第5章:神々のチカラとされる人たちー002ー
まずマテオが考える点は、陽乃の安全確保だ。
通常なら敵の排除にかかる。殺傷だって辞さない。
だが今は戦闘が賢明な選択か迷う。
現時点で確認できる相手は三人だ。
暗がりであるため、顔は解らない。シルエットで女と男が二人の構成ははっきりしている。
問題は連中が、どれほどの事前情報を得ているか。
瞬速の能力を知られていなければ、勝機がだいぶ上がる。陽乃を抱えて逃げおおせられるかもしれない。
マテオは軽く頭を横に振った。
そこまで甘い相手とは思えない。
いくら気持ちが弱っていたと言えどである。
長年に渡って、裏の世界で生きていくために鍛え上げてきた。
他者の接近に対しては本能的に察知しようとする力が働く。
ビルの屋上階という到達まで決して楽としない場所で、なんなく相対する位置まで接近を許してしまった。
どんな能力を有しているか不明だが、戦闘に特化した連中である可能性は高い。
ここ逢魔街で好戦的な能力者とするならば、厄介な連中に違いなかった。
「話しに来たんじゃないとするならば、いったい何が目的なんだ」
陽乃を背にしたマテオが短剣を突き出すように掲げる。
三人組シルエットの中で口を開いたのは、声をかけてきた唯一の女性からだった。
「こちらの一方的な要求に応えてもらうためにね」
「おまえらPAOとグルなのか」
しばしの間が合った。
図星を突かれ答えに窮したわけでないのは、一瞬の沈黙後に三人が揃ってである。
夜空に届きそうな哄笑を上げてきた。おかしくて堪らないといった感じだ。
「おいおい、なんだよ。そのパーなんとかってのはよ」
シルエットでは逆立った髪型が特徴的な男が初めて挙げた声に、残りの男もまた続いた。
「能力者を目の敵にするような秘密組織だと耳にしたことがある。だが我々からすれば、意に介す必要もない存在だ」
マテオからすれば、少々カチンとくる。
組織壊滅に奔走してきた日々を鼻で笑われたようなものだ。
ただ多少の自惚れはあったとしても根拠が全くなしの放言とも決めつけられない。
この場を凌ぐなら、むしろ虚栄に腐心する相手のほうが有り難い。
敵のおかげでマテオは塞ぎ込んでいた三日間を嘘のように追いやれていた。
「おまえらの要求って、なんだよ」
言いながらマテオは神経を全方位へ向ける。相手が隙を見せたら、陽乃を抱えて瞬速を発現するつもりだ。ともかくビルの屋上からは離れたい。
答えを聞くより先に、マテオは驚くほかなかった。
手すり沿って氷壁が張り巡らされていく。あっという間に伸びては頭上で合わさっていっく。
冴闇ビル屋上に氷のドームが築かれていく。
マテオと陽乃を閉じ込めた。
ちっと舌打ちするマテオは短剣を握り締め直し、努めて冷静に問い質す。
「おまえらの中に『ホシの根源素』を能力したヤツがいるわけか」
おまえら? と返してきた女がおかしそうに続けた。
「私たち三人とも、あんたたちが言うところの『ホシの根源素』の能力者よ」
ウソだろっ、と思わずマテオは驚きを上げた。
北米においてケヴィンとサミュエル親子の二人しか該当しないとされる種別の能力だ。類い稀であり、威力は絶大である。
それが逢魔街と呼ばれる場所で三人も雁首を揃えてくる。
いや冴闇夕夜を含めれば、四人はいることになる。
俄には信じられない。
女が笑うように告げてきた。
「私らくらいになるとチカラを隠す必要もないから教えてあげるけど、見ての通り『氷』と、それから『火』に『雷』といったバリエーション豊かな『神と呼ばれるほどの能力』が今ここに揃っているのよ」
マテオとしては冗談を言っていると思いたい。もし真実なら街一つの消滅など容易い能力者が三人もいることになる。
とんでもない連中だ……と考えたところで、マテオはふと思い当たる。ふっと笑みが溢れてしまう。
マテオの笑いに女が敏感に反応した。
「何が可笑しいのよ。すっかり観念したせいで、ヤケなあまりかしら」
「僕の『神と呼ばれるほどの能力』を持つ近しい人が言っていたことを思い出したんだ」
ゾンビ捕獲のため利用されたが、数々の教えもくれた。
神の力などと持てはやされても、所詮は生身に違いないこと。強大な能力を振るえても、身体は傷つくし、普通の人間と同様に生命も奪われる。
なにが、と女が言いかけた時に、マテオは能力を発現した。
一瞬の移動にして、女の喉元へ刃を突き立てる。
