第九十九章 飛べない金糸雀
第九十九章 飛べない金糸雀
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シラヴィンド女王の名をサイラといった。トパーズ色の瞳が印象的な女性だ。
重臣らが下げられ、幾人かの護衛を残し、その場にはスーとウィル、女王サイラとレオだけになった。
「やっぱりこの国にいたか」
レオが立ち上がり近づいてくると、ウィルが苦笑まじりに肩をすくめる。
「まぁな。今頃メディルサでは父上たちが血眼で捜してるだろうがな」
ニヤリと口の端をあげていたずらっぽく目を細め、レオは立ち上がったウィルと再会のよろこびに肩をたたき合う。
「聞いたぜ。こども産まれるんだろ?」
おめでとうと、やはりニヤニヤして言うレオに、ウィルは微苦笑を浮かべ礼を述べた。
スーはいまだほうけていた。いきなり王座の横から現れたレオに言葉をなくす。
そんな気配に気づいたのか、今度は女王がくすりと声をたてて笑い、スーの肩に手を置いた。
「意地悪を言ってごめんなさいね」
冷徹さの抜けた彼女は驚くほど柔らかい声音だ。しゃらん、と鈴が鳴る。
いえ、と恐縮しながらも、スーはハッとしてウィルへ振り返る。
(サイラさまの隣から現れたってことは……)
レオはメディルサの第一王子。ある意味相手にとって不足なし。
ウィルは苦笑を浮かべ、スーのきらきらしたまなざしに答えた。
(つまり、サイラさまとレオさん……レオンハルト王子は恋人同士……!)
「で、俺らが恋仲ってことは一応極秘なんだけれどな」
サイラと目を合わせ、くっと喉で笑ってレオは言う。
「シラヴィンドでは俺の身分は『とある国の王子』で暗黙の了承を得ているし、メディルサではウルフォン以外このことは知らないだろうからな。ま、国のいざこざのおかげで――」
「素敵!」
レオの言葉を遮り――というより聞こえていなかったスーは、そのまま爛々と輝く瞳でレオとサイラを交互に見やり、感嘆のため息をもらす。
お似合いなのだ。視線だけで会話しているような雰囲気も、互いを信頼している様も手に取るようにわかる。
あまい雰囲気ではないが、それが逆に気心の知れた仲を思わせ、もう何年も連れ添いあったような、そんな見えない絆があるような気がする。アルのことを自覚したせいだろうか、スーはふたりがうらやましくなった。
ウィルとドロテアとはまたちがった仲の雰囲気があるふたりだ。彼らに身分の壁はないに等しい……きっとうまく結ばれるだろう。
「素敵です……ご結婚はいつされるのですか」
しばしサイラとレオンハルト王子を見比べるように満足いくまで見つめる。やがて無意識のうちに問いかけをつぶやいたスーに、ウィルもレオも意表を衝かれたようでたじろいだが、サイラだけは乗り気で答えた。
「そなた、なかなか良いことを申すな。わらわたちの馴れ初め、聞きたい?」
「はい、是非!」
勢いのままスーが答えると、サイラは満足げに頷く。
そして自分が昔、内戦の絶えぬ国へ辟易していたこと、妹姫の駆け落ち騒動に巻き込まれ囲われたこと、結果『鳥籠のなかの金糸雀』と呼ばれ城から出ることのできない生活をしていたことを簡単に語った。
「でもね、わらわはもう飛べないカナリアじゃないのよ」
にっこりと、今まででいちばん柔らかい笑顔を浮かべて、サイラはレオの腕に自身のそれを絡ませる。
「昔は鳥籠のなかにいたかもしれない。けれど、今は自由だと思える。わらわには、代わりに世界を見て、聞いて、感じて、それを伝えてくれる人がいるから」
(素敵……!)
