第4章:逃走ー006ー
楓の言う事はもっともだ。
「はぁ? あんたらナニ考えてんの。あたし、まともじゃないのよ」
ささくれた叫びに、なぜかアイラは恥じらうように頬を染めた。
「あ、それ。私もよく言われます」
「姉さん、それ。たぶん楓が言われている意味と、だいぶ違っているように思われます」
マテオは身内だからこそ正さずいられない。
黙っていられないのは流花もだった。
「ひどーい、マテオ。ちゃんと名前で呼べるくせに、どうして流花だけ、最初はいっつも変な呼び方なのー」
「あのなー、もし今日、最初に会ったのが楓だったら『おまえ』呼ばわりしているよ」
面倒でも仕方なく応じたマテオだが、しゃべっている内に阿呆らしくなってきた。自ら自身の解説するなんて滑稽極まりないない。
「あ、そうなんだ。そっかそっかー、マテオ、えらーい」
意味不明な褒め言葉で返されれば、尚更だ。つい本音が口を吐いてしまう。
「おい、楓。断るなら、はっきり言ってやったほうがいいぞ」
「ちょっと、弟として、それはないんじゃないの」
「ヒドいよー、お姉さんがかわいそう」
予想通りのブーイングが為されるなか、楓も加わった。
「なんかマテオって、偉そう。いつも女子に対しては、そうなの」
味方までいかなくても自分側に立ってくれると思っていた相手の厳しい態度に、マテオはすごすご引き退るほかない。「べ、べつに……」と歯切れ悪いところを、アイラが会話を引き取った。「ねぇねぇ、楓ちゃん」と早くも馴れ馴れしい。
「私、凄く感心しているの。襲撃した連中も、まさかよね。まだ同じ場所にいるなんて。でもここはいいところ……」
アイラがぐるり見渡している。
昨日マテオが駆け付けた洋館の広間だった。ところどころ崩れていれば、陽光を射し招いている。好天であれば昼間は、夜と様相をかなり異とする明るさだ。暖かくて良い場所である。
おかっぱ頭をした青白い妖怪めいた楓も、太陽が本来の顔立ちはかわいらしいものであることを知らせてくる。ヒトであった、と語りかけてくる。
ゾンビと自ら名乗る少女の無言が却って感情の揺らぎを報せている。
楓へ視線を戻したアイラは軽くうなずいてからだ。
「でもここを動かなかった理由は、相手の裏をかいてだけじゃないでしょう? 楓ちゃんは離れたくなかったのよね、思い出から」
しばしの沈黙を経た後に、楓の質問返しがあった。
「どこまで、あたしのこと。調べ上げているんですか」
「一緒に住もうと言えるだけのことくらいは」
「でもそれ以上の目的もあるんですよね」
睨みつける楓に、アイラは微笑を浮かべてマテオを指差す。
「異能力世界協会を運営するウォーカー一族は、楓ちゃんにとても興味を抱いているからマテオに動向を探るように言ってある」
「だったら……」
「でも私はそのウォーカー一族から逃げ出したい、連れ戻されたくなくて、楓ちゃんの所へ来た。きっとマテオは任務よりお姉ちゃんの気持ちを大事にしてくれると信じてね」
次の声は楓なく流花が挙げた。
「マテオ〜、そんなイヤな顔しなくてもいいじゃーん」
「おまえ、そういうけどな……姉さん、ズルすぎます」
おまえじゃなくてるぅ〜か、と言われる文句は無視してマテオは頭を抱えた。
あっさり任務とバラされただけではない。組織への秘匿まで求めてくる。
「姉さん、そんなに家へ帰りたくないんですか。僕じゃあるまいし」
けっこう面倒を押し付けられるマテオだが、それはキャラクターのせいであって意図があってではない。弟の立場が悪くなるような真似はしない姉のアイラだ。だが今それが破られようとしている。
余程がある、とマテオは踏んでいた。
懸念は的中していた。
「そう、帰りたくない。ううん、違う。あの世界には戻れない、私なんかがいちゃいけない世界なの」
「けれどサミュエル様が言ってましたよ。姉さんはウォーカー家に馴染んでいるって。僕らより、ずっと相応しいって」
「そう見せたくて必死にやってきただけ、お父さまやお母さまの恥をかかせないよう頑張ってみたけれど、もうもたせられない。私はみんなが言うほど良い人間じゃない。マテオなら解るでしょ!」
思わぬ深刻さに当てられて、マテオも真剣になった。
