第3章:姉と妹の記憶ー009ー
奈薙が振るう無類の剛腕に対抗する術などあるか。
が、マテオの勘は危機感を訴えてくる。
奈薙の弱点が解ったとする言葉は、はったりではないだろう。宿敵だからこそ、予断は許さない。
おい、とマテオは奈薙へ注意を喚起しようとした。
出方は相手の方が早かった。
六つの人影が上空へ浮かび上がる。
白黒の仮面を付けた者たちは、マテオたちの真上にあった。いずれも右腕を伸ばしてくる。手の甲から矢が突き出てきた。
マテオにすれば不思議だった。
腕の中に悠羽がいる。マテオの瞬速の能力は熟知しているはずだ。
白黒仮面たちは上空に止まって間合いを取っている。
標的に狙いを定める姿勢を打ち出すなど、マテオの能力を理解していれば得策ではない。
でも、もし狙いすました理由が別にあったら?
そうか、とマテオが閃いた時は遅かった。
真上にある六つの腕から矢が放たれる。
悠羽へ向かってくるが、マテオが抱きかかえているから大丈夫だ。瞬速の能力で余裕で避けきれる。
けれども奈薙は奈薙だ。
悠羽さん! と叫んでは被せてくる。身を挺して全ての矢を背に受け止める。
肉を突き破る痛々しい六つの音。飛び散っていく血が庇われた者たちの目に写る。
だいちぃー! 悠羽の悲痛な叫びが上がった。
ちっと舌打ちするマテオだ。自分のミスだ。
降り立った六人の白黒仮面は、再び砂場を取り囲んだ。
「ソクシノ、ドクガ、ヌッテアル」
リーダーと思しき白黒仮面の一人が絶望の告知を重ねてくる。
だから終わりだと言いたいのだろう。
マテオとしては逃亡の機会を失っている。
奈薙へ向けて矢が放たれている間に逃げなかった甘さが自分自身信じられない。悠羽の気持ちを考えて動けず招いた事態に唇を噛む想いだ。
じりっと白黒仮面の六人が取り囲む輪を縮めてくる。
命がけで守られた悠羽を絶対に渡すわけにはいかない。
マテオもまた生命を張ってでも逃す心算であった。
敵の足が砂場の枠へかかる。砂地を踏んだ瞬間に、瞬速の能力と貰ったばかりの短剣の性能にかけるしかないようだ。
ふと、気配が揺らいだ。
「バカナ」
白黒仮面が作る人垣から聞こえてくる。
敵の言葉ながらマテオも同感だ。
ふんっ、と唸れば、背中に刺さった矢が次々に抜けていく。
だいちっ、と悠羽に呼ばれた大男が背を伸ばす。偉容はまさしく岩の越えて山の如しである。バケモノかよ、とマテオは呟いたくらいだ。
「これぐらいで死ねるなら、俺の人生もっとマシだー!」
奈薙が敵に向かって吼えている。
魂の叫び、とマテオは理解しつつもである。何を言っているのか、支離滅裂すぎて笑いがこみ上がってくる。
味方に余裕をもたらすならば、相対する者たちには逼迫を与える。
しばし動きを止めた白黒の仮面を付けた者たちの一人が洩らす。
「アイテナド、シテラレナイ」
言うや否や姿を消していく。六人一斉で逃亡していた。
「卑怯だぞ、逃げるなど。大勢でかかってきた卑劣さを最後まで貫き通せ」
見えなくなった敵に対し、らしいと言えばらしい奈薙の咆哮だ。どこか頭のネジが飛んでいる。
面白いヤツだな〜、と感じ入るマテオも大概ではあるが。
だいちっ、と心配そうに呼ぶ悠羽だけがまともだった。
鬼の三女とされる幼女だけが、戦闘で興奮の極みにある大男を我に返させた。
「悠羽さん、大丈夫か」
呼ばれた奈薙は振り返る。呼んだ五歳の子供と目線を合わせるため膝を突くだけでなく上体も倒す。覗き込める位置まで顔を下げた。
パチンッ、と鳴った。
おやおやとマテオの向けた目に、呆然とする大男と今にも泣き出そうな幼女が映っていた。
「バカ! うれなんかのために危ないことしなくていいって、あれほど言ったでしょ。本当のうれは奈薙よりずっと強いんだから」
悠羽の剣幕に押された奈薙が「すまん」とうな垂れている。
マテオとしては、ちょっと助け舟を出してやることにした。
「おい、ロリコンじゃなくて、奈薙」
「キサマに呼び捨てにされる言われなどない」
こいつはロリコンより呼び捨てが嫌なのか、と抱いた感想は口にせずマテオは肝心な事柄を聞く。因みに相手の意向は無視する。
「奈薙。おまえ、悠羽の能力がなんだか知ってるの?」
「知るわけないだろ。悠羽さんが話したくないことを無理に聞き出すなど、俺が出来ると思うかっ」
本当に面白いヤツだな〜、と今度は口にしたマテオだ。「なんだと」と予想通り悪く取る奈薙をまたもや無視して、悠羽へ向かう。
「奈薙が知らないなら、助けるなと言われても、それは無理だよ。僕だってあの場から置いて逃げるなんて出来ないぞ」
「それはうれの見た目が小さな女の子だからでしょ」
「僕はそれがあるけれど、こっちの大男はどうなのかな。小さな女の子を守りたいだけで、ここまで身体を張れるか訊きたいもんだね」
最後のほうのからかう調子は意識してであった。これでデカブツが喰ってかかってくるだろうとマテオを読んでいた。
音沙汰がない。
大声を上げなくても反応くらいしても良さそうだ。
見れば奈薙が首を落としていた。両膝を突く体勢のまま、ピクリともしない。
おいっ、とマテオが強めで呼ぶ。よくよく見てみれば奈薙の顔色が土塊みたいになっていた。
「まさか毒が効いてきたんじゃ」
いやぁああー! 悠羽が小さな身体のどこからという激しさで絶叫を迸らせた。
ともかく急いで病院だ、とマテオが取り出したスマホが絶好の、いや最悪のタイミングで鳴る。しかも相手は、流花ときた。こいつ、なんで僕の番号を知っているんだ、と思うものの出ないわけにいかない。
「おい、なんだよ。今、ヤバいんだよ」
「お願い、マテオ。すぐ来て!」
こっちの話しなんて聞いてやしねー、と文句を言いたくなったマテオだが切迫している様子は伝わってくる。あっちもこっちも緊急とくる。
いったいどうしろって言うんだよー、とマテオは叫びたかった。




