第3章:姉と妹の記憶ー007ー
こっそり見舞いへ行った。
面会時間外なのはマテオだって承知している。けれどもこのままでは眠れそうもない。
一命を取り留めた報告に喜びの興奮が抑えきれない。
寝顔だけでいい、一目すれば気を落ち着けられそうだ。
しんとする夜中の病院へ忍び込むなど容易い。建物の配置は頭に入っている。
姉のアイラの病室には、すぐ辿り着いた。
そっと窺えば、姉は枕元の照明を点けて上半身を起こしていた。
嬉しい誤算とするくらいの回復ぶりだ。
けれどもマテオは出ていけなかった。
身じろぎもせず、じっと両手を見ているアイラだ。ぽつんと灯る明かりに浮かぶ姉の横顔は一生忘れられない。
自分の罪を改めて問う姿だった。
「なんで、そんな話し。うれにするの?」
聞かされた悠羽は不審そうだ。白銀の髪をした能力者は、昔話しなどしそうもないタイプの少年に見える。
マテオとしても初めて口外した。いつもなら自分の過去についてなど、口が裂けても言わない。
「なんかさ、おまえ。あの時の姉さんと重なってさ」
「おまえって言い方やめてくれない。でも年上だから慣れ慣れしい呼び方でいいよ」
自分はマテオで、と断りを入れてから「じゃ、悠羽」と前置きしてからだ。
「これまでどれくらいのヒトを殺してきた?」
砂場で屈んで座る悠羽から即答はない。しばらく自ら作った砂山を眺めては、ぽつりと洩らしてくる。
「わからない……でも、もうあそこには居られないほど。だからお姉ちゃんが家出を決めた時は助かったと思った」
そうか、とマテオが一言で済ました。これが悠羽には不思議でならないらしい。
「もっと何か訊きたいことがあるんじゃないの」
「いや、いいよ。五歳で人を殺したなんて、普通でいられないよな」
マテオの意識もまた五歳のあの時へ還る。
半ば強制された殺しだ。仕方がなかった大量の殺人だ。だがやるべきは自分だった。守るために殺戮の場へ乗り出すべきは、姉ではなかった。
独りで病院のベッドに座るアイラは自分の両手へ向けた目を外さない。横顔からでも歪んでいるのが認められ、身体ははっきり震えていた。
マテオは見ているだけだった。どうして言葉など思いつかなくても、飛び出さなかったのか。何も言えずとも抱きつくくらいするべきではなかったか。
臆病すぎた。あの夜は未だ一日とて忘れられず悔やみ続けている。
現在のマテオを形作る始まりの記憶の一つだった。
「マテオも、そうなの?」
訊く悠羽は相変わらず砂山へ視線を向けたままだ。
マテオのあくまで想像だが、悠羽が他人に興味を抱いて質問してくるなんて凄いことかもしれない。つい微笑が浮かんでしまう
「ああ、僕も初めての殺しは今の悠羽の歳だった。でもそれはもう復讐だって心に決まっていたから、あまりショックはなかったな。むしろ力が付いた気になって、それで……」
ちょっと言い淀んだマテオへ、「それで?」と悠羽が先を促す。
「少し調子に乗りすぎて、姉さんやケヴィン様やサミュエル様とか、他にもっといっぱいの人に迷惑かけたような気がする」
ぷっと噴き出した悠羽は「気がする、なんだ」と言っては笑う。これまで立ててきた暗さと別物の鈴が転がるような爽やかな笑い声だ。
いいだろっ、とマテオが不貞腐れたが、やっぱり五歳のかわいい幼女であれば怒ってもいられない。
「あいつは、どうなんだろ」
マテオの話題を変えた先は、砂場からだいぶ離れた公園の出入り口付近で佇んでいた。巨岩のごとき体躯は遊びに訪れた一般人を諦めさせるに充分な威容だ。
「冴闇のおじちゃんから聞いたけれど、昔から怪力が凄すぎて周りから嫌われてきたんだって。よく騙されてもいたみたい」
「だろうな。簡単に頭へ血を昇らせすぎだよ」
「これでもだいぶ良くなったんだって。奈薙が暴れるなんて、うれのためだけの時しか見たことないし……何でも聞いてくれて、一生懸命で。だから……」
「ちょっと怖くなったか」
ビクッと震えた悠羽が丸くした目で見上げてくる。
ようやく上がった顔を見たマテオは、今度は自分の番だとばかりに仰ぐ。
「僕も解るよ。家族に迎え入れたいなんて、そこまでしてくれなくても。これまでホントにたくさんくれたんだ。なんでそんなにって、今だって怖いくらいさ」
そうなんだ、と返してくる悠羽は晴れ間が差した様子だ。立ち上がっては、パンパンと勢いよくスカートの付いた砂を払っている。公園の入り口で腕を組んで立っているだけでも傍迷惑な大男を見つめて言う。
「でもきっと奈薙だって、うれの能力を知ったら離れていくよ。だったら今のうちに……」
「大丈夫じゃねーの。どんな能力だか知らないけどさ、姉ちゃんたちとか承知してくれてる人もいるんだろ」
マテオは深刻にならないように気軽な口調にした。だが想像外の真実に意図は功を為さなかった。
悠羽から返事はなかった。
ウソだろ、とマテオは思わず口にしてしまうほどの衝撃だった。
慈母のごとき暖かい雰囲気をまとう長女の陽乃に、ど天然で少し面倒そうな性格はしていそうだが面立ちはこれ以上にない美少女である次女の流花。加えて歳の離れた悠羽は、ご相伴した夕飯の席ではとても仲が良さげに見えた。
今思えば、不自然な良さだったかもしれない。
なんとも闇が深そうな『祁邑三姉妹』だった。
砂場に尽くす悠羽へ、マテオはとにかく何か慰めの言葉をかけようとした。
ざあ、と吹く風が植樹された木々の葉を揺らす。
周囲の薄暗さに時間の経過を感じさせる。
この街に『逢魔ヶ刻』が訪れた。
ケタケタケタケタケタ。
他の地域にはない異相の時間帯へ突入すると同時だ。
拍子木で打ち鳴らされたような笑い声が、不気味に響いてきた。