2 アランプール公爵家の人々
公爵家って、やっぱりすごいんでしょうねぇ。
物思いにふけっている間に、馬車は王宮ほどではないがしっかりとした美しい館の前で速度を落としていった。
「おとぎ話に出てくるお城みたいだなぁ」
呑気に仰ぎ見ていると、ため息交じりに馬車を降りるよう声を掛けられる。すると、馬車の扉が開いて、外には身なりのきちんとした男性が頭を下げていた。
「旦那様、おかえりなさいませ。お客様、ようこそいらっしゃいました。こちらへどうぞ。」
慣れた様子で馬車を降りるガブリエルに続いてサイト―も馬車を降りると、そのまま広いエントランスへと足を踏み入れた。豪奢な造りに思わず見回すサイト―に、ガブリエルが応接室で話をしたいと申し出た。
アランプール家の応接室は、エントランスに負けない豪華さで、勧められて腰かけたソファが柔らかすぎて、少しうろたえたぐらいだった。そんな様子を見ていたガブリエルは、静かに語りだした。
「寛いでいただいて結構だ。まずは自己紹介をしておこう。私はガブリエル・アランプールだ。父が現王の弟で、臣下に下りたときこのアランプールという名を頂いた。両親は事故でなくなって、今は私が当主として引き継いだ。ここは我が家のタウンハウスなのだ。領地はここから北の方角にあるが、大分離れていてね。それで、貴殿はサイト―殿だったな。今回は、私のミスで突然召喚してしまったこと、申し訳なく思っている。あの場では、動転して貴殿を責めるようなことを言ってしまったが、陛下の許可もいただいたし、お詫びにこのタウンハウスで出来るだけのことはさせてもらうから、ゆっくり過ごしていただきたい。」
真剣な様子で次々と語りだすガブリエルに、サイト―は妙な親近感を抱いた。自分と同じ、何かに没頭して研究してきた者にありがちな、社交性の低さ。それでも、真面目で誠実な性格が言葉の端々に感じ取れる。
「いやぁ、気にせんでいいよ。誰にでもミスはある。あっ、アンタは公爵様だったか。俺のいた世界では身分制度がなかったもんで、失礼な言葉遣いだったら許してください。」
「ああ、そうだったな。先ほどは陛下の前だったので、黙っていたが、本当に身分制度がない?想像もつかないなぁ。」
驚くガブリエルだったが、ポケットにあった懐中時計を取り出して、態度を一変させた。
「すまないが、私はこれから一旦領地に戻らなければならない。ここでの生活の事は、執事のダニエルが案内するので、分からないことや困ったことがあったら、なんなりと聞いてくれ。夕食の時間までには帰るので、話の続きはその時に。では、失礼」
ガブリエルが目配せすると、ダニエルがすぐにサイト―を客室に案内する。その後ろ姿を見送って、ガブリエルはすぐさま魔方陣を展開して別の場所へと転移していった。
領地に戻るとすぐに妹リディアーヌが出迎えた。
「お兄様、おかえりなさい。」
「ああ、ただいま。体調はどうだ?」
嬉しそうに微笑んで兄の元に駆け寄るが、美しいアクアマリンの瞳はガブリエルを映さない。その後ろから執事のジェラルドが、紅茶を持ってやってきた。
「旦那様、ご苦労様でございます。」
「ああ、いつも済まない。その後、変わりはないか?」
歳を重ねたジェラルドは、先代の頃から仕えている執事で、公爵としては歳の若いガブリエルにとって、最も信頼のおける存在だ。執事は帳簿の確認を願い出て、執務室へと主を誘った。
執務室のドアを閉めると、ジェラルドはリディアーヌの状態について報告を始めた。
「医師によりますと、やはり王都の専門医に見せた方がいいのではないかと言うのです。お嬢様はとても勘の良い方ですので、普段は何不自由なく暮らしていらっしゃいますが、まだまだお若いお嬢様のこれからを考えますと、なんとかあの美しい瞳に光が宿るようにして差し上げられないものかと考えます。」
「そうか。王都の仕事が一段落したら、タウンハウスに滞在させて王都の医師に診てもらえるよう考えてみよう。」
その後、領地経営についての報告をいくつか受け、執務室を出ると、すぐに食堂へと向かった。サイト―を残しているため、今日の夕食は領地ではなく、タウンハウスで摂ることにしているのだ。リディアーヌに事情を説明しながら、食事を摂る妹の向かいで紅茶を飲むことにした。
「お兄様、少しお疲れではなくて?」
