神器開放
2人は森の中にいた。深く暗く人の手が行き届いていない森。足場のない中、どうにかけもの道を見つけ、何度も転びそうになりながら進んでいく。
「これ、どこまで行くんだ」息が上がりながら伊織はたずねた。
「もうすぐ山道に出るから頑張って」この道なき道でも、ヨモは息一つ上がっておらず、にこやかに笑っている。
「、、、本当に人間か」伊織は心の声を漏らした。
「、、、ねえ、聞こえてる」むすっとしたヨモはそれはそれでかわいらしかった。
ヨモと伊織は何げない会話をしながら、しばらく草をかき分けて進んでいると、ようやく開けた道に出た。
「やっと道に出たか」安どのため息をつく伊織。
「おつかれさま」こっちに手を差し伸べてきたヨモの手を取り、伊織が体勢を整えると、
「おやおや、こんなところでお熱いことで」声の主を探すと、道の反対側の石に腰を掛け、えらく姿勢の悪い格好でこちらを見ている細め目の男がいた。
「きみらこの辺の子ぉ?」ぬっと立ち上がったその男は2メートル近くある大男で、それでいてやせ型、はだけた着物からは薄っぺらい胸板が見えており、こちらに向けてくる笑顔にはまったく感情がこもっていなかった。女と見間違えるほどの黒の長髪を揺らしながら、近づいてくる男からは敵意は感じられなかったが、その手は常に腰にさした日本刀にかかっていた。
「いや、この辺というか、、この辺じゃないというか、、」答えに迷って、なんとも歯切れの悪い回答をした伊織を遮るように、「旅のものです」と全く崩れない笑顔を向けるヨモ。
「旅?そうかぁ。」男は向けられた笑顔に顔色一つ変えずに、答えたかと思うと、一瞬でヨモののど元に刃を置いた。ふわりと落ちる男の長い髪と音だけが遅れてきた。
「その軽装で、旅はあかんよぉ。嘘ってわかる。怪しいねぇ、君たち。」伊織は一瞬の出来事に全く動くことができなかったが、切っ先を向けられているヨモは「んー、ばれちゃったかあ」と笑っていた。
「ちょっと、嘘をついたのは謝ります。でも、怪しいものじゃないんです。」伊織はヨモと男の間に割って入った。
すると男はフッと笑い「君たち、勇気あるねんなぁ。今回はまあ、見逃したる。また会えそおやしなぁ。」そして、ゆっくりと刀を引き、後ろを振り返り山道を進んでいく。
「そや、きみ。あー、男の子の方なぁ。名前なんていうん。」振り返り、男はたずねてきた。
「あ、えっと伊織です。出雲伊織。」あっけにとられた伊織はふと答えた。
「へえ、、」男は笑い、着物に腕を突っ込み、紙を取り出し、持ち運び用に加工の施された筆で、何やら名前を書きだした。そして、その紙を放り投げ、剣で真っ二つに切り裂いた。
「なにを、、、」伊織が声を発したところで、体が熱くなるのを感じた。
ふと、自分に目をやると、ゆっくりと胸のあたりから、赤く染まっていく着物が見えた。
「え、、、」頭が真っ白になった。血?切られた?どうやって?思考がまとまらない。叫び声をあげそうになった時、ヨモが手を握ってきた。
「大丈夫、切られたのは真名じゃない。あなたは大丈夫。」しっかりとした声に伊織は我を取り戻し、なぜだかその声にあてられ、冷静になった伊織は、自分では考えつかなかっただろう行動に出た。
「ほぉ、、切られたんに、しっかり構えるのは立派やなぁ。」細めの大男は満足そうに笑ったが、その笑みはすぐに消え、次の言葉をつなぐ。
「きみ。なんで無事なん?名前切ったんに立っとったやつは初めてや。それに、えらい傷浅いやんか。切れたゆうことは、名前は間違っとらんよなぁ。」不思議そうにこちらを見つめ、そして、男は再び筆を執り、静かにつぶやいた。
「神器開放―森羅万象―」
男の持つ筆が急に光り、脇差ほどの大きさとなった。そして、男は空に筆を走らせる。【切る】その字が光を帯びて、浮かび上がり男はこちらに向け、少し筆を振った。
「危ないっ」ヨモの緊張感のある声とともに、伊織は無意識に矛を振った。すると、切るという文字は矛に当たり、軌道を変え、木に張り付いた。すると、轟音とともに、文字通り大木は切れた。
「な、、、」伊織は驚きの声を上げたが、それは男も同様であったようだ。
「つくづく不思議な子やなぁ。文字はねのけられたんも、初めてや。きみ、ほんまなにもんなん?」うっすら目開けた細目の男はもう笑っていなかった。
「伊織、ここは私に任せて。」男の質問を遮り、ヨモが一歩前に足を踏み出す。
「お嬢さんはさがっときぃ。聞いてないねん。今はきみには。」男は手であしらうようなしぐさを見せた。
「まだ、伊織にはこの世界のこと教えてないんだから、乱暴な真似はやめていただける?」余裕のある笑みを浮かべ、彼女は巫女の装束に結び付けた儀式用の鈴を取り出した。
そして、静かに両手で胸の高さまで持ち上げ、大きく息を吸い込み、目を閉じた。
「神器開放―神隠し―」彼女は静かでいて、それでいて深く響く声でつぶやいた。
シャンと聞き覚えのある鈴の音が響いた。