―すべてのものには神が宿ってる―
――八百万の神――日本という国には古来より神道に由来し、すべてのものに神が宿るという信仰がある。
噴火、雷、嵐などの自然災害から、歴史に名を残す偉人、はたまた身近な日用品やがらくたのようなものにさえ、神は宿る。
いつからだろう私たちがそんな神様たちの名を忘れてしまったのは、、、
いつからだろう私たちがそんな神様たちの存在を気に留めなくなったのは、、、
科学の進んだこの世界ではそんな神たちは、もういないのかもしれない。
そんな今の日本では無宗教だといわれてしまうほど、人々の信仰心は消え去っている。
これはそんな今の世の中に住むある男の子が一人の巫女との出会いを通じて、科学の発展しなかった、、、
そう、、神様たちへの信仰が途切れることのなかった世界で人々と出会い、神と出会い、そしてある大事件に立ち向かっていく――そんなお話だ。
セミの声が響く少し涼しい日の朝、ごみ袋を手に持ち空き缶を慣れた手つきで、ひょいと拾っていく和服姿の少年の額には少し汗がにじんでいた。
「まったく、、ここをごみ捨て場かなにかと勘違いしてるんじゃないんだろうな。ここは神様がいるんだぞ。」そうつぶやいた少年の顔には明らかな不快感が見て取れる。
最近、近くの不良が夜な夜なたむろしては、酒やタバコ、花火までごみをそのまま放置していく。そのごみを朝きれいに掃除するのがこの少年の日課になっていた。
「いつもすまんの。ありがとうなあ、伊織。」力のない声で精いっぱいの感謝の意を伝えてくれるその声に伊織は振り返った。
「いいんだよ、じいちゃん。オレは好きでやってるから。」ごみを捨てられているこの土地に不相応な立派な装束に身を包んだ老人に対して優しく応える。
「由緒正しいこの日ノ本神社も今では人々の信仰心も集められず、こんな有様か、、、」老人の目は悲しく、神社から見える道路に朝のラッシュで小走りに時計ばかりを見つめるサラリーマンやせわしなく行きかう自動車の群れを眺める。
「この日ノ本神社は、はるか昔からこの地に宿る神々を祭る場として、人と神をつなげる役割を果たしてきたんじゃ。古くは飛鳥時代よりこの神社の文献は残っておる。だというのに、、、」あきれた表情を浮かべ老人は年季の入った柱を優しくなでる。
「オレはこの神社が好きだよ。この先もオレがきっと守って見せるから。」ゆるぎない目つきで伊織は老人を見つめる。その目つきを見て、老人は優しく微笑んだ。
「本当にありがとうな。本当なら、わしはもう隠居しておるのだが、、お前の父親がいなくなってから10年が経つかの、、あいつめ、何の報告もなしに急におらんくなりおって。神隠しにおうておらんとも限らんが、、」老人は伊織のうつむく顔を見て、言い過ぎたことを後悔し、慌てて言葉をつなぐ。
「それはそうと、伊織。今日はお前に見せておくものがある。」
「え、なにを」きょとんとした伊織の返事だ。
「ついてきなさい」そう言って、本殿の奥に老人は向きを変える。
普段本殿の管理は神主一人で行うのがしきたりであるこの神社では伊織が本殿に足を踏み入れることはない。少しの緊張感と大きく膨らんだ期待感で老人の後を追う。
この神社の本殿はかなり大きく普段の神主の仕事のほとんどは本殿の手入れで終わる。そのため、伊織が外の掃除を行っているのだ。
一歩踏み込んだ瞬間に空気が変わるのを感じた。古い木材で組み立てられたその本殿には思わず息を飲み込む細工が施されている。
「この本殿の細工は入り口から日本の成り立ちが古事記になぞらえて、壁に彫ってある。」
奥に続く広く長い空間の壁には男女のストーリーが描かれているようだった。
イザナギ(またをイザナキ)・イザナミ――自分でも知っている神のストーリーに目を奪われていると最奥にある七つの柱が目に留まる。そして、そこにある大きな扉からは形容しがたい雰囲気を感じる。
ここまで無言を貫いてきた老人がようやく口を開く。その真剣な横顔には先ほどまでの力のなさを感じない。
「ここが最奥。この神社の神器を祭る場じゃ。」
雰囲気に圧倒されながらも、静かにもう一度伊織は扉に目を向ける。木材と鉄で補強された頑強な扉には大きな鍵と御札が貼ってある。
「普段はこうして封印をしておる。この神器はそれほどに貴重な物じゃ。そして今日、お前に見せるために連れてきた。この神社を守っていくと決めたお前にな。」老人は静かに扉の前に歩を進め、頭を低く、祝詞を唱え始めた。
