第9章:逢魔街の大厄災日ー010ー
大騒ぎは『神々の黄昏の会』の三人組が担当した。
うげげぇー、と莉音が美人を台無しにする品の無さだ。
マジか、と緋人は慄き、「マジだ」と冷静な冷鵞だが冷や汗は浮かべている。
どうすんのー! やべーぞー! 落ち着けー!
三人の叫び声を横に、マテオはじっと見つめた。
相手は百メートルはあろうかとする巨躯だ。高層ビルと肩を並べる肉体を支える脚は踏めば地面を割る。足を上げられたら、逃げるしかない。
瞬速の能力で連れていける者は一人だ。
瑚華か道輝か。
決断を迫られる状況であったが、マテオの頭には想い出が過ぎていた。
冴闇ビルの屋上で、独り泣いていた。涙を振り切り浮かべた笑顔は素敵だ。隠れて聴いた鼻歌は今でも胸を暖かくする。
ざんばら髪から生えるツノ。らんらんと光る眼。どんなものでも食いちぎりそうな乱杭歯を備えた大きな口。
破壊衝動に従う恐ろしい鬼の形相に違いない。
それでもマテオは陽乃の面影を見ていた。
逃げるより、相手を傷つけられないと思った。
視線が合ったと感じた瞬間に、なぜだろう。
巨鬼は背を向ける、向きを変えて去っていく。
陽乃さん……、とマテオが呟くなか、莉音が能天気に上げてきた。
「あら、逃げていくわよー」
お前が派手に雷を落とすから来たんだろ! と我慢ならんとばかりに文句を付ける緋人だ。なによー、と莉音が返せば、言い合いが始まっていく。間に冷鵞が入るものの、三人寄れば姦しい限りだ。
「なに騒いでいるのですか、貴方たちは。まったくしょうがないですね」
いきなり降って湧いてきた声の主は、白いスーツに赤ネクタイの男だ。
莉音が、かちんとこないはずがない。
「今頃のこのこやって来て、なに偉そうに言ってんのよ。新冶こそ、今までナニしてたわけ?」
「夕夜さんの頼まれごとですよ。それよりも我々は『神々の黄昏の会』に所属する者です、この街の未来を導く神として位置する立場にあります。それが何ですか、敵が去ってくれて喜ぶなどして。本来ならこれ以上の被害が出ないよう、我が身を顧みず引きつける役目ではありませんか」
クールな出立ちとはおよそかけ離れた熱弁を振るう『光』の能力者である。
反抗の色が浮かぶものの一理を認めざる得ない莉音と緋人と冷鵞の三人組だ。うぐぐっとなったところへであった。
へぇ〜、といった感じでマテオが『神々の黄昏の会』が交わす会話に割り込んでいく。
「おっさんって、口うるさいタイプだったんだね。なんだっけなー、そうそう、小姑みたいって言う喩えでいいのかな?」
「あんた、いいこと言うじゃない。新冶ってさー、年上を嵩に懸けて、説教ばかりしたがるのよ。イヤよね、ホント、ジジィーは」
我が意を得たりとばかりに莉音が口悪く乗っかってくる。
当然ながら新冶がおとなしく聞くだけなはずはない。
「三十すぎてますから、おっさんは解るものの、ジジィーは表現として飛躍しすぎです。こうるさい小姑とするなら仕方がないですが、老人の説教とされるなんて我慢がなりません」
どうやらマテオの表現は許容できるが、莉音の方は受け入れ難いらしい。
はぁ〜、となったマテオはつくづく思う。
まったくこの人たちは、つまり『神々の黄昏の会』のメンバーは変わり者などという表現では生ぬるい、まさしく変人の集まりではないか。任せていたら火急の状況下なのに話しが進まない。
「ところで冴闇夕夜は、どうしたんですか?」
「夕夜さんなら、鬼の破壊から周囲の人々が負傷しないよう『風』を使ってますよ。私もまた彼の言うに従って崩れ落ちる瓦礫から人々を守る方へ廻ってます。ここへ来たのも、吹き飛ばされた瓦礫を追ってですから」
新冶が癖なのか、赤いネクタイの結び目に手をかけ整えている。