スーはレオを見直していた。ただの手のはやい気まぐれな放浪王子ではなかったのだ。彼はサイラのために目となり足となり、感じた世界を伝えていたのだ。
うっとりとするスーに、とうとうレオは気まずさから肩をすくめた。
「まぁそれは置いといて……スー、俺が君に以前言ったこと、覚えている?」
「あ、はい……」
途端にいやなことを思い出し、顔をくもらせる。あまりにあっけらかんとして以前と変わりがなかったから忘れていたが、最後に会ったとき、レオは「気をつけて――俺は、君を壊すかもしれない」と言ったのだ。
いまだ、その真意は知れない。
オッドアイの瞳を見つめる。逃げることはやめた。彼の本意はなんなのだろう?
言葉がすべて真実ではない。それをスーは知っている。いちばん身近に、体現している人物がいたから。
「あれは警告だった……君がアル王子をすくなからず『大切』に想っているとわかっていたから、言ったんだ」
「どういう、ことですか?」
レオの顔には真剣身が帯びる。
「アル王子は、ヌイストに近づきすぎた」
メディルサに宣戦布告まがいの発言をし、アルはレオに挑発してきたのだと彼は言う。自分がウルフォンを倒しメディルサの国土を脅かすかもしれないよ、と。
「頑なになっていることはすぐにわかった。アル王子は無表情で、まったく耳を貸さないんだ……だから、俺は『壊す』と言ったんだ」
ヌイストに操られるのも時間の問題かもしれない、と感じはじめ、なれば容赦なく打ち砕かなければならないと考えたのだそうだ。呪縛に囚われ、過去の古傷を抉られ、助けと癒しを求めた末に、ヌイストの操り人形になる人間を何人も見てきたから、と。
それでも、いままでは大きな動きを見せなかったし、ヌイストはそれこそ、レオの知人へ手を伸ばすことはなかった。それなのに、ここへきていきなり、彼はアル王子という駒を選び出したのだ。
「俺もすべてを知っているわけじゃない。だけど、奴の力は信頼できても、奴自身は信用しちゃいけないんだ」
レオの固い声に、ウィルも表情を険しくさせる。
「君と連絡が取れなくなっていたのもそのためか?」
「ああ。メディルサにも奴の影があったからな。父王からはカスパルニアを落とせと言われたし、板ばさみ状態。俺はとりあえず、ここへ避難したってワケさ」
それでも動きはあったがな、とレオはぼやいた。
「動き……?」
「聞いているかもしれないが、カスパルニアに裏切り者がいるってことだよ」
ひゅ、と息を呑む。我を忘れ詰め寄りそうになり、なんとか堪えてスーは耳をそばだてた。
「俺らの目に直接触れないところで動いてるんだ。シラヴィンドの重臣にも接触してきてる……メディルサにもカスパルニアの情報を流しているらしい」
「だれが……そんなこと……」
「じかに会ったわけではないからなんとも言えないけど。噂では『黒髪をした騎士風の男』らしい」
(ランスロットさんなわけ、ない)
たしかに、今現在カスパルニアにランスロットはいない。アル王子に追放されたと言ってもいい処遇を受けた。けれど、彼がアルを裏切るはずはないと思える。
「どうやらそいつは、カスパルニアを孤立させようと動いているようだ。アル王子を愚鈍な王子だとふれ回っている。内部の人間しか知らない情報を知り尽くしていることからも、カスパルニアの人間――それも、それなりに高位の人物だと思われる」
解析を述べつつ、レオはため息をついた。
「女王に近づくのではなく、その周りから煽り接触を図ってくるから、なかなか尻尾をつかませない……俊敏な奴だ」
話を聞けば、『黒髪の騎士』の裏切り者はランスロットではないかと考える輩も多いだろう。状況からしてもそれは仕方のないことだ。
(でも、わたしは信じない。アルさまだって、きっとそう思うはずだわ……)
なにがどうなっているのか、把握する必要がある。けれど、すくなくとも今はレオは敵ではないらしいとわかり、スーはにわかに緊張を解いた。
