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3.くちづけ

 シャイン様は、私の前では屈託なく笑う。

 風に舞う花弁のように華やかでまぶしい微笑みに、私の鼓動はいつも不自然にはねて、視線がさまよってしまう。

 シャイン様は美しくてかわいらしくて、同性だと知っても笑ってくれると嬉しくて、心臓がどきどきした。それでも笑っている理由を考えると、私の何かがずれているのが原因だから、もの知らずでいる自分が恥ずかしくてしかたない。

 

「笑ってしまってごめんなさいね。生物学を学ぶのと、恋愛は別の物よ。ルーナの学び方だと、婚姻を結ぶことすら、ただの繁殖活動だと誤認されそうね」

 その認識は正しすぎて、私は赤面するしかない。

「お言葉ですが繁殖を抜きにしても、家と家とをつなぐ契約だということも知っています」

 これもまたシャイン様の意図からズレている内容だとなんとなくわかっていたので、すねた口調になってしまった。

 それが面白かったのか、さらにシャイン様を笑わせる結果になった。


「今度、わたくしも読んだことのある物語を持ってくるわ。可愛らしい恋とか、ときめくような恋物語とか……わからなくてもいいの。そういう世界もあるのねって思うと、ちょっとだけ心が豊かになるのよ」

「知らない世界を知ることと、その世界を理解するということは、別なのですか?」

「本質は別でしょうね。理解できなくても、あると知っているだけで、困らないもの」


 朗らかに笑って、神様だってそうでしょう? といなされて、なるほどと思った。

 確かに、信仰としての神は特徴まで子細に知っているけれど、神という存在を理解しているわけではない。

 知っているつもり、理解したつもりになっても、神の姿を見ることすらかなわないのだから、どれだけ見識を深めても理解したとは言えないだろう。

 理解するしないにかかわらず、神様の存在を信じるおかげでずいぶんと人は生きやすくなっているからそれでいいのだ。


「また難しい顔をして……ルーナは真面目ね」

 それは教師にも言われる。愚直なまでに直情で思考回路に遊びが少ない、と。

 何事も過ぎればどこかが欠けると教えは受けたけれど、遊びのある思考回路というのはどうやって手に入れればいいのか、そこのところが分からない。

 教師にはついでのように、表情と感情に起伏がないので相手に侮られなくてよいとも褒められたけれど、実に悩ましいことだ。


 知らず沈思黙考に落ちている間、シャイン様は私が借りてきた本を手にしていた。

 パラパラとページをめくり、それでもすでに知っていることだからか中身には少しも興味はないようで、ほどなく閉じてしまう。

 それでも本を台に戻すこともなく、細い指先で表紙の飾り文字を意味もなくなぞりながら、物憂げな表情でポツンとつぶやいた、


「わたくしは男とか女とか、そんなものとは関係のない世界でいきたいわ」


 声はかすかに震え、とてつもなく思いつめた表情だった。

 他の者には見せることもない少女めいた頼りなさに、私は背筋を伸ばした。

 初めて見るシャイン様の様子に、内心ではひどく動揺していた。

 目の前にいるのは、凛と背筋を伸ばして立ついつもの女神ではなく、今にも消えてしまいそうな脆い少女だった。

 私に向けられた大きな瞳にはうっすらと涙の幕が張り、ゆらゆらと儚く揺れている。

 そっと手を取り、両手温めるように包み込むと、シャイン様はすがるように私を見つめた。


「もしも……もしも、わたくしが望んだならば、ルーナは傍で助けてくださる?」


 シャイン様の様子をいぶかしく思ったものの、私は「もちろんです」と即答した。

 当然だ。初めて顔を合わせた時から想いは変わらない。

 

 この人の役に立ちたい。

 この人のそばにいたい。

 神様なんて信じられないが、シャイン様だけは信じられる。

 シャイン様のためなら、私はなんだってできるだろう。


 心の内がすべて届けばいいと願いながら見つめていると、シャイン様の瞳が滑るように近づいてきた。

 見る見る間に距離を詰める美しいその面差しが恐れ多くて、頬に触れた吐息に私は思わず目を閉じる。


 風に運ばれる綿毛のように柔らかく、陽炎のように儚く。

 視界を閉ざしても花のように甘い息が私を惑わせる。

 感じるシャイン様の体温に、クラクラとめまいがする。

 軽く触れるように唇は重なり、すぐに離れるかと思いきやそのまま温もりは押し付けられるようさらに近づき、私からこぼれ落ちた戸惑いをそのまま飲み込むように唇を軽くはまれた。


 どれほどの時が過ぎたのだろう。

 一瞬なのか、それとも……私にはわからない。


「うれしいわ、きっとよ」

 小さく告げて何もなかったように離れていくシャイン様に、されるがままだった私はそっと目を開いた。

 思わず自分の唇を指先でなぞると、先ほどの感覚がぶりかえしてくる。

 自分の物ではない蜜よりも甘い吐息とぬくもりを確かに覚えていて、ああ、と声にならない声を上げそうになった。


 これは口づけだ。これが口づけだ。

 生まれて初めて、私は口づけを贈られたのだ。


 シャイン様と目が合うと、それだけで心臓がはねた。

 内緒ねというように人差し指を自分の唇に当て、切なく微笑むその姿を見るだけで、ギュッと鷲摑みされたように胸が苦しい。

 

 私は決めた。

 他の誰が何を言おうと、私の命はシャイン様のために使うのだ。

 今、私が学んでいるすべては、きっと願いを叶えて差し上げる力になる。

 私が私として生きている限り、この方の憂いを払い、この方の微笑みを護ってみせるだろう。

 その想いのままにひざまずき、真っすぐに忠誠を捧げた。


「剣も、命も、私のすべてを貴女に捧げます」

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