キンッと涼やかな響きがした。
美麗だが失敗を知らせる音にマテオは、瞬速を発現させたまま元の位置へ還る。陽乃を背にする体勢へ戻った。
唖然とした気配を漂わせる女の首に氷による防護帯が巻かれていた。
「大丈夫か」
安全を確認するため男が灯りの下に、その姿を曝した。切れ長な目をした、なかなかなハンサムとする青年だ。女の首に手を伸ばせば、巻かれていた氷の帯は消滅していく。
しまった、とマテオは唇を噛んだ。
氷を操る能力者は事態を読んでいた。
もし解説通り『火』『氷』『雷』の能力としているならばである。この場から逃亡する最大の障壁は『氷』だろう。『火』と『雷』はイメージからして攻撃に特化していそうであり、マテオと陽乃を閉じ込めるため発揮されている能力は『氷』だ。
ビル屋上をすっぽり覆う氷壁をなんとかしなければいけない。これ以上に繰り出させないよう、狙うべきは氷の能力者だった。
どうも冴えない。
マテオは能力だけでここまで来たわけではなかった。従来から備えた才能に、訓練を重ねて得た身体能力と、野生の勘とすべき閃きの的中率が一目置かれる存在へ押し上げていた。
なのに逢魔街に来てからは当てが外れてばかりだ。
瀬戸際が続く展開のなかで直感に従うしかなかったが、ここでは裏目に出てしまった。
「てめぇー、何をしやがる」
残った一人が前に出てくれば、全容が露わになった。
暗がりのなかでも解る逆立つ髪は赤い。柄の悪そうな目つきが、町でたむろする不良を想起させる。問答無用とばかり右手を突き出してきた。
手のひらの先から、火が噴き出てきてくる。能力の攻撃を繰り出してきた。
マテオは咄嗟に陽乃を抱きかかえた。
瞬速で、火炎の攻撃をさける。
余裕をもって避けられた。
どうやら『神と呼ばれるほどの能力』を所有する者の間でも優劣があるらしい。
少なくともマテオにとって火の能力を放った男よりケヴィンやサミュエルのほうが上だ。
火炎放射が立て続けになされた。
マテオを陽乃を胸になんなく避けながら思う。
こいつらプロじゃない、と。
逆上するままに火の男は攻撃してきている。
原因は女に危害が加えられようとしたせいだろう。
感情的になりすぎて、自分が発現する能力の意味を考えていない。
もうもうと立ちだす煙は水蒸気だ。
氷壁が溶け出している。
おいっ、と氷を操る切れ長な目をした男が咎めた。
対して逆立った赤髪の男は「うるせぇ」の一言で済ませている。
マテオは好機を得た。
わざと姿を現している時間を保って挑発をした。
見事に引っ掛かってくれて、火炎は無節操なほど放たれた。
白い煙が最も濃い部分へマテオは一瞬で移動する。
短剣を突き立てれば、鈍い音が立つ。
ヒビが入った。
もしアーロンから渡されたウォーカー家が用意してくれた短剣だったらである。
脱出が叶えられただろう。
刃に加熱機能もあった短剣は、姉のアイラに渡している。予備があるからと嘘を吐いて持たせた。
この場において失敗だった。
でも悔いない。
だけど意味が通じなくても言わずにはいられない。
「すみませんでした、陽乃さん」
当然ながら陽乃が何の謝罪か訊き返そうとしてくる。
それより前にマテオは攻撃から逃れるため瞬速を発現した。
「まったく、ちょこまかするんじゃねー」
火炎を繰り出す男が悉く避けられて苛立っている。
無秩序な攻撃な上に、所有する能力の運用法はこちらが上だ。
能力の使いすぎで息切れを起こすまで、まだまだだ。
マテオとしては所有する能力の強大さに頼りきる相手で良かった。
もしシビアに能力などと呼ばれる異能の限界を見極め、不穏な世界で生き抜く戦略を徹底されていたら、とても敵わなかっただろう。
陽乃も巻き込んで肉体は灰燼へ帰していたかもしれない。
家族の名に甘えていたのは自身のほうだったかもしれない。そう、助けてもらった日。あの人たちの手駒で構わないとしたのは、自分でなかったか。
姉の生命と自分に力を付ける機会を与えてくれた人たちだった。
おかげで氷壁に覆われたドームの天井の一部が溶け、夜空が覗いても飛び込む真似などしない。見え見えの罠だな、とここにきて冷静な判断が下せた。
「あらあら。せっかく天井に穴を開けてあげたのに、逃げなさいよ」
逃亡を促しつつ、女が明かりの下へ姿を現した。
しっとりした濡れ髪の、雰囲気ある美人だ。若手ながら大物女優といった態の貫禄がある。
綺麗なひと、と陽乃が思わず呟いてしまうくらいだ。
