2.いろいろと知る
次の日の朝は穏やかにやってきた。
暖かな寝台で眠り、体の血肉になるまともな食事を摂り、ゆったりと体を休める。
小さな棚と一人分のベッドと水や果物の置かれたサイドテーブルが一つだけある真っ白な小さな部屋で、出された三食の食事を味わって眠ることを繰り返す。
ただただ体を癒すために時間を使い、飢えとは無縁の一週間で私はずいぶんと回復した。
そのころになってやっと、私はここが天国ではないのだと実感した。
問題なく動けるようになると小さな個室から出され、四人部屋に移された。
大き目のその部屋はカーテンで個別スペースが仕切られ、やせ細った私と同じく身寄りのない子供が集められていた。
とはいえ、スラムからもはじかれるような子供のほとんどは餓死寸前に弱り切っているか病持ちで、一週間ほどで回復する頑強な体を持っているものは少ない。
世話役が廊下で話している声が漏れ聞こえてきたけれど、回復が早い者は私を含めて十人そこそこらしい。
生まれながらの生命力と運の強さを持ち合わせた、数少ない貴重な例外に私は含まれたようだ。
その中に路地裏で一緒に眠った者もいたかもしれないが、泥と埃で汚れた上に汗や垢がこびりついた姿しか知らないので、清潔に身なりを整えられると顔を合わせても誰だかわからない。
そもそも他人の容姿どころか、自分の容姿に興味を持てるほどの余裕はなかった。
私自身、自分の髪が白銀であることを知ったのは、シャイン様と出会ったその翌日である。
絡まりまくってゴワゴワに固まって黒ずんだ長い髪が、サラサラと背中に零れ落ち風にふわりと揺れるようになるとは……神官や巫女の扱う浄化魔法は本当にすごい。
適性があれば君たちにも魔法は使える、と言われて心が動いた。
それは、生まれて初めて感じる感情で、今まで知らなかったから確信は持てないけれど、希望と呼べる煌めきだった。
そして今後の身の振り方をかいつまんで説明され、私はいろいろなことを知った。
国王の長男が十五歳を迎え、立太子と同時に始まった王都改革の一環で、スラムの解体が始まったこと。
保護された子供は神殿を保証人とし、適性に応じてその先の道筋が変わること。
適性のあるなしよりも本人の希望が最優先され、穏やかな市井に降りるなら孤児院に移ることもできるし、学びを選んで国の政策の一つとして特殊な教育も受けられること。
希望すれば教育が施されると聞いて、大部屋に移った子供のほとんどが学びを望んだ。学のない私たちでも「大人になると孤児院にはいられない」ことも知っていたし、後ろ盾がなければ市井の暮らしも簡単ではないこともわかっていた。
身寄りのない根無し草の私たちにとって、大人になっても所属する場所が確定し、自身の能力を磨くだけで衣食住が保証されるのだからありがたい話なのだ。
私のように王国預かりになった者は魔法と学問と体術と武闘と……思いつく限りの分野を広く浅く最初に与えられる。
広く学んだ中で特に適正のある分野が個別に掘り下げ、カリキュラムを組んで学ぶ。
学び初めの頃は幼すぎてわかっていなかったが、ずいぶん金と人材をつぎ込んだ事業だった。
成人してから知ったことだが、特殊分野の掘り下げは前例が少ないのでカリキュラムを組むのが非常に難しく、公的に組んだカリキュラムが本当に有効かどうか検証も難しい。そんな不確かなものを本来学ぶべき高貴な人々にぶっつけ本番でお試しなんてするわけにいかず、とりあえず失敗しても問題のない孤児でどれだけ効果があるかを見極めていたらしい。
人材育成が発展には欠かせないという理念があるらしいが、千年近く続いた大国ならではのずいぶん気の長い話である。
もちろん国を挙げての事業の先駆けだから、すべてが手探りで順調とはいいがたかった。
初めの頃は教師らしき男に「お前たちに説明しても理解などできるものか」と皮肉まじりに見下されたりもした。
愚かなことだ。
国を挙げての事業なのだからもちろん見過ごされるわけもなく、私たち教育を受ける子供の素質の見極めと世話役を兼ねた監視員がどこからともなく現れる。
侮蔑の眼差しを監視員から向けられ、冷ややか声で「このことは国王陛下に報告いたします」と告げられた教師は二度と顔を見なかった。
理不尽を放置しないことで感謝と恩を植え付けたうえに、見られているのは教師で生徒である私たちではないと思わせるには十分な処罰のあり方だった。我々に対する生涯にわたる監視を、監視と認知させない上手いやり方だと、うがった目を持つ私はひそかに感心した。
差別と格別とかそういったものがあるのは当たり前なのに、それを王族の名を使って防ぐことで忠誠を育まれていき、王家の影になることを望む者も増えていった。
王家へと心酔していく者が増えていく中で、私のように神殿へと心を向ける者は稀だった。
あまり大きな声では言えないけれど、スラム暮らしを経験してもなお神を信仰できる者は少ない。
けれど魔法を知り技能を深めていくに、この国では神殿以上の場所はないのだ。
神に仕える者は不可思議な能力に対して寛容で、魔法や神秘に対しての知識も技能も豊富に持っている。
魔法特性があるとはいえ神を信じていない私は、残念ながら巫女や治癒師になるほどの素質はなかった。
代わりに属性にかかわりなくすべての初級魔術を扱うことができたし、身体能は特に優れていたらしい。
鍛えれば鍛えるだけ、学べば学ぶだけ、乾いた土に水がしみわたり新芽が芽吹く勢いで、心身ともに成長していった。
学びを得る中で、ただ一つ、驚くことがあった。
私は女だったのだ。
スラムの端っこでは性別などどうでもいい事だったというか、学び始めるまで性別というものが自分にもあると理解していなかった。
名前がないことすらどうでもよかったし、年齢すら気にしたことがないのだから、性別なんて興味を持てるはずもない。
図書館で本を借りて性別とは何かと調べていたら、シャイン様にはクスクスと笑われた。
出会った日からシャイン様は、十日に一度ぐらいのペースで私の顔を見にやってきてくれる。
名付け親であり身元保証人であるという公的な理由を告げられたけれど、そっと個人的に気に入っているお友達だから、と耳打ちされた。
かといって決まりきったサイクルでもなく、私が武術の練習でケガをしたり、急激に身長が伸び成長痛で歩けない日には、夕刻には顔を見せ癒しの力で治してくれた。
本来なら手をかざすだけでも治癒できるのに、毎回のように痛む場所にそっと触れ、私の手の甲へと軽い口づけを落としてくれる。
宝物を愛でるような優しいしぐさで、私が特別なのだとわかる触れ合いに、内緒よと悪戯っぽく微笑むシャイン様は、やはり女神にしか見えなかった。