第6章:同居と友人と人違いー002ー
昨晩は想像外のことばかり起こった。
マテオが見た『ホシの根源素』。風を基にする能力者はケヴィンとサミュエルしか知らない。血筋が能力を継承する例となったウォーカー親子がしょっちゅうする喧嘩は殴り合いと決まっている。
それくらい強大な能力同士の激突は何を引き起こすか想像つかない。
しかも『風』という同種の真っ向勝負である。
冴闇夕夜とサミュエル・ウォーカー。
風の能力を有する当事者も、どうなるか予想も付いていないはずだ。
だが夕夜は能力の発現を止める気はなさそうだ。
陽乃たちを連れ去る連中に我慢ならないらしい。
受けて立つサミュエルは、マテオにこの隙に逃亡を果たすよう告げてくる。
マテオはうなずいた。
今ここで自分に何が出来るわけでもない、単なる足手まといと冷静な判断を下せている。
ただ去り際に、義兄サミュエルの勝敗よりも安全を祈った。
「やめて!」
陽乃の叫びと、あっとマテオが洩らすは、ほぼ同時だった。
風の能力が発現された瞬間に、抱きかかえてこの場を離れていくべき相手がマテオの腕からすり抜けていく。
陽乃は両手を広げて立ち塞がった。
サミュエルの前へ、夕夜と対峙する位置で。
「もう、やめて、やめてください。夕夜さんの家から出て行く、これは私の意志です、私がそう決めたんです」
腕を降ろした夕夜が、あれほど放っていた怒りのオーラをみるみる萎ませていく。マテオの目には気の毒なほど、がっくり肩を落とす黒き青年の姿が映った。
「そうなんですか……わかりました」
吃驚させられる素直さだ。
ごめんなさい、と一言を残して陽乃は背を返した。
「マテオくん、サミュエルさん。手伝ってもらってもいいですか」
はい、とマテオは返事はしたものの、何だか胸がもやもやする。これでいいんですか、と部屋に上がる際に言いかけた。
こいつが現れなければ口にしていただろう。
「もう、マテオ〜。どこ行ってたのよぉ〜」
玄関に入ったところで、いきなり流花の登場である。
陽乃の背へ口を開きかけていただけに、マテオからすれば実に悪いタイミングだった。このオンナー、と胸の内で悪態を吐かずにいられない。
「なによー、感じわるぅ。せっかく流花が心配してあげてたのにぃー」
「おまえ、恩着せがましいぞ」
「またオマエ呼ばわりするぅ。マテオの能力には速いだけじゃなくて、学習はないのっ」
上手いことを言えたとする流花の態度が、マテオをむきにさせる。おまえをおまえ呼ばわりして何が悪い、と子供の喧嘩レベルで返せば、相手は流花である。じゃー流花もマテオをオマエ呼ばわりしちゃうからぁ〜、ときた。
そんなマテオと流花を横目に幼いやり取りを交わす相応しい年齢にあるはずの悠羽は、サミュエルと友好的な握手を交わしていた。
「キミもいろいろ苦労をしてきたみたいだね」
サミュエルの小さな手を握る相手に対する評価である。
年長者として形無しを自覚させられた姉の流花とそれに付き合ったマテオだ。ちょっとバツが悪い二人だ。
なにか取り繕う発言を頭に巡らしかけたマテオの横で陽乃がさっそくだ。
妹たちに夜分突然にウォーカー兄弟を連れてきた説明をする。
今すぐに、ここから出ていく。取り敢えず必要な物を準備して、持てなさそうな荷物は男手に頼るよう言い渡す。
流花と悠羽はうなずいて部屋へ入っていく。何も言わない。
一言の質問もせず従う流花と悠羽を、かなり意外に感じるマテオだった。
「すみません。すぐに準備しますから、少し待っててください」
そう言って陽乃もまた妹たちの後を追うように部屋へ向かう。
「なんだか、やけに呆気ないな」
サミュエルが顎を撫でながら言う。どうやらマテオだけが拍子抜けしていたわけではないらしい。「ホント、そうですね」と同感を挙げた。
祁邑三姉妹と冴闇夕夜がテーブルを囲む光景を目にしているだけに、これは良くない気がしてならない。
