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彼女はチート!ー白銀の逢魔街綺譚ー  作者: ふみんのゆめ
第3部 彼女がチート篇
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第1章:ある被検体の記憶【エピソード楓】ー005ー

 跳ねた水音が、地下道で反響する。


 ずいぶん用意周到だったんだな、と(かえで)は感心と嬉しさが込み上げてくる。

 ずっと自分を逃そうと準備してくれていた人がいた。それが嬉しい。


 海の先にある工場の灯りが揺らいで見えてくる。脱出口の手前まで来た。


「ここまで来れば、もう大丈夫ですね」


 頭にくくり付けた懐中電灯が妙に馴染んでいるアーロンが前方を見遣る。

 つかみっ放しだった手が解かれた。

 楓に別れの時間が迫っていることを実感させてくる。


「アーロン、ありがとう。うん、やっぱりあたし、こんな身体になっても変なことされるのヤダった」

「そうでしょう。事情が複雑だからといって、楓さんの意を無視して穢そうなど許されません。それにこんな身体と仰いますが、これから一人でも生活していける逞しい能力を有しているとも言えます」

「……アーロンは逃げないの」


 一瞬の沈黙が落ちた後だ。


「私は戻ってやらなければいけないことがあります。スパイとして入った手前、研究に手を貸すほかなかった。とはいえ、やはり黙って見過ごしてはいけなかったと今になって思う次第です。だからこの手で始末をつけなければなりません」

「一緒には行ってくれないんだ」


 つい洩らしてから楓は、はっとする。

 暗がりでも見通せるようになった目で、アーロンの表情を認めたせいだ。

 複雑な事情を抱えているのは彼も同じと判明する表情をしていた。


「楓さんとそのご家族について調べてあります」


 アーロンが楓の手を握る必要がなくなったせいか、頭の電灯を外しながら続ける。


昔宮(せきみや)博士が研究に没頭する契機は、一昨年に息子さんが殺害されたせいですよね」


 楓は力なくうなづいた。

 弟の伸治(のぶはる)が元気いっぱいだった姿は、現在でも目に浮かぶ。

 やんちゃで、周りにいる者に笑いを絶えさせない男の子だった。

 それが殺された。

 場所は、選りによって学校だ。射殺であった。

 しかも校外からの侵入者ではなく、教師による乱射によってである。


 父の昔宮博士は責を自分へ向けた。

 研究のために、この国で最も危険と隣り合わせとされる『逢魔街(おうまがい)』へ来たことが起因だ。

 それからまるで人が変わってしまった。

 死がなければ、こんな悲しみは味合わなかった。

 そう結論づけて成果を求めるあまり形振り構わない行動は研究所内で問題視された。

 それでも止める気もなく、遂に自宅へ研究室を設ける。

 挙句に母を道連れで我が身を滅ぼした。


「……バカだよね、ホント、お父さんって」


 涙が溢れなくなった楓でも泣き声は出せる。

 アーロンが軽く頭を振った。


「私も息子を亡くしています」


 えっ? と顔を向けた楓に説明を加えていく。


「今でも考えてしまいます。なぜ三歳という早さで逝かねばならなかったのか。なぜ私はもっと手を尽くさなかったのか。仮に悪魔へ魂を売るようなことになっても、とことん助かる手立てを求めるべきではなかったか」

「……でも、ダメだよ。人体実験なんて。だってあそこには伸治くらいの子供もいたし」


 失敗サンプルとして思考を無くした生者が集う部屋には、幼い子供が幾人もいた。

 アーロンがさざ波を思わせる声で伝えてくる。


「あそこにいた子供たちは助からないとされた患者たちです。昔宮博士の実験体とならなければ、既に亡くなっていたに違いありません」


 軽くなっていく心持ちが隠せない楓だ。

 初めてアーロンの口許が緩む。


「楓さんのそんな顔を見られて、計画を実行した甲斐があったというものです」

「どうしてアーロンは、あたしを助けようなんて計画を立てたの」

「それは意志を認めたからです」


 ん? と小首を傾げる楓へ、こちらも表情が豊かになったアーロンだ。


「楓さんの諦めきったようで、垣間見せる抗う意志には私こそ勇気づけられました。たださすがにこの頃は参りかけているようであれば、まだ間に合ううちにと急いだわけです。それと……」


 それと? と楓が鸚鵡返しすればである。

 アーロンが苦り切って言う。


「ともかく現在の任務を終わらせたかった。私はスパイに向いていない」


 思わず口を押さえてしまうほど、楓には可笑しい。


「さぁ、楓さん」


 呼ぶアーロンは地下水道の終わりを示す楕円に切り取られた外の風景を指差す。


「ここからは貴女(あなた)独りで行くのです。研究成果を求めるあまりの巻き添えで辛い身上となってしまいました。ですが無敵と言える状態になったことも事実です。日々を送ることで解決策が訪れるかもしれません。だから絶望しないでください」


 うん、と楓は返した。

 冷たいのは重々承知しながらも両手でアーロンの手を包んだ。


「ありがとう。あたしがあたしでいられるのは、アーロンが助けてくれたからだってことを忘れないで」

「はい、そのためにも楓さんの存在を知らせるデータを世間に出すわけにいきません」


 楓の離れた手が、明るく振られてくる。

 別れの仕草を取るアーロンの顔は晴れ晴れとしていた。

 初めて見せた表情だった。

 それから背を向けたアーロンは元の方向へ戻っていく。

 地下水道の奥を示す闇へ姿を消した。


 楓もまた外を目指し、足元の水を跳ねながら急ぐ。

 脱出口となる地下水道の縁に立てば、久方ぶり目にした外景が心を踊らせる。

 にも関わらずだ。

 楓は外の世界に通じる海へ飛び込まない。

 逃げてきたはずの方向へ取って返した。

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