祝詞とは、神に対して唱える言葉で、神主の役目の一つだ。ここで唱えることに意味はあることは、この場の雰囲気で伊織にもわかる。
唱え終わると老人は裾から大きな鍵を取り出し、ガチャリと音を立て施錠が外れる。そして、慎重な面持ちで札を外す。
――その瞬間、空気がさらに張り詰めるのを感じた。
「行くぞ。」その声に伊織は、はっと我に返り、ぎしぎしと音を立てて開く扉の向こうに目を向けた。
少し埃っぽく薄暗い空間。中心に大きな柱が一本そびえている。その前に大きな矛が飾ってある。その矛は、長く重厚で、しかしシンプルな矛。少し古くなった刃先に、わずかな装飾が施された木製の部分。
「天沼矛――。」その矛の正体が伊織にはわかった。
古来より伝承されるそれは、イザナギとイザナミによる国産み。日本を作る際に使用されたといわれる紛れもない神器、天沼矛――。
伊織は誘われるように、一歩また一歩とその部屋の奥に踏み込んでいく。その矛を前に大きく息を吸う。
「手に取ってみなさい」老人はまっすぐな目で伊織と矛を見つめる。
吸い込んだ空気を吐き切ってから、伊織はそっと矛を手に取る。
「軽い――。」重厚な見た目に反して、思った以上にしっくりとくるその矛は異様なほどに軽かった。
老人は目を見開いて、「そうか、、そうじゃったか。」とつぶやいた。
伊織が老人の方を振り返ろうとしたとき、―――その瞬間、声が聞こえた。
「そこにいるの――。」か細い女の子の声。
「え、、、」伊織は周囲に目を向ける。
しかし、薄暗い部屋には老人と自分のみ。
「ねえ、そこにいるの――。」再び声がする。
声の方向を探ると、柱の方だった。
「ねえ、じいちゃん。誰かいる。」伊織が老人につぶやく。
老人は目の色を変え、「いかん、、いおっ――」そこまでだ聞こえたのは。
シャンと鈴の音がしたと思えば、老人は固まってしまった。
「え、なにが、、、」理解が追い付かない。
「ねえ――」また声が聞こえてくる。
混乱した頭を整理する間もなく、声の方が気になる欲求にあらがえない。
伊織は老人の方に一瞬だけ目をやったが、まるで時が止まっているかのように動かない。反応もない。しかし、自分はあの柱の方に行かなければならない。その感情が抑えられない。
柱の前に立ってみたが、何もない。
「ねえ――」まただ。しかし、その声は柱の裏から聞こえてくるようだった。
ゆっくりと柱の裏をのぞき込む。
―――目を疑った。
そこには、長い黒髪に透き通るような肌をした高校生?、、同い年ぐらいだろうか、白い装束に身を包んだその人は、とにかく美しいという他ない。この人のことを美しいというんだと感じるほどの美女が立っていた。
「あら、素敵な男性ですね」透き通っているのに、妙に色気のある声でで少女はにこやかに笑った。
「君は――」ドキッとする言葉に伊織はその少女から目を離せなくなったが、精いっぱい問いかけた。
少し考えたような時間の後、少女は人差し指を頬につけ、「私?私はね、ヨモっていうの。」と微笑みを返してきた。
「これはいったいどういうことなの。君はどこから来たの。なんでここにいるの。」伊織は目の前に起きている状況を無理やり飲み込む答えを求めた。
「質問が多いね。」わざとらしくヨモは少し困った顔をした。そして続けた。
「んー、説明が難しいんだけど、世間の言葉でわかりやすく言うなら神隠しってやつかな。今から、君はそれに合うって状況。」ぐいっと顔を近づけてきたヨモからは、鼻をつくふわりと甘い香りがした。
「神隠し、、、。」言葉を繰り返した。ぐいっと寄られてのけぞりながらも、こんな意味不明な状況にありながら、伊織の目はヨモの体をくまなく見ていた。そういう欲求が勝ったとかの話ではない。彼女はそういった次元の魅力ではなかった。本能に訴えかけるような暴力的なまでの女性的な魅力だ。
「そう、神隠し。あとの質問は今は答えられないかな。」少しだけ距離をとって、ヨモは伊織の手を引く。
「でも、今から行くところは教えてあげる。そこはね、日本。でも、この世界じゃなく、神様がちゃんといる日本。神様をちゃんと信じてる君だから一緒に行くんだよ。」少女は楽しそうに残りの手を広げた。
「別の世界に行く――。」先ほどから理解が追い付かず、言葉を繰り返す伊織。そんなことは意にも返さず、ヨモは続ける。
