7 嬉しい知らせ
タウンハウスに戻ってくると、ダニエルが門の前で今か今かと待ち構えていた。
「旦那様、サイト―様、おかえりなさいませ。お待ちしておりました。」
「ダニエル、珍しいな。何を浮足立っている?」
上着を渡しながら、いつもと様子の違う執事にやや引き気味にガブリエルが問いただすと、言いたくて仕方がないという様子で、報告する。
「旦那様、リディアーヌ様が!リディアーヌ様の視力が…!」
それを聞いた瞬間から、ガブリエルの目の色が変わった。着替えもそこそこに、すぐにサイト―にワガシ製作を頼み、自らも厨房に入って手伝うと言い出し、サイト―に窘められる始末だ。
「公爵様、ここは俺の領分だ。待っててください。」
「そ、そうか。では、頼む。」
執務室に戻っても、まんじりともせず、両親の姿絵を眺めては、ため息をついたりした。一方、厨房にこもったサイト―は、デザインを考える。急な話だが、喜ばしいことだ。先ほど国王に褒められたマーグリーの花と、今の暑さなら日本ではアジサイが見ごろだが、この国のオートンシアという花が似ている。などと、想いを巡らせて作業を進めた。
「できました。」
サイト―の静かな声に、一瞬身動きが取れなくなったガブリエルは、ふうっと大きな深呼吸をして頷き合った。
「それでは、いっしょに行こう!ダニエル、後は頼んだ。」
すぐさま魔方陣が現われ、ガブリエルはサイト―を連れて領地へと転移した。
「ジェラルド、待たせたな。リディアーヌはどうしている?」
開口一番、声をあげたガブリエルに笑顔で答える執事も、いつになく浮足立っている様だ。
「こちらです。」
執事に続いて食堂に入ると、大きなテーブルの端にリディアーヌが嬉しそうに微笑んで待っていた。その瞳は、輝くように美しく明らかに的確に兄の姿を捉えている。ガブリエルは嬉しすぎてすぐには動きだせないほどだった。
「お兄様?」
「リディ?本当に見えるようになったのか?」
「ええ、朧気ですが、お兄様の姿が分かります。それで、そちらの方は?」
小首をかしげてガブリエル後ろの人物に目をやるリディアーヌに釣られて振り向くと、所在なげに首の後ろをなでる中年男がへにゃりと笑っていた。
「紹介しよう。彼があのワガシを作ったサイト―殿だ。サイト―殿、私の妹のリディアーヌだ。」
「お初にお目に掛かります。サイト―です。いやぁ、公爵様にこんなに美しい妹君がいらしたとは、驚きです」
すっとぼけた様子で口にするサイト―に、リディアーヌは思わず苦笑する。
「サイト―様。兄が大変お世話になっております。先日、兄からサイト―様のワガシを頂いて、とても感動いたしましたの。それに、昔の事故で失っていた視力が、どういう訳か戻って来ている様なんですの。」
「ああ、そうだった。今回もサイト―殿に新たなデザインのワガシを作ってもらったんだ。」
ガブリエルがそそくさとワガシをテーブルに並べると、タイミングよくジェラルドが紅茶を持ってやってきて、ささやかなお茶会が始まった。
「まぁ、なんて素敵なデザインですの。これはもしかしてオートンシアではありませんか?それに、こちらはマーグリーですわ。まるで本物みたいだわ。」
「はい、その通りです。俺がいた日本という国は、季節の移ろいが様々に美しく、ワガシもそれを模したものが多く作られていました。この世界でも季節の移ろいがあるようなので、今を盛りに咲いているきれいな花を参考にいたしました。」
しばらく和菓子を眺めてあれこれ話を弾ませると、次には香りと味で楽しみ、再び食堂はにぎわった。その姿を傍で見ていたガブリエルは、一人胸を熱くしていた。先ほどは朧気に見えていると言っていた妹の視力だが、繊細な花の様子もちゃんと見えている。視力は確実に戻りつつあると確信できたのだ。
「サイト―様のお国でも、紅茶は召し上がられますの?」
「ええ、紅茶もコーヒーもありました。しかし、和菓子には、なんと言っても緑茶が合うんですが、ここでは緑茶は見かけないですね。」
その言葉に、執事を含めた3人はきょとんとしてしまった。そして、サイト―の言う、発酵されていないお茶に強く興味を惹かれるのだった。
そのまま語り明かして、領地で一泊したガブリエルは、まぶしい光に目を覚ました。
「お兄様!朝ですわよ。いつまでお休みになるつもりですの?」
勢いよくカーテンを引いたリディアーヌが嬉しそうに声を掛けた。
「リ、リディ!」
