第2章:苦心の逃避行ー007ー
助かった、とするには身の危険を感じずにいられない。
マテオと流花が連れて来られた一室は、ぼろいながら手入れが行き届いていた。清潔感があり、くつろいで腰掛けられるベッドも用意されている。
問題とする点は環境でなく人物だ。
「よぉー、どうだ、気に入ったか」
勢いよくドアを開け尋ねてきた男が、その問題点だった。
流花を逃すため独り打って出ようとしたマテオの肩を押さえた相手だ。まだはえーよ、と押し留めては、肩を貸して裏道のさらに奥へ向かう。
追手の鬼を巻けたのも、偏に彼のおかげである。
しかも匿う場所まで提供ときた。
何から何まで感謝したいところだが、マテオとしてはそう単純にはいかない。なぜなら……。
「いやー、もう、あのアイラさんの弟君を助けられるなんてな。これは、いいぞ!」
なにが、いいぞ! なのか訊きたいマテオである。
いちおう礼を述べる相手の名は『鷹野琉路』逢魔街に結成された数ある自警団のうちの一つ『カブキ団』のリーダーである。
傷だらけが却って端正な顔立ちを際立たせているような青年で、派手な着物のような格好だ。どうやら古来の傾奇者をイメージしたらしく、己が率いる自警団の名づけまで及んだらしい。
いかにも荒くれ者といった琉路だが、気風がいい男には違いない。マテオだって好感が持てるタイプだと認めている。姉の件がなければ、だ。
「アイラさんの弟君。いやいや待て待て、いつか本当の弟になるわけだから、早めに他人行儀は止めておこうか。もう『マテオ』と呼び捨ててもいいか?」
「……ええ、別にけっこうです」
「じゃ、俺のことは『琉路お兄さん』と。いや待てーい、名前を付けるなんて他人行儀するだろ。どうだ、マテオ。もう『兄さん』と呼んで構わないぞ」
「それは早すぎます」
早すぎるどころか永遠に呼ぶことはないだろうと思うが、マテオも救われた恩義がある。ここは角が立たないよう多少の配慮をした。
あははは、とマテオの前に立つ流花が笑いだす。
「実はおもしろい人だったんだね、頭領さん」
おまえな〜、と呆れるマテオであるが、笑われた当人は喜色全開だ。
「嬉しいねー、そう言ってもらえると。俺のほうもあんまりにも美しいんでイケ好かない女かと思っていたんだが。いやなになに、いい娘じゃないか」
同意しかねるマテオだったから、「ところで頭領」と話題を変えた。
「本当に僕たちを匿っていいんですか。危険な立場へ追い込まれるかもしれませんよ」
「待て待て、マテオ。兄さんとまでいかなくても、せめて名前でくるところだろう」
勝手に弟と目して、呼ばれないショックを受ける琉路もさることながらだ。
「待て待てマテオーって、おもしろいね」
流花が変な部分で賞賛するから、琉路が気を持ち直しても話しの本質へ向かわない。
見どころのある美女じゃねーか、と始めた琉路に、「流花は人を見る目が確かなのです」と返せば、意気投合とばかりに雑談を交わし始めた。
マテオとしては、もう無理に会話へ割り込む気力はない。瑚華処方の薬で痛みは抑えこんだものの、身体は気怠く立ち上がる気にもなれない。
しばらく放ったらかしで二人の言葉を耳にする。
そろそろ休みたいな、と思う矢先だ。
ところでマテオよ、と琉路が振ってくる。
マテオが顔を向ければだ。
「助けた代わりといっては、なんだが。そろそろお願いしたもの、何枚か欲しいんだが」
琉路と出会うきっかけは、姉のアイラが暴れたことにある。
アイラが内面に巣食う殺人嗜好によって、逢魔街の逢魔ヶ刻という無法が許される世界に触発されてしまった出来事があった。
いくら殺人が法で取り締まれないとしても、住む者からすれば堪らない。そんな事情のおかげで成り立つ職業『自警団』である。人殺しの享楽を耽る者を成敗するため、『カブキ団』は向かっていった。
そうして頭領である琉路は、アイラを目にすることとなる。
「美しい、と思ったよ。見た目もそうだが、何よりも発する雰囲気というか、極上とはまさにアイラさんを指すものだと、心からそう思った瞬間だった」
恍惚として初対面の思い出語りをする琉路に、「へぇ〜」と感慨を受けたような流花だ。
肝心のマテオと言えば、複雑だ。
別に姉へ好意を抱くのは構わない。
相手が琉路だと、弟として寂しいとする気持ちも起こらない。
問題とする点は、だ。
殺人に興じて血だらけの姉を、極上とする感覚がはっきり言ってドン引く。
イカれた姉さんが好きだとされてもなー、といったところである。
しかもマテオと初めての遭遇において、琉路は思い切り疑ってきた。
マテオをアイラだと決めてかかってきたのだ。
最初は見分けも付かなかったくせに、と助け出された身でなければ言ってしまいそうだ。
これまで何度か顔を合わせる機会があれば、必ずアイラの写真を所望された。僕の写真でも送ってやろうか、と考えもしたが、取り敢えず姉の許可を得てからと断ってきた。
するとマテオでも姉の代わりとして見られる、と誘われたこともあった。
流花の前ではアイラ一筋みたいな琉路だが、状況が許せばどう行動に出るか知れたものじゃない。男女関係なくいける者は多数見てきている。しかもまずいことにマテオの調子が思わしくない。
鬼とはまた違った身の危険があると考える次第である。
だが流花と一緒にいれば大丈夫だろう。
ともかく今のマテオには時間が必要だった。
身体をなるべく長く休めるべきなのだが、事態はそう簡単に許してくれない。
一度引き上げたはずの琉路が、数時間後に再び部屋へやって来た。