「そう、別の世界。だって、君はその矛に選ばれたんでしょ。」少女が指をさす先には、自分が持っているという感覚さえも忘れていた矛。
「じゃあ、行くよ。」少女が静かに目を閉じると、またあの鈴の音がした。
シャン―――その瞬間、地面が抜けたと感じ、あたりは暗闇に包まれた。そして、ふわりと落ちていく感覚があるが、周りには手をつないでる少女以外何も見えない。
「うわああああああああああ」叫んだ後、情けない悲鳴を我ながら上げたものだと、伊織は感じた。
落下する感覚は続き、それでも何も見えない。
少女は再び笑みを浮かべて、「そういえば、君の名前はなんていうの。」と問いかけてきた。
こんな状況ではあったが、さもこれが当然のように問いかけてくる彼女に困惑しながらも言葉を返す。
「伊織です。出雲伊織といいます。」緩やかな暗闇の落下とともにこんな状況で少し冷静さを取り戻している。自分に驚いた。ヨモと手をつないでいるからだろうか。彼女と手をつないでいるとなんだか安心している自分がいる。
「伊織――。」彼女は違和感のある表情を浮かべた。
「それは真名じゃないよね。―――まあ、お互い様か、、」といい、美しい髪をなびかせ下を見た。
そして、伊織が言葉を発する前に、「着くよ。」と少し大きな声を出すと、急にあたりが光に包まれた。
ふわりと地面に降り立つ感覚があった後、目を薄く開けると、見慣れた景色が広がっていた。
「日ノ本神社、、、。」伊織は目の前にある。住み慣れた実家であるその本殿を外から拝んでいた。
しかし、ずいぶんと見慣れた神社よりも新しく見える。振り返ると、そこには門を超え、鳥居から見えるはずの道路や車の影はなく、鳥の鳴き声がこだまする森が広がっていた。
「これは、、、、」状況は理解ができた。頭よりも先に目が、耳が、鮮明に伝えてきた。彼女の先ほどの言葉の信憑性を――飲み込み切れてはいないが、ここが現実であることは肌で理解した。
ヨモはよいしょと、階段に腰を下ろし、「ここはね、もう一つの日本。科学の進歩せず、人々の信仰も途切れず、神様がいる世界。」頬杖を突きながら、なぜか得意げに語る彼女は続けた。
「伊織のいた世界はね、神様たちはもういないの。いや、正確にはいるんだけど、力をほとんど失っちゃってる。神様っていうのは、信仰がそのまま力になるの。だから、信仰もない世界だと、神様は力を失っちゃう。でもね、この世界は真逆。みんな神様を信仰してて、神様の力が有り余っちゃってる。」
伊織のここまでの理解をヨモは確かめるようにこちらも見て、問題ないと踏んだのか、立ち上がり続けた。
「でもね、神様の力が有り余っちゃってるから、別の問題も起きてて、八百万の神。すべての神がそれぞれいがみ合っちゃってね。ほかの神様を蹴落として、唯一神の座につこうとしてるの。」
「神様たちの喧嘩かあ。少し悲しくなるなあ。」伊織は階段を一段一段片足でぴょんと超えていくヨモの後姿を見ながらつぶやいた。
「そう。まあ、すべての神様が敵対してるわけでもないんだけどね。大きく言うと、自然をつかさどる神――(古来神)・人のみでありながら神となった(人神)、ものに宿る神(付喪神)たちなんかが、それぞれでいがみ合ってるってわけ。でも、神様自身が争ってるわけじゃなくて、それぞれ契約した人間と人間同士の争いなんだけどね。」10段ほどの小さな石階段を登り切った彼女は振り返って、こちらを見下ろす。
「じゃあ、ヨモは神様なの。」伊織は疑問をぶつけた。
彼女は小悪魔な笑みを浮かべて「ヒミツ。」と答えた。
「でもね、私も契約している神様はいるわよ。伊織もね。」といい、矛に目を落とした。
「天沼矛――。」これが、神器であることは明らかだった。
「じゃあ、オレはどんな神様と契約をしてるんだ。」矛を見つめながら、彼女への質問を投げかける。
「それは伊織にしかわからないわよ。まだ、声が聞こえないってことは認めてもらってないのかもね。」いじわるそうに笑った彼女だったが、どうしても可愛さが勝つ。
「さてと、こんなところにいても仕方ないし、近くの村に移動しましょうか。詳しい説明はそこを見てからの方が早いわ。」また、強引に手を引かれ、伊織は彼女と神社の鳥居をくぐった。
これから先の道のりを――そして、元居た世界を案じながら、名残惜しそうに振り返った伊織に神社はとても大きく見えた。
―――――次回、いよいよ村へ―――――