第3章:悩ましき大男ー003ー
膝を落としたマテオが岩みたいな顔面を人差し指で突つく。
「おーい、奈薙。大丈夫かぁ〜」
マンションの居間に転がる巨体がうめくみたいに絞り出す。
「す、すまん……そ、そろそろ大丈夫だと思う……」
「無理すんなよ。甘露センセェーの薬だってそう簡単に効かなかったんだから、しょうがねーんじゃね」
マテオへ渡された常備薬は、取り敢えず何でもといった飲み薬だ。汎用性がある代わりにすぐ回復といかなかった。もしくは破壊力が凄すぎたか。
「ご、ごめんなさい……」
寝転がる奈薙へ団扇をあおぐ、しょんぼりの流花だ。
「おいおい、流花が謝る必要はないぞ」
「そうそう、流花が悪いんじゃない。自業自得だって」
マテオの倒れた相手でも容赦ない指摘に、楓もさも当然とばかりに乗っていた。
突然の来訪者は、巨岩のごとき大男の『大胡奈薙』神々の黄昏の会の一人とされている。
夕食の時にすまん、と部屋に上がり込んだ奈薙である。
奈薙さんもどうですか、と流花が勧める。
マテオと楓の内心は複雑だ。自分たちに問題はなくても、一般的にはどうであろうとする謎の黒いおかずである。身構えてしまう。
あっはっはっは、と奈薙が豪快に笑う。
いいのか、と言い、美味しそうではないか、とおべちゃらは苦手なタイプが下す評価だ。流花が喜ばないわけがない。
マテオは、いちおうである。
「おい、奈薙。無理しなくていいぞ。匂いはいいけどな、味は保証できないぞ」
「わかっていないな。俺は泥を喰わされるような時期もあったくらいだ。何でも大丈夫だし、この匂いには食欲が刺激されてたまらん」
奈薙の嘘がない言葉に、「あ、そう」とマテオは返しておく。
頑健そのものといった男だし、変な遠慮をされるよりはいいか。マテオがそう言い聞かせて、「有り難くいただく」と両手を合わせた後に豪快に口へおかずを運ぶ奈薙を眺めていた。
一口した途端だった。
何やら叫びにならない喉の奥で詰まったような声が上がってくる。激しく椅子ごと床へ落ちる音が立つ。
口から泡を噴いて痙攣している奈薙がいた。
きゃーとなる流花に、慌てて駆け寄る楓だ。
マテオだけは冷静であった。
既視感ある出来事だ。そうかつて自分も同じような体験している。
猛毒くらいでは倒れない身体が一発だった。姉のアイラが渾身をこめたとする気合いにほだされて、無理して食べていったのが良くなかった。世界が回るという体験は、あれしかない。
因みに目の前で意識不明となった大男の口へ強制的に瑚華特性の薬を嚥下させた。やがて覚醒した奈薙の開口一番がである。
「菜の花畑を見た」
なに言ってのよー、とゾンビの楓が可笑しそうに訊いていたが、同じような経験したマテオは笑えない。
ただマテオと奈薙が決定的に違う点は、特効薬の有無である。
マテオ、そして共に食したサミュエルは回復まで数日かかったが、奈薙はみるみる顔色が良くなっていく。『神々の黄昏の会』メンバーが瑚華の診察拒否を恐れるわけである。
もっとも料理の破壊力で比べた場合、アイラより流花のほうがだいぶマシな気がする。奈薙だったら、あの世送りは間違いないだろう。
などと考えながらマテオは、まだ起き上がれない奈薙の顔を人差し指で突いていた。
「や、やめろ、マテオ。このヤロウ」
奈薙が文句を出せるまでになれば、そろそろいいだろうとマテオは判断した。
「ところで、奈薙。おまえ、何しに来たの? 流花を渡せという話しなら、また黒の野菜炒めを口に突っ込む」
「た、頼む。もうあの料理だけは、あれだけは勘弁してくれ。もし食わせるというならば、いっそのこと殺してくれ」
尋常でない怯えに、がーん! といった流花である。
マテオとしても効果が想像以上すぎて困るほどだ。脅迫はやめ、奈薙の為人を踏まえた直球でいくことにした。昼間に『神々の黄昏の会』の襲撃から、病院でメンバーの一人とも会ったまでを説明する。
「僕は『神々の黄昏の会』とする連中と意見を別にする。だから奈薙が遣われた使命に応じられないし、答え次第では今が排除する絶好の機会とされてもらう」
マテオの語りが進むにつれ事の重大性に気づかされる流花と楓だ。
だが肝心の相手ときたらである。
「なにを言っている。あいつらがやっていることなど、俺は知らんっ」
「だって奈薙は『神々の黄昏の会』のメンツなんだろ。ほら、地の属性を持つ者として名を連ねているんじゃなかったっけ」
「ああ、あれはしつこく誘ってくるから勝手にさせただけだ。あいつらが何をやっているか知らんし、地の属性やら能力がどうこうの言われても、俺にはよくわからん」
そうなんだ、とマテオは意外そうに返すほかない。自分の能力を把握していない能力者なんて、初めて会った。
奈薙は能力を持たないのか? でも何もない者を逢魔街で特別な能力者集団を標榜する『神々の黄昏の会』が誘い招くとは考え難い。
奈薙が上半身を起こした。回復は上々らしい。水を一杯もらえないか、と頼んできた。
「実は流花特性のドリンクを作ってありまーす」
例え死すとも飲みたいとする者が殺到しそうな美少女の天上へ連れていく笑顔だ。
残念なことに地獄を味わった奈薙は「そ、それは……」と大量に嫌な汗を滴らせている。絶対に飲みたくないご様子だ。
流花さぁ〜、とマテオが呆れる横で、楓が水を汲んだコップを渡していた。
ぐいっと奈薙は呷っては床に胡座をかく。
「恥ずかしながら、マテオに相談に乗って欲しくてやってきた。正確に言えば、アドバイスしてくれということだ」
「へぇ〜、なに」
一緒になって床へ直に腰を降ろしたマテオだ。相談されるなんて、そう滅多にない展開はちょっと楽しみではある。
ううん、と奈薙は喉を整えては思い切ったように言う。
「俺は、ロリコンなんだろうか」
なかなか即座には返せない難問であった。