第5章:神々のチカラとされる人たちー004ー
右腕を斬り飛ばされた部分がたちまちにして凍りつく。
冷鵞の凍気は重症を負った緋人に最良の応急処置を施した。
「早く病院に行ったほうがいい。今ならまだ何事もなく接合を果たせるはずだ。瑚華にはもう話しは振ってある」
腕を斬り飛ばした張本人に違いない黒き青年の言葉だった。
「ふざけるな、夕夜。こんなことして、今度こそただで済むと思うなよ」
片腕を吹っ飛ばされ、がくり膝を落としても緋人の気概は折れていない。
気を遣う素振りを示した夕夜だが、三人を見る目は冷ややかだ。
「いちおう仲間だから病院の手配をして来たけれど、『ふざけるな』はこっちのセリフだ。まさか皆でグルになって自分を騙した挙句、陽乃さんに危害を加えようとしていたなんて裏切りもいいところだ」
「なに言ってるのよ。鬼の三姉妹の管理は私たちにって言っているのに、夕夜が突っぱねるからじゃない」
莉音の反発によってもたらされた真実に陽乃の肩が、びくっと震えた。マテオは腕にしているから微妙な所作も逃さない……。
ん? とマテオは目前の連中を忘れるほど認識し直した。
ずっと陽乃を抱きしめている。敵の危険から逃れるためだとは言え、腕の中に彼女を収めている。
今頃になって、いい香りがするなぁ〜などと惚けてしまう。
弟よ、とサミュエルが呼んでいる。なんでしょうか、と返したマテオにである。
「顔が赤いぞ。エスコートしている女性に感情を気づかせるような態度を表にするなど、まだまだその方面は甘いな」
指摘通り、陽乃の頬がやや赤みを帯びている。
「す、す、す、す、すみません」
慌ててマテオが離れれば、「こっちこそ、ごめんなさい」と返された。
その様子をサミュエルが愉しげに眺めていた。
ただすぐ近くでは背信を元に血が流された現場がある。
「あんた、ずいぶん調子に乗っているわよねー」
ちょっと照れている陽乃へ、莉音が噛みつく。
早く病院に行くんだ、と諭す夕夜に、不承不承ながら従う緋人に冷鵞だけが付き添った。
「冷たいなー、莉音は。緋人が重症なのに、一緒に行かないなんて薄情にも程があるな」
「怪我を負わせた夕夜が言うことじゃないわよ」
いかにも仲間内といった二人の会話に、マテオなりに考えをまとめる。
夕夜と莉音に病院へ行った二人を含めた『神々の黄昏の会』のメンバーで、陽乃を初めとする祁邑三姉妹の処遇で割れていると見ていいのであろうか。
サミュエルが痺れを切らした。
「それで、これからどうするつもりなんだ? おたくらも意見が分かれているみたいだが」
「もちろん、陽乃さんたちは今まで通りさ」
当然だとする夕夜に、莉音が面白くなさそうに絡んだ。
「そうはいかなくなったから、こんな危険まで犯したんじゃない」
「どういうことですか」
身を乗り出して訊く陽乃に、夕夜が何事もないとばかりに手を振る。
「大丈夫ですよ、陽乃さんが心配することなど何もありません」
「もういい加減にしてよ、いつまでこの女と暮らすつもりなの」
訴えを張り上げた莉音が、一旦言葉を切る。深く吸い込んだ息と共に、ある事実を吐き出した。
「私というフィアンセがいるのよ」
マテオは声をかけようとした。
表情から瞳まで感情の色を失った陽乃が放っておけない。
だがマテオの肩にサミュエルが静かに手を置いて押し止める。兄上……、とする呟きに金髪の頭が横に振られた。
マイペースを崩さずいられるのは夕夜のみのようだ。
「あー、それね。それ、無しにしよう」
あまりにも軽い調子に、思わずといった調子でうなずきかけた莉音だ。慌てて気を取り直しては喰ってかかっていく。
「ちょ、ちょっと、なにそれ。いくら夕夜でも簡単すぎない」