マテオは敵対位置にあれば美醜など構っていられない。
「わざとらしいんだよ。逃げ道と見せかけてなんて、策が古い」
「そうかもね。でも、それでも大抵のヤツは引っ掛かるわ」
「初めに自分たちの能力を言うからさ。氷と火とくれば、雷が待ち構えているくらい解るよ」
ふふふ、と女が蠱惑な微笑みを振り撒いてくる。
「能力者だからこそ、私たちの『ホシの根源素』とする能力に対して判断を失いそうなもんだけど、あんたは違ったようね。見どころがあるから助かる方法を教えてあげる」
なんだよ、と一応は返事したもののマテオは内心でうんざりしている。自意識が高そうな女が、こんな流れではまず碌な提案などしないだろう。
案の定だった。
「そこの女、置いていきない。私たちの目的は祁邑の長女だから」
「陽乃さんをどうするつもりだ」
「抹殺よ」
間髪も入れない返答だ。
残酷な表現が脅しでないことは、雷の能力を有すると思われる女の目が語っている。本気で陽乃を殺害する気だ。
ならばマテオの返事は決まっている。
「なら、断る。僕は陽乃さんを守る」
反応は敵対者からでなく、腕の中からあった。
「でも私のせいで、マテオくんが危険な目に遭わせるなんて出来ない」
訴える陽乃を目に写せば、マテオの決心はより強固になっていく。
「いいんです。僕は陽乃さんのためならば命だって張れます」
で、でも……、と答えに淀む陽乃に、いきなり雷の女が激昂を挙げた。
「なによ、なに格好つけてんの。助けてもらうと迷惑がかかるなんて、どの口がほざくわね。夕夜にそれだけ頼っておきながら、よく言うわね。どれだけ迷惑かけているか、知らないふり?」
言葉を失うだけでなく陽乃は青ざめている。
さほど明るくなくても、マテオは顔色の判別が付いた。黙ってはいられない。
「おまえら、冴闇夕夜と祁邑姉妹の食卓風景を見たことがあるのか? あれを見たら迷惑なんて言葉、出てこないぞ」
言いながら、マテオの記憶の引き出しが開いた。
五歳の自分が食事をしている。弟を最後の生き残りするため、自らの胸を刺した姉は意識不明なまま病院へ搬送されていた。
一人残った幼いマテオを救出の指揮者であったケヴィンは自宅へ連れていった。妻のソフィーが家庭料理を並べて待っていた。
姉が生死をさまよう最中であれば食欲は湧かなかった。けれどもウォーカー夫妻の暖かなもてなしを無碍に出来るほど元気でもなかった。無理に持たされたスプーンがとても重い。けれども口に運んでいるうちに、夢中になっていく。
いつの間にか懸命になって食べている幼い頃の自分は泣き出していた……。
ああ、そうか。独り合点したマテオを完全に自分を取り戻していた。
「おまえらの言う通り陽乃さんを置いてったら、今度は僕があの冴闇に狙われそうじゃないか。それじゃー意味がない」
「そこまで夕夜が執着するって言うの、こんな暗そうな冴えない女に」
吐き捨てる女に、陽乃のほうは力なく目を伏せている。
マテオは我慢ならないとばかりに声を上げた。
「好みなんて千差万別なんだけどな。僕からすれば、陽乃さんは魅力的な女性以外のなにものでもないんだけど、あんたは鼻につく。いかにも意地悪な美人のオバさんって感じだ」
オバさん! と目を剥いた女の隣りで、逆立った赤髪の男がやいやいと出てきた。
「おまえ、莉音がオバさんだったら、俺たちや夕夜だってオジさんだからな。わかってるか、そこ」
「名前を知らないのに、年齢なんか知るかって言うんだよ、ふつう」
なんだか論点がズレたような赤い髪の若い男だ。間違いなく自分より年上に違いないだろうが、マテオとしてはぞんざいにならざる得ない。
むしろ赤髪の男のほうがである。
「おまえ、若いのに気がつくなぁ〜。自己紹介はまだだったじゃねーか」
感心してくるから、表情に困るマテオだ。
逆立った赤髪の男が指を差しながらだ。
「おまえの言う通りオバさんでも美人が『高天莉音』で、こっちのいけすかない男は『凍耶冷鵞』そして俺が『苑硯緋人』だ」
おまえなー、と冷鵞が切れ長な目を釣り上げている。
もっとマシな言い方できないの、と莉音もまた不服をぶち上げていた。
マテオは名乗りを挙げられたからに自分の名も答えようとした。
だが緋人は「おまえの名前はいい」と押し留めるよう手のひらを見せる。
「これから死ぬヤツの名前なんか知ったってしょうがねーからな」
緋人の止める仕草だと思われた手のひらが火を噴いた。