第9章:逢魔街の大厄災日ー001ー
りん……りん……りん……りん……りん……りん……。
鈴の音を想起させる鐘が鳴り響いた日。
その音を耳にした逢魔街の住人は揃って口にする。
不気味だった、と。
むしろ心地好い音色であったにも関わらず、気味が悪かったとされた。
だが多くとするこの証言を全面的には受け入れられない。
全てが潰滅後の聞き取りだったからだ。
現にマテオはさほど気にも留めなかった。
流花から鬼の本家に祀られている鐘が奏でる『御神体の音』と聞かされても歩みは止まらない。
考える余裕がなかったこともある。
得体の知れない予感に、ただただ突き動かされていた面もある。
不思議な鐘の音に口を開かなくなった三人に、突如としてであった。
ドンっ、と天を衝く爆発音が轟く。
マテオたちは視線を動かす必要はなかった。
まさしく向かう方向で起きたからだ。
朱く染まる西空へ破片と砂埃が舞う。
破壊がもたらす巨大な音と辺り一帯を覆う塵埃の紗膜の向こうで姿を現した。
むっくり巨大な影が身を起こしていた。
思わず足を止めたマテオの横で、楓が指差す。
「なに、あれ。怪獣?」
当初はマテオも同様の声を挙げかけた。
登場した怪物の大きさは、周囲にある雑居ビル群を圧倒している。
建物を踏み潰せるだけ体軀だ。超高層ビルと並び立てる背丈だった。
夕陽を背に吼える姿は、銀幕の一場面かと見紛う。
非現実に分類した楓の意見に同意しかけた。
だが、ある特徴を見つけた。
「……鬼だ」
マテオの呟きに、ぽかんと口を開けた楓だ。唖然というより、呆然の態である。言の正しさを認めたうえで信じられない。
聳える黒い影に、ツノに違いないシルエットが確かに浮かび上がっている。
そこへ流花が、ぽつり洩らす。
「……お姉ちゃん……」
えっ! とマテオと楓の二人は初めて声を揃え挙げた。
「う、ウソだろ。そうしたら、あれは……」
慌てているせいか、実にくだらない質問をしていたマテオだ。
流花の姉といえば、一人しかいない。
流花へ目をやれば、うつむいた横顔を落としている。
そんなバカな、と言いかけたところでマテオの思考は追い付いた。
流花は人間の感情が色となって目に映る。
妹の悠羽は『破滅の女神』と称されるほど、触れる全てのものを砂状化させる。
祁邑三姉妹の残る一人は能力を持たない可能性もあった。
あくまで蓋然性の話しであって、先祖代々続く鬼の嫡流に位置する者である。
もっとも濃く能力の血統を受け継いでもおかしくない。
おかしくないではなく、現に今、証明されている。
陽乃さん……、とマテオは唇を噛み締めた。
「ねぇー、悠羽とか大丈夫なの?」
楓の問いかけに、マテオだけでなく流花まで、はっとする。
驚くばかりで、ぼんやりなどしてられない。
もはや巨獣と評すべき鬼が移動を開始していた。
足下の建物を蹴り潰し、ビルは筋骨隆々の腕が粉微塵にするほど叩き潰していく。
不幸中の幸いと言うべきか、出現地点から離れて行く。
マテオたちは一直線に目的地である冴闇ビルへ足を運べた。
予想はしていた、覚悟は出来ていた。
それでも流花はショックを隠せない。
東とされる故郷から着の身着のまま出奔してきた自分たちを受け入れてくれた場所だ。思い出深い冴闇ビルの日々だった。
今や跡形もない。
つい先ほどまで居た住まいだけでなく、ご近所の雑居ビル群は悉く瓦礫の山になっている。過ごしてきた日々が、思いもかけず灰塵へ帰していた。
「おいっ、流花。ぼんやりしてないで、悠羽たちを探すぞ」
いつの間にか横にいたマテオだ。反対側には楓がいる。流花は独りではなかった。
うん、ごめん、と本人が思うよりしっかりした声で返した流花だった。
「本当は手分けしたいが、そこらへんに鬼がいるかもしれない。バラバラになっては、特に流花が危険だ」
「どう考えても、これ。鬼のやつらのせいよね」
マテオに提言に、楓も続く。
取り敢えず巨獣のごとき鬼は去っても、油断など出来る状態でないことを確認し合う。
急いで悠羽を……、とマテオが言いかけたところで聞こえてきた。
おぎゃーおぎゃー、赤ちゃんの泣き声と一聴で知れるものの、純粋のそれを違う響きである。
探していた者の所在を告げていた。
先に行くマテオが瓦礫の山を超えかけた所で足を止める。ストップと手のひらを広げた片腕を突き出してくる。
後追いの流花が「どうしたの?」と尋ねればである。
「鬼がいる」
端的に述べたマテオは決断の表情を閃かせた。二人はここにいろ、と言い残して駆け出していく。
言われた通り残った流花と楓は、そっと瓦礫の影から窺う。
マテオがちょうど鬼の首後ろへ短剣を斬りつけていた。
血飛沫を上げて、どうっと地面へ倒れ伏している。
残りは二体で巨岩のごとき大男に吹っ飛ばされていた。
体格差はほとんどない鬼どもを、片腕で退けた奈薙だ。
もう片方には目に涙は残しながらも泣き止んだ悠羽を抱いている。
「相変わらず、すげー怪力だな。だい……」
幼児を胸にした大男の横へ舞い降りたマテオの叩く軽口が途中で止まる。
向けた目が状況を捉えたからだ。
鋼鉄筋棒が背中から腹へ突き抜けている。
かはっと奈薙が血を吐き、膝を折った。
大丈夫か、と訊くマテオ自身が自分の言葉を信じていない。
ぽたぽた奈薙の腹から地面へ赤き液が垂れていく。
くっと歯噛みするマテオはこちらへ向き直った二体の鬼へ血で濡れた短剣を握り直す。
一刻を争う奈薙の容態だ。さっさと片を付けて、病院へ、瑚華の許へ連れていかなければ危険だ。
けれど刃こぼれは激しい。
流花を襲う二体を仕留めた際において、すでに切れ味は失われていた。
今また一体を斬り捨てたことで、武器として効能はかなり怪しくなっている。
力を込めて刃を押し込まなければ、相手へ喰い込んではいかないだろう。
刃物など寄せ付けぬ強固な外皮とする変身系能力『鬼』だった。
ともかく重傷者を病院へ向かわせる時間稼ぎを、と思っていたところへだ。
「おい、マテオ。もう一匹は任せたぞ」
鬼を動物と同様の数え方をする奈薙が鋼鉄筋棒を腹から生やしたまま前へ出ていく。
マテオは敵と対峙する前に、すぐにでも病院へ向かうよう説得しなければならないようだ。