「いいじゃないか。お互い好きも嫌いもなく、ただ親父に言われるまま結んだ婚約じゃないか。能力者同士の掛け合わせの実験みたいな話しは、前から気に入らなかったんだ」
「まぁ、それはそうよね。うん、それは私も感じてた」
莉音があっさり了承していれば、マテオは気が抜けた。これから能力を所有する男女の修羅場を予想していただけに、妙な匂わせはやめてもらいたい。
「そういうわけなので、陽乃さん。何も問題はないので、これまで通りに暮らしていきましょう。自分はオムレツが食べたいです」
夕夜の眩しい能天気さに、莉音が「だからそうもいかないって……」と言っている途中で止めた。陽乃の真っ直ぐな視線を感じたためである。
な、なによ、と莉音がたじろいでいる。
がばっと勢いよく頭を下げた陽乃だ。上げることなく告げてくる。
「今すぐ、妹たちを連れて出ていきます。これまで本当にごめんなさい」
陽乃さん、とマテオもさすがに呼ばずにはいられない。
頭を上げた陽乃が顔の前で両手を合わせてきた。
「マテオくん、今から手伝ってもらっていいかしら」
確認より先に本気を示されては断りようがない。陽乃の頼みなら断れない。
わかりました、とマテオが快諾した。
俺も手伝おうか、とサミュエルまで乗っかってくる。
ごめんなさい、と再び頭を下げた陽乃だった。
「おい、マテオに、そこの金髪。ふざけるな!」
夕夜がここで初めて感情がこもった声を響かせた。なんだとばかりに視線をやったウォーカーの義兄弟へ向けてである。
「陽乃さんが出ていく手助けするなんて、何を考えている。するというならば、ここから命あって出られないと思え」
なんだ、となった態度を隠せないマテオである。夕夜はまず向けるべき言葉が別にあるはずで、八つ当たりなんかしている場合ではない。
こんなヤツじゃ、と出かかる白銀の髪をした弟を金髪の兄が肩に手を乗せて押し止めた。サミュエルはマテオに軽く首を横に振って見せては、陽乃へ目を向けた。
「あの男はああいった感じで来ているけれど、キミはどうする? 本気で出ていくつもりなのかい」
マテオが滅多に耳にすることのないサミュエルの真摯な口調である。
はい、とする陽乃の凛とした即答だ。
オーケー、と返事したサミュエルは今度は夕夜へ向かう。
「行きずりとはいえ、レディの頼みは聞く方針なんでね。弟と一緒に彼女の手伝いをさせてもらうよ」
「いいのか。自分はチカラの行使にためらいがないぞ」
「確か、お前の能力は『風』だったっけ? 奇遇だな、実は俺もそうなんだ」
マテオはつくづく自分が凄い人と共にあることを思い知らされる。
改めて本人が直接口にする事実に、莉音ばかりでなく陽乃まで息を飲んでいた。
夕夜だけは変化を窺わせず右手を上げていく。
「じゃ、差がつくとしたら、どれだけ能力を発揮できるかどうかだ」
「そうだな、俺としても同じチカラを持つヤツがいると聞いてから、一度思い切りぶつかってみたかったんだ」
サミュエルは夕夜へ目を向けたままマテオへ言う。
「いいな、解ってるな。俺が能力を繰り出すと同時に、そこのレディを連れてちゃんと逃げるんだぞ」
「わかりました。でも負けないでください、兄上」
分を弁えているからこそマテオは最後の呼び名に力を込めた。
義弟の心情を読み取ったからこそサミュエルは明るい口調で答える。
「任せておけ、と言いたいところだが五分五分だな。だけど、弟からの声援はいいもんだ」
サミュエルの昔の面影が浮かんでくれば、マテオは心から祈った。
無事でいてください。
言葉で『義兄』へ伝えたかったが、世界を震撼される能力がぶつかり合う寸前とあっては暇などなかった。