8 王族の事情
ガブリエルとマルセルが報告に向かうべく、王宮内を歩いていると、王弟・バイヤール公爵と出くわした。
「おや、聖女召喚に失敗した王宮魔術師か。よくもまぁ、ぬけぬけと王宮に足を踏み入れられるもんだ。」
「なっ!」
むっとするマルセルを引き留めて、師団長が対応した。
「これはバイヤール公爵殿。お元気そうでなによりです。先日の聖女召喚で来られたサイト―殿は、元の世界ではスィーツの職人だったらしく、その素晴らしい技で陛下にも喜んでいただいております。」
「フン、つまり平民だったということだろ。スィーツでは魔物を討伐などできまいに。せいぜいそのしりぬぐいに命を懸けて働くがいい。」
「ええ、もちろんです。王族に連なる者として、生まれ持ったこの膨大な魔力を国のために生かしてまいります。」
「ふ、ふん!」
バイヤールは悔し気に歯噛みして去っていった。バイヤールという男は、現国王の弟でありながら瞳の色はグリーンで、王族独特のサファイアの瞳を持たなかった。そして、同じく王族特有の魔力も持っていなかったのだ。しかし、現国王のジャンメールは、ガブリエルの父であるアンドレ・アランプール同様、シリル・バイヤールにも公爵としての爵位を与え、兄弟を分け隔てなく国を支える貴族として扱った。しかし、バイヤールはそれだけでは満足せず、ジャンメールやアンドレの行動になにかとつっかかっては、自分の方が優れていると、貴族の間に噂を垂れ流していたのだ。
「はぁ、次の夜会でもいろいろ噂を流されそうだな。」
「でも、師団長は全然夜会に参加されていないじゃないですか。うちの妹からは、師団長が参加するときは必ず教えてほしいってせっつかれてるんですよ。」
マルセルが呆れた様子でそういうと、恨めしそうな目で師団長が返す。
「いや、だってなぁ。狩りに来た女豹の群れみたいなんだぞ。」
「あ~、確かに。師団長は優良物件ですからねぇ。」
マルセルは、ガブリエルが師団長に就任したときのことを思い出して、ゾクっと体を震わせた。正式な師団長の制服に身を包んだガブリエルが、国王から師団長の証の勲章を授けられ、集まった貴族に挨拶に回ろうとした途端、着飾った令嬢たちにもみくちゃにされた挙句、女同士の争いがあちらこちらで勃発し、就任後のパーティーが途中で切り上げられたのだ。あれ以来、師団長は女性に対して拒絶反応を示すようになったのだ。学生時代からの友人でもあるマルセルは、ガブリエルの苦労人ぶりを知っているだけに、令嬢たちとの価値観の違いに瞑目するしかなかった。
その頃、バイヤールはガブリエルと入れ違いに国王に面会していた。
「兄上、いったいどういうことですか。聖女召喚に失敗した奴を咎めもせずに。しかも現れたのは平民だったとか。まったく、こんなことで魔物がちゃんと倒せるのですか?何なら、我が私設騎士団を動かして討伐した方が早いのではないですかな?」
憤慨するバイヤールを、国王は静かに見つめていた。言いたいだけの事を言って、国王を睨むように見つめるバイヤールに、国王は深いため息をついて答える。
「一つ教えてやろう。以前に来た聖女たちもみな平民だった。それに、サイト―殿は只の平民ではなさそうなんでな。」
「聖女ほどの魔力を持っていなければ、召喚の意味などないでしょう!」
どこまでも反論する気の弟を、兄としては理解してやりたいとジャンメールは考えていた。そこには、遠い昔に両親との約束があったからだ。
『ジャン、アンドレ。あなたたちのお父様はいつも、間違いなく私たち家族を大切に想ってくださっています。ですが、この度あってはならないことが起こったのです。あの赤ん坊は間違いなくお父様の子どもです。お父様付きの侍女が薬を盛った結果です。』
一時期、侍女が側室にしろと騒いでいたのはなんとなく知っていたが、子どものジャンメールには、母のその言葉の意味は分からなかった。しかし、両親は分け隔てすることなく、シリルを第3王子として育てたのだ。