陽乃に流花と悠羽は出て行く理由をなぜ訊かないのか? マテオは問いたいが、荷物の持ち運び要請に口より行動で応えることを優先した。
男手として呼ばれた二人はボストンバックを両手に抱えた。マテオたちが必要とされる量ではあるが、これで全部とくれば少ないとしか言いようがない。
「ところで、どこへ行かれるのですか?」
マテオの当然な質問に、陽乃が返事に窮しているのは明らかだった。やや間を開けてから「どこかホテルでも」といった頼りなさである。
マテオは思い切って提案してみた。
「じゃ、次の住まいが見つかるまで、僕のマンションで、どうですか?」
えっ、でも……、と陽乃の遠慮がちな横でである。
それくらいしてもらぉー、と流花のさも当然とする声である。おまえには訊いていない、と思わず言いそうになったマテオだった。
ふっと微かに息を吐いたサミュエルが提案者へ確認してくる。
「ところでマテオ、解っているか?」
「なにがです」
「彼女たちはこの国における有名な能力者の家系に連なる者たちで、マテオは北米大陸随一の能力者一家に連なる身にあるんだよな」
あっ、といった顔のマテオだ。だけど簡単には引き下がれない。
「状況次第では緊張を孕む問題へ発展するかもしれません。けれど僕は彼女たちを放り出したくありません」
あっはっはっ、となぜか大笑いするサミュエルだ。
「うん、いいな、マテオ。たった数日だけど、ずいぶん変わった。それはこの街のせいか、彼女たちのおかげか」
「僕、変わりました?」
「ああ、ここへ来る前のマテオだったら、躊躇なく彼女たちは放りだしていただろう。協会の利益を第一としてな」
ここで陽乃が見かねたように、おずおず切り出してくる。
「私たちなら大丈夫です。取り敢えずどこか……」
「キミたち、東の嫡流に当たるんだよね。連れ戻したい連中がこの街に紛れ込んでいないなんて、考えられないな」
遮って現状を突くサミュエルに、陽乃は黙るしかない。
「やはりマテオの言う通り、彼女たちだけでは危険だ。身を隠すならウォーカーの息がかかった場所がいいだろうな」
「でも、ご迷惑になりませんか」
「いいんじゃないかな、仮にバレたとしても距離の離れた能力者集団の対立なら、いきなりドンパチとはならないだろう。ただ俺が言いたかったのはキミたちに、マテオもバックアップが付く身分だから、多少の面倒があるかもしれないことは承知しておいて欲しかったんだ」
いざとなるとサミュエルはさすがだ。異能力世界協会がこの国の能力者集団としては最大派閥とされる『東の鬼』の嫡流にある姉妹に関心を持たないわけがない。危害まで及ばなくても不快な要求をする組織の人間が出てきてもおかしくない。
あらかじめ伝えておく細心ぶりにマテオは感心しかない。ならばと乗っからせてもらった。
「少し面倒はあるかもしれません。それでもうちと知り合いになっておくことは陽乃さんにとって損はないはずです」
陽乃が大きく深呼吸をした。お願いします、と頭を下げる。
お願いしまーす、と悠羽も続いて、ぺこりとする。
嬉しそー、とマテオを指差す流花は、「こら」と陽乃に頭をつかまれ下げさせられていた。
「じゃ、さっそく行くか。俺のスペースも確保しなければならないしな」
張り切っているサミュエルには申し訳ないながら、マテオはツッコまずにはいられない。
「えっ、兄上も一緒に住むつもりですか?」
「なんだなんだ、マテオー。素敵な彼女たちを独占するためならば、アニキも排除かー。欲深すぎるだろ」
ウキウキといったサミュエルに、マテオは不安が渦巻いた。義兄の女性における交遊関係は派手を極めている。北米の有力能力者とする立場があるから祁邑三姉妹へ、特に陽乃へ手など出さないと思いたい。
だが男女関係ほど地位や名声を無意味にさせるものはない。
まさか遊び相手として口説いたりしたりはしないだろうが……。
そう思うものの翌朝のソフィーから教えられたサミュエルの逸話は、マテオへ頭痛をもたらすに充分だった。