「でも、もう大丈夫よ」
なぜか解らないものの莉音が威勢よく太鼓判を押してきた。
うんうんと頷く緋人と、胸の前で腕を組んだ冷鵞が続く。
「もうそろそろいい頃合いだな」
「ああ、特に今日の夕焼けは、いい具合の紅だ」
マテオにすれば、三人が何を言っているのか不明だ。
けれども問い質すより先に、新冶の苦りきった声が上がった。
「そんな簡単にいきますかね」
「なにー、新冶。夕夜のチカラを疑うわけぇー。この街でこの刻なら、間違いなく夕夜は世界最強の能力者だから」
えっへんと我が事のように胸を張る莉音に、ふっと息を吐く新冶だ。
「私だって夕夜さんなら、そろそろだろうと思います。たぶん、いえきっと強大な鬼であっても倒す精強な風を起こせるでしょう。けれど……」
「けれど、なによ」
「相手は、祁邑陽乃です」
硬い沈黙が落ちた。
今までと打って変わり余裕がかき消えた莉音だ。だが、それも一瞬だった。
「やーねー、現実を見れば解るでしょう。確かにあの女だったかもしれないけれど、あんな姿よ、あれが本当の姿かもしれないのよ。怪物じゃない、あれが本性かもしれないじゃない。あれを見たらさすがに夕夜でも……」
「僕には陽乃さんとしか見えない。姿が変わっても」
考えるまでもなくマテオは言っていた。そう、無意識のうちに吐露していた。
軽く首を振った新冶が、陽乃の変身体である巨獣のごとき鬼へ視線を向ける。
「巨大な鬼となった祁邑陽乃を止めようとしていた私の所へやって来た夕夜さんが、祁邑陽乃のために避難している人たちの安全を守るよう手を貸して欲しいと言ってきたのです」
ウソ、あの夕夜が……、と莉音が信じられないとばかり呟く。
「私も驚きました。あの、生命など何とも思わないはずの夕夜さんの言葉と俄には信じられなかったです。我々ではおよそ想像がつかない変化を彼女がもたらしていたことは、疑いようもない事実です」
新冶の告げる内容が、マテオには自分のことのように誇らしい。さすがの陽乃さんである。
と、同時だ。
ズキンっとマテオの胸が音を立てる。自身でも訳わからない心の疼きを覚えた。
「ところで貴方は道輝や甘露医師と、なんでこんな所にいるのですか」
新冶の聞き方が相変わらず気取ってるな〜と思いつつマテオは、簡単にここまでの経緯を話した。
「なるほど、麻酔弾とは現状において最優先すべき策ですね。マテオ、まだやれそうですか」
答える前に肩を竦めるマテオだ。
新冶とは、つい先日において命のやり取りまでへ発展した間柄だ。それがまるで旧知の部下に対するような偉そうな口調ではないか。莉音の不平が頷けるというものである。
ともかく感情は傍に置いて、肝心な点を口にした。
「僕は言われなくてもやるつもりだったんですけど。だけどほら、麻酔弾を込めたランチャーがなぁ〜」
マテオは指差す。
道輝を押し潰さんとしていた瓦礫の山は跡形もない。能力による『雷』が更地としていた。おかげで救助は叶ったが、コンクリや鉄骨の破材と一緒に埋もれていたジープもまた車内物と共に粉微塵になっていた。
なんてことを……、と新冶が頭が痛いとばかり手を額に当てている。
「そういうことは早く言ってくれるぅー」
動揺を隠せない莉音が、マテオへ責任転嫁といった具合だ。
いろいろ言ってやりたい気分になるが、現在はそれどころではない。
あっ! と道輝の頭を抱く瑚華が、突然に発した驚愕の声もある。
マテオは声に釣られる形で瑚華の視線上を追った。
上空を波乗りの体勢で飛んでくる黒衣の青年がマテオの灰色の瞳に映る。
風に乗って冴闇夕夜が飛んでくる。
頭上を横切っていく。
歩む巨獣へ向かっていく。
陽乃が変身した巨鬼の進行方向へ立ち塞がった。




