第6章:誰もが、みんなー010ー
暴走した新冶によって、我が身が危うい。
急ぎ移動をしようとしたマテオらの目に映る。
微かだが、はっきりとした煌めき。それが誰の能力か、疑うべくもない。
ただ今回は、一人だけではなかった。
金の粉が鬼の足元に降りかかれば歩行を止められた。
その場に生えたように動けなくなった多数の鬼どもは、次の瞬間だ。
上体と下半身が分かれた。
いくつと知れない鬼が血を撒きながら真っ二つになる。
刃を削ぐほど強靭な鬼の身体をこうもあっさり斬り裂く。
逢魔街でそれを可能とする能力者として真っ先に頭へ浮かぶ人物。それが今、飛んで来ていた。
能力である『風』を利用しての登場だ。
「やぁ、ごめんごめん。遅れた」
全身黒づくめといった出立ちの青年が、ひらり舞う。
愛想がいいのか、裏心をあるような気にもさせる笑みを振り撒いて、風の夕夜が降りてきた。
「待ってなど、おらん。これくらい俺たちだけで充分だ」
奈薙の素気ない応対にも、夕夜はどこ吹く風だ。
「そういうなよ。実際、新冶がヤバかっただろ。歳を取ると気が短くなるから困ったものだよね」
寸前のところで光りの矢を収めた新冶の表情は苦い。ここでもまた年寄り扱いがおもしろくないようだ。
マテオでさえ気の毒さを感じたほどだ。新冶さんの凄さは僕が知ってます、とつい声をかけてしまう。ちょっとあざといか、と思ったが、相手は途端に機嫌が良くなった。会の者と違って貴方は聡明な方です、なんて返ってくる。
単純なおっさんだな〜、とする感想は胸の内に留めておくマテオであった。
「キサマら、なに余裕ぶっこいてんだ。こっちはな、数を揃えてんだ。一万、そう一万はいるんだ。たかだか五、六人じゃ、どうしようもないんだよ」
夕夜の攻撃からかろうじて身をかわした鬼の理作が恫喝する。
が、直後に顔を凍らせた。
風使いの能力者である黒衣の青年が彼特有の喜色を湛えてくる。端正な顔立ちが浮かべる笑みは、格好と同様に黒かった。
「キミ、祁邑一族の人だよね。確か、理作とか言う名前だっけ。ずっと会いたかったよ」
何か言いたいものの口が開かない理作の心境は、マテオはなんとなく解る気がした。味方として来た人物なのに、胸がざわつく。なぜか安心して近づく気になれない。
黒衣の夕夜が理作の背後に展開する鬼どもまで黒い笑みを向けた。
「キミたちにも会いたかった。東の鬼となる者たち、全員にね」
「てめぇー、何を考えていやがる」
ようやく声を振り絞った理作だ。
夕夜が口の端をいっそう吊り上げれば、もはや笑みではない。
「キミたちの抹殺さ。自分は鬼たち全部を消したかったんだ。陽乃さんたちをさんざん泣かせ、今後も苦しめるだろう者たちは一人残らずだ。誰一人、この世に残しやしない」
言葉が終わらないうちだった。
理作の周囲にある鬼どもの首が飛んだ。
勢いよく噴き出す、どす黒い液体が瓦礫で埋まる地面を染めていく。
マテオが持つ戦闘用の刃でさえ敵わない強固な鬼をいともたやすく切断せしめる。
能力の差は歴然であった。
花嫁の儀式と称した雄の欲望を晴らすため集い、邪魔だてが入っても優位性を保っていた鬼どもである。当初から覚悟は厚いものではなく、ここに来て一方的な鏖殺を宣言された。
てんでばらばらに逃亡へ移ろうとする者が出現しかけた。
逃げるんじゃねー、とリーダー格に当たる理作が咎めた。
そこへ金粉が狭霧のごとく足許を覆う。
「こらこら、キミたち。一人、メンツを忘れているだろう。いけないな、その存在を無視して逃げられるなんて、甘すぎやしないかい」
そう言って夕夜は金色で足が染まれば動けなくなった鬼の一団へ『風刄』を放つ。
飛び散る血飛沫を潜り抜けるように、僧侶姿の男性がやってくる。
マテオたちの前まで来た『金』の道輝は、あれだけの鬼が切り刻まれるなかを潜って来たにも関わらず一滴たりとも浴びていない。
「夕夜殿、さすがに全員の足止めは無理ですぞ」
「えー、そうなのか。でも頑張って欲しいな。自分は鬼の命を一つ残さず消したいんだ」
夕夜の要求途中に、道輝の目は理作ら鬼へ向いた。
「本来なら殺生は止めたいところなのですがな。あなたたちは、あろうことか病院を狙いました。まさか瑚華殿を襲撃し脅すなど、全くを以て許し難いですぞ。今回ばかりは夕夜殿を差し置いても、この道輝、やりますぞ」
話している途中から、闘志がこぼれ落ちるような口調となっていた。
それじゃいこーか、と風の夕夜がついと前へ出た。
背後には『光・金・火・氷・雷・地』とされる能力者に、白銀の髪をしたマテオがずらり姿を並べている。
「我々『神々の黄昏の会』メンバー七人勢揃いだ。これからどんな威力を発揮するか、楽しみだよ。あ、そうそう。一人、ゲストがいたな。なかなかな少年も加わっているから、キミたち鬼は悲惨だ」
すっかり気圧された鬼の空気を、理作はリーダー的立場から気持ちを振り絞ったのだろう。広範囲まで届く大声で指摘する。
「イキがるんじゃねー。俺は、知ってるぞ。キサマら怪我人だろ、けっこうな重傷だろ。まだベッドで寝てなきゃならねー身体で来てるんだろ。俺たちは数いるんだ。どこまで保つんだ、ええっ?」
ドヤ顔を決めた理作だったが、次の瞬間に崩れ去っていく。
「やってみせるがいい。鬼がどれほどのものであろうと、おまえたちはこれから報いを受ける。陽乃さん、流花さん、うれさんを苦しめた罪をその身で償ってもらう。誰一人とて例外なくだ」
これまでになく低い響きで発せられた夕夜の返答だ。
耳にした鬼は少なくとも冷たいものが背筋を駆け抜けた。逃げる判断を消すほど、自暴自棄にさせていく。恐慌を来たし、襲いかかっていく。
神々の黄昏の会に所属する者たちが、一斉に能力を発現する。
雷が落ち、火と氷が柱状に放射される。
光りの矢が降り、金粉で動きを止めたところへ風の刃が薙ぐ。
地とされる能力者だけは、能力というより腕力で殴り倒していく。
奈薙だけが自身の肉体を駆使していたから、他の者より敏感になれたのだろう。背中越しに異変を感じ取っていた。
「おい、マテオ。大丈夫か」
大丈夫と答えたいマテオだが限界は近い。
最後の一本である短剣の刃こぼれが進むなか、身体が、特に脚の痛みが酷くなってきている。
立っているだけで精一杯な感じだ。
だがここで離脱はしたくなかった。
夕夜が口にするほど、こちらが優勢とは思えない。
くっと歯を喰いしばって、まだいける旨を返そうとした際だ。
「受け取りなさい」
不意に聞こえてきた声と一緒に小瓶が飛んできた。
見れば、少し離れた所からマテオを見つめる白衣の女性がいる。
「いーい、マテオ。回復は一時的だから、あくまで痛覚を主とする抑制剤よ。使用するなら、効果が切れた後の覚悟はしなさい」
「ありがとうございます、甘露せんせぇー。恩に着ます」
使用に躊躇のないマテオの返事に、瑚華はポケットへ手を突っ込んだまま肩を竦めていた。
蓋を開けて、ぐいっと飲み干せば身体全体に染み渡るようだ。みるみる痛みが嘘のように和らいでいく。
以前より動けるようになったマテオが戦力となれば、鬼どもはひたすら数を減らすだけとなった。
いくら数を揃えようとも、相対す誰一人も倒せない。時間が経つごとに勢いづかせているようでは戦況など変えようがない。
趨勢は決していた。
後は、どこで『東』の軍勢とも呼べる鬼どもが退くか、もしくは全滅するか。
終結はタイミングの問題かと思われた。
「なにをしてるか、このバカどもがっ!」
不意に割って入ってきた一喝が轟くまでは。