リディアーヌに指摘されてハッとする。確かにせっかくの聖女召喚の儀だったが、それ以降、ゆっくりと休める気分ではなかった。
「少し、立て込んでいてな。大丈夫だよ。それもやっと終わったところなんだ」
「そうですの?」
涼し気な瞳を細めながらも、どこか寂し気に笑った。
リディアーヌは、食事はすべて自分で摂る。侍女のクロエが決まった位置に皿を置くと、自然な所作で食事に取り掛かるのだ。その姿を見るにつけ、妹は見えているのではないかと思うほどだった。
「ところでお兄様、そろそろ縁談が来ているのではなくて?私に遠慮せず、きちんとした伴侶を見つけてくださいませね。」
「はぁ、まさかリディからそんなことを言われるとは。王宮魔術師団長という仕事は、なかなかに忙しいんだよ。ご婦人のお相手をする暇などないんだ。」
「またそのようなことを!お兄様にはもう一つ大切なお役目がございましょう?アランプール公爵家の主として、次の世代に血をつなぐことは必須条件ですわ。」
「ああ、分かっている。まったく、リディは母親のようだね。頼もしいことだ。」
リディアーヌが食事を終えると、ガブリエルは席を立った。
「さて、私はそろそろ王都に戻るよ。リディ、いい子にしているんだよ。」
「まぁ、お兄様ったら、いつまでも子ども扱いなさらないで。異世界からのお客様がいらしてるんでしょう?ジェラルドから聞いているわ。どんな方なのかしら。」
「う~ん、本人はさえない中年男だと言うんだが、話してみると穏やかな人物だった。」
サイト―を思い出しながら話す様子を見て、リディアーヌはふふっと笑い声を漏らした。
「お兄様がそんな風に思うのなら、きっと素敵な方なんでしょうね。私も一度お目に掛かりたいわ。」
「そうだな。またいつか。では、おやすみ、リディ」
魔術師は、あっという間にタウンハウスに移動していた。
王都の私邸に戻ったガブリエルは、執事の様子がいつもと違うことにすぐに気が付いた。
「どうした?」
「旦那様、あの…お客様が…」
申し訳なさそうに視線を移すその先に進んでいくと、厨房の奥から聞きなれない鼻歌が聞こえて来た。そして、一歩足を踏み入れると、エプロンをつけてせっせと作業をするサイト―に出会った。
「貴殿はなにを?」
「ああ、ちょっと厨房をお借りしていますよ。夕食の後にでも、召し上がってもらおうと思いましてね。」
武骨な男の手元では、流れるような作業で美しい花が作り上げられ、トレイに並んでいく。
「これは、花か。美しいな。それにして、いったい何で出来ているんだ?」
「ああ、これはほとんど白いんげんですよ。料理長に無理を言って、譲ってもらったんです。」
そう言いながらも、その視線は手のひらの上にある丸い塊に集中している。そして、調理に使っているのは、絵筆や毛抜き、ピンセットなどだ。近くには、いろんな色の液体が小さな器に並んでいる。
「食べられるのか?」
「ええ、もちろん。こう見えて、俺は和菓子職人なんです。俺のいた日本という国の独特のお菓子です。あっさりとした甘さで、日本では人気があったんですよ。この色は、厨房になったジャムなんかを借りて作っています。」
「そ、そうか。では、着替えてくる。貴殿も早々に切り上げて同席したまえ。それにしても、魔法の様だな」
気が済むまで作業をして、サイト―が食堂にやってくるころには、準備がすっかり整っていた。きらびやかな食器、美しいテーブルセッティング、サイト―は思わず背筋を伸ばして緊張した。しかし、それも食事を口にするまでだ。日本とはまるで違う料理の数々だが、どれもおいしく、サイト―は夢中で平らげた。
「いやぁ、大変おいしく頂戴しました。あの、ダニエルさん。」
「サイト―様、ダニエルとお呼びください。」
「ええ、いやぁ、こんなにきちんとした方に、呼び捨てなんてできないですよ。」
横で聞いていたガブリエルが苦笑して助け舟を出す。
「サイト―殿、あなたは客人だ。呼び捨てにしないとダニエルが困ってしまう。」
「そ、そうですか?じゃあ、だ、ダニエル、先ほどの和菓子をだしてもらえないだろうか?」
「承知いたしました。」
ダニエルは笑いをかみ殺して退室した。するとすぐに、料理長が美しい和菓子をカートに乗せてやってきた。和菓子は群青色の皿に乗せられ、一層華やかに見えた。