5、守護獅子の言葉
『剣士とか巫女とか、それに邪神って・・何のことを言っているんだい?』
真一はささやきながら心で聞いた。
『やはり剣士殿はお忘れだったか。それに巫女殿も。確かに前回、お二人の魂とお会いしたのは、七十年以上も過ぎた前のこと。それもいたしかたない』
真一は綾乃と顔を見合わせるばかりだったが、二人に注がれる青い光はさらに強まった。
『邪神は、森羅万象、自然界の秩序が無目的に破壊され続ける時、姿を現します。宇宙にくまなく広がるエネルギー体が、秩序を破壊しようとするものを察知し、それを排除しようと、この地上のどこかに邪神を生み出すのです。
前回、現れた時、邪神は死せる大鷲のからだに宿っておりました。そして一人の人間を操り、人々の喜びや悲しみの心を奪って殺戮をさせ、最後には人々の内臓を啄んだのです。現れ方は違えども、邪神の為すことは、いつも同じこと』
『七十年も過ぎた前って。もしや、その操られた人って、独裁者と呼ばれた人のこと』
綾乃が聞いた。
『操られた者の呼び名は知りません。その人間は、魔の力が失せた時、絶望と罪悪感に苛まれて自ら命を絶ちました。
それはさて、邪神の負の力が現れようとする時、この地上の自然は、均衡を保つための正の力を生み出します。その力こそが、守護獅子であるワタシと、あなた方が宿している剣士と巫女の魂を目覚めさせるものなのです』
理解できないことではないが、全く突然で、実感のわかない話だったが、綾乃はそれなりに受け止めたとばかりに頷いた。
「まるで人間の体みたい。おかしなことをすれば怪我をしてしまう。でも、それとは別に、怪我をした所は治ろうとする』
綾乃のつぶやきに、青い光は笑うように点滅した。
『おっしゃるとり。もととも人の体も、小さな宇宙であり、自然でありますからの』
『うーん。けど何故、僕が剣士で、村井さんが巫女なの』
真一が一番の引っかかりを尋ねた。
『ふー、お気づきになってはおりませんかな。あなた方は、普通の人とは、一部かけ離れた技をお持ちのはず。おそらくは、剣と、調べに関係したものを」
真一は、はっと気づいた。
特別な訓練をしたわけでもなく、めきめきと上達していった剣道。そういえば、物心つく前から、長い棒を振り回して遊ぶのが好きだったと、母さんから聞いたことがある。
「私、ずっと小さい頃から、音楽が得意だった。楽器は初めてのものでも、すぐに演奏できてしまうし・・それが、巫女の魂の力だったということかしら」
「たぶん・・」
横を向いて見つめる綾乃の目に、真一は曖昧に頷いた。
周囲では、ベルトコンベアのチェックをするために、ばたばたと人が走り回っている。後ろにいる園長は、飼育員に慰められるように肩を叩かれている。
『それに、何よりの証拠は、』
一息ついたあと、ライオンは続けた。
『あなた方が、自然の語る言葉に耳を澄ます純粋な心をお持ちになっていること。最近、変わったことはございませんでしたか』
『そういえば、僕、君のことが新聞にのった日に、頭のどこからか声が聞こえた。
《剣をにぎれ、邪なる者を討て》って。竹刀をふる形も、重い刀を振っているみたいに変わってしまったんだ』
『私は、居間にあるライオンの置物が話をしたように見えたの。《見つめよ、奏でよ》って。あわてて見返したら、普通の置物だったけど。それに最近、歌ったり、リコーダーを吹く時、息が長く吐けるようになって、喜んでいたの』
青い光が強く光った。
『お二人には、自然の現れであるワタシの声が届き、体は準備を始めました。ですから、剣士と巫女であることに違いないのです。
そして、あなた方は、ワタシの前に来られた。ワタシは気配を感じて柵の外に出ました。多くの人がいて、どの方かわかりませんでしたが、必ずや、お二人の魂を宿した方は、残られると信じておりました』
『村井さんが転んで、僕が助けようとしたこと?』
心に聞こえる低い声が笑った。
『思い違いをしておられる。お二人ともに、魂の導きによって、あの場に残られたのです。そして力を蘇らせた。覚えておられませんかな。剣士殿が振りかざした棒が、巫女殿に見つめられ、その歌声とともに、金色に輝いたのを』
真一は首を振った。
『何も覚えていない。ただ夢中で君に打ちかかっていっただけだよ』
「私、見たわ」
綾乃が声に出して言った。
「平田君が跳びかかっていった時、確かにあのステッキは金色に光っていた。これまで、私の見間違いだと思って黙っていたの」
『剣士殿の剣は、巫女殿の視線と奏でる音楽によって金色に輝きます。その輝く剣のみが、邪神を退治できるのです』
「だけど、私がこの町に引っ越してきたのは、お父さんが急に転勤することになったからよ」
「それって夏休み前のことだよね」
『全ては、森羅万象と、この地上に流れるエネルギーのバランスにより導かれたこと』
この言葉に、二人はただ黙って青い光を見つめるばかりだった。
「ああ、やはり、遠くで見送るなんてできやしない」
重い足取りとともに、園長が走り寄ってきた。
「まだ名付けてもいなかった美しいライオンよ。向こうに行っても達者で暮らせよ」
穴から漏れ出す光は見えない様子で、木箱に優しく頬ずりしている。
『この人間は、ワタシが自然が生み出したものだとは気づいてはいない。しかし、とてもよい人間だ。何よりも動物たちを愛している』
『でも、君は行ってしまうのだろう。僕たちが、剣士と巫女だとしても、君のいう邪神が現れたら、どうしたらいいんだい』
真一は聞いた。
『邪神の負の力が消え去るまで、ワタシは地上に残ることになります。この体は、お二人の力を蘇らすために、かりそめに形作られたもの。役割が終われば、体は消え去るのです』
言葉が終わるのと同時に、これまで強く光っていた青い光が、薄い緑色に変わり、やがて消えた。
止まっていたベルトコンベアが動き始めている。木箱は重みを失くしたように軽く揺れながら奥に見えなくなった。
「体が消えても残るってどういうことかしら。それに、これから何が起こるの」
「・・わからない」
綾乃の問いかけに、真一は小さく首を振った。
港では、地面を揺るがす爆音が轟き始めている。
夏の夜空を埋め尽くさんと、大玉、スターマイン、しだれ・・・色とりどりの花火が次々と打ち上げられた。