せめて恥をかかないようなドレスを用意してやりたいと思ったのだが、私には最近のはやりが全く分からなくて。困っていたら、ここにいるサイト―殿がオランド伯爵令嬢なら、的確なアドバイスをしてくれるのではと、教えてくれたもので。すまない、急にこんなお願い事を持って来てしまって。」
「まぁ、妹君のご回復、おめでとうございます。そうでしたか。そんなご心配事がおありだったのに、立派に職務を果たしておられたのですね。私の紹介でよろしければ、すぐにメモをお持ちしますわ。サラ、マダム・フェリシーとモクレール宝飾店の住所をお願いね。」
「かしこまりました。」
ジゼル付きの侍女が部屋を出ると、サイト―がほっとしたように声を掛けた。
「良かったな、ガブ。王様と面会した後は、あの子もタウンハウスにとどまるのかい?」
「まだそこまで決まっていないんだ。まずはリディの意向を聞いてやりたいんだ。」
二人のやりとりを聞いていたジゼルは遠慮気味に言う。
「あの、もしもよろしければ、王都にいらっしゃる間、お話相手に伺ってもよろしいでしょうか?」
「ああ、それがいい!」
「本当に?! それは有り難い!しかし伯爵殿の意向を確かめねば…」
その時、部屋の外で声が聞こえた。
「旦那様がお帰りになりました。」
「まぁ、ちょうど良かったわ。お父様をこちらにお呼びして。」
言うが早いか、オランド伯爵がやってきた。
「おお、これはこれは、アランプール公爵殿。ようこそお越しくださいました。」
「ああ、オランド伯爵、どうかお気遣いなく。今日は妹のことで、ジゼル嬢に相談に乗ってもらっていたのだ。」
オロオロするガブリエルをしり目に、ジゼルがさっさと説明する。
「お父様、アランプール公爵様の妹君の視力が戻ったそうなんですよ。それで、陛下に謁見されるのに、どんなドレスが良いかというご相談だったのです。」
「おお!それはめでたい。お嬢様はあの痛ましい事故以来、視力を失くされたと聞いています。どれほど辛い思いをなさったことか。我々も大変心配しておりました。」
「伯爵、温かいお言葉、感謝申し上げる。」
「おい、ジゼル。妹君がこちらに来られた際には、傍に居て支えて差し上げなさい。」
伯爵の言葉に、ジゼルはガブリエルと顔を見合わせて「ふふ」っと楽しげに笑った。
「さすがはお父様だわ。今そんな話をしておりましたのよ。きっとお父様ならそうおっしゃると思っていましたわ。」
「伯爵、本当にありがとう。私やサイト―殿は仕事があるので、王都に呼び寄せたとしても、かまってやれないのが心配だったのだ。しかし、気安く頼めるような知人のご婦人もいなくてな。」
「失礼いたします。マダム・フェリシーとモクレール宝飾店のご住所です。」
サラがメモを差し出すと、ジゼルが受け取ってガブリエルに手渡す。それを大事そうに受け取ると、照れ臭そうに礼を言った。
「感謝する。」
「公爵様、ご快復の報告もそうですが、もうすぐやってくる王妃様の生誕祭もご一緒されるのでしょう?ご本人に選んでいただいた方がよろしいのではないでしょうか?」
「うむ。確かに。こまごまとした品も必要だろう。妹君がお越しになったら、おまえもご一緒してはどうだ?」
「そうですわね。ぜひ、ご一緒させてくださいませ。」
オランドの提案に、ジゼルもすっかり乗り気だ。ガブリエルとしては、嬉しいやら照れ臭いやらで、よろしくというのが精いっぱいだった。