シリルが3歳になって、魔力を調べることになったとき、自分達とは異質な存在だとはっきりと知ることになった。シリルには、魔力がほとんどなかったのだ。負けず嫌いなシリルは、魔力の少ない分、剣術に力を注ぎ、王子の肩書を使わなくとも、軍部で頭角を現すまでとなったのだ。
「そこまで言うなら、次の討伐の際に、ガブリエルに同行して現状を把握して来い。ただし、討伐には手を出すな。連れて行く軍人への補償もない。ガブリエルの邪魔はするなよ。」
ジャンメールの言葉に、一層苛立ちを募らせるバイヤールだった。
一方、国王への報告を終え、ガブリエルがタウンハウスに戻ってくると、嬉しいニュースが待っていた。医師に検査してもらっていたリディアーヌの視力が間違いなく回復していると分かったのだ。
「では、リディアーヌの様子を見てくるよ。」
嬉々として領地に向かおうとするガブリエルに、サイト―が声を掛ける。
「もしよかったら、俺も連れて行ってくれないか? 王妃様の生誕祭にお出しするワガシに抹茶を加えたいんだ。」
「マッチャ?それはどういうものだ。」
サイト―は、緑茶だけでなく、日本では抹茶も好まれていたことを説明した。生誕祭は来月。緑茶を作ることから始めるには時間があまりにも短かった。しかし、ここはサイト―のこだわりだ。珍しく真剣な様子のサイト―を拒絶することはできない。
「分かった。では、いっしょに行こう!」
「恩に着る」
領地では、ジェラルドが待ち構えていた。
「旦那様、お待ちしておりました。こちらへ」
促されるまま、食堂に向かうと、すでにテーブルの上には料理の数々が並び、祝杯の準備が整っていた。
「料理長が腕に寄りをかけて準備いたしました。」
「お兄様、お待ちしておりましたわ。」
「リディ、本当に良かった。もう、なにも心配しなくていいんだな。」
「ええ、お医者さまもとても不思議がっていらしたわ。ところで、サイト―様はご一緒ではないの?」
タウンハウスから持ち込んだ荷物を厨房に運んでいたサイト―が、ひょっこりと顔を出した。
「なんだ。サイト―殿に用でもあったのか?」
「お兄様!まさか、サイト―様にお礼もおっしゃってないのですか?!」
「え?」
「私の視力を回復してくださったのは、間違いなくサイト―様のワガシですわ。お兄様だって、分かってらっしゃるでしょう?」
ガブリエルはそこまで言われてやっと気が付いた。そうだ。自分の魔力が上がったのも、部下たちが活躍できたのも、確かにサイト―の和菓子を食べてからだ。なんとなく、お守りのつもりで部下に与えていたワガシが、とんでもない効果を発揮したのは自分が一番知っていることだった。
「さ、サイト―殿!」
「ん?呼んだかい?」
「今まで、きちんとお礼を言えずに申し訳なかった。妹の視力が回復したのは、貴殿のワガシのお陰。貴殿のワガシにはそういう力が宿っているのは間違いない。」
サイト―は目をぱちくりとしてぽかんとしている。そんなことはお構いなしのガブリエルは、一人で納得していた。
「そうだ、そうなんだ。サイト―殿のワガシには何かしら力があると、最初から分かっていたのに。あまりにも貴殿が気取らないものだからすっかり忘れていたんだ。私は何という愚か者だ。そうだ、これからは、私のことはガブと呼んでくれ!サイト―殿、貴殿のこともファーストネームで呼んでもいいだろうか?」
「ええ?いやぁ、元の世界では、ファーストネームなんて大人になると呼んでもらうこともないんだが…。」
「いや、是非教えてくれ。サイト―殿のファーストネームはなんだった?」
「し、シュージだ。」
「では、これからは、感謝と親しみを込めてシュウと呼ばせてくれ。私の事は、ガブで!」
「ん、わ、分かった。」
「まぁ、男の友情ですわね。素敵だわ。さ、席に着きましょう。」
その日以来、サイト―はガブリエルの親友に格上げされた。