第7章:摩天楼の夜の真心ー001ー
陽乃だったから、マテオは慌てた。
「美味しいからまだ口へ運べるんです。本当は食べたくないほど食欲ないんです」
そうなの? と陽乃は言うものの疑わしげだ。
ならばマテオはいっそう力を込めずにいられない。
「もし美味しくなかったら、喉に通らなかったはずです。陽乃さんのおかげで何とか食べられています」
「そうなの、良かった。初めての台所だったから勝手がわからなくて、いつもより自信がなかったから」
「すみません、心配事のほうが先に立ってしまい申し訳ありません。嘘偽りなく料理が美味しくて食べられています。特にこのオムレツなんて……」
しまった! と胸の内でマテオは叫ぶ。
向かいに座る流花は、バカと言っているような顔をした。
悠羽は何も耳に入っていないかのように、もぐもぐ食べ続けている。
食卓を囲む中で唯一事情に通じていないサミュエルがあっさり訊く。
「どうした、マテオ。オムレツがなんだって?」
「あ、いえ、そのぉ……別に何でもありません、兄上」
察しがいい義兄は、ははぁーんといった表情で遠慮なしに言う。
「なるほど、これ。冴闇夕夜の好物かなんかか」
あたふたするマテオと、思わず顔を伏せる陽乃が解答を寄越していた。
ふっとサミュエルが笑う。
「本当に陽乃は料理が上手だ。ソフィーに相当する腕前の人に初めて会ったよ。でも俺にとって、最高の料理を出してくれる女性はアイラなんだ」
軽い口調ながら初めて告げられた事実に、マテオは声も出せないくらい吃驚だ。
アイラの作った料理によって耐毒性があるマテオと共にぶっ倒れて以来、話題に上げることはもう二度とないと思っていた。
それが最高の料理を作る女性はアイラだとくる。
唖然とするマテオに打ち明けたかったのか、陽乃の複雑な心中を思いやってか、それとも話し手であるサミュエル自身のためか。話しは続く。
「アイラは料理が下手なんじゃない。任務に耐え得る身体を作る過程で味覚がおかしくなってしまっただけさ」
「そんな。だって姉さんが受けた訓練は僕と同じですよ」
食事の途中だということを忘れてマテオは問う。
「マテオが大丈夫だからといって、アイラもまた大丈夫とは限らないさ。それにアイラがマテオに隠れてより強烈な耐性が付くようなメニューへ挑んでいた可能性だってあるだろ」
マテオはテーブルに置いた両拳を強く握り締めた。
迂闊だった。どうしてサミュエルの言う可能性に思い至らなかったのか。ずっと一緒にいながら間抜けもいいところではないか。
誰の目も憚らず肩を震わすマテオを見遣りながらサミュエルは、調理した者へ視線を向ける。
「陽乃、わかるだろう。いくら周りのためにと自分を痛めつけても、結局それはキミを想う人たちを傷つけるだけなんだよ」
はっと顔を上げる陽乃にサミュエルは微笑み「すまないな、マテオ」と口にした。
謝りたいのはマテオこそだ。
さてと、と号令をかけてサミュエルが席から立ち上がる。
「サミュエル、どこか行くの?」
箸を置いて訊く陽乃だ。
「少し格好をつけてしまったからさ。これから一晩中、アイラを探し回るつもりさ」
「だったら少し待って。夜食を包むから」
「それは助かるな。陽乃の作るものは何でも美味いからね」
ウィンクしたら嵌まりそうな顔つきをするサミュエルは普段の感じへ戻っていた。
「僕の分もお願いできますか」
続けて立ち上がったマテオのリクエストに、陽乃が拒否などするわけがなかった。ただ、続いた妹の申し出にはそう簡単に了承しかねるみたいだ。
「お姉ちゃん、流花もマテオと一緒にいっていい?」
「おまえはいいよ。これは僕の姉さんの話しだ。遅くまで付き合う必要なんてないぞ」
難しい顔つきとなった陽乃の機先を制したマテオだ。
おまえじゃなくて流花でしょ〜、と相変わらずな内容が返ってくる。
女子を夜中に連れ回せないとするもっともな理由で、面倒から逃れたい。マテオにすれば、流花なんかに付いて来られてもメリットがない。ここマンションで、おとなしく寝ていろ! である。
陽乃の夜食を受け取って、マテオはさっさと行こうとした。
流花がサミュエルの耳元に何か囁いていれば、ちょっと嫌な予感がする。
まさかの的中だ。
「ああ、マテオ。このお嬢さん、一緒に連れていったほうがいいよ。うん、マテオほどの男が付いていれば危険はないだろうし、きっとアイラの探索に役立つと思うよ」
見たことがあるサミュエルの媚び方だ。これは女性問題で立ち行かなくなった場合に、周囲へ助けを求める態度に似ている。
なにか弱みを握られたか。
はぁ〜、と息を吐いたマテオは抵抗を試みる。
「兄上が仰ることには従います。ただこの女の目の前には責任を背負う身内がおります。まず姉である陽乃さんの意見を尊重すべきと考えます」
これで何とか切り抜けられるだろう、なんて甘かった。
サミュエルが両手まで合わせて、陽乃へ頼み込んだらである。
「サミュエルが、そこまで言うなら……流花、迷惑をかけちゃダメよ」
まさかの了承ときた。
陽乃も妹たちには甘いと知るには、まだ付き合いが浅いマテオであった。