バイト先の彼女と新しい後輩
春休み。もう春の訪れを感じるこの時期というのは、新しい季節の始まりだ。
もちろん変化は季節だけではなく、色んな状況も変化する。
例えば、もうすぐ自分が3年生に進級するように。あるいは、自分に守りたい彼女が出来たように。
自分取り巻く状況というのは変化していく。それは学校だけのことではなく、バイト先でも同じだ。
勤怠の手続きをしようとパソコンの前で座っていると、店長さんが事務所に入ってきた。
「あ、田中くん」
「店長さん。お疲れ様です」
「お疲れ様。今日もよろしくね」
「はい。よろしくお願いします」
店長は自分より頭一つ小さい身長。朗らかに笑う四十歳くらいの女性だ。
そんな店長さんに頭を下げる。すると店長さんは何かを思い出したように声を上げた。
「そういえば、今日からうちの娘の舞がバイトに入るから、把握しておいてね。多分後で挨拶してくると思うけど」
「娘さん?」
「うん、そうそう。前から店のお手伝いってことでバイト代は出していたんだけど、去年は受験だからやめさせてたのよね。でも、もう終わったからまたやりたいって」
「え、受験ですか?」
「中三だったからね。高校に無事進学できて一安心よ」
「ああ、なるほど」
まさかの年下。一体どんな人だろうか。店長さんの人柄を考えれば、悪い人ではないだろうが少しだけ不安だ。
年は下でもバイトは俺よりも長くやっているみたいだし、上手く一緒にやれるといいのだが。
一抹の不安を覚えながら勤怠の手続きを終えたところで、また事務所のドアが開いた。
「お母さーん?」
ひょこっと顔をのぞかせてこちらを窺ってくる一人の女の子。明るい亜麻色の髪揺らし、ぱっちり二重の快活そうな瞳と目が合った。
「ちょっと、仕事中は店長って呼ぶように言ってるでしょ」
「はーい」
店長のたしなめるような口調に、渋々ながら女の子は頷いている。
だが、どこか気の抜けた返事には、あまり反省色は見えなかった。
聞き流すようにプイっとそっぽを向くと、こちらを見てきらりと瞳を輝かせる。
「もしかして、田中先輩ですか?」
「あ、はい。そうですよ」
「やっぱり!」
ぱあっと顔をほころばせる姿はどこか一ノ瀬に近いものを感じた。
「初めまして、七瀬舞です」
「どうも初めまして。田中湊です」
にっこり微笑みかけてくる彼女に精一杯の愛想笑いで返す。最初が大事なので警戒されないように。出来るだけ人当たりがいいように。
舞さんは特に気にした様子もなく「よろしくお願いします」と頭を下げた。
「お母さんが言ってた通り、かっこいいね」
「でしょ。田中君のおかげでおば様達が前より良く来るようになったんだから」
「えっと……ありがとうございます?」
あまり容姿について褒められたことがなかったので、どう答えたものか悩みつつ無難に答える。だが戸惑って少しだけ苦笑いを浮かべてしまった。
「店長さん。舞さんにどんな紹介をしているんですか」
「普通に話しただけよ。田中くん。これからも頼むわね」
「普通って……まあ、いいですけど」
絶対妙な紹介をされているのは間違いない。舞さんが興味ありげに目を輝かせているし。
「もう紹介はいらないわね。私からもよろしく頼むわね」
「もういいから。お母さんはあっちに行ってて」
「はいはい。それで何か用事があったんじゃないの?」
「あ、そうだった。厨房の人が店長さんを呼んでって言ってたから呼びに来たんだった」
「そう、分かったわ」
すたすたと急ぎ足で店長さんは事務所を出ていった。
「はあ、疲れた」
「舞さんは休憩?」
「休憩といいますか、まだバイトの時間まであるので待ってる感じです」
そう呟きながらポケットからスマホを取り出す。そのスマホにはしゃらんと丸い球状のアクセサリーが揺れていた。
綺麗な七色の光が揺れて煌めく。それは斎藤にあげたしおりにどこか似ていて思わず目を惹かれた。
俺の視線に気づいたのか、少しだけはにかみながら輝く球を見せてくる。
「あ、これですか? やっぱり変ですかね?」
「いや、全然。綺麗だったから」
「ありがとうございます。実は趣味で作ったんですよ」
「え、作った?」
「はい。結構簡単に作れるんですよ」
売り物としても十分なほど丁寧に作られていて、とてもではないが手作りとは思えなかった。思わずまじまじと眺めてしまう。
「あの、あんまり見られると少し恥ずかしいので……」
「あ、ごめん」
えへへ、と照れ笑う舞さんから慌ててぱっと体を離した。
想像以上に話しやすい人で良かった。内心でほっと胸を撫でおろす。
初対面というのはどうしても緊張してしまったが、とりあえずはなんとかなりそうだ。
腕時計を見るとバイトの時間が始まる五分前。そろそろ出るかと思っていると、またしても事務所の扉が開いた。
「失礼します」
凛とした透る声。縛った黒髪を揺らす柊さんが入ってきた。
「お疲れ様です。田中さん。それと……」
「あ。久しぶりです。柊先輩!」
目をぱちくりと瞬かせて固まる柊さんに、舞さんは右手を軽く上げて近づく。親しみを滲ませた雰囲気が二人に漂う。
「久しぶりですね。確か受験で休んでいたのでは?」
「そうだったんですけど、無事合格したので許可が下りたんですよ」
舞さんはびしっと敬礼してかしこまって見せる。どうやら舞さんのそんな様子には慣れているようで、柊さんは特に気にした様子はない。
「えっと、二人は仲がいいんだ?」
「田中くんが入ってくるまでは、私と舞ちゃんしか同年代の人がいなかったので、話す機会は多かったですね」
「そうそう。柊先輩はもともとこの店の常連さんで、その繫がりで誘ったんですよ」
二人は互いに見合って仲良さそうにそう教えてくれる。あまり親しそうに話す柊さんを見かけたことはなかったので、その様子は意外だった。
「そういうわけで、これからはまた一緒によろしくお願いします」
「分かりました。こちらこそよろしくお願いしますね」
「はい。あ、もう動かなきゃいけないんでまた後で話しましょう」
時計を見て慌てて立ち上がると、急ぎ足で事務所を出ていく。
だがまだ話したいようで、出ていくときは名残惜しそうにしていた。




