第2章:苦心の逃避行ー008ー
静かな夜だった。
後に思えば、静かすぎた。
マテオたちが身を潜めるビルの一室は裏通りとはいえ、繁華街に面している。
深更へ差し掛かろうとも、全く物音が絶えるものではない。
普段のマテオなら異常と察したはずだ。
昼間に瞬速の能力を発現したのは久々だった。
口にしないが肉体へのダメージは予想以上にきていた。
いつもなら流花に譲っているだろうベッドへ横たわれば、眠りの底に沈むまで時間はかからない。睡眠中でも働く神経は今晩に限り鈍っていた。
マテオ、と流花に揺さぶられなければ目を醒ませなかった。
どうした、と白銀の髪を上げかける。
乱暴に部屋のドアが開けられた。着物のような格好をした『カブキ団』頭領の琉路が入って来るなりである。
「おいっ、起きろ。やつらに囲まれている」
琉路が『やつら』と口にする相手が、流花を付け狙う鬼どもと確認するまでもない。
目覚めた瞬間から意識全開とする生活を送ってきたマテオだ。
だから琉路の見せた変化には、すぐに気づいた。
「どうしたんですか、頭領。妙に神妙な顔をして」
「いやー、お前たち、デキてたんだな」
一緒の部屋にいれば当然か、などと付け加えている。
マテオからすれば、ナニ呑気なことを、といった具合である。
「そんなことより、頭領。鬼はどんな感じですか」
そうだそうだと琉路は窓際に寄り、そっとカーテンの隙間から外を窺う。
「すっかり取り囲まれているな。乗り込んでくるのも時間の問題だ。だが……」
にやり、カブキ団の頭領は笑う。
「今は、逢魔ヶ刻じゃない。やつらに暴れ放題なんて簡単できないことを教えてやるか」
「でも能力者同士だから、難しくないですか」
能力とする個々によって種類も力量も見分けられない得体の知れないものを抱えた者同士の抗争に、法は効力を発揮し得ないとする判断が下されている。一般人に対した場合に限って理由如何なく厳罰を以て処罰の対象とする。
それはこの国だけではない、世界の理となっていた。
「俺たち『カブキ団』へ入るのに能力を持とうが持つまいが関係ないぜ」
笑いかけてくる琉路に、マテオは得心する。
能力者である鬼に対し、どうやらカブキ団は能力者と一般人の混成部隊らしい。例え乱暴狼藉を働く相手でも一般人であれば能力者は一方的な処断を受ける。
社会問題へ持っていかれたら、逢魔街へ押し寄せてきた鬼どもは行動が難しくなる。少なくとも逢魔ヶ刻以外の時間帯は以前のようにはいかなくなるだろう。
琉路はさらに言葉を続ける。
「やつら、けっこう評判が悪いからな。金払いが良くなかったら、出禁にしたいとする店はかなりあるくらいだ。俺らの仲間に一般人がいると教えてやれば、やつらも好きに力を発揮とはいかないだろうよ」
さっすがー頭領ー、と流花が能天気に褒めそやせば、「そっかー」と琉路が照れたように頭をかいた。
「行くぞ、流花」
マテオだけはむしろ冷たい感じだ。
う、うん……、と返事する流花は戸惑いを隠せない。「どこ行くの?」と訊いても返事はない。
無言のマテオは流花の腕を取った。
ふっと琉路は口許に笑みを浮かべて訊く。
「マテオは、俺を疑っているのか」
「別に頭領自身だと思ってはいない。けれど仲間のうちに密告した者がいたとしてもおかしくないと僕は考える」
「それで行き先を告げずに出ていこうとするくらいだから、俺も含めているんだろう」
「万が一を踏まえては、この世界で生きていくうえで鉄則ですから」
マテオの気を許さないとする返答に、琉路はなにやら嬉しそうにうなずいた。
「それくらいでないとな。変に甘ちゃんだったら、例えアイラさんの弟でも、今後の付き合いは控えさせてもらうところだった」
「満足していただけましたか」
「ああ、だから正直に打ち明ければ、うちの誰かが鬼に売ったことは間違い。俺の下に来るなんて、社会のはみ出し者しかいないからな。おおかた金額に釣られたのだろう。だから責任は取る」
琉路が力強く締めれば、マテオだけでなく流花まで顔を向ける。
「これから出来るだけ派手に、鬼どもと絡んでやる。少しでも多くの相手を長く気を集めるようやってみる。いざとなったら戦闘だって辞さないつもりだ」
マテオは甘いと自覚しつつである。
お願いします、と頭を下げた。
「おうよ、任せておけ」
一見して解るほど機嫌が良くなった琉路だ。口も滑らかに続ける。
「アイラさんの弟に裏切るヤツだと思われたくないからな。俺のこの想いは本物だと言うことは疑って欲しくないわけだ」
マテオは、気にしてたんじゃないかと内心で苦笑してしまう。
実際に琉路は建物からすぐ出た道端で派手にやってくれた。
屋根伝いの逃亡ルートを模索して屋上にいるマテオたちまでがなり声が届くほどだ。
出てきた鬼と揉めるような様子が伝わってくれば、有り難い限りである。
今のうちとマテオは流花の腰を抱く。
隣家の屋根くらいは大丈夫だろうと、能力をもって飛び移る。
目的とするところまでは行けた。
問題は着地した足がもつれてしまったことだ。
周囲にいる誰もが気づくほど、派手な音を立てて転げ落ちてしまった。