第8章:奏でられる御神体の音ー003ー
陽が少し落ち着けば、この街は様相をがらりと変える。
逢魔街の逢魔ヶ刻とされる午後三時から七時の間、無法が許される。人さえ殺しても不問とする時間へ突入する。
能力者が思う存分にチカラを発揮できる場へなっていく。
楓は即座に気配を感じ取った。
誰っ! とベンチから立ち上がる。
もっさりした感じがする二人の男が向かって来ていた。
それはかつて目にした能力者と共通の雰囲気だ。
すでに流花は察している。
東とされる地域に固まる変身系の能力者集団の者たちた。
流花を『鬼の花嫁』にすべく連れ戻しに来た。
楓の身元を問う声に対する答えは能力の発現だ。
男たちは服を脱ぎ捨てると同時に、体軀が変容する。
頭からツノが生え、肌は浅黒くなり、背幅もひと回り大きくなった体格は筋骨隆々だ。
鬼たちが、迫っていた。
「流花、逃げてっ」
楓の叫びに、「で、でも」と流花はためらう。
「あたしは大丈夫。もう死んでいる身体なんだから、気にしないの」
楓が見せる余裕を、鬼の一人はかき消してくる。
「脳を潰せば終わりだと聞いている」
流花は足を動かせない。
「ば、ばか。あたしなら大丈夫だから、さっさと逃げて。冴闇だって直に来る……」
「そいつなら来ない」
楓の声をまたもさえぎる鬼は嘲笑を滲ませて続けた。
「今回の件は『神々の黄昏の会』なる者たちの協力があってこそだ。やつらの協力なしにウォーカーなる連中の追い出しは叶わなかった」
「じゃあ、マテオたちを騙したのは?」
「そうだ。やったのは、お前たちを保護しているとしている男とその周囲にある連中によってだ」
表情を失った流花へ、鬼の一人はトドメとばかりに告げてくる。
「おまえを助けに来る者など、誰一人いないのを知れ」
「オマエは見捨てられているのだ。後はもう祁邑の女として子を為す務めを果たせ」
もう一人の鬼も意見してくる。
うな垂れてしまう流花だ。誰にも見せない顔は唇を噛んでいる。
あはははっ、と大きな笑い声が立った。
楓ちゃん? と面を上げた流花に呼ばれた相手は腰に手を当てていた。
「あんたたち、流花をナメすぎ。この娘はね、相手なんか構わず、ぐいぐいなんだから。周りの事情なんか知ったこっちゃないが、流花なの」
楓ちゃん……、と今度は感慨を込めて呼ぶ流花だ。
逢魔ヶ刻に入ったとはいえ、まだまだ陽は高い。
明るい空の下、醜悪な巨体の鬼が口端から涎を垂らしながらだ。
「個人の感情など大義の前に無用だ。我ら最強と思しき『鬼』の能力が多数揃えば、世界を統べられるかもしれない。そのためにも祁邑本家の女は勢力拡大のための礎なのだ。鬼のチカラを持つ者と交わり続けるのだ」
「きもっ、きもっ、きもすぎ!」
侮蔑丸出しで楓が叫ぶ。
「けっきょくあんたら、流花を好きにしたいだけでしょ。誰が見ても美少女でオスの欲望を満たしたいだけでしょ。大義大義って騒ぐ前に、あんたら自身の襟を正して欲しいわ」
「子孫を残したいとする強烈な欲求が、我ら鬼の能力を持つ者の特色だ。そうだ、今すぐでもやれる。次女だけではない、オマエだって対象に含めてもいいのだ」
そう口にする鬼の目が明らかにぎらついてきた。
気持ちわるぅ〜、と楓は全身で嫌悪感を示さずにいられない。
「なに、いきなり欲望丸出しの自己肯定なんだ。あー、やだやだ。こんなの、流花じゃなくてもイヤんなって当然だわ、あんたらなんかにあたしの命かけても渡せないわ」
「勇ましい限りだが、か弱そうな身体で何が出来る。口ばかりで何も守れやしないぞ、おまえたちの命など我ら鬼の意のままでしかない」
「あんたたちこそ、なんであたしがおしゃべりなんかに付き合っているか、考えないの?」
なにっ、となる鬼の二人に、楓は周囲をぐるりと見渡す。
「あんたたち、二人だけか確認したかったのがある。後から、ぞろぞろ出て来られると面倒じゃない」
「我ら、二人だけで充分だ。今ここで、花嫁の儀式を執り行ってくれる」
あははは、と楓がまた笑う。今度はずいぶんと意識して立てたように感じられた。
「初めて会った時に、あいつ、危なそうと思った。だけど、ゲスではないのはわかった。今じゃもう生意気だけど信用はできるって、よーくわかった」
「何を言って……」
鬼は最後まで訊けなかった。
首筋から胸まで一気に斬り裂かれたからだ。
忽然と現れた、上空からの襲撃者に流花がその名を呼ぶ。
マテオ、と。
呼ばれた白銀の髪を持つ少年は、早くも二体目の鬼へ刃を向けていた。