雰囲気で一段落ついたのを察したのか、それとも暗くなった雰囲気を一掃しようとしたのか定かではないが、唐突に女王が口をひらいた。
「とりあえず、スゥに度胸があるということはわかったわ」
スーの発音に若干の違和感を残しつつ、サイラはうれしそうに目を細める。
「びっくりしちゃった。随分残酷なことを言うのね。尊厳を取り戻すためにシラヴィンドに戦えとあなたはそう言ったのよ」
「そ、んな……」
スーは再び言葉をなくし、ハッとして口をつぐんだ。
そんなつもりじゃなかった……けれどたしかに、シラヴィンドに酷をしいた。もしベルバーニ側へつけば、大軍のひとつとなり埋もれるものの、その代わり戦わなくてもよくなったかもしれないのに……。血を流してほしいわけではないのに。
「まぁ考えが足りなかったのでしょうけど、気にすることはないわ。シラヴィンドは血に怯え怖がるほど臆病でもないし、平和的解決を望めるほど上品ではないから」
きっぱりと言い切り、サイラは女王の風格を見せる。淡々と自国を解析しぴしゃりと言い切る様には圧巻される。
レオも落ち込むスーを励ますように肩をすくめ口をひらいた。
「それに、どうせベルバーニ側へついたとて駒に使われるのがオチだしな。俺が『こっち』にいるとなれば、メディルサの出方も未知数になるし……愚策じゃないよ」
胸を張れよ、と言われ、ついでウィルにまで頭をなでられたものだから、スーは恐縮するように首をすぼめて頷いた。
けれど、責められても仕方がない、そう思った。
(だってわたしは、『アルさまのためなら他はどうでもいい』と思ってしまったもの……)
卑しい欲だとわかりながらも、落ち込みながらも、後悔はなかった。
ピィ、と小鳥のさえずりが突然部屋に響いた。
あら、鳴いたわ――サイラが、くすりと笑ってふり返る。
窓辺にかけられていた金色の鳥籠に近づき、おもむろに彼女は錠をあけた。
「……他を犠牲にしてでも、助けたいとスゥは思ったのね……それほどまで、価値のある男――か」
つぶやき、開け放たれた窓から風を受け、女王のベールはさわさわと揺れる。
鳥籠から飛び立つ鳥は、うつくしい羽根を惜しみなく太陽の下ではばたかせている。
「そろそろ、動くべきじゃないか」
「そうね、時がきたのね……」
レオの問いかけに頷き、彼女はさらに笑みを深めた。
「わらわはもう、飛べないカナリアじゃないのよ――」
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それからスーは、サイラに誘われ城を案内してもらうことになった。「詳しいことは男たちが頭を捻ればいいのよ」という、なんとも耳にしてはいけないような発言をし、彼女はウィルとレオにこれからの動きを考えるよう言い渡して、さっさとスーの腕を引き歩き出した。
女王自ら案内してくれるということでいささか戸惑ったものの、サイラの気さくさにスーの変な緊張感はすぐになくなった。
大広間や国の自慢だと説明された美術品の数々をおさめた部屋などを歩き回ったころ、スーはふと視線を後方へずらし、そこではじめて護衛だろう人物がぴったり後ろを歩いていることに気がついた。
あまりの気配のなさにびっくりして目を見開くと、気づいたサイラが合点とばかりに頷いた。
「彼女はわらわの側近よ。侍女にも護衛にもなれる優れた人材なの」
「こ、こんにちは……!」
紹介され、あわてて頭をさげる。
何十にも重ねたレースのマントを羽織り、身体の線は見えないが、腰には剣を携えているのだろう。女という性別でありながら女王の護衛を務めるのだ、並はずれた剣術を使うにちがいない。彼女は女王のように頭をベールでおおうことなく、髪を高い位置でひとつに結いあげ、すっきりした顔立ちをあらわにさせている。
スーの言葉に応え、きれいにひとつお辞儀をし、サイラの護衛は笑みを見せた。
(……この方……どこかで……)
見覚えがあるな、と思った直後、それは確信へと変わった。
「はじめまして、スーさま。ベロニカと申します」
雷に打たれたような衝撃が、身体中を駆け巡った。