第8章:露わになった敵と世界の命運ー001ー
どうして謝らなければいけないのか。
マテオには理不尽な仕打ちとしか思えなかった。だからといって不平を鳴らすわけにもいかない。
「あたしはさー、もっとぐっちゃんぐっちゃんになっていると思ったから、わざわざ来てやってのよ。甘露先生が出向くなんて余程なんだから。それが何よ、これ。ジャンルが完全に違うじゃない」
火を噴くような白衣の妖艶な女医である。
そうなんだけど、とマテオは言い返したい。
転がる機械の残骸は、人間を治癒する専門家に全く関係ない。同行してきた白シャツが嫌味なほど似合うウォーカー一族の一人であるオリバーが、懸命に事情を伝えている。襲撃者が白黒の仮面を付けた人間と想定していた。情報収集のためにも、出来るだけ多くを生かして捕らえたかった。まさか機械人形だとは考えていなかった。
オリバーの手揉みしながらの必死さに、マテオは内心で「こいつ、変わったな」と独りごちたくらいだ。以前なら、やたら不遜に絡んでくる輩だった。それが嘘まで吐いてペコペコしている姿が、なんだか哀れをもよおす。
加えてやっぱりマテオにすればサミュエルの件は、いくらお礼を言っても言い足りないくらいだ。
アイラと二人で白黒仮面の本丸を潰せた思ったらである。
まるでそれが合図であったかのようにマテオたちがいる場へ雪崩れ込んできた。
ビル屋上の縁をびっしり埋め尽くす白黒仮面の機械人形だ。これまで以上の数が取り囲まれた。
一刻でも早くサミュエルを病院へ連れて行きたい。
マテオだけでなくアイラもまた険しい形相で能力を発現しようとした。
突如、けたたましいプロペラ音が宙を裂いた。
現れたヘリからライフルを構えている二人が見える。
引き金が引かれるたびに、バチャバチャ水がかかるような音が立つ。
白黒仮面の人影へ、次々と液体が頭から被されていく。
水ではないことは、どろり絡みつくように濡れぼそった様子から窺えた。
機械人形たちが沈黙していくところで、出現したヘリからひらり舞い降りてくる者がいた。白衣を着た美女だ。
「お待たせー、流花ちゃん。電話に出れなくて、ごめんねー」
「甘露せんせー、早く、助けてあげて。お願いします」
涙を光らせる流花に、逢魔街随一の名医である甘露瑚華は顔を上気させた。傲岸不遜を絵に描いたような普段から思いもつかない媚を売る態度を見せる。
流花ちゃんのためならば〜、と瑚華は上機嫌で胸を抉られたサミュエルへ跪いた。片手のケースから何やら取り出しては処置を始めている。
近くに立つマテオは、訊くことが自分の役目だと腹を決めた。戦闘を終えたアイラは必死に声を噛み殺すが精一杯となっている。
「せんせい、覚悟は出来ています。兄の正直なところを教えてください」
「助かるわよ」
さらりと言われて、事態がよく呑み込めないのはマテオだけではない。えっ? とアイラもまた涙が止まるほど驚いている。
サミュエルの深い傷からこれほど流血して死なないなど、裏の世界で生きてきた双子の姉弟には信じられない。
良かったぁ〜、と流花が安堵の示しても、マテオは慌てて確認せずにいられない。
「ホントですか、せんせいっ! 嘘じゃないですよね」
「あんたさー。えーっと、マテオって言ったっけ。そうしたセリフ、許すのは今回だけだから。言っている意味、わかるわよね」
は、はい! とマテオは自然と背筋を伸ばしていた。
不機嫌な瑚華はヘリからライフル片手に降りてきた者を呼びつける。
「おいっ、異世界なんとかから来たヤツ、ちょっと来なさい」
異能力です、世界協会です、とツッコミたいマテオだが、「はい!」と自分に劣らず畏まった返事をするオリバーに声が引っ込んだ。ウォーカー一族に連なる白シャツばかり着用するこの男は嫌味な態度が特徴なはずだった。ところが瑚華の前では、蛇に睨まれた蛙よろしくである。
「甘露先生の数知れないご厚情には、このオリバー・ウォーカー。一族並び組織を代表して心より感謝を述べされていただきます」
片膝をつき頭まで垂れるオリバーに、マテオは吃驚だ。
ウォーカー一族を何より優先だったはずが、重症のサミュエルに目もくれない。ともかく女医のご機嫌伺いに必死である。しかもその頭はハイヒールに踏みつけられてもいた。
い、痛いです……、とさすがに訴えるオリバーに瑚華が怒り心頭のままぶつけた。
「あんた、よくもあたしを、この甘露センセイを騙してくれたわね。なにがお好みとする重傷患者がごろごろ転がっているよ。ガラクタばかりじゃない。こんな真似してくれるの、異世界なんとかという組織しかないわ」
訂正されない呼び名を正したいマテオだが、オリバーに巻き込まれるのが先だった。いきなり引き寄せられ頭を掴まれれば「我が組織の代表の息子です」と紹介しては、無理やり頭を下げさせられる。
瑚華から怒り任せの不平をぶつけられるまま、マテオは一緒に頭を下げているオリバーへ小声で言わずにいられない。
「なんで、僕までやるんだよ」
「息子なんだから協力しろ。ともかくアーロンに、あの変態女医の機嫌は絶対に損ねるなって厳命されているんだよ。それに俺、一度あれに診療された時……」
いきなり黙ったオリバーに、マテオはその顔を覗き込めばである。初めて目にする蒼白さを染め上がっていた。
ちゃんと聞いてんの! と瑚華の一喝が飛んでくる。
も、も、も、もちろんです! とオリバーが怯えきった返事だ。
瑚華の繰り言へ懸命になって言い訳をかますオリバーだった。
マテオは目前の女医には恩義があっても付き合いは距離を置くことに決めた。
そこへ、であった。
あの〜、と呼びかける声がある。
主をアイラと認めれば、マテオにすれば嫌な予感しかしなかった。