第4章:逃走ー002ー
言い辛いことは覚悟していた。
けれどマテオとしては、まさかである。
病院が見えてきたところで、慌てて立ち塞がらなければならなくなる。
一度は心肺停止にまで至った、と流花からのメッセージで知っている。しばらくは病院のベッドにから離れられないだろうと予想していた。少々気が重い言付けであるが、弱っているのが幸いだな、と不謹慎ながらそう考えていた。
「ホント、おまえ。バケモノかよ」
驚くマテオなりの褒め言葉だが、奈薙はしょせん奈薙だった。
「バケモノとはなんだ、バケモノとは! これでも俺は命からがらだったんだぞ」
「それは解ってるよ。あん時はもう死んだと思った」
「まったく、ヤツら。毒を使うなど卑怯すぎる」
マテオのほうこそ、まったくな奈薙である。今回の問題は毒の使用ではなく、敵がわざわざ威力を告知してきたにも関わらず構わなかった点としたい。
「つーかさ、奈薙。相手が即死するほどって言ってたくらいだし。毒に慣らした身体じゃなかったのかよ」
「そんな面倒なこと、俺がするか」
奈薙の滅茶苦茶な断言ぶりが、マテオは釈然としなくても納得してしまう。取り敢えず死ななくて良かったね、とする。今日の課題は健康の確認ではない。
どけ、と奈薙が言ってきた。
何処へ? とマテオが返せばである。
「悠羽さんの下に決まっているだろ。また変な仮面の連中が襲ってくるかもしれないんだ」
「あー、それなんだけど。悠羽から伝言を預かってきている。もう二度と近寄らないで、だって」
丸太のような腕が伸びてきた。
マテオは能力を発現せずにいた。当然ながら胸ぐらは掴まれ、引き寄せられる。
「どういうことだ、それは!」
だから嫌だったんだ、とマテオは胸の内でごちる。
恫喝まがいの行為を受けたからではない。案の定というべきか、聞かせた相手が行動と裏腹に悲しそうな態度が透けて見えるからである。
巨岩のごとき大男が傷心している。明らかに奈薙は落ち込んでいる。
「あんな連中など、うれだけなら造作もない相手だった。奈薙は足手まといになるから、いないほうが面倒ない。そう伝えるよう僕は頼まれた」
怒るかな〜、と予想したマテオだけに、「そうか」と一言で手を離す奈薙は意外だった。すまん、と頭まで下げてくる始末だ。
不器用すぎて放っておけない。
肩を落とす大男をマテオは見上げた。ゴツい顔立ちした奈薙だけに憔悴しきった表情には哀れを催す。ちょっと肩入れしてやりたくなる。
「あのさー。いいこと、教えてやる」
なんだ、と返す奈薙は沈みっ放しのご様子だ。
「奈薙が毒で死んだかとなった時、悠羽が泣きじゃくって大変だったんだ。それはもう本当に凄かった」
「そ、そうなのか」
「言っていいことか悩んだけれど、奈薙があんまりにも落ち込んでいるみたいだから、教えておく」
これで気を持ち直すだろうとマテオは踏んでいた。
単純明快な男、それが奈薙だと決めつけすぎたか。はたまた悠羽に関することだからか。
一旦は顔を輝かせたものの、すぐまた意気消沈とくる。
「なぁ、おまえ。いや、マテオ」
言い直す奈薙に、マテオは名前を呼ばれて嬉しいとはならない。むしろ改まれられて警戒心のほうが湧く。
「俺の代わりに悠羽さんの傍へいてあげてくれないか」
やはり面倒ごとであれば、マテオはため息を吐くような表情で頭をかく。もちろん謝礼は出す、と慌てて追加する内容のずれ方が奈薙らしい。普段なら、嫌だよの一言で済ますところだが、早くも互いに名前で呼び合う仲だ。
「なんで僕なんかに頼むのさ。まだ会ったばかりだろ」
「だからだ。街に来たばかりのマテオが、悠羽さんにあんな笑顔を浮かべさせられるなんて。俺には無理だ」
「あー、それは逆。初めて会話を交わしたようなもんだったから功を奏したって感じ。思わず境遇に似たところがあってさ。それが嬉しかったみたい」
軽い口調がここでは説得力を与えたようだ。
そうなのか、と訊く奈薙は気を持ち直したように見える。
マテオはここぞとばかりに強く出た。
「凄い能力だなんて悠羽が自分で言っているだけだろ。実際どれくらいなもんか解らないし、下手すれば能力なんて持ってないかもしれないって考えられないか」
「だが昨日の連中は悠羽さんを拐いに来たんじゃないのか」
「悠羽は鬼の一族に連なる者なんだろ。理由は解らないけれど、故郷から家出同然で出て来ているみたいじゃないか。能力者売買する連中が、鬼の幼い末娘を確保するチャンスくらいに考えておかしくないだろ」
そうだな! と奈薙の返事する声はひときわ大きかった。
本当は他の可能性も思いついているマテオだが、相手の納得に合わせることにした。別に嘘を吐いているわけでもない。
「例え悠羽が能力者だとしても、本人がチカラを使用したくないみたいだし。一人にしないほうがいい、と僕は考えるな」
「ならばマテオでもいいでないか」
「それを言うならば奈薙でも、だろ。それにさ、強さで較べれば僕なんかより、ずっと凄い。何より守りたい気持ちの強さが全然に違う、なんて思い違いかな?」
返事を待つまでもなかった。
あっという間にマテオの横を奈薙は駆け抜けていた。
微笑が浮かぶマテオは巨岩を思わせる背へ向けて叫んだ。
「がんばれよ、ロリコンストーカー」
脱兎の如く去っていくかに見えた巨体が、ピタリと止まった。振り向きざまに吼えてくる。
「き、きさまっ! じゃない、マテオ。それだけはやめろっ」
「わーかった、わかった。もう言わない」
マテオの了解に、深くうなずいた奈薙は「それと」と続ける。
「いろいろマテオには世話になった。すまん、ありがとう」
そんなそんなとばかりに手を振るマテオだ。
それを見た奈薙は今度こそ走り去っていった。
マテオは一人残された形になればである。
「姉さん、いるんでしょ。盗み聞きなんて趣味が悪いですよ」
ひょこっと塀の上に載せるみたいに顔が出てきた。
マテオによく似た顔立ちの女性だ。決定的な相違点は印象的な白銀の髪が頬を覆う長さがある。双子の姉弟を一見で見分けるとしたら髪型くらいしかないとも言えた。
ただし中身は似ても似つかない、それが義理ながら家族となるウォーカー三人の評だ。
マテオ自身は、姉を敬愛しているものの性格が似てたら困るくらいに思っている。
「いいなぁ〜、マテオ。青春できるくらいのお友達がもう出来てて」
アイラの日常における言動は、どう反応していいか困るものが多い。
マテオからすれば、だ。
「そんな甘いものではないですよ。ただ奈薙は祁邑三姉妹の取り巻きとしては真っ直ぐなだけ扱い易いだけです」
「誰かと較べているみたいね」
そうです、とマテオは素直に答えた。
奈薙の存在を持ち上げたくなるほど、冴闇夕夜が油断ならないのだ。