そこは、めったに足を踏み入れないガブリエルの私室だ。そこを迷うことなく行き来する妹に、ガブリエルは目を見開いた。
「お、おまえ、そこまで見えているのか?」
「ええ、そうなんですの。とってもクリアに見えているんです。昨晩より一層はっきりと!」
「良かった…!」
言い終わる前に、リディアーヌは兄の胸にぎゅっと抱きとめられた。リディアーヌは顔をあげてじっと兄の顔を見つめると、優しくも切ない笑顔でつぶやいた。
「お兄様、あの事故以来、ご苦労なさったのですね。今ならお兄様のお疲れ具合もはっきりと分かりますわ。」
「何を言う。おまえの視力が戻ったなら、こんな疲れなど吹き飛んでしまうよ。」
ガブリエルは、事の次第を国王に手紙鳥で伝え、1日の休暇をもらった。そして、早々に妹を医者の元に連れて行った。結果は、問題なく視力が戻っているとのことで、医者も驚いていた。
安心したガブリエルは、せっかくだからとアランプール領の茶畑にサイトーを連れて行き、そこに連なる工場で紅茶の製造過程を見学させた。
「ああ、やっぱり同じ茶葉だな。しかし、作る工程はまるで違うんだな。緑茶は発酵させないんだ。」
「ほう、一度飲んでみたいもんだな。」
茶畑を望みながらのんびり話していると、手紙鳥が飛んできた。
「ああ、残念ながら王都に帰らねばならなくなった。大型魔物が出たらしい。サイト―殿、悪いが一緒にタウンハウスまで帰ってもらうぞ。」
言うが早いか、ガブリエルはすぐさま魔方陣を展開して王都へと戻っていった。
「旦那様!」
「すぐ出かける!」
「承知しております!」
ガブリエルは、タウンハウスに戻るとすぐさま着替えて、王宮魔術師団団長の顔になって飛び出そうとしていた。
「公爵様、これを!」
追いかけるように走ってきたサイト―は、小さなボタンのような粒が入った袋を手渡した。
「これは?」
「これも、ワガシだ。これなら携帯できるだろうと思って、作っておいたんだ。急ぐんだろ?あ、言葉遣いが…」
「サイト―殿…。ありがとう!では、行ってくる!」
ガブリエルは、思わずサイト―の手を握り締めてお礼を言うと、すぐに元の師団長の顔になって、飛び出して行った。
現場はやはりフェムジットの森だった。遠くからも森がくすぶっているのが分かる。どうやらリザーの成獣のようだ。リザーはトカゲに似た魔獣で、成獣は火を噴くやっかいな魔獣だ。
「マルセル、リュカ、これを。まじないだと思って食べておけ。」
「なんですか、これ?」
「サイト―殿のワガシというものだ。」
師団長に勧められ、首をかしげながら口にした二人は、おおっと目を見開いた。さっぱりしていて、ほろほろと解ける感覚が新鮮だ。そして爽やかな甘さだった。
「うまい!」
「聖女召喚で来た人ですよね。」
ガブリエルは、自分も一つ口に入れると、団員を束ねて出撃した。身軽なリュカは、先に偵察に向かう。
「うわ、なんだこれ!? いつもより身が軽い。体に力がみなぎるのが分かる!」
標的に向いながらも、途中で遭遇する小型の魔獣たちを討伐していった。それに続いたマルセルも、身体の奥から温かくなるような魔力の増幅を感じていた。リザーが吐いた炎で燃え始めた森を、水の魔法でどんどん消火していく。他の団員たちも、その活躍に歓声を上げるほどだ。
「師団長、こちらです!」
団員が指さす先に、リザーのごつごつした肌が木々の間から見えた。ガブリエルはすかさずその団員にもワガシを食べさせ、盾の魔法を頼む。
「ブークイエ!」
「上出来だ!」
団員が驚くほどの頑丈な盾が現われると、向かってくるリザーの足もとをすり抜け、師団長は背後に回って氷の槍を突き立てた。
「マリネ・ドラ・グラッセ!」
メキメキっと大きな音を立てて氷の槍はリザーの足を辿って氷漬けにしていく。
「す、すごい!」
団員達が歓声をあげた瞬間、氷にひびが入り、リザーが自らに火炎を吐き、氷を解かす。
「なんて奴だ!」
「ぼんやりするな!すぐに来るぞ!」
マルセルが団員たちを叱咤しながら、リザーの口元に強力な水圧攻撃を仕掛ける。
「エクスタンション・ダンズィー!」
マルセルの攻撃に対し反撃しようとするリザーに、後ろから師団長のとどめが放たれた。
「ブレ・ド・キャノン・ナグレス!」
リザーは瞬時に凍り付き、砕け散った。
消火活動を終えた団員たちもばらばらと集合し、脅威とされていた成獣リザーのあっけない討伐劇に胸をなでおろした。