最終章:彼女がチートー002ー
斬りつけた刃を逆に削っていく。
鬼の外皮はマテオが持つ短剣では相手にならない硬さだった。
でも夕夜が放つ風の刃は、通常の刃などものともしない鬼の身体を真っ二つにする。
威力は尋常でない。
それを卑怯と言われてもおかしくない、不意を突く形で見舞う。
夕夜は左肩から腰に至る軌道で手刀を描く。
風刃が、巨鬼となった翁を斬った。
鬼の変身能力者として頂点に立つ者である。
これまでの鬼どもとは効果の度合いが同じでない可能性はあった。
だが、全く効かないは想像もしていなかった。
なに? と呟く夕夜に、赤黒い巨大な手が横っ面を張った。
全身を叩かれて、近くの瓦礫の山へ突っ込んでいく。
夕夜が激突した地点から、もうもうと砂埃が立っていく。
おい、冴闇! と思わずマテオは驚愕するままに呼んだ。
「儂の一撃を喰らって生きている者がいた試しはないぞ」
鬼の翁が憐れむような声は、残る者への威嚇も含んでだろう。
あまりの実力差に、マテオは愕然としていた。
ところがである。
『神々の黄昏の会』のいずれの顔にも悲壮はおろか、顔色さえ変えていない。
むしろ余裕を見せてきたくらいだ。
訝しむは鬼の翁だけでなく、マテオも同様だ。
「あれくらいで死ぬようなヤツだったら、俺たちはここまで苦労していない」
奈薙が嫌味も兼ねたような切り出しに、「そうよ」と莉音が両手を腰に当てる。
「この莉音さまの雷撃だけじゃない、ここにいる全員のチカラを跳ね除けられる夕夜よ。男としてはアタマくるけど、仲間としてこれほど心強いやつはいないんだから」
ふぉっほっほ、と翁は鬼になっても変わらない笑い声を立てた。
「儂もまたお主ら全員の能力は聞き及んでおる。あの風の男は実際に対峙しなければ解らないとほざいておいたが、結果はこうじゃ。お主らもまた束になってかかってきても、儂に効かぬよ」
「それは、どうでしょうか。何が起こるか、解りませんよ。ここは逢魔街です」
ネクタイの結び目を正している新冶が返せば、道輝も前へ出た。
「一撃で吹っ飛ぶ夕夜殿など、初めて見ましたぞ。確かに、貴方は強い。我らでは敵わぬやもしれませぬ。けれど我々はここに集う理由があるのですよ。認めている、と言い換えていいかもしれませぬ」
「ああ、夕夜に限らず、こいつらみんな変な連中だが、認めざる得ないものを持っている。だから俺はここにいるんだ」
そう言っては拳を作った右腕を突き出す奈薙だ。
マテオは意外とする感慨を抱いた。
どうやら『神々の黄昏の会』の面々がする悪態は、信を置いた裏返しかもしれない。
まだ理解とするには遠い状態にあるようだ。
夕夜や新冶に道輝、そして奈薙でさえも。
彼らは『逢魔街』と呼ばれる不可思議な場所に根を張っている者たちだった。一筋縄でいくはずもない連中だった。
もっとも全員が全員、複雑なわけではなさそうであった。
「そうよ、そうよー、強いんだから私たちー」
威勢いい莉音に、「俺たちゃ無敵だぜ」と緋人が、「ま、そういうことだ」と冷鵞が追随する。
ちょっと苦笑してしまいそうになったマテオは、しかし流花を渡すとする結論に至らず安堵を覚えていた。
ここからが勝負だと思う。
ほざくな! と鬼の翁が拳を叩き落としてきた。
受ける側が散るなか、奈薙だけは残った。
三十メートルは下らない巨軀から振り降ろされる殴打を真っ向から受け止める。
奈薙は巨体といっても人間のそれである。二メートルを優に超える程度だ。
まるで怪獣に人間が素手で立ち向かっているようなものである。
体格差を諸共しない奈薙の怪力と頑丈さに、改めてマテオは「すげぇー」と洩らさずにいられない。
攻撃した方も同様で、「ほぉー」と唸っている。
「儂の拳で死なぬ者は初めてじゃ。なかなかお主は見どころがある。どうじゃ、儂の『東』にくれば歓迎するぞ」
「ぬかせ。平気で孫を踏み躙れるようなヤツなど、信用できるか。俺の命は姫の……悠羽の幸せのためにあるんだ」
「そうか、ならばここで潰えるがいい」
なに、と反応した奈薙の身体が押し込まれていく。
上から押し潰す鬼の翁の拳は地面まで届いた。
奈薙っ、と叫んだマテオは飛んだ。
奈薙へ降ろした拳を地面に置いた鬼の翁の額へ短剣を突き立てる。
パキンっと手にした武器が脆くも砕ける音が立った。
くっとなるマテオだが悔しがってもいられない。
鬼の翁の残る手が叩き潰すべく向かってきたからだ。
マテオでは、まとも喰らったら生命の危機へ陥る。
すんでのところで避けたもの、風圧によって弾かれるよう飛ばされて地を転がる。
少々身体に無理を強いても立ち上がったのは、次の攻撃を警戒してであった。
鬼の翁はすぐさま行動に移れなさそうだ。
足下は金粉で固められ、膝は凍りついている。
移動が困難な状態へ、雷が轟く、光りの矢が降りそそぐ、火が柱となってぶつかっていく。
刃が折れても柄を握るマテオは、「へぇ〜」と連携の見事さに感服するしかない。
押し潰されたと思った奈薙も地面へめり込んでも無事でいる頑丈さである。
マテオにとって「神々の黄昏の会』のチームワークは想像を遥かに超えた素晴らしさであった。
だからこそ鬼の翁がものともしない強さを発揮すれば驚きを禁じ得ない。
雷も光りの矢も火の柱も身体を撫でただけだ。
脚の動きを封じたはずの金粉に被せた氷による凍結も、あっさり振り払われる。
逢魔街の最上位に位置する能力者たちなど赤子の手を捻るが如きである。
埋まった場所から地上へ這い出てきた奈薙に、マテオは急いで近寄っていく。
「おい、奈薙。悔しいけれどあのジイさん、強すぎだ。一旦、退いたほうが良くないか」
なぜか奈薙が微笑を浮かべるから、マテオは訝しむ。
「なんだよ、ずいぶん余裕じゃないか、奈薙」
「ああ、もうそろそろいい頃合いだからな」
何を言っているか解らないマテオは、奈薙が見上げた視線を追う。
瓦礫の地平を越えて、陽が沈みつつ西の空。街は茜色に染まっている。なんの変哲もない夕焼けの風景があるだけだ。
だが奈薙は、あと少しだ、と続ける。
真意を問い質したいマテオだが、巨大な鬼の拳が飛んできた。