第4章:離れないー007ー
突如の闖入者は、にこやかに手を挙げてきた。
「ハァ〜イ、流花。ボス、お待たせー。マテオ、久しぶりあるね」
競泳水着を思わせる黒いスポーツウェアに身を包む美女は変わった喋り方をする。
まこちゃん! と叫んで流花は抱きついた。
流花を胸にして至極ご満悦な髪の長い美女に、マテオは驚きと少々の不審を混ぜた眼差しを向ける。
「おい、マコト。今までどうしていたんだよ」
「あれ〜、ボスから聞いてないね」
マテオはリーの保護先では寝込んでいる。今も逃亡で忙しい。
マコトについて話題するタイミングはなかった。
「取り敢えずマテオは流花を連れて、どっかいくね。ここはボスとまこちゃんに任せるがよろし」
さっさと行けとばかりにマコトの手先が追っ払うかのように、くいくいっと振ってくる。
マコトが来たならば、とマテオが思い直した横でである。
「……まこちゃん……血……」
身体を離した流花が手のひらに付いた緋色を目にしながら呟く。
「そんな心配しなくても大丈夫、だいじょうぶあるね。まこちゃんの身体は六四・七五パーセント機械だから、へっちゃらね」
いつも以上に明るいマコトの声だ。
「……うそ……」
マテオが、はっとするくらいの重く厳しい流花の声音だ。気になるくらいの気配を感じさせてくる。
だから決断し得たのかもしれない。
「じゃ、リーにマコト、この場は頼んだ。行くぞ、流花」
結論づけて、手を伸ばす。
掴んだと思ったら、振り払われた。
流花の、まさかの拒絶だった。
「なに考えてんだよ、おまえじゃなくて、流花」
怒ったような口調になってしまったマテオに、流花が大きく頭を振りながら叫ぶ。
「いい、もういいよ。流花はお祖父さんの言うことを聞いて『東』へ帰ります」
呆気に取られたマテオだが、正気に返るも即座だった。
「はぁ? 急になにを言いだすんだよ。あいつらの元へ行ったら、どんな目に遭うか、わかってんだろ」
「わかってるよ! 流花がこれ以上ここにいたら、みんな死んじゃうかもしれないくらい」
流花のいつになく溢れる激情に、マコトばかりでなくリーも息を呑んだ。
マテオだけが真っ向から返していく。
「死なねーよ。なにつまらない気を遣ってんだ、流花らしくないぞ。第一ここで帰したら、これまで頑張ってきた意味がなくなるんだよ。だから余計なこと考えなくていいから、僕と逃げるぞ」
再びその手を掴もうと腕を伸ばす。
ひらり、身をかわされた。
流花はマテオたちから後ずさっていく、離れていく。
「おまえじゃない、流花。バカ、やめろ」
「そうあるよ。いっちゃダメね」
マテオだけでなくマコトまでも珍しく焦燥が手に取るようだ。
流花の顔が泣き笑いを浮かべてくる。
「いいよ、こんな流花のために死にそうになっちゃいやだもん」
「だから、誰が死ぬってんだよ」
「マテオだよ、いっつも命懸けじゃん。お姉ちゃんの時だけじゃなくて、うれや新冶さんの時だって、そう。見ているしかできない流花はこれでさよならになるかもって、苦しかったんだよ」
言葉が出てこないマテオだ。
まさか流花がそんな想いで見守っていたなんて想像すらしてなかった。
代わりというわけではないだろうが、マコトがいつにない様子で問いかける。
「どうして、どうしてあるね。流花がいないなんて、まこちゃん、寂しいね。一緒にいるためなら、戦えるね。行っちゃったら会えなくなるよ。流花は寂しくならないのかね?」
そんなの……、と流花は言いかけて黙り、うつむく。
すぐに顔は上がったが、泣きも笑いも表情から消えていた。
「流花がまこちゃん、それに楓ちゃんと仲良くできたのは能力が通用しなかったからなんだ」
「能力って、なにあるね?」
「流花は人の感情を見られるんだ。けれど、まこちゃんと楓ちゃんは見えなかった。だからだよ、一緒にいたのは。だって相手の気持ちが分からなければ、気なんか遣わず、普通にしゃべれるもん」
それって流花……、と今度はマコトが途中で声を途切らせる番となった。
真っ直ぐ目を向けてくる流花が毅然と言い放つ。
「私は祁邑一族嫡流に当たる女として生まれた務めを果たします。貴方がたがこれ以上関わろうとするならば、妨害行為として『東』の能力者たちに排除を頼みます」
それにマテオが反駁を挙げようとした矢先である。
よく言った! とする声が路地中に轟く。
発声主が居並ぶ鬼へ変身可能とする男たちを掻き分けて出てくる。
傲岸不遜な上からの目つきと小太りな体型を特徴とする人物だ。確か、理作という名前だったとマテオを記憶する。
顔中に笑みを湛えた理作は、ずんずん向かってくる。
背後にはべったり頭に貼り付いたような髪型の若狭と、この中では比較的大柄な友治が従う。
いずれも祁邑姓であり、逢魔街へやって来た鬼どもの中心的役割を担っているようなのは、刃を交えた際にはっきりしている。
理作が、流花の肩を叩ける位置まで近づけばである。
「ようやく祁邑本家の次女として自覚が生まれたみたいだな。きちんと子々孫々まで繋ぐ血筋を数多く残す行為に勤しんでくれれば、俺たちは本家の御息女を守る騎士としての役目に準ずるぜ」
鼻につく言い回しは、相手を煽る意図があったのかもしれない。
それを十分に承知しながらも、マテオは不快を超えた感情が抑えきれない。
腰元に差した短剣の柄へ手を伸ばしつつ、能力発現の態勢へ入る。
このまま流花を渡す気には、どうしてもなれなかった。