第2章:苦心の逃避行ー010ー
琉路が率いるカブキ団と鬼どもの喧騒を遠くするまで来た所であった。
マテオは気がついた。
はめられた、と。
人気が途絶えた公園を横切っていく先ばかりでなく後ろも左右もだ。
男たちがいる。身を潜めるため、鬼へ変身する能力を控えた連中に違いなかった。
「残念だったなぁ〜」
前を塞ぐ連中のうち、小太りが嘲るように言ってくる。
こいつら……、とマテオは後が続かない声を洩らさずにいられない。
カブキ団の加勢が届かない地点で待っていたのだ。
包囲するに格好な場所で、と念には念の入れようだ。
マテオは歯を喰いしばって肩から離れて立つ。
流花を背にして、短剣を手にした。
「まともに発現できる状態じゃないくらい、わかってるんだ。もう諦めて、おとなしく次女を渡しな」
「それはどうかな。できるか出来ないか、試してみようか」
マテオの答えは無論はったりである。立っているだけで精一杯だ。だからこそ警戒を過剰にさせて隙を生ませたい。
現状は、そこまで追い込まれていた。
小太りの、確か理作という男が傲岸な顔つきと口調で相対してくる。
「おまえ、マテオ・ウォーカーだな。能力は『速いだけ』と調べはついているんだぜ」
マテオと流花は一分の隙がないほど男たちに取り囲まれていた。
抜かりがない陣形が敷かれている。
だけど……、とマテオは一縷の望みを見出していた。
まだ連中は鬼になっていない。能力を発現で変身する最中は、僅かな間とはいえ、動きが止まる。
能力の『瞬速』を発現できないわけではない。
流花を抱え、相手の肩を蹴飛ばして、囲いの越える形で突破しよう。そう算段を付けたマテオは対峙する連中の動向へ意識を集中させる。
神経を研ぎ澄ましていたため、気づけた。
空気を裂く微かな音を捉えれば、条件反射だ。
身を翻し、流花をかばう。
ぐっと苦鳴を吐くマテオの左腿に矢が突き刺されば、右膝が折れていく。
もはや立つことも叶わない。
マテオ! と屈む流花に、「大丈夫だ」と信憑性のない返事をしてから白銀の髪を抱く顔を毅然と上げた。
「おまえたち、なぜだ。なぜ、流花を狙った。大事じゃないのか」
マテオの火を噴くような問いに、背の方向となった理作が応じる。
「もちろん大事さ。能力が濃い子孫を残せる本家筋の女だからな。つまりよ、ガキを産むために必要な部分以外はいらねー、となるわな。逃げるための足なんて潰してかまわねーわけよ」
本性が露わになっていく喋りが、マテオの耳へ届けられた。ならば膝を地へ着けない。気迫を灰色の瞳に漲らせて、腿に矢を突き立てまま立ち上がっていく。
リーダー格と思しき小太りの理作へ向き直った。
「そんなおまえたちだから、流花たちは逃げるしかなかったんだろ。花嫁だなんだ言って、ムリヤリ人生を奪うだけの話しじゃないか。僕にすれば、そういうのが一番許せない」
まだ五歳の時、両親に姉のアイラと対で売られた。
能力所持を条件とする人身売買だ。しかもより優れた者とするセールスポイントを付与するため殺し合いをさせられた。
力なき立場にある者が特定の勝手な思惑で人生を弄ばれる。
マテオが最も嫌う行為であり、現在を形作った原点だ。
内に燃えたぎる感情が伸びないはずの膝を起こした。
だが、そこまでだ。
マテオは体勢を崩した。
立って相手に向かうとする気持ちを身体が支えられない。
いち早く察知した流花が腕を伸ばさなければ両膝は落ちていた。
理作が嘲笑を高く響かせた。
「なんだ、息巻いたわりには無様だな。次女の前でカッコつけたかったのかも知れねーが、所詮は所詮よ。俺たちの強さには敵わねーくせに、そんな身体じゃな。素直に渡しな。そうすりゃー、命だけは助けてやる」
「命乞いする場面くらい、きちんと判断できるさ。だからおまえたちに今したところで、一生後悔するようになることは想像が付く。それに僕はまだ動ける」
マテオの心が全く折れていない様子に、相対する男たちの間には軽く目を見開く者もいる。
理作は不遜な目つきと歪めた口許を変えていない。
「やたら粋がるは、ガキの証拠だな。さっさとベソかいて逃げたほうがいいぞ。でないと、マテオといったか。オマエの大好きな女が犯されているところを見る羽目になるんだぜ」
マテオは掴まれた腕に強い力と震えを感じた。動揺する流花の心象が、むしろ冷静さを呼ぶ。
「僕は花嫁なんて言葉を使っているから、多少の形上は守るものだと思ってた。まさかここまでとはね。いいのか、公園で女を襲うなんて犯罪だぞ」
「俺たちで扱えそうなのは、もう次女しかいねーからな。翁から帰国するしかなくなるほど、辱めておけというお墨付きをいただいているんだぜ」
「いや、僕が言いたいのは、お前たち鬼の事情じゃない。立派な犯罪だぞ、といった点を理解しているかどうか訊いているんだ」
マテオとして相手が多少は気にして怯んでくれれば、と願う。
しかしそこまで敵は甘くなく、思惑通りに運ばない。
「たかだか公園の騒ぎで、血相を変えて飛んでくる公僕なんていねーよ。仮に通報されたって、能力者同士のいざこざとすれば誤魔化しが効くしな。だいたいよぉ、こんな所に他人が来るかよ」
理作の言に、マテオは内心で舌打ちする思いだ。さすが罠に嵌めてくるだけはある。
こうなったら二度と立てなくなろうとも能力を発現するしかない。囲いの一点突破を狙って、相打ち覚悟でやる。
ただし問題は……。
「いいな、流花。いざとなったら一人で行くんだぞ」
「やだ」
マテオがそっとする耳打ちを、流花は即座に拒否である。
おまえなー、と文句を付けたいが、相手に動きがあった。
「面倒だ、やっちまうぞ」
理作の号令に囲む男たちが一斉に前のめりへなる。
流花の身体を引き寄せたマテオは手にする短剣を強く握り直す。
その時だった。
ケタケタケタケタ!
拍子木を打ち鳴らすような乾いた笑いの音が夜陰に木霊する。
誰だ、と理作が追う視線に誰もが倣う。
マテオや流花でさえもだ。
ここにいる全員は見た。
闇にひしめく白黒仮面の群れを。
うち一つが、ついと前へ出てきた。
「能力者抹殺を生きがいとしてきた自分が、まさかキミを助けるために命を懸けなければならなくなる日がくるなんて、夢にも思っていなかったよ。運命とはおもしろく廻るものだね」
苦笑を混じりな語り口だが、声質は少年と目せる若さだ。
そしてそれはマテオが知る声でもあった。