「解りません、そんなこと。姉さんなら大丈夫だって、僕は思います」
「解ってよ! あんなに暖かく迎えられて、耐えられるわけがないじゃない。私はずっと殺してきたの。親切にしてくれる友達のご両親だって殺していたかもしれないの。今さらウォーカー家の娘ですなんて顔、できないっ」
アイラは、ぷいっとマテオから顔を離した。たぎる気持ちを落ち着けるように軽く息を吐いては、楓へ向き直った。
「私からすれば、世の中から疎まれるくらいの相手がちょうどいい。ゾンビなんてむしろ望むところよ」
一瞬の間の後だった。
楓の腹を抱えた笑い声が立つ。
マテオは不審気に眉根を寄せ、流花はおたおたといった様子だ。
アイラだけが態度に揺るぎがない。
「お姉さん、けっこうヒドいこと言っていますけど、わかってます?」
まだ笑いながらの楓だ。
アイラが表情を崩した。ここに来てから初めての笑顔を見せた。
「もちろん。私はヒドいヤツだから言えるの」
「でも嘘は言っていない」
そう返す楓は笑みだけでなく「冷たいですよ」と手まで差し出してくる。
屍人でありながら握手を求める覚悟を理解したアイラだ。
「楓ちゃんのほうこそ後悔するかも。私、なかなかロクでもないわよ」
「あたしのほうこそ望むところです」
互いが笑顔のまま手を伸ばしていく。
アイラのほっそりした指が、楓の小さな青白い手に触れる寸前だった。
「握手は不要ですよ、アイラ様」
突如として闖入してきた声を、ウォーカーの姓を持つ姉弟はよく知っていた。
即応したのは、弟のほうだ。
「どうして、ここがわかったんだ。オリバー!」
「剣はお収めください。すでに状況はご理解していただけているでしょう、マテオ様」
マテオの懸命に怒りを抑えた声に、オリバーの応答は丁寧で冷たかった。白いシャツが嫌味なほど似合う青年は、これまで姉弟に示してきた不遜さはない。代わりに手厳しさが態度に滲んでいる。
好悪はともかく長年に渡り知る相手だ。
マテオが知る相手はオリバーだけではない。異能力世界協会の精鋭と呼べる者たちが顔を並べていた。
マテオが剣を降ろせば、オリバーが口を開く。
「マテオ様には新しい剣が供与されたと思います。それが……」
「もういい。わかったから、それ以上は言うな!」
激昂を抑え込んでマテオは振り絞る。
騙された、選りによって最も信頼したかった人たちに。
ふぅ、とオリバーが肩を撫で下ろしていた。
「良かったです、マテオ様。我々組織の意向を汲んでいただいて。不老不死とされる体質となった昔宮楓は、責任を持って保護させていただきます」
「私も共にいきます」
アイラが毅然と要求を掲げ、オリバーに動揺の影を滑らせた。
「それはケヴィン様に一度お伺いを立てない限りは、なんとも……」
「この程度のこと、事後承諾で問題ないでしょう。貴方たちも私たち姉弟を騙しうちに等しい行為を行ったのです。アイラ・ウォーカーと昔宮楓の間で取り交わす約束を割り込んだからにはある程度の譲歩を見出すべきです。それができないというならば……」
「できない場合はどうなるのです?」
訊くオリバーがやや怯みを見せる。
マテオはとても嫌な予感で胸がざわつく。
アイラが薄く笑った。取り出すはマテオが渡した幾つかのスイッチを有す短剣だ。
「これって殺傷に優れた仕掛けがあるのよね」
短剣の刃が赤くなっていく。熱を帯びたような光り方だった。
アイラは赤色化した刃を向ける。
自分の胸へ。
マテオの脳裏に記憶が甦ってくる。
五歳で泣き喚くしかなかった自分がいる。
自分のせいで、自らの胸へ刃を突き立てた姉がいる。
また同じ真似をさせてしまっている。
マテオは能力を発現させようとした。
あの頃の自分じゃない、力はつけた。
姉が周囲に気を取られていれば、瞬速を持って兇器は奪えるはずだ。
なのに、どうして……。
マテオはガタガタ震えるばかりだ。
ちっとも動かない。
あの時の再現みたく怖気付いてしまっている。
肝心な時に限って、ビビって何も出来ない。
ちっとも僕は変わっていない、と思ったところまで憶えていた。
何か奇声を発したような気がする。
マテオが他に憶えていることと言えばである。
瞬速の能力を発現させた。
姉を救うでなく、この場から逃げ出すためだった。