10 王都という魔法
いよいよリディアーヌが王都にやってきた。幼い頃、来たことはあったが、王都はすっかり変わっていた。見る物全てが新鮮で、リディアーヌはあちらこちらに興味を引かれ、何度もガブリエルたちに押しとどめられたほどだ。
「こちらがマダム・フェリシーのお店です。」
「あら、オランド伯爵令嬢様、ようこそいらっしゃいました。」
「こんにちは。今日は私ではなくて、こちらのリディアーヌ様のドレスを見立てていただきたいの。」
「あらあら、なんて初々しいお嬢様でしょう。私、マダム・フェリシーと申します。」
「あの、リディアーヌ・アランプールです。本日はよろしくお願いします。」
ぎこちなくカーテシーをする妹を優しい目で見つめる魔術師団長に店員たちがざわめいた。
「貴方たち、浮かれていないでまずは目の前の仕事でしょう?」
「失礼いたしました。ではお嬢様、採寸がありますので、奥のお部屋へどうぞ。」
リディアーヌが行ってしまうと、ジゼルはリディアーヌの侍女も交えて、マダム・フェリシーとデザインの相談に入った。リディアーヌの好みを侍女から詳細に聞き出すジゼルにガブリエルが好感を持ったのは間違いない。
そして、採寸が終わってリディアーヌが戻ってくるころには、2,3点のデザイン画が出来上がっていた。
「まぁ!素敵だわ。こちらとこちら、特に素敵!お兄様。どうしましょう。」
「どちらも買えばいいじゃないか。」
「そうですわ、リディアーヌ様。こちらのフリルの多いドレスは、もうすぐやってくる王妃様の生誕祭にお召しになってはいかが?舞踏会もありますのよ。きっと映えますわ。」
ジゼルの言葉に勇気をもらったリディアーヌは、期待の眼差しを兄に向けた。ガブリエルは頷くと、照れ臭そうにジゼルに礼を言う。
「ジゼル嬢、ついてきてくれてありがとう。私だけでは到底決められなかっただろう。」
「ホントですよ。お兄様と二人だったら、今頃困っていたところです。ジゼル様、これからもよろしくお願いします。」
「まぁ、嬉しいですわ。でも、まだ終わっておりませんことよ。次は宝飾店ですもの。」
ジゼルは、ドレスの送り先と納期を手早くマダムに伝えると、次の店へと二人を誘った。貴族相手の宝飾店は、店構えも豪華で初めて立ち寄るリディアーヌを威圧する。
「このようなお店に伺うのは初めてで、なんだか緊張します。」
「リディアーヌ様、大丈夫ですよ。さぁ、胸を張って、どうどうと入店いたしましょう。」
怯えたように背中を丸めていた妹が、たった一言で、姿勢よく申し分のない令嬢らしさを取り戻すと、ガブリエルは「ほう。」っとすっかり感心してしまった。
お飾りや靴などをそろえていると、すっかり遅くなってしまった。ガブリエルは、同行してくれたジゼルを送り届けると、タウンハウスへと馬車を走らせた。
「お兄様、こんなにお金を使ってもらってよかったのですか?」
「…」
「お兄様?」
「あ、いや。えっと。何か言ったか?」
ぼんやりと窓の外を眺めていたガブリエルは、慌てて取り繕おうとした。
「はぁ、お兄様がこんなにメロメロになるとは思いませんでしたわ。でも…、素敵な方でしたね。」
「ああ、そうだな。」
ガブリエルが赤らんだ顔を隠すように答えると、リディアーヌは楽しそうにふふふっと笑った。
2週間が経ち、リディアーヌが国王に謁見する日がやってきた。誂えられたドレスに身を包み、美しい銀髪をきれいにまとめたリディアーヌは、王女のような気高さがあった。ダニエルをはじめとするタウンハウスの使用人たちからは、感嘆の声があがる。そこに、正装したガブリエルがやってきて、目を見開いて妹の美しい姿に感動した。
しかし、リディアーヌは物足りなそうに何かをさがしている様子。
「今日は、サイト―様もご一緒するのでしたわよね、お兄様?」
「ああ、もうすぐ来るだろう。おまえの姿を見たら、腰を抜かすかもしれないぞ。」
そんな風に笑うガブリエルは、頬を染めているリディアーヌには気が付かない。
「ガブ、生誕祭のふるまいに出すワガシだが、量産するなら干菓子がいいだ、ろ…!!」
「ふっ、驚いたか?」
「あ、いや。うん。えっと、あんまり美しくて女神かと思ったよ。リディアーヌ様、本当におきれいです。」
「ありがとうございます。」
「いやぁ、参ったなぁ。」
サイト―が照れていると、ガブリエルが満足げに胸を張っていた。
「さぁ、王宮に向かうぞ。」
ガブリエルがリディアーヌの手を取ってエスコートすると、サイト―は慌てて和菓子の試作品を用意してそれに続いた。
その日は、謁見の間ではなく、国王の執務室に通され、国王としてではなく、プライベートな訪問として迎えられた。
「陛下、長らくご心配をおかけいたしましたが、妹リディアーヌの視力が回復いたしました旨、ご報告申し上げます。」
「ガブリエル、今日は堅くるしい挨拶はなしだ。」
そういうと、さっと片手をあげ、部屋にいた近衛兵や侍女を退室させた。
「リディアーヌ、久しいな。見ない間にすっかり美しい娘に成長した。」
「はい。おかげさまで、陛下のお顔を拝見することができるようになりました。」
ジャンメールは、嬉しそうに頷いた。
「そのことについて、少し確認したいことがあってな。リディアーヌは、サイト―殿の作ったワガシを食べたことは?」
「ええ、何度もありますわ。試作品が出来る度にいただいておりました。」
「ふむ。やはりそうか。」
そういうと、ジャンメールは、隣に座る王妃と頷き合っていた。
「実はな、サイト―殿のワガシには、どうも治癒魔法が込められているようなんだ。」
「ええ?治癒、ですか?」
身を乗り出したのはガブリエルだ。彼にとって、サイト―のワガシは能力の向上の魔法があるとは思っていたのだが、他にも力があるとは気づいていなかったのだ。その場にいたすべての人の視線を一身にうけたサイト―は、面食らっていた。
「え? お、おれ? いや、あの申し訳ありませんが、自覚がなくて…。」
「それは構わない。だが、公表するとサイト―殿の身に危険が及ぶことも考えられる。できるだけ内密にしたいのだ。」
「承知しました。現在、彼のワガシを食べたことがある者は、王宮魔術師団の団員とアランプール家の使用人です。口止めは可能でしょう。ただ、魔物討伐の際には、とても力になってもらっているので、これからも活用させていただきたいのです。」
「承知した。」
ジャンメールの言葉にほっと胸をなでおろすガブリエルだった。
「そうだ、ガブリエル。おまえの耳に入れておきたいことがある。シリルが私設の騎士団を使って魔物を討伐したいと言ってきた。」
「は?それは無理ではないでしょうか?相手は魔物です。物理的な攻撃は効きません。」
ガブリエルは、にんまりと笑って頷く国王に戸惑った。
「見学は許したが、討伐は許していない。だから、おまえたちも奴らを保護する必要はない。討伐に専念すればいいのだ。」
「しかし…」
目の前で魔物に襲われる騎士たちを助けずにいられるだろうか。ガブリエルは悩んだ。
「魔力があれば、すぐに多くの魔術が使えるというものではない。しかし、魔力が極端に少ないシリルは、おまえの努力を知ろうともしない。このままでは、人の上に立つ者としては不十分なのだ。」
ジャンメールは、ガブリエルの返事を聞くことなく、ベルを鳴らした。このことは決定事項だということだ。侍女たちが、サイト―の用意していたワガシと緑茶を運んできた。
「まぁ、なんて爽やかな色合い。それに香りもいいわ。」
「うむ。この緑は何で出来ている。」
国王夫妻は興味深げに差し出された緑茶を見つめている。
「それは、紅茶と同じ茶葉を蒸して作られたお茶でして、私の元いた国で飲まれていた物です。その茶葉の新芽だけを摘み取って蒸して乾燥させ、粉末にしたものを使ったのが、こちらのワガシです。」
「まぁ、飲み終わった後に甘さが口の中に広がるわ。なんて素敵な飲み物かしら。」
穏やかな時間が過ぎる中、半透明の小鳥がガブリエルの肩に留った。
「陛下、失礼いたします。」
ガブリエルはすぐさま小鳥を手紙に変えて確認すると、中型の魔物が現われたとの知らせだった。