第6章:誰もが、みんなー003ー
下品なセリフが静止した時間を砕いた。
やらせろー、と鬼の友治が襲いかかってくる。
流花、とマテはを押し退けた。
突き出されてくる鉤爪へ右手の短剣を突き出す。
激しくも鈍い響きが立てば、これまでの攻守を入れ換えた形に為っていく。
鬼は命を取りにいき、マテオのほうは防ぐだけで手一杯だ。
しかも鬼の武器は両腕にある。
対してマテオは右手にする一振りのみだ。
左腕の鉤爪は刃とかち合ったままで、残る右腕が伸ばされた。
鬼の鉤爪がマテオの首元を突き刺さった……と思わせた瞬間だ。
マテオは身を沈める。
鉤爪と絡む短剣から手を離し、上着に隠れた腰元に差さる柄を握る。
相手の懐に飛び込んでは、刃を突き立てた。
相手の首元を抉るはずが、逆にやられた鬼の友治は苦鳴と共に後ずさる。
口から泡を吹いては、一般人より二回りはあるかと思わせる巨体を背中から落としていった。
「あーあ、かわいそうに。これじゃ、せっかく次女の初乗りできたチャンスがおじゃんだな」
気の毒どころか喜んでいるような理作の言だ。
さらに続く声は、周囲の鬼を色めかせる。
「しょうがねーから、俺らで流花をやるぞ。初乗りできるヤツは、そうだな、カッコつけて独りで乗り込んできたガキを殺ったヤツで、どうだ」
そう提案している傍から、理作自身が能力を発現した。
ツノが生え、筋骨が服の大半を破るほど盛り上がってくる。
周囲にいる男たちも、次々と鬼へなっていく。
一斉に襲いかかった。
マテオは腰元から新たな短剣を抜く。
通常の人間より一回りも二周りも大柄な鬼が取り囲んでは覆い被さってくる。
例え瞬速の能力が発現できなくても、尋常でない素早さを体得しているマテオだ。
鬼の囲いを突破するだけでなく、攻撃も仕掛ける。
後背にした鬼どものうち数名が、血を流し倒れ伏す。
ヤロォー、と指揮する立場にある鬼の理作だ。
翻弄を果たしたマテオだが、表情は晴れない。
単体でこられるより、無秩序な多人数のほうが相手にしやすい。
だが、どこまでそういくか。
負傷の身体が、どこほどの物量戦に耐えられるか。
何よりも、鬼は屈強だ。
三、四人を斬っただけで、手にする短剣が刃こぼれを起こしている。
腰元に残る短剣は二本。武器として通用する人数は十名を越えれば、良いほうだ。
鬼の再攻勢が始まった。
今度は揃って一斉にではなく、次々休みなく腕の先に伸びる鉤爪を向けてくる。
同士打ちが狙う目論みが外れるなかで、マテオは応じるしかない。
交錯する斬撃音が響き渡る。
刀身に匹敵する鬼の鉤爪は長い。両腕とくれば、二刀流のようなものだ。
較べて、身のこなしが相手に勝る唯一の点とするマテオは新たな短剣を抜く。
腰元に残るは一本。斬り合いに休みはない。すぐに使用しなければならなくなりそうだ。
マテオの押し込む短剣に、後頭部から赤き噴水のごとく撒き散らす鬼が、どうっと倒れ込む。
はぁはぁはぁ……、息が上げるマテオが最後の短剣へ手を伸ばしかけた時だ。
目前にいた鬼の足が飛んできた。
鉤爪を有す腕に意識を向けていたので、その攻撃は予想外だった。
迂闊さに悔やむ暇もなく、マテオは蹴り上げられてしまう。
宙を舞い、背中から落ちていく先に鬼が待ち構えていた。
赤黒く太い指の先に伸びた、鋼に相当する鋭利な爪が下から突き上げる。
マテオから肉が裂ける音が立った。
串刺しにされたシルエットが浮かぶ。
がはっと口から噴く血が、夕陽をしのばせ始めた宙へ撒かれる。
いやぁあああー! 絶叫する流花の前へ白銀の髪をした身体が転がってきた。
貫いたマテオを振り払うように投げた鬼の理作だ。流花へ絶望を確信させるため、わざとその足下へ転がした。
「こいつは終わった。もう次女を守るヤツはいねー」
残酷なセリフに相応しい嘲る声も、流花には聞こえていない。
手足を投げ出して仰向けで横たわるマテオへ這っていく。
「やだ、うそ、うそだよね。目を開けてよ、マテオー」
全身を震わせ縋りつく流花の耳に、鬼の理作の足音が近づく。
「さあ、トドメを刺したのは俺だからな。次女、これからやられる覚悟……」
いやらしい笑いを含んだ理作の言葉が途中で切られた。
マテオ……、と流花が呼ぶなかである。
すぅっと血で濡れた白銀の髪が起き上がる。
最後に残った短剣を握り締めて。
理作の牙を備えた口許は歪んだ。鬼となっても驚きが窺えた。
懸命に反撃へ移ろうとするマテオだ。
だが敵を目前して足がもつれてしまう。
自ら作った隙に、鬼の強烈な蹴り上げを腹に喰らってしまう。
ぐはっと吐いては、嫌な音を立てて地面へ落ちた。
流花が震える手を青ざめた頬へ当てるなか、マテオはまだ立ち上がった。
もう無駄だと誰の目にも明らかでも、立ち向かっていく。
目に血が入って視界がぼやければ、理作が余裕で繰り出す足蹴りも躱せない。
血で濡れた身体が飛ばされる。
流花が受け止めるまで、ボールみたいに地面を転がった。
「マテオ、マテオ、しっかりして」
横たわるマテオの頭を抱えた流花が必死に訊いている。
「もういい、もういいよ、マテオ。流花はもう充分だから。これからお願いして助けてもらうよう……」
涙が溢れるままの説得に、目を開けたマテオに微笑が浮かぶ。
「そうはいくか」
そう返事しては、立ち上がる。
敵だけではなく自分の血でも汚れた白銀の髪を上げた。
「カッコつけてんじゃねーぞー」
理作が可笑しくて堪らないといった感じだ。
なぜかマテオもまた笑いが込み上げてきてしょうがない。
「カッコつけで命を捨てるほど、僕はバカじゃない。ちゃんと意味はある」
ならよー、とした声は、すでに目の前にあった。
鬼の理作が腕を真上へ掲げられている。
ギラリ光った鉤爪が振り降ろされた。
マテオは最後の短剣を迎え打つ。
鬼の鉤爪と交錯すれば、鳴り響くは破砕音だ。
刃は銀の欠片となっていく。
短剣で防ぎきれなかったマテオへ、鉤爪が届く。吹き飛ばされる。
マテオ! と流花は呼ぶ相手を背中から受け止める。
勢い余って尻から落ちた。
再び名前を呼ぼうとした流花は手のひらの生温かい感触に口を閉じる。
流れが止まらないものが、何か。
確かめるまでもない。
背中からマテオを抱く腕へ、さらに力が込もっていく。
声を挙げて泣く寸前の流花と動かない血だらけのマテオへ、鬼どもは歩を進めていった。




