第4章:素顔と素直に喜べない来訪者ー006ー
流せるはずがなかった。
「姉さん、本当に家出してきたんじゃないですよね」
スプーンの手を止めて詰め寄るマテオに、アイラは今度こそだ。
「本当よー。ちゃんとお母様も承知している。確認してもらってもいいわよ」
そこまで言われたらマテオは引き下がるしかない。わかりました、と返せば、ふぅーとアイラは息を吐いては物憂げな顔をしてくる。
「正直に言えば、流花ちゃんたちがとても仲良さそうなのが羨ましい。私は、特に同年代は難しいんだって、思い知らされているから」
「学園生活は、うまくいっていないんですか」
「うん、やっぱり私みたいな裏の世界で生きてきた者では、名家が集うような人たちは理解し難いもの。ホント、難しい……」
いつにない姉のしんみりした姿には、心が痛いマテオだ。励ましたい。
「でもサミュエル様……じゃなくて、兄上の教室も同じ敷地内なんですよね。一緒なれる時間も多いんじゃありませんか」
「サミュエル……じゃない、お兄様なんて知らない! あんな男、嫌いよっ」
流花たちまで驚く、アイラのいきなりな激昂だ。どうしました? とマテオが訊けば捲し立てる。
「お兄様ってマテオ以上に酷いの。私が付けちゃった胸の傷を見せて女子の気を惹いてるのー。もう、こんなんだったら、あの時に二度と息ができないようもっと深く押し込んでおけば良かったわ」
「姉さん。どさくさで僕を比較の喩えとして使用しないで欲しいし、兄上の傷に関するコメントはいろいろ問題がありすぎです」
「そういうけど、サミューは女性なら、あっちっこっちじゃない。それに私を探しに来たなんて言いながら、なに、流花ちゃんのお姉さんと一緒に出歩いててさ。私には見せたことない笑顔で『キミはチャーミングだ』なんて囁いてたんだから」
サミュエルに対する呼び名が一定していない時点で、アイラの興奮ぶりが知れる。
これは面倒だ、と口の中で呟きつつマテオは諭す。
「でも、姉さんが陽乃さんと仲良さげな場面を見た後ですよ。兄上は命を顧みず身体を投げ出しては、姉さんをあ……」
「ば、ば、ば、ば、ばか、マテオ。みんなのいる前でやめてよ」
沸点を越えた真っ赤っかで顔や首を染めるアイラだ。
マテオは空気を読まず推察を披露する。
「なんだ、姉さん。単なるジェラシーですか。素直になったほうがいいですよ」
言ってからマテオは気づく。
姉を除く女子三人が冷えた視線を向けてくる。
あんたダメだわ、と楓の発言を皮切りにである。
男の子としてはポンコツだね、とマコトは容赦がない。
マテオって可笑っしいー、と流花は謎の感想で笑い始める。
なんだよ、と答えるマテオは明らかに劣勢へ追い込まれていた。
反駁しようと頭を捻っている弟の様子に、アイラは少し笑みを浮かべる。
星を消す都会の明るい夜でも、灯りがなければ暗闇に包まれるマンションの屋上だ。寄り添うように固まれば、世界に自分たちだけな気分にさせる。気兼ねのない時間が流れていく。
その後も笑いが絶えない雑談がひと段落をすればである。
「いつまでも、こんな時間が続いたらいいなぁ〜」
流花の何気ない言葉が、マテオには引っかかる。東の鬼一族に狙われている状況だけに、やや神経質になってしまう。姉の能天気な声がなければ、心境を問い質していたかもしれない。
「いつも流花ちゃんは大変そうね。マテオは何かしてあげられている?」
アイラは流花にまでお姉さんぶるようだ。
流花も相変わらずな調子で答えた。
「えー、マテオには乱暴されました」
交錯した刃の立てる固い金属音が夜陰に響く。
発生源はアイラとマテオの姉弟による正面からの短剣によるぶつかり合いだ。
正確にはアイラの繰り出した刃を、マテオは身を守るために受け止めた流れである。
「マテオ〜、すぐお姉ちゃんも後を追ってあげるから、死んで詫びなさい。なんて、恥知らずな」
「姉さん。どうか以前も同じようなシチュエーションがあったことを思い出してくれませんか。流花の僕に向けた表現は、いつも過激になるんです」
マテオの必死なる訴えも、聞く耳持たずのアイラが刃を押し込んでくる。
負傷が癒えていないマテオは、とても大ピンチだ。
ありゃりゃりゃ、と流花も慌てて言ってくる。
「ごめんなさーい、お姉さん。マテオが流花に乱暴したところは肉体的にじゃなくて、精神的にでーす。だから、どうか許してあげてください」
「いいえ、許せないわ。女心を弄ばれる苦しみは、お姉ちゃんもよくわかる。わかるから、抹殺よ」
おいおい、とマテオは実際に口へ出した。
流花のヤローは誤解を増長させる真似をしたうえ、なぜか上から目線でもある。
姉などは面倒このうえにない。完全に自分自身の姿を重ねて弟にぶつけているだけではないか。
負傷の回復へ努めたいマテオなのに穏やかな時間がなかなか訪れてこない。
今晩は長くなりそうだった。