第5章:青い月の下の素顔ー002ー
夜空に浮かぶ丸い月が青い。
マテオの顔色は月明かりを浴びなくても青ざめていただろう。
ただならぬ気配を感じて目を醒ました。
急いで起こした身体で向けた視線上にいた。
流花だった。
マンションの屋上に設置された手すりの上に立っていた。
マテオは瞬速を発現する。
ズキン、と両脚にくるが構っていられない。
目にも止まらぬ速さで移動を可能する能力で、拐うように流花を抱きつく。
まだ痛みがくるせいで体勢を崩しながら、屋上の床へ倒れ込む。
二人は抱きついたまま転げていった。
月の青白い光りが、屋上で横たわるマテオと流花を照らす。
マテオ……、と腕に中にある流花が呟くみたいに呼んでいる。
「バカヤロー、なに考えているんだよ!」
決して大きくはない、けれど感情を隠しきれない。マテオはこれ以上にないほど怒っていた。
固まっていた流花だが、急に双好を崩す。
「やだなー、マテオは。そんな真面目な顔しちゃ……」
流花は言葉の途中で黙り込んだ。間近にあるマテオの目がより射るような光りを放ってきたからだ。取り繕うための誤魔化しは出来なかった。
ごめん、と流花の一言で、ようやくマテオは少し目力を緩めた。
「おまえ……流花、どうしてこんなことをしようと思ったんだ。ずっと考えていたのか」
マテオの努めてする冷静な質問に、腕のなかで横になる流花が小さく首を振る。
「楓ちゃんやまこちゃん、マテオのお姉さんがいて、本当に楽しかったの。とっても、とっても幸せで。こんな気持ちのまま終われたらって……」
「そうか、そう思わせてしまったわけだな。ワルい、流花」
流花が目を丸くするなかで、マテオは上体を起こす。イテテ、と口にすれば立ち上がるまではいかない。白銀の髪を揺らして、両脚を伸ばす格好で座りこむ。
追うように起き上がった流花が相手の肩をつかんで詰め寄っていく。
「どうして、ねー、どうしてマテオが謝るの!」
「おまえ、じゃなかった、流花。これでも怪我人なんだ。少しは気を遣え」
苦笑を混じえたマテオの冗談口調に、あわわと流花が慌てて手を離す。向き直っては正座してくる。
畏まった流花の姿勢に、マテオは苦笑を広げるしかない。
「流花ー。おまえ、なんでも極端に考えすぎなんだよ。なんでもかんでも真面目に受け取らなくいいぞ。僕の怪我なんて、実は大したことないから」
「うそ、ウソだよ。そんな気、使わなくていいよ」
「流花は感情が色となって見えるだよな。じゃー中身まで読めているんじゃないよな、ただの推量だよな。読み切れているわけじゃないって、思ったほうがいいぞ」
流花が黙ってしまう。
たぶん承服はしていないだろう、とマテオは見ている。なぜなら嘘を吐いているからだ。今の能力発現で、身体が悲鳴を上げている。隠すため必死に表情を作っている。
だけど無理を通すなら最後までが、マテオだった。
「僕はさ、ずっと守りたいと思っていた」
唐突な内容に、流花は不思議そうな目を向けてきた。
マテオは構わず続けていく。
「殺し合いをさせたPAOを潰すのに、姉さんは巻き込みたくなかった。だからよく一人で先に行って壊滅させてきたんだ。先行することで守っているつもりだった。だけど今ならわかる、ここへ向かう空港で父上が言ってくれたことを」
「そのマテオのお父さんって、養子に迎えてくれた人?」
「実の親の顔なんてもう覚えていないよ」
ごめん、と正座の流花が謝ってくるから、「別に謝ることじゃないだろ」とマテオは答えてからだ。
「父上が言うんだ。守られる側にいる勇気も学んできてくれると嬉しいって。守るという立場は自己陶酔に陥る危険性があるってさ。今の流花といて、ようやく解ったような気がしてるよ」
「ごめん。マテオたちが一生懸命に守ろうとしてくれているのに、流花が信じきれないみたいな行動をしたせいだもんね」
「そうじゃないんだ。僕は守る気持ちが逸るばかりで、流花の不安を考えることはなかった。これっぽちも。本当に守りたいならば撃退だけじゃない、気持ちも考えなきゃいけなかった。だけど、これまでぜんぜんだったから。だから、すまん」
言ってから頭を下げるマテオだ。
これが流花の胸につかえた堰を切らせた。怖かったの! といきなり叫ぶように始める。
「東にいた時、鬼になれる男の人はみんな流花をいやらしい目で見ていた。いつか流花をメチャクチャに出来るって、薄気味悪く笑って見るの。あんな人たちが流花にどんなことするのかって考えちゃうと、このまま死んじゃいたいって思っちゃった。ごめんね、マテオたちがいるのに」
いや、とマテオは返しながら解ったような気がする。
どうして義父のケヴィンが、マテオが逢魔街へ行くことを許可したかを。
姉を守りたい一心で、敵の壊滅へ向けて一人先行を続けていたせいだろう。それこそ世界を飛び回っていた。ひたすらアイラより先にPAOの拠点を潰すことに躍起になっていた。
姉と距離を置きたいとしたマテオからの希望だったが、見識を広げて欲しいとする親心と、行く先は危険とされる逢魔街でも復讐に取り憑かれた行動よりはいいとする、北米大陸において有数の能力者一族を束ねる者の深い洞察力が許可へ至ったのだろう。
僕は恵まれているな、と思わず独り言が出てしまうマテオは改めて決心を伝えた。
「流花に心配するな、なんて言えるほど僕は強くないけどさ。守ってくれそうな人たちに頼むくらいは、いくらでもしてやる。いざとなったら、海外へ逃げる手だってある。世界のウォーカー家の人間がここにいるし。だから死にたくなるほど思い詰めるな」
うん、と頷いた流花が笑顔を作った。
なるほど、とマテオは胸の内で納得の手打ちをする。
確かにこれは最上の美と言われるだけはある。
ただ性格がな〜、とマテオが思ったら、目前の笑みが膨れ面に変わる。
「マテオー、流花に対してものすごーく失礼なこと、考えていたでしょー」
ずばり見透かされていただけに、マテオは却って意地になる。考えてねーよ、と顔を横に向けたら、「ウソ、嘘だー」と流花が絡んでくる。
まったくよー、とマテオが振り払いかけた時だった。
「キミが頼りたいとする一人に入れてくれないかな」
不意に響いた声に、マテオにしては珍しくぎょっとした。有り難いはずの申し出も、一声で解る相手の登場は緊迫しか生まない。
「おまえ、リー・バーネットか」
マテオにすれば生まれてこの方とする宿敵